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Smith, William Eugene

ユージン・スミス
1918/12/30 - 1978/10/15

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last update: 20220429


◆[第37回 AKIHIKOの会:オンライン講演会]石川武志(写真家)「ユージン・スミス−水俣−私」
2022年5月14日(土)14:00〜16:00 via Zoom
聞き手:戸田昌子
https://akihiko.kazekusa.jp
“今回講師としてお招きする写真家石川武志さんは、ユージン・スミスのアシスタントとして1971年から74年までの3年間、夫妻と共に生活をして水俣を撮影した写真家です。|石川さんは夫妻と水俣を取材後、1975年渡米、以後フリーランスとなり、アジアの祭りや民族、宗教、遺跡などを取材し、さらにインドやハイチ、ブラジル等の取材を経て、2008年から再び水俣の取材を開始して、昨年秋、写真展「MINAMATA ユージン・スミスへのオマージュ」(リコーギャラリー)を開催。2022年4月27日から6月10日まで熊本市新聞博物館で「9人の写真家が見た水俣」開催を予定されています。|石川さんと岡村昭彦との直接の関わりはありませんが、岡村は水俣の漁師と舞阪の漁師とを結びつけようとし、水俣病の語り部として活動した杉本栄子さんとも親しい関わりがありました。質疑応答などを通して話は広がっていくのではないかと楽しみにしています。”

◆W. ユージン・スミス/アイリーン・美緒子・スミス(中尾ハジメ訳) 202109 『[新版]MINAMATA』,Crevis,208p.
 https://crevis.co.jp/publishing/minamata/ [Karaimo Books]

企画展《ユージン・スミスとアイリーン・スミスが見たMINAMATA》
 2021年9月11日(土)〜11月23日(火・祝)
 於:つなぎ美術館(熊本県芦北郡津奈木町)1階展示室
“つなぎ美術館開館20周年を記念する写真展「ユージン・スミスとアイリーン・スミスが見たMINAMATA」が9月11日(土曜日)に開幕します。|本展では、アリゾナ大学クリエィティブ写真センター(Center for Creative Photography)とアイリーン・アーカイブの協力を得て、未発表を含む約70点の写真をアイリーン・スミスの監修によって新たにプリントし、ユージン・スミスのアシスタントを務めた石川武士の写真とともに展示します。”
◇アーティストトーク
日時:9月11日(土)11時00分〜11時45分
出演:アイリーン・美緒子・スミス(写真家/環境ジャーナリスト)/柳幸典(現代美術家)
会場:1・3階展示室
定員:20名(事前申込不要・当日先着順)
参加費:観覧料
◇トークセッション「MINAMATAはどういきるのか」
日時:10月2日(土)14時00分〜16時00分
出演:アイリーン・美緒子・スミス(写真家/環境ジャーナリスト)/川延安直(福島県立博物館副館長)/原田利恵(国立水俣病総合研究センター研究員)
モデレーター:楠本智郎(つなぎ美術館 主幹・学芸員)
会場:つなぎ文化センター
定員:100名(事前申込不要・当日先着順)
参加費:無料

