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関口 和子

せきぐち・かずこ


・新潟県

■関口和夫 2001/08/15
 『強く、やさしく――ALS闘病四年間の記録』
 文芸社,351p.,1200円+税


「七月二十五日 金曜日
 午後二時に家を出る。途中で遅い昼食を取り、大学病院に。五時半、担当のK先生より和子が筋萎縮性側索硬化症らしいとの話を聞く。
 「まだ断定はできないが」という前置きのあと、「この病気は原因もわからなければ、治療法もまだ確立されていません。随意筋を動かす命令がうまくできなくなりますので、徐々に筋肉が(p.14)動かせなくなり、最後には全身が動かせなくなります。一番の問題は、呼吸する力がなくなることです。呼吸機をつければ呼吸できますが、一度呼吸機をつけると外すことはできません。つまり最終段階では呼吸機を使うかどうかを選択することになりますので、尊厳死の問題にも関係してきます」というようなことを教えてくれた。
 私は目の前が真っ暗になった。実は四月上旬に和子から「難しい病気らしい」と聞かされた時、心の底で最悪の場合を想像しないわけではなかった。ただ「そんなことはない」と思い込もうとしていたのだ。和子には詳しく言うことができず、適当に話を濁して病院を去る。」(pp.14-15)

◆1999
「七月十四日 水曜日 病院
A先生が私の到着を待っていたかのように病室に来て病状について話す。そのあと担当のA看護婦さんが改めて和子に呼吸機を使用するかどうかの意思確認。F副婦長も後半同席。
「痛い目にあってつらかったから、気道の手術はしたくない」という答え。」(p.179)


「九月七日 火曜日 家
 和子が朝ボードを使って「呼吸機は使わない。その訳は、頭も器具の当たりによっては痛くなるし、首も左右に動かしてもらわないと痛いし、肩甲骨も当たり具合で痛い。お尻も腰も当たり具合で痛い。脚も膝を曲げてばかりいると苦しい。伸ばしてばかりいるとかかとが痛い。こんな状態なので、機械の力を借りてまでベッドで生活を続けたくない」と訴える。担当看護婦のAさんにこれを告げると、「本当に痛いところばかりなんだねえ」と驚く。私としては言う言(p.193)葉もない。」(pp.193-194)


「文中では「最終段階」という言葉を使ったが、それは「自力で呼吸ができなくなり、呼吸機を使うかどうか、つまり尊厳死を選ぶかどうかの段階」という意味だった。『三十七年』を和子本人が読むことも考えて、そこまではっきり書くことがはばかれたので、「最終段階」という言葉にしたのだ。
 主治医の先生や看護婦さんたちが何回聞いても、呼吸機を使うことを和子は最後まで拒否し(p.341)続けた。私が濡らした脱脂綿で二回口を拭いたあと、和子が固く口を結んだためそれ以上口を拭けなくなったことには、和子の強い意志があったのではなかったのか。突然、私はこんな疑問にぶち当たった。M先生は、「普通、ALSという病気では、痙攣といった症状はでないんですけどねえ」とあとで語っている。自分の意志では全身を動かせなくなっていた和子が、喉に痰がつまった苦しさのために歯を食いしばったのだと私は考えていた。ちょうど五十数年前の私の実父がそうであったように。だがもしかして、と私はまた考える。あれが和子が自分の意志で取った最後の行動だったのではなかったのか、と。
 私は決して口には出さなかったが、このまま和子にこき使われて、ボロ雑巾のようになって死にたくない、という気持ちを持ったことはたしかである。こんな私の気持ちを、和子は病人特有の鋭い勘で読み取ったのではなかろうか。あるいは、柏崎にある国立療養所新潟病院に転院すると、私が毎日通うことは到底できなくなるのを気に病んだのではなかろうか。それともまた、最近何回か夜中に私を起こしながら、ボードを見るために目を開くことさえできなくなったことをはかなんだためか。もしくは、目も開けられないほどの痛みを我慢することに限界を感じたのか。今では誰にもわからない。」(pp.341-342)

 

■立岩『ALS――不動の身体と息する機械』における引用・言及

 [183]関口和子(新潟県)は一九九七年一月に症状を自覚、七月に夫に告知、九九年七月、「A先生が私の到着を待っていたかのように病室に来て病状について話す。そのあと担当のA看護婦さんが改めて和子に呼吸機を使用するかどうかの意思確認。F副婦長も後半同席。/「痛い目にあってつらかったから、気道の手術はしたくない」という答え。」(関口[2001:179])九月七日「和子が朝ボードを使って「呼吸機は使わない。その訳は、頭も器具の当たりによっては痛くなるし、首も左右に動かしてもらわないと痛いし、肩甲骨も当たり具合で痛い。お尻も腰も当たり具合で痛い。脚も膝を曲げてばかりいると苦しい。伸ばしてばかりいるとかかとが痛い。こんな状態なので、機械の力を借りてまでベッドで生活を続けたくない」と訴える。[…]私としては言う言葉もない。」(関口[2001:193-194])「主治医の先生や看護婦さんたちが何回聞いても、呼吸機を使うことを和子は最後まで拒否し続けた。私が濡らした脱脂綿で二回口を拭いたあと、和子が固く口を結んだためそれ以上口を拭けなくなったことには、和子の強い意志があったのではなかったのか。」(関口[2001:341-342])その理由は痛みだけだったのかと夫の関口和夫は考える。後でまた引用するだろう。


※おことわり
・このページは、公開されている情報に基づいて作成された、人・組織「について」のページです。その人や組織「が」作成しているページではありません。
・このページは、文部科学省科学研究費補助金を受けている研究(基盤(C)・課題番号12610172)のための資料の一部でもあります。
・作成:立岩 真也
REV:20021015
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