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篠原 糸美

しのはら・いとみ
19560425〜



・高知県
日本ALS協会高知県支部 
◆19900501 『翔べ,自由に――神経難病と共に』
 静山社,206p. \1223 ISBN-10: 4915512231 ISBN-13: 978-4915512230 *

・19560425生(p.192)
・198403 右上肢の脱力(p.20)
・198503 4週間に1度、高知医科大学神経科に通う
 「病院へ行っても、私が一方的に容態を言うだけで、先生は「しばらく様子をみましょう」の一点ばりで、通院する意味がないような気さえしました。」(p.23)
・19851004 精密検査のため再入院。
 「病名診断のための入院でしたが、検査はすれども、先生方からは何も教えてはもらえませんでした。退院の日が迫っても、病名はご主人に話してありますから、とのお言葉でした。私は、自分の病名を知り、病気を理解して生活したいと渋谷先生に訴え、無理にお願いしました。別室に呼ばれ、病名は「筋萎縮症」、現代の医学では特効薬もなく、治療法もない難病であると知らされました。すでに覚悟していたこともあって、病名を聞いて(p.22)も、「ああ、やはり」という気持ちで、さほどの驚きはありませんでした。治療法がないとはいえ、何でもやるだけのことはやってみたかったので、リハビリを受ける手続きをしていただいて、二週間後に退院しました。」
・198510? 筋萎縮性側索硬化症と知る。
 「私が「筋萎縮性側索硬化症」という正式な病名を知ったのは、退院して一週間ほど後のことでした。ある日、県の保健機関から一通の封書が届き、開けてみると、特定疾患(=難病)認定通知書が入っていました。その病名欄に、「筋萎縮性側索硬化症」と書かれていたのです。幸か不幸か、その頃テレビで三度もこの病気のことが取り上げられ、それを見た私は、病気の恐ろしさと一部始終を知ったのでした。なぜだか、涙をぼろぼろ流しながら、テレビを見たのを覚えています。」(篠原[1990:8])[B]
・19881003 ワープロを入手(p.16)
 「昭和六三年の秋、彼女の病気が少しずつ進み、四肢の筋萎縮と構音障害(発語障害)が強くなり、意志を伝えるのが困難となって、彼女から何か良いコミュニケーションの方法がないでしょうかと、主治医の私に相談がありました。そこで、日本ALS協会事務局の松岡氏に連絡をとり、ALS患者のためのコミュニケーション機器を紹介していただきました。」(篠原[1990:8])


◆「県知事に陳情」 高知県支部長 篠原糸美
 『JALSA』027号(1993/05/10)

※おことわり
・このページは、公開されている情報に基づいて作成された、人・組織「について」のページです。その人や組織「が」作成しているページではありません。
・このページは、文部科学省科学研究費補助金を受けている研究(基盤(C)・課題番号12610172)のための資料の一部でもあります。
・作成:立岩 真也
UP: 20021022 REV:20030106,20040226, 20100914
ALS  ◇日本ALS協会高知県支部病者障害者運動史研究 
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