◇石貫謹也「[水俣病65年]「原田医師 患者に尽力」 故ユージン・スミス、感謝記す 熊本学園大 写真集見つかる」
 2021年10月21日『熊本日日新聞』22頁
 https://kumanichi.com/articles/439962
 *全文:https://www.kumagaku.ac.jp/news/archives/2939
“水俣病を世界に伝えた写真家の故ユージン・スミス氏が1970年代初め、医師として水俣病に長く関わった故原田正純さん宛てにメッセージを記して贈った写真集が、本学の水俣学研究センターで見つかりました。”
◇稲泉連 20211018 「水銀におかされた娘を母親が抱いて…水俣病を記録した写真家ユージン・スミスと妻の生涯――稲泉連が『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』(石井妙子 著)を読む」,『文春オンライン』(『週刊文春』2021年10月21日号より)
 https://bunshun.jp/articles/-/49341
“著者の石井妙子さんは二人の越境に満ちた人生が、公害病に揺れる水俣の地に運命のように引き寄せられていった様子をまずは描く。そして、二つの「個」の物語が交錯した先に、苛烈を極めた闘争と「国家」という巨大なテーマを照らし出していく。〈客観なんてない。人間は主観でしか物を見られない。だからジャーナリストが目指すべきことは、客観的であろうとするのではなく、自分の主観に責任を持つことだ〉というユージン・スミスの言葉とともに。”
◇北野隆一(聞き手)「あの写真の「封印」を私は解いた アイリーン・美緒子・スミスさん」
 2021年10月16日5時00分『朝日新聞デジタル』
 https://www.asahi.com/articles/ASPBH3CV6PB4UPQJ01L.html
“水俣病の公式確認から65年の今秋、日本で封切られた映画「MINAMATA―ミナマタ―」。クライマックスで、胎児性水俣病患者の少女と母が入浴する場面の写真が映し出される。写真家ユージン・スミスの代表作は、家族の意向で「封印」されたのではなかったか。ユージンとともに水俣で取材した元妻のアイリーン・美緒子・スミスさんに尋ねた。”
◇下山進「[2050年のメディア]第80回 ジョニー・デップ『MINAMATA』よ これが報道写真家だ!」
 2021/10/12_05:00(最終更新 10/12_05:00)『サンデー毎日』
 https://mainichi.jp/sunday/articles/20211011/org/00m/040/011000d
“ユージン・スミスが、水俣に入ったのは、1971年9月。実際には、この時点ではすでに、厚生省が、「熊本における水俣病は、新日本窒素肥料水俣工場のアセトアルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀化合物が原因である」と発表(1968年9月)し、焦点は、患者への補償にうつっていた。”/“ユージン・スミスが1971年に来日することになったのは、実は1965年に桑原が出版した最初の『写真集水俣病』を、見たことがきっかけだった。その桑原は、ユージン・スミスが1972年に水俣の写真を廃刊寸前のライフ誌に発表した意味をこう語った。”
◇佐伯剛 20211010 「[第1183回]映画MINAMATAが隠してしまった本当のこと」,『風の旅人――放浪のすすめ』
 https://kazetabi.hatenablog.com/entry/2021/10/10/110413
◇奥正光「畏敬の念と、嫉妬と 水俣撮ったユージン・スミス、案内した写真家」
 2021年10月9日12時00分『朝日新聞デジタル』
 https://www.asahi.com/articles/ASPB76T8MP9XTLVB00M.html
“カメラを持った外国人男性が、父に抱かれた水俣病患者の娘に目を奪われている。白黒写真の中の男性は、世界に水俣病の実態を伝えた米国の写真家ユージン・スミス(1918〜78)。50年前に水俣に入ったユージンを、地元で撮影を続けていた写真家の塩田武史さん(1945〜2014)のカメラが捉えていた。”
◇佐伯剛 20211007 「[第1180回]映画MINAMATA――正義と真理の隔たり」,『風の旅人――放浪のすすめ』
 https://kazetabi.hatenablog.com/entry/2021/10/07/154744
◇岡高史「札幌発 伝説の写真集再生 ユージン・スミス 「MINAMATA」新版 元妻自ら確認「感じたもの」再現に力」
 2021/10/07_11:10更新『北海道新聞』
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/596984
“人々の尊厳を豊かな包容力でフィルムに収めた世界的な米写真家ユージン・スミス(1918〜78年)。水俣病の実情を世界に知らせ、遺作にして最高傑作とされる写真集「MINAMATA」(邦題・水俣)の新版が9月、札幌の印刷会社アイワードの印刷で出版された。長く眠っていた伝説の写真集はどうよみがえったのか。歩みを追った。”/“ユージンの代表作とされるのが、胎児性水俣病患者の少女が母に抱かれて入浴する写真だ。遺族の要望で印刷物への使用はできなくなっているが、新版でも旧版同様に見ることができる。水俣病を象徴すると同時に写真家の冷徹な美意識も感じる「傑作」。アイリーンさんは「どの写真も(患者や家族が)撮っていいよと言ってくれたから撮影できた。(病気の姿を撮っていいというのは)楽に言えることではない。その思いを考えて見てほしい」と願った。”
◇奥村智司「ユージン・スミスのまなざし今も 残された人たちのMINAMATA」
 2021年10月6日12時33分『朝日新聞デジタル』
 https://www.asahi.com/articles/ASPB57QNJPB5TLTB002.html
“ユージンの水俣病の写真は、苦しむ患者の顔や姿をとらえて被害を訴えるのではなく、病を背負いながら暮らす姿を寄り添うようにして収めた、と石川さんは感じている。「つまりは人間を撮っている。それが他の写真と違う点ではないか」”
◇佐伯剛 20211006 「[第1179回]映画「MINAMATA」と、当事者意識の問題。」,『風の旅人――放浪のすすめ』
 https://kazetabi.hatenablog.com/entry/2021/10/06/223629
◇tu-ta「「水俣病の少女が入浴する写真」から考えたこと」
 2021年10月06日『今日、考えたこと』
 https://tu-ta.at.webry.info/202110/article_3.html
◇佐伯剛 20211005 「[第1178回]映画「MINAMATA」について、ユージン・スミスは、どう思うだろう?」,『風の旅人――放浪のすすめ』
 https://kazetabi.hatenablog.com/entry/2021/10/05/155615
◇佐伯剛 20211004 「[第1177回]「MINAMATA」なのか、「OUR MINAMATA DISEASE」なのか。」,『風の旅人――放浪のすすめ』
 https://kazetabi.hatenablog.com/entry/2021/10/04/125634
◇佐伯剛 20211001 「[第1176回]水俣とMINAMATAの違い」,『風の旅人――放浪のすすめ』
 https://kazetabi.hatenablog.com/entry/2021/10/01/224247
◇佐伯剛 20211001 「[第1175回]「MINAMATA」のユージンスミスと、森永純」,『風の旅人――放浪のすすめ』
 https://kazetabi.hatenablog.com/entry/2021/10/01/104010
◇石井妙子 20211001 「「水俣病の少女が入浴する写真」をめぐる、写真家と被写体親子の「知られざる葛藤」――なぜ写真は“封印”されたのか」,『現代ビジネス』
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87864
“『女帝 小池百合子』で今年、第52回大宅賞を受賞した石井妙子氏の新作、『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』がこの度、文藝春秋社より出版された。伝説の写真家ユージン・スミスと妻アイリーンはなぜ出会い、なぜ水俣へ向かったのか。ふたりが撮り、世界に発信した水俣病の被害とはどのようなものであったのか。ふたりの生涯を通じて、水俣病問題の本質に迫ったノンフィクション作品である。筆者の石井氏に話を聞いた。”
◇奥正光「傷だらけで、感激の抱擁を受けた ユージン・スミスは「やさしか人」」
 2021年10月1日15時52分『朝日新聞デジタル』
 https://www.asahi.com/articles/ASP9X4FWVP9QTLVB00B.html
“ユージン・スミスさんの抱擁を受けた。涙が出る程の親愛の情を示され感激でいっぱいだ。彼が沖縄戦のなかで、体のあちこちに傷を受けられた話を聞いて粛然となる。あの優しい青い目の奥に思い込められた、また人間として水俣病患者に寄せられた大きな愛に触れて心豊かになるようだ。”
◇奥正光・奥村智司「MINAMATA、18歳の声なき声 ユージン・スミスは涙を流した」
 2021年10月1日11時49分『朝日新聞デジタル』
 https://www.asahi.com/articles/ASP9Y4D0PP9XTIPE029.html
“水俣でユージンの助手をした写真家の石川武志さん(71)は「ユージンは実子さんの声なき声を代弁することで、人間の尊厳が傷つけられた様を表現しようとしていた」と言う。だが、納得のいく田中さんの写真は最後まで撮れなかった。田中さんの話をするときユージンは「判で押したように」涙を流したという。”
◇時津剛「素顔のユージン・スミス 助手が記録した水俣での日々」
 2021年9月29日16時00分『朝日新聞デジタル』
 https://www.asahi.com/articles/ASP9X77DRP9PUQIP00L.html
“撮影したのは当時、スミスのアシスタントを務めていた写真家の石川武志さん(71)。71年10月にスミスが原因企業チッソの水俣工場を取材しているシーンをとらえている。アシスタントになって初めて立ち会った現場だったが、寒風の中で撮り続けるスミスは自信にあふれ、頼もしく見えたという。以来3年にわたりスミスの撮影や暗室作業を支えた石川さんは振り返る。”
◇村田直隆「ユージン・スミスの素顔活写 親交深めた水俣・淵上さんが保管 映画公開「人柄知って」」
 2021/9/26_11:30『西日本新聞』
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/806353/
“水俣病を世界に伝えた米国人写真家ユージン・スミスさん(1918〜78)を描く映画「MINAMATA−ミナマタ−」が23日、全国で公開された。スミスさんと親交があった熊本県水俣市のアマチュア写真家淵上武さん(79)は、写真界の巨匠が再び注目される日を心待ちにしてきた。”
◇此花わか「暴行されながらも彼は撮り続けた…水俣病を世界に伝えた写真集の作者が語る」
 2021.09.23 現代ビジネス
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87587
“今回、写真集を制作したアイリーン・美緒子・スミス氏に、故ユージン・スミス氏との出会いから現在従事する反原発活動についてまで、じっくり話を聞くことができた。”
◇おおたとしまさ「水俣病を世に知らしめた写真家ユージン・スミスの元妻が日本の高校生に語ったこと――『MINAMATA』公開記念特別授業」
 2021.09.23 現代ビジネス
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87527
“水俣病(※1)を世界に知らしめたフォトジャーナリストのユージン・スミス(※2)の元妻で環境活動家のアイリーン・美緒子・スミスさん(※3)が、田園調布学園という私立中高一貫女子校の生徒たちとオンラインで交流した。ジョニー・デップ製作・主演の映画『MINAMATA―ミナマター』(※4)の公開に関連しての特別授業だ。|田園調布学園では25年前から、実際に水俣を訪れ、水俣病について学ぶ学習活動が続いている。高1の4月からホームルームで、なぜ九州に行くのかを学び、現代文の授業では水俣病をテーマにした小説『苦海浄土』(石牟礼道子著)を扱う。今回の特別授業は、一般財団法人水俣病センター相思社が結んだ縁で実現した。”
◇奥正光「映画の原案となった写真集「MINAMATA」再出版」
 2021年9月23日9時30分『朝日新聞デジタル』
 https://www.asahi.com/articles/ASP9Q6R6RP9BTLVB006.html
“写真集の英語版は75年、日本語版は80年にそれぞれ出て、その後絶版になっていた。今回再出版された写真集の作品やレイアウトは当時のまま。新たに加えたあとがきで、アイリーンさんは「この本の再版はただ過去を振り返るものではない。現在進行形で、今に貢献できる作品であると信じ、新たに出版するものである」と記している。”
◇河合仁志「「MINAMATA」に影響を与えた「水俣病」写真家の34枚」
 2021/9/15_6:00『西日本新聞』
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/800792/
“水俣病が公式確認されて間もない1960年から約60年にわたり、現地でレンズを向けてきた写真家・桑原史成さん(84)=東京都=の個展「MINAMATA」が15日、都内で始まる。その作品は、公開を23日に控えた映画「MINAMATA−ミナマタ−」の主人公、ユージン・スミス氏(1918〜78)にも影響を与えた。桑原さんは西日本新聞の取材に応じ、スミス氏との交流などを語った。”
◇水俣病の写真集復刊 映画化契機 世界に悲劇発信 「実際の人物 出来事知ってほしい」
 2021/9/14『毎日新聞』宮崎版
 https://mainichi.jp/articles/20210914/ddl/k45/040/233000c
“水俣病の悲劇を世界に伝えた写真家、故ユージン・スミスさんと元妻アイリーン・美緒子・スミスさん(71)の写真集「MINAMATA」の日本語版が、絶版を経てこのほど再出版された。きっかけは23日から全国公開されるユージンさんを描いた同名のハリウッド映画だ。アイリーンさんは「映画の題材となった写真集を手に取り、実際の人物や出来事を知ってほしい」と話す。”
◇鎌倉尊信「ユージンが見た水俣写真展 つなぎ美術館企画展 「石霊の森」も」
 2021年09月12日20:20『熊本日日新聞』
 https://kumanichi.com/articles/391447
“写真展は、水俣病を世界に伝えた写真家の故ユージン・スミスさんとアイリーン・美緒子・スミスさんが撮影した約70点を展示。写真集「MINAMATA」に収めた1次訴訟や原因企業チッソ本社での交渉のほか、水俣工場の様子を写した作品が並ぶ。未発表約30点もあり、街並みや住民の暮らしぶりを切り取っている。”
◇村田直隆「MINAMATAから半世紀、未公開の写真展」
 2021/9/9_6:00『西日本新聞』
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/797904/
“水俣病を世界に告発した米国人写真家ユージン・スミスさん(1918〜78)と元妻アイリーン・美緒子・スミスさん(71)=京都市=の写真展が11日、熊本県津奈木町のつなぎ美術館で始まる。撮影から半世紀たち、未公開を含む69点を新たにプリント。今後、水俣病被害地域で数少ない美術館として、定期的な展示を目指すという。”
◇西貴晴「水俣病伝えたユージン・スミス写真展 熊本で9月11日から」
 『毎日新聞』2021/9/6_16:11(最終更新 9/6_16:28)
 https://mainichi.jp/articles/20210906/k00/00m/040/128000c
“水俣病被害を世界に伝えた米国の写真家、ユージン・スミス(1918〜78年)の写真展が11日から、熊本県津奈木町のつなぎ美術館で開かれる。ユージンの元妻のアイリーン・美緒子・スミスさん(71)=京都府=や、水俣でアシスタントを務めた写真家、石川武志さん(71)=東京都=の写真と合わせて約80点を展示。約半世紀前の水俣病被害者の日常やユージンの水俣での足跡をたどる。”
◇磯部正和「ジョニー・デップが『MINAMATA』に込めた思いを熱弁「水俣で起きたことは世界中で起きている」」
 2021年9月3日 14時15分 シネマトゥデイ
 https://www.cinematoday.jp/news/N0125753
“本作に主演としてばかりではなく、プロデューサーとして参加した理由について聞かれたジョニーは「迷いはありませんでした」と即答。「ユージン・スミスを知っているということもありましたが、この作品には大事なストーリーがあります。水俣の多くの人が環境汚染で苦しみ、同じことが今も世界中で繰り返されている。水俣の人が辿った軌跡を見てもらい、企業の腐敗が見逃されることがあってはいけない。この題材は映画として作られるべきであり、日の目を見るべき作品だと感じました」と熱弁する。”
◇東京の高校生、オンラインで水俣病学ぶ 故ユージン・スミス氏の妻と交流
 2021年09月02日11:38『熊本日日新聞』
 https://kumanichi.com/articles/379634
◇水俣病を伝えた写真家ユージン・スミスを描いた「MINAMATA」 製作&主演ジョニー・デップのインタビュー映像公開
 2021年8月21日19:00 映画.com
 https://eiga.com/news/20210821/18/
“本作のオファーを受ける前からW・ユージン・スミスに憧れを抱いていたデップは、「僕がスミスの作品を初めて見たのは20代前半くらいの時だったかな。まず写真に出合って、写真家の名前を調べたらスミスだった」と、作品との出合いを明かす。そして、[…]”
◇岩永直子 20210817 「公害の悲惨さと人間の美しさと 写真家ユージン・スミスの妻、アイリーンさんが水俣で共に感じた鼓動」,『BuzzFeed Japan』
 https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/minamata-aileen-m-smith
“水俣病を世界に知らしめた写真集の物語を映画化した『MINAMATA』が9月に公開されます。 写真集『MINAMATA』も、近年は非公開となっていた代表作「入浴する智子と母」と共に復刊。写真家ユージン・スミスと共に水俣に移り住み、真実に迫ったアイリーン・スミスさんに今、伝えたいことを聞きました。”
◇米倉昭仁「ジョニー・デップが描く「水俣病」に地元が困惑 今も残る住民同士の“溝”は埋まるのか」
 2021/8/14_11:00配信 AERA dot.
 https://news.yahoo.co.jp/articles/900c5d6a523a93fc96ee5428b5d9385d9b894886
“水俣病の悲劇を世界に伝えた伝説の写真家、ユージン・スミスさんを題材にハリウッド俳優のジョニー・デップが演じた映画「MINAMATA−ミナマタ−」が9月23日から全国公開される。だが、上映実行委員会が後援を求めたのに対して水俣市は「史実に即したものか分からず、制作者の意図やねらいが不明」として、これを断った。この映画をめぐっては、市民の複雑な感情が混じり合い、波紋が広がっている。”
◇河合仁志「なお続く“苦海”の闘い 史実に基づく映画「MINAMATA」に感じた製作陣の執念」
 『西日本新聞』2021/8/10_11:02配信
 https://news.yahoo.co.jp/articles/cd0372d9f89bb3f2dba40743d27f673410ac34e5
“デップさんが演じたのは、71年から3年間、水俣の患者多発地区で住民と寝食を共にし、原因企業チッソが起こしたメチル水銀被害を世界に告発した米国人写真家、ユージン・スミス氏(1918〜78)。実は、デップさんはスミス氏に昔から憧れを抱いていたのだという。映画のオファーに応じることは「考えるまでもないことだった」と語っており、自らプロデューサーにも加わった。”
◇映画『MINAMATA』モデルとなった写真家の元妻と元助手がコメント
 2021年08月05日17時39分更新 oricon news
 https://www.agara.co.jp/article/140950
“日本各地で公害が社会問題となっていた1970年代、来日して水俣病を取材し、写真集『MINAMATA』を発表して世界中を震撼させた写真家W(ウィリアム)・ユージン・スミスを題材にした映画『MINAMATA−ミナマタ−』(9月23日公開)。このたび、ユージンの最も近くにいた2人、元妻アイリーン・美緒子・スミスさんと、元助手の写真家・石川武志さんのコメントが到着した。あわせて石川さんが撮影した、ユージンさんの素顔を切り取った姿など、貴重な写真もシェアされた。”
◇ユージン・スミスと東京の路上で出会い助手となった日本人写真家が当時の貴重な写真を公開
 TOKYO HEADLINE WEB 2021/8/5_17:04
 https://news.yahoo.co.jp/articles/191531423a831cddbeff3b685015b269ee908c62
“ジョニー・デップ製作、主演により、水俣病を世界に伝えた報道写真家ユージン・スミスの実話をもとに描く映画『MINAMATA−ミナマタ−』の公開を前に、ユージンの元妻アイリーン・美緒子・スミス氏と、元助手の写真家・石川武志氏がコメントを寄せた。さらに石川氏は自身が撮影した当時の貴重な写真を公開した。”
◇水俣病の実態を世界に伝えた写真集再出版へ 石狩市で印刷作業
 NHK News Web 2021年08月05日07時01分
 https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20210805/7000037154.html
“水俣病の実態を世界に伝えたアメリカの写真家、ユージン・スミスたちの写真集が再び出版されることになり、スミスの妻だった女性は「北海道の若い人たちにも、いまも続く水俣病を考えるきっかけになってほしい」と話しています。”
◇ユージン・スミス「水俣」再版へ 札幌の「アイワード」印刷 秋公開予定の映画に合わせ
 『北海道新聞』2021/08/05_05:00
 https://www.hokkaido-np.co.jp/sp/amp/article/575024
“米報道写真家の故ユージン・スミスさんらが出版し、水俣病の惨禍を世界に伝えた写真集「水俣」の日本語版が、札幌の印刷会社アイワードの印刷で「MINAMATA」として新たに出版される。水俣病の公式確認から今年で65年。秋にはスミスさんを描いた映画が公開予定で、共著者で京都在住の元妻アイリーン・美緒子・スミスさんは「映画を契機に写真集を見て、水俣病や患者さんの苦しみを知ってほしい」と話す。”
◇奥正光「水俣市長「県は県の考え」 映画MINAMATA上映会」
 『朝日新聞デジタル』2021年7月31日9時30分
 https://www.asahi.com/articles/ASP7Z6KX4P7YTLVB003.html
“水俣病を世界に伝えた米国人写真家ユージン・スミス(1918〜78)を俳優のジョニー・デップが演じる映画「MINAMATA―ミナマタ―」の先行上映会の後援を拒んだことについて、水俣市の高岡利治市長は29日、定例記者会見で「映画の中身がわからない状況の中で地元の市長として安易に後援をすることは難しいという考えだった」と説明した。”
◇ユージン・スミスが撮ったジャズアーティストとセッションを映すドキュメンタリー「ジャズ・ロフト」10月15日公開
 映画.com 2021/7/18_19:00配信
 https://news.yahoo.co.jp/articles/f6c7f7d8497f058efab97039cfa25cc341df783f
“1950年代半ば、写真家ユージン・スミスがマンハッタンの気鋭ジャズミュージシャンたちによるセッションを記録した録音テープと写真を基に構成したドキュメンタリー映画「ジャズ・ロフト」が、10月15日から公開される。”
◇写真家ユージン・スミスがジャズミュージシャンを8年追った記録映画、全国で上映
 映画ナタリー 2021/7/15_12:00配信
 https://news.yahoo.co.jp/articles/0e5c116ce19bc832cbc3f9b275bb971ec651650f
“写真家ユージン・スミスによる記録素材をもとに構成した音楽ドキュメンタリー「ジャズ・ロフト」が、10月15日より東京のBunkamura ル・シネマほか全国で順次上映される。”/“彼が1950年代半ばから住んでいた米マンハッタンのロフトには、連日連夜さまざまなジャズミュージシャンが出入りし、セッションを繰り広げていた。本作ではスミスがそこで8年にわたって録音、撮影したミュージシャンの姿や彼らの自由奔放な演奏を楽しむことができる。”
◇村田直隆「「MINAMATA」上映会、水俣市が後援拒否」
 『西日本新聞』2021/7/13_6:00
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/769399/
“ 水俣病を世界に伝えた米国人写真家ユージン・スミスさん(1918〜78)を描く映画「MINAMATA−ミナマタ−」について、地元有志らでつくる実行委員会が8月に熊本県水俣市で開く上映会の後援を、市が拒否していたことが12日分かった。市は「内容や製作意図が不明のため」などと理由を説明している。”
◇奥正光「デップ主演映画上映、水俣市が後援拒否「制作意図不明」」
 2021年07月10日『朝日新聞』西部朝刊2社会
 https://www.asahi.com/articles/ASP796Q3RP79TIPE01R.html
“水俣病を世界に伝えた米国人写真家のユージン・スミス(1918〜78)を人気俳優のジョニー・デップが演じる映画「MINAMATA―ミナマタ―」について、地元有志らが熊本県水俣市で8月に開く上映会の後援を、市が拒否していたことがわかった。市は「映画の内容が不明」などと理由を説明している。”
◇河合仁志「「MINAMATA」映画公開前に講演会 「水俣病伝えるチャンスに」」
 2021/6/27_6:00『西日本新聞』
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/761394/
“水俣病患者、被害者の支援組織「東京・水俣病を告発する会」などが主催するシンポジウムが26日、東京都内であった。水俣病を世界に伝えた米国人写真家ユージン・スミス氏(1918〜78)を描いた映画「MINAMATA」(原題)が9月から国内上映されるのを前に、元妻でジャーナリストのアイリーン・美緒子・スミスさん(71)が講演し「私たちが水俣で見たことを伝えていくチャンスになる」と訴えた。”
◇村田直隆「映画通じ「水俣の今」知って ジャーナリスト・アイリーンさん」  『西日本新聞』2021/5/2_11:30
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/732767/
“水俣病の公式確認65年に合わせ、水俣病被害者・支援者連絡会は4月30日夜、未解決の水俣病問題を考えるシンポジウムを熊本県水俣市で開いた。環境ジャーナリストのアイリーン・美緒子・スミスさん(70)=京都市=が、水俣病と原発をテーマに講演。オンライン参加を含め約130人が耳を傾けた。”
◇水俣病患者との交流振り返る アイリーン・スミスさん、水俣市で講演
 2021/5/1_09:00『熊本日日新聞』
 https://this.kiji.is/761015961154338816?c=39546741839462401
“アイリーンさんはスミスと結婚後の71〜74年、2人で水俣市に滞在。患者らの生活やチッソ水俣工場の排水などを切り取った当時の写真をスクリーンに投影し、「患者たちの頑張りが環境行政を動かした」と強調した。”

◇『ユージン・スミス』著者が明かす「誤認」と「新事実」
 2020.11.13_07:00  NEWSポストセブン
 https://www.news-postseven.com/archives/20201113_1609458.html
“ホテルや建築、近現代史などをテーマに「旅する作家」として活躍する山口由美氏が初めて挑んだ本格評伝『ユージン・スミス 水俣に捧げた写真家の1100日』は、世界的な写真家と水俣の人々との濃密な関係を描き出して高く評価され、2012年の小学館ノンフィクション大賞を受賞した。しかし、同書を読んだある関係者から事実誤認の指摘が届き、新たな事実が明らかになった。著者の山口氏が自らレポートする。”

◇解決しない、ということの意味
 2020-12-31『伝えるネットねこレポート』
 https://blog.goo.ne.jp/tutaerunettoneko/e/37b1bb858e3bb424302dc8378c431c75

◇ユージン・スミス生誕100年 「水俣」の姿世界に伝える
 2018年12月24日付『熊本日日新聞』朝刊
 https://this.kiji.is/449753322369041505
 “水俣を世界に伝えたアメリカの写真家、W・ユージン・スミス(1918〜1978年)が亡くなって40年。今月30日には生誕100年を迎える。その生涯は近く、米俳優ジョニー・デップさん主演で映画化されることも決まった。ヒューマニズムにあふれた深い陰影の写真の数々は、いまも見る者の心を揺さぶる。(文化生活部・中原功一朗、水俣支局・山本遼)”
◇[今週のおすすめ!]没後40年、ユージン・スミス。水俣を撮ったフォト・ジャーナリストの生涯を追ったノンフィクション
 2018/12/10 Kaisei web(偕成社のウェブマガジン)
 http://kaiseiweb.kaiseisha.co.jp/s/osusume/oosm181210/
 “『ユージン・スミス 楽園へのあゆみ』は、フリーライターの土方正志さんが、元妻のアイリーン・美緒子・スミスさんなど、関係者への取材を重ねてつづった、ユージン・スミスの希少な伝記です。|写真集『水俣』で知られる、世界的にも有名なフォト・ジャーナリスト、ユージン・スミス。水俣病とともに語られることの多いユージンですが、彼はどのような人生を歩んできた人物なのでしょうか。そして、どのような縁で、水俣に足を運ぶことになったのでしょうか。”
◇写真集「水俣」 「最後の勝負だった」 ユージン・スミス氏没後40年 共著者アイリーンさん語る
 2018/12/03付 西日本新聞夕刊
 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/470189/
 “スミス氏の遺作となった写真集「水俣」について、共著者で、ともに熊本県水俣市の患者多発地区で暮らした元妻のアイリーン・美緒子・スミスさん(68)=京都市=は「彼にとって最後の勝負だった」と振り返った。”

◆生誕100年 ユージン・スミス写真展
 (2017年11月25日〜2018年1月28日 於:東京都写真美術館地下1階展示室)
 http://crevis.co.jp/exhibitions/exhibitions_084.html
“ W.ユージン・スミス(1918-1978)は、写真史上、もっとも偉大なドキュメンタリー写真家のひとりです。グラフ雑誌『ライフ』を中心に「カントリー・ドクター」、「スペインの村」、「助産師モード」、「慈悲の人」など数多くの優れたフォト・エッセイを発表し、フォト・ジャーナリズムの歴史に多大な功績を残しました。とりわけ日本とのかかわりが深く、17歳のときニューヨークで偶然であった日系写真家の作品につよい感銘をうけ写真の道を志すきっかけになったこと、太平洋戦争に従軍して、戦争の悲惨で冷酷な現実をカメラで世に伝えんとして自らも沖縄戦で重傷を負ったこと、戦後の日本経済復興の象徴ともいえる巨大企業を取材した「日立」、その経済復興の過程で生じた公害汚染に苦しむ「水俣」の漁民たちによりそった取材などがあります。
 本展覧会は、生誕100年を回顧するもので、スミス自身が生前にネガ、作品保管を寄託したアリゾナ大学クリエイティヴ写真センターによる協力のもと、同館所蔵の貴重なヴィンテージ・プリント作品を150点展示します。情報あふれる現代社会に生きる私たちにとって、ジャーナリズムの原点をいま一度見つめ直すきっかけになることでしょう。”

◆ETV特集「写真は小さな声である〜ユージン・スミスの水俣〜」
 2018年11月10日(土)午後11時00分〜午前0時00分
 NHK Eテレ1
 http://www4.nhk.or.jp/etv21c/x/2018-11-10/31/28950/2259630/
“写真集「水俣」で知られるユージン・スミス。今年生誕100年を迎えた彼のプリントや撮影時の録音が公開された。水俣に住み込み、患者さんの姿を世界に伝えた素顔に迫る。
公害の原点・水俣を世界に伝えたアメリカの写真家ユージン・スミス。その膨大なプリントや取材時の録音テープが公開された。従軍カメラマンとして太平洋戦争の激戦地を撮影した彼は、沖縄で負傷。戦後、近代化の影で切り捨てられようとした弱者に目を向けていく。妻・アイリーンと水俣に住み込み、患者さんに向き合い続けた日々。初公開の資料や患者さんらの証言から、悩みながら水俣を撮り続けたユージン・スミスの素顔に迫る。”

◇1970年代初め、水俣病の患者多発地に30ほど年の離れた夫妻が粗末な一軒家を借りた…
 2018/11/04付 西日本新聞朝刊(オピニオン>春秋)
 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/syunzyu/article/462884/
◇奥正光 20181031 「水俣病伝えた米国人、ジョニー・デップさん映画で演じる」(朝日新聞デジタル)
 https://www.asahi.com/articles/ASLBZ5HSRLBZUBQU016.html
◇奥正光 20181028 「水俣撮った米写真家、映画化へ ジョニー・デップ演じる」(朝日新聞デジタル)
 https://www.asahi.com/articles/ASLBS55ZDLBSTLVB00F.html

◆徳山喜雄/Yahoo!ニュース特集編集部 2017/12/26 「「写真はときには物を言う」――水俣を世界に伝えた米写真家の軌跡」(Yahoo!ニュース)
 https://news.yahoo.co.jp/feature/836

◆花谷寿人 2017/09/05 「一点張り・論説室から――胎児性水俣病の「宝子」たち」(『毎日新聞』東京朝刊)
 https://mainichi.jp/articles/20170905/ddm/004/070/011000c
 【引用】「母と娘は米国の写真家、ユージン・スミスの写真集で、入浴の母子像として有名になった。智子さんは生涯一度も言葉を発することはなかったが、水銀の惨禍を強烈に世界へ伝えた。」

◆岡本晃明 2017/**/** 「京都から語る水俣病公式発見60年(下)「宝子」の写真――未来へ絶望しないために」(『京都新聞』)
 写真集「MINAMATA」の日本版(1980年出版)を開くと、作家石牟礼道子さんの献辞がある。
 《ここは選ばれた聖地であり荒野である。仏典や聖書は現代においては生ま身の苦しみを描いた倫理の規範だけれども、生きている聖地には毒と血がながされる》
 世界に「公害」を知らしめた写真集は、世界的写真家故ユージン・スミスさん(78年没)と妻アイリーン・美緒子・スミスさんが71年から熊本県水俣市に3年間住み込み、撮影した共作だ。なかでも母親が胎児性水俣病の娘を抱き入浴している写真は、教科書にも掲載され、オバマ米大統領も自伝で少年時代の思い出として記したほど、世界の人々の心を揺り動かした。
 チッソの工場が海に流した水銀を母胎で受け重い障害がある少女と慈しむ母。上村智子さんは21歳で亡くなった。
 アイリーンさん(65)はその後、京都市左京区で暮らし、反原発運動や環境問題に取り組む。98年、両親から「もう智子を休ませてあげたい」との思いを聞いた。水俣病患者救済に尽力した故原田正純医師によると、両親は「あの子は宝子【ルビ:たからご】だった」と話したという。
 アイリーンさんは両親と話し合った。主催者ではなかったが、東京での写真展でチラシやチケットにもあの写真が印刷され、路上で踏まれることがあった。「それは踏みにじること。ご両親の気持ちを無視することは冒涜*記事では旧字体*【ルビ:ぼうとく】です。私も娘がいます。親にとっては『偉大な写真』ではなく、娘の裸の写真なのです」
 裁判や運動の先頭に娘と立ってきた両親の「公害が二度と起こらないように」との気持ちは変わらなかったが、アイリーンさんは両親に「この写真はもう出さない」と約束した。著作権はアイリーンさんが持つが、新たな著作物への使用は許可しないことにした。
 公害や負の記憶を語り継ぐすべを問うとき、「痛ましさ」を背負わされた被写体の思いを、時を渡ってどう汲むのか。アイリーンさんの決断は、写真にとどまらずジャーナリズムや表現にとって、重い問いを投げ掛けている。
 「反発も受けた。ケース・バイ・ケースと思う。でも撮られた側の思いや、いろいろな人の思いを経て、1枚の写真は世に出ていく」
 […]
 原発事故について、水俣から「『学んだ』のは政府や企業では。責任を取らず、時間稼ぎすればいいと」と批判する。そして、苦い歴史を知るだけではなく、できることを考えて、と呼び掛ける。「例えば、水俣病訴訟の傍聴席に座ること。何か意思表示すること」。「MINAMATA」にユージン・スミスさんはこう記す。
 《過去の誤りをもって、未来に絶望しない人びとに捧げる》

◆横井一江 20161229 「ユージン・スミスと「ジャズ・ロフト」、そしてモンク」,『JazzTokyo』225
 https://jazztokyo.org/issue-number/no-225/post-11306/
“写真家ユージン・スミスといえば、日本ではまず「水俣」だろう。そこで撮影した写真、とりわけ「入浴する智子と母」などはユージン・スミスという写真家を知らない人でも水俣病の実態を捉えた写真の一枚として記憶のどこかに残っているに違いない。|だが、彼がジャズ・シーン、それも音楽創造の場の証人だった時期があることはほとんど知られていない。”

◆【九州の100冊】『水俣 MINAMATA』 ユージン・スミス アイリーン・スミス 世界へ向けた「告発の書」
 2016年8月11日18時13分『西日本新聞』(>セレクト>九州の100冊)
 https://www.nishinippon.co.jp/feature/kyushu_select_books/article/265915/
「一九七一年九月七日朝、熊本県水俣市の駅に寝台列車から降り立った夫婦がいた。二人の視線の数十メートル先には、水俣病原因企業チッソの正門がどっしりと構えていた。世界的にも著名な写真家になっていたW・ユージン・スミスは五十二歳。十日ほど前に結婚したばかりのアイリーン・M・スミスは二十一歳。三年三カ月に及ぶ水俣での取材生活の幕開けだった。」

◆岡本晃明 2004/10/16 「関西水俣病訴訟・原告側勝訴確定 「問題根深い、悲しみ消えない」 元妻アイリーンさん 惨状を伝えた亡夫が撮影の写真、非公開に」(『京都新聞』朝刊)
 水俣病を世界に伝えた米国人写真家故ユージン・スミスの元妻のアイリーン・美緒子・スミスさん(五四)=京都市左京区=は十五日、判決を最高裁の法廷で聞いた。「真しに反省をしない国の態度は恥ずべき。まだ救済されていない患者も多く、闘いはこれからも続く」と力を込めた。
 水俣病の悲惨さを象徴するユージンさんの写真「入浴する智子と母」をアイリーンさんが非公開にして六年がたつ。
 一九七一年、水俣市に住んだスミス夫妻は当時十五歳の上村智子さんと母良子さん(七〇)の姿を撮影。写真は「被害を伝えたい」という両者の思いから生まれた。国内外の雑誌や写真集に掲載、学校の教科書にも使われるなど、公害を象徴する写真となった。
 湯ぶねの中で母親に抱かれる裸の少女。あばら骨が浮き、手足は硬直している。口を開けて目を見開く娘に、母は優しいまなざしを落とす。
 智子さんは生まれつきの重度の水俣病で、成人式では晴れ着姿で父に抱かれた。その翌年の七七年にこの世を去った。
 アイリーンさんが非公開にしたのは、九八年に智子さんの父好男さんから「もう休ませてやりたい」と聞かされたのがきっかけだった。
 好男さんは「写真がいたるところで使われ、ビラや広告の一部のような気がした。裸姿が痛々しかった。やっとうちに帰ってきたね、という思いですかね。智子は家族全員の毒を持って行ってくれた『宝子』です」と静かに語る。
 撮影から三十三年。京都で暮らすアイリーンさんは「これからも『見られない写真がある』という事実で、水俣を伝えることはできる。一つの区切りを迎えるまで要した歳月の長さは、水俣病が抱える問題の根深さそのもの。最高裁裁判決が終わっても悲しみは消えない」と語った。
【写真説明】「入浴する智子と母」を掲載した写真集「MINAMATA」を手に、智子さんへの思いを語るアイリーン・美緒子・スミスさん(京都市左京区)

◆2000/11/10 「「入浴する智子と母」に関する写真使用をめぐって……──アイリーン・美緒子・スミス氏インタビュー」(『清里フォトアートミュージアム友の会・会報』11号)
 http://aileenarchive.or.jp/aileenarchive_jp/aboutus/interview.html
「アイリーン:どうしたら智子さんを大切にできるか、長い間ご家族と話し合って合意した結論が出版を控えるというものでした。当時、水俣で写真を撮っていた塩田武史さんの紹介で上村さんたちと知り合い、何度か通って母子を撮らせてもらうことになりました。1971年12月、大事な写真を撮るのだ。お風呂での撮影をユージンが提案し、お母さんが応じてくれました。私はユージンの横でスレーブライト(註2)を持ってアシストしました。ある意味ではこの写真はお母さん、智子さん、ユージンと私、みんなで撮った写真だという感じがします。」
「アイリーン:確かに、この一枚の写真で人生が決まったという方にも出会いましたし、そういう話しも沢山聞いています。水俣の撮影から20数年、私はそこでの出逢いを通して学んだことを生かすことが恩返しだと思って、公害や原発の問題に関わってきました。逆に、写真を見る側と上村さんと私とのコミュニケーションにウェイトを置いて、別の活動をすることもできたと思いますが、その選択をしなかったことに対して悔いはありません。みんながこの写真を見られなくなる、私、それが「たいしたことじゃない」とは決して思っていません。まったくその逆だと思います。|この写真を発表し続けることで、私自身ずっと重荷に感じていたことでもあるのですが──、水俣の写真について問い合わせがある時、必ずといっていい程、「あのお風呂の写真がほしい」と言われたのです。公害、水俣のことを多くの人に伝えようとすればするほどあの写真が使われる。|でも、今ではあの写真に依存し過ぎていたと思っています。今回、智子さんに「私はもう休みます」「あとはあなた達が頑張るしかない」そういわれたような感じがします。公害だったら別な方法で訴えなさいと。だから、作品がなくなることは、健康的な面もあるんじゃないだろうかと感じます。」
「アイリーン:ユージンは、「ライフ」で写真を撮っているときに、自分には責任が二つある、それは、撮られる側に対する責任と、見る側に対する責任だと。「ライフ」の編集は、「ライフ」があるからこの作品が世間に出たと思うでしょう。それも現実で、実際お世話になっている。|でも、ユージンの信念は自分が写した対象と見る対象に注がれている。出版社が主体ではないんだと。彼は、写された側と見る側への責任を果たせば、必然的に出版界に対する責任も果たしていると言ったんですよ。」


[Wikipedia]

◆2008 図録『W. ユージン・スミスの写真』,京都国立近代美術館 [Karaimo Books]
◆桑原史成/塩田武史/宮本成美/W. ユージン・スミス/アイリーン・美緒子・スミス/小柴一良/田中史子/芥川仁 2007 『写真集 水俣を見た7人の写真家たち』,弦書房 [Karaimo Books]
“「水俣病公式確認から2007年5月で51年。この写真集の著者たちは、この長い事件のそれぞれの時点で水俣に住み、受難者たちの近くにあった。彼らは水俣に来て何を見て、どんな未来を描き、どんな思いを抱いたのであろうか。1960年から今日に至るまで、時々の一瞬をとどめた渾身の写真84点がここにある。|「私は思う。水俣を見た7人の撮った写真たちを、私たちの新たな希望づくりにしていきたいと」(水俣病資料館館長・吉本哲郎)”
◇桑原 史成(くわばら・しせい)
1936年島根県生まれ。『写真集「水俣病1960〜1970」』『写真集「韓国原影」』など多数。日本写真協会賞、伊奈信男賞など受賞。
◇塩田 武史(しおた・たけし)
1945年香川県生まれ。1968年、胎児性水俣病患者を初めて撮影。『写真報告 水俣――’68〜’72深き淵より』で国連環境計画主宰の第1回「世界写真コンテスト」特別賞受賞。
◇宮本 成美(みやもと・しげみ)
1947年東京都生まれ。1970年厚生省前の座り込み取材以来、一株運動・自主交渉、砂田明の一人芝居、不知火海学術調査団に同行撮影、「水俣の語り部」撮影、能「不知火」等を撮影。
◇W. ユージン・スミス
1918年米国生まれ。1944年「ライフ」の取材でサイパン、硫黄島などへ向かう。「チャップリン」「慈悲の人シュバイツァー」「東洋の巨人」等を発表。写真集『MINAMATA』英語版。ロバート・キャパ賞受賞。
◇アイリーン・美緒子・スミス(アイリーン・みおこ・スミス)
1950年東京都生まれ。写真集『MINAMATA』英語版・日本語版。グリーン・アクション代表。
◇小柴 一良(こしば・かずよし)
1948年大阪府生まれ。1974〜77年水俣と出水を取材。
◇田中 史子(たなか・ふみこ)
1941年長野県生まれ。写真集『生(いのち)――40年目の水俣病』。
◇芥川 仁(あくたがわ・じん)
1947年愛媛県生まれ。写真集『水俣・厳存する風景』『土呂久・小さき天にいだかれた人々』など多数。
◆Smith, William Eugene & Smith, Aileen M. 1975 Minamata, Holt, Rinehart and Winston Inc.=1980 中尾 ハジメ 訳,『写真集 水俣』,三一書房 ASIN: B000J8B96W [amazon]→19820228 『写真集 水俣 普及版』,三一書房,192p. ASIN: B000J7QJGI [amazon]→19911215 『写真集 水俣 新装版』,三一書房,192p. ISBN-10: 4380912450 ISBN-13: 978-4380912450 5150 [amazon] ※

■言及

原田 正純 19850120 『水俣病にまなぶ旅――水俣病の前に水俣病はなかった』,日本評論社,310p. ISBN-10: 4535575266 ISBN-13: 978-4535575264 2600 [amazon] ※ b
 (石牟礼道子、桑原史成、宇井純といった名を挙げて)「水俣病事件の歴史で、支援に立ちあがり、重要な役割を果たした人たちの中に、これらの名著、名写真の強<0307<い影響を受けた人たちがいた。
 まさに、これらは高度成長後のわが国の未来に対する一つの啓示であった。患者が立ちあがり、市民・学生が立ちあがり、学者・弁護士をまき込んで、第一次水俣病裁判ははじまった。その間、ユージン・スミスの写真集は、水俣の現実を世界中に拡げる大きな役割を果たしたのである。」(原田正純[1985:307-308]●)

◆『アエラ』 アイリーン・スミスの「肖像」
 写真封印の経緯についての言及

◆2007

 「公害、環境問題の原点であり、現在に至るまで日本の戦後ジャーナリズムの歴史に大きな位置を占める水俣病の問題は、写真家ユージン・スミスが撮影した一枚の胎児性水俣病の少女の写真によって、世界に知られることになった。目を見開く少女を抱きかかえて入浴する母の写真は、大きな力を持った。少女は亡くなった。だが写真は近年、母の申し出により、京都在住の写真家の元妻の手で封印され、もう人の目に触れることはない。水俣病の発見、治療に尽力した原田正純医師は、苦い思いを込めて、こう語っている。
 「我々は、胎児性患者の姿を先頭に、公害の悲惨さを告発してきた。だがいつかそのことが、こんな悲惨な人間を生んでしまったと、重度障害者は悲惨だ、と見なすことになってはいなかったか。後に発生した新潟水俣病で胎児性患者が少ないことは、中絶が多かったからではないか。写真を封印したお母さんは、この子は宝子だった、もう十分働いたといっていた」。」(岡本[2007])

原田 正純 20071215 「水俣病公式発見から五〇年――宝子を想う」,最首・丹波編[2007:335-353]*
*最首 悟・丹波 博紀 編 20071215 『水俣五〇年――ひろがる「水俣」の思い』,作品社,368p. ISBN-10: 4861821657 ISBN-13: 978-4861821653 2940 [amazon][kinokuniya] ※ b ee

 「水俣高校で社会科の先生がユージンの智子の写真を見せて「環境を汚染するとこのような子どもが生まれる」と解説した。在校していた妹は手を挙げて「それは姉です。姉をそんな風に言わないでください」と涙ながらに抗議した。この教諭はその後、教育について深く考えさせられ、反省し真剣に障害と差別や人権と取り組むようになったと告白している。
 また、過剰なマスコミの取材の中、母親は東京交渉から帰ってきて智子を抱きしめながら「この子を見た多くの日本の人たちが、ああ、やっぱり、環境は汚してならない。怖いことが起こると、思ってくれたと思う。それで日本の環境が少しでもよくなって、会社や工場や政府の偉か人が、今から気をつけてくれるようになるなら、このような子ですけど、少しは世の中のお役にたったことになります。東京に行ってよかったと思います。やはり、この子は宝子ですたい」といかにもさらっと言った。いのちに”生きるべきいのち”と”生きる価値のないいのち”などあろうはずがない。
 この母親の言葉はとくに医療、福祉、教育の原点、いのちの価値を考えさせられるものでこれこそ、水俣からのメッセージである。」(原田[2007:350])

『唯の生』表紙 ◆立岩 真也 2008/09/05 『良い死』 ,筑摩書房,374p. ISBN-10: 4480867198 ISBN-13: 978-4480867193 [amazon][kinokuniya] ※ d01.et.,

 第2章「自然な死、の代わりの自然の受領としての生」の注25
 「(25)例えばユージン・スミスの写真がある(写真集に Smith & Smith[1975=1980→1982→1991]、桑原他[2007:<0227<59-76]にもユージン・スミスとアイリーン・スミスの写真が収められている)。石牟礼道子、桑原史成、宇井純といった名を挙げて原田は次のように記している。
  「水俣病事件の歴史で、支援に立ちあがり、重要な役割を果たした人たちの中に、これらの名著、名写真の強い影響を受けた人たちがいた。
  まさに、これらは高度成長後のわが国の未来に対する一つの啓示であった。患者が立ちあがり、市民・学生が立ちあがり、学者・弁護士をまき込んで、第一次水俣病裁判ははじまった。その間、ユージン・スミスの写真集は、水俣の現実を世界中に拡げる大きな役割を果たしたのである。」(原田[1985:307-308])
  その写真が後に「封印」されることになった。
  「公害、環境問題の原点であり、現在に至るまで日本の戦後ジャーナリズムの歴史に大きな位置を占める水俣病の問題は、写真家ユージン・スミスが撮影した一枚の胎児性水俣病の少女の写真によって、世界に知られることになった。目を見開く少女を抱きかかえて入浴する母の写真は、大きな力を持った。少女は亡くなった。だが写真は近年、母の申し出により、京都在住の写真家の元妻の手で封印され、もう人の目に触れることはない。水俣病の発見、治療に尽力した原田正純医師は、苦い思いを込めて、こう語っている。
  「我々は、胎児性患者の姿を先頭に、公害の悲惨さを告発してきた。だがいつかそのことが、こんな悲惨な人間を生んでしまったと、重度障害者は悲惨だ、と見なすことになってはいなかったか。後に発生した新潟水俣病で胎児性患者が少ないことは、中絶が多かったからではないか。写真を封印したお母さんは、この子は宝子だった、もう十分働いたといっていた」。」(岡本[2007])
  引用されている原田の発言は、二〇〇五年六月の「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」の発足集会での原田の講演の取材メモによる。そのメモをとった岡本晃明は――日本新聞協会賞を受賞した『折れない葦――医療と福祉のはざまで生きる』(京都新聞社編[2007])の取材班の一員でもあり、『生死本』で紹介するALS―D[2008]の書き手でもある――京都新聞の記者で、「関西水俣病訴訟・原告側勝訴確定 「問題根深い、悲しみ消えない」 元妻アイリーンさん 惨状を伝えた亡夫が撮影の写真、非公開に」という題・見出しの記事を書いている。
  「水俣病の悲惨さを象徴するユージンさんの写真「入浴する智子と母」をアイリーンさんが非公開にして六年がたつ。
  一九七一年、水俣市に住んだスミス夫妻は当時十五歳の上村智子さんと母良子さん(七〇)の姿を撮影。写真は<0228<「被害を伝えたい」という両者の思いから生まれた。国内外の雑誌や写真集に掲載、学校の教科書にも使われるなど、公害を象徴する写真となった。
  湯ぶねの中で母親に抱かれる裸の少女。あばら骨が浮き、手足は硬直している。口を開けて目を見開く娘に、母は優しいまなざしを落とす。
  智子さんは生まれつきの重度の水俣病で、成人式では晴れ着姿で父に抱かれた。その翌年の七七年にこの世を去った。
  アイリーンさんが非公開にしたのは、九八年に智子さんの父好男さんから「もう休ませてやりたい」と聞かされたのがきっかけだった。
  好男さんは「写真がいたるところで使われ、ビラや広告の一部のような気がした。裸姿が痛々しかった。やっとうちに帰ってきたね、という思いですかね。智子は家族全員の毒を持って行ってくれた『宝子』です」と静かに語る。
  撮影から三十三年。京都で暮らすアイリーンさんは「これからも『見られない写真がある』という事実で、水俣を伝えることはできる。一つの区切りを迎えるまで要した歳月の長さは、水俣病が抱える問題の根深さそのもの。最高裁裁判決が終わっても悲しみは消えない」と語った。」(『京都新聞』二〇〇四年一〇月一六日朝刊)
  そしてさらに別の本で、原田は次のように記している。
  「水俣高校で社会科の先生がユージンの智子の写真を見せて「環境を汚染するとこのような子どもが生まれる」と解説した。在校していた妹は手を挙げて「それは姉です。姉をそんな風に言わないでください」と涙ながらに抗議した。この教諭はその後、教育について深く考えさせられ、反省し真剣に障害と差別や人権と取り組むようになったと告白している。
  また、過剰なマスコミの取材の中、母親は東京交渉から帰ってきて智子を抱きしめながら「この子を見た多くの日本の人たちが、ああ、やっぱり、環境は汚してならない。怖いことが起こると、思ってくれたと思う。それで日本の環境が少しでもよくなって、会社や工場や政府の偉か人が、今から気をつけてくれるようになるなら、このような子ですけど、少しは世の中のお役にたったことになります。東京に行ってよかったと思います。やはり、この子は宝子ですたい」といかにもさらっと言った。いのちに“生きるべきいのち”と“生きる価値のないいのち”などあろうはずがない。<0029<
  この母親の言葉はとくに医療、福祉、教育の原点、いのちの価値を考えさせられるものでこれこそ、水俣からのメッセージである。」(原田[2007:350])
  普通に読んでいくと、原田のこの記述には辻褄のあっていないところがあるように思える。ではどう考えたらよいのか。あるいは言葉を足したらよいのか。そんなことを考えていくことが一つあるのかもしれない。」(立岩[2008:227-230])

◆山口 由美 20130427 『ユージン・スミス――水俣に捧げた写真家の1100日』,小学館,237p. ISBN-10: 4093798443 ISBN-13: 978-4093798440 1600+ [amazon][kinokuniya] ※ m34.

◆立岩 真也 2015/07/01 「生の現代のために・4――連載 113」『現代思想』43-(2015-7):-


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