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佐々木 千津子

ささき・ちづこ
1947/12/28〜2013/08/18


■【訃報】(障害者生活支援センター てごーすより)

 当センターの設立当初からの正会員であり、広島青い芝の会会員である、佐々木千津子さんが、8月18日夜、急逝されました。佐々木さんは、外出先の周南市から広島に帰るJRの車中で嘔吐したため、次の停車駅である大竹駅で下車、救急搬送されましたが、脱水症状が引き起こした高カルシウム血症が原因と思われる嘔吐により胃の内容物を誤嚥し、窒息状態に陥り、そのまま還らぬ人となりました。

 今のところ、8月20日(火)通夜、20日(水)葬儀の予定で調整中です。詳しくは、決まり次第お知らせします。

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【佐々木千津子さん 通夜、葬儀・告別式について】

 昨夜亡くなられた佐々木千津子さんの通夜、葬儀・告別式の日時・場所は、以下の通りです。

《通夜》
●日時:2013年8月20日(火) 19:00?

《葬儀・告別式》
●日時:2013年8月21日(水) 11:00?
...
●場所:光徳会館(両日とも)
〒734-0007 広島市南区皆実町3丁目3-19
電話:082-255-9494 ファクス:082-255-9594

●喪主(代表): 広島青い芝の会 副会長 松本孝信

※なお、供花につきましては、1本10500円のものに統一させていただきますので、よろしくお願いします。

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■19961110 優生思想を問うネットワーク連続講座第1回「知らずに受けた優生手術」
 佐々木千津子(全国青い芝の会・広島)
 於:大阪府同和地区総合福祉センター

■佐々木 千津子 20030910 「補償はいらない、ただ謝ってほしい」,優生手術に対する謝罪を求める会編[2003:10-22]
優生手術に対する謝罪を求める会 編 20030910 『優生保護法が犯した罪――子どもをもつことを奪われた人々の証言』,現代書館,274p. ISBN:4-7684-6861-6 2400 [amazon][kinokuniya] ※

■2009/12/20 完成披露上映会&トーク「ここにおるじゃんけぇ!」

◆趣旨
 強制不妊手術の不当性を訴えるビデオ「忘れてほしゅうない」から5年。佐々木千津子さんの日常生活を追ったドキュメンタリーDVDが完成しました。リバティおおさかで完成披露上映会を開催します。
 広島から佐々木さんをお招きします。監督・下之坊さんとのトークショーもお楽しみください。

◇概要
日時:2009年12月20日(日)
午後1時〜午後4時
【ゲスト】
佐々木千津子さん
下之坊修子さん
【会 場】
リバティホール(大阪人権博物館内)
【参加費】
1,000円
リバティカード会員、友の会、中学生以下・障害者(介助者含む)・65歳以上は900円
【定員】
275名(当日先着順)

◇監督・下之坊さんから一言。
 ぶっ飛びおばさんを撮ろうと広島に行った。しかし現実は二次障害に悩まされ、痩せている佐々木さんがそこに居た。1年半カメラで追っかける中で落込みながらもなんともいえない面白さと力強さの入り交じった佐々木さんに出会っていった。

◇佐々木千津子さんプロフィール
 生後1ヶ月で高熱を発し、脳性マヒとなる。二十歳の時、詳しい説明のないまま強制不妊手術をさせられる。
現在、広島市内で白猫とともに自立生活をしている。

◇HP http://www.liberty.or.jp/plan_exhibit/2009-12-20kokoni.html

◇2005/05/29

鹿児島上映&交流会を開催いたしますので、御案内いたします、ふるって御参加下さい

『忘れてほしゅうない―隠されてきた強制不妊手術』 (2004年/日本/ビデオ/24分/全編日本語字幕付き) 制作・著作 優生思想を問うネットワーク

あなたは こんな事実があったことを ご存じですか?

鹿児島上映&交流会
日時:2005年5月29日(日)
   午後1:00〜4:00
場所:心身障害者総合福祉センター「ゆうあい館」3F(大会議室)TEL099−252−7900
主催:日本脳性マヒ者協会 鹿児島青い芝の会
   みんなで考えよう!実行委員会
問い合わせ先:田代俊一 
TEL 099−253−8377
鹿児島市荒田2丁目52−7−107
実行委員も募集中です

◇ビデオ解説 
佐々木千津子さんは、脳性マヒの女性です。
20才の時に、「痛くもかゆくもない手術」だと言われて
卵巣に放射線照射され、不妊になりました。
障害への差別と偏見によって、お姉さんの縁談が壊れたことをきっかけに、
家を出ようと決意したものの、その当時行くところは施設しかありませんでした。
ところが、月経の始末が自分で出来ないものは入所出来ないと告げられ、
いやおうなく手術を受けることになったのです。
それまで、学校にも行けずにいた佐々木さんは、この手術によって
子どもが産めなくなるとは夢にも思わなかったといいます。
30年以上たった今も、若い時に受けた放射線照射のことが心から離れず、
精神的・肉体的な痛みや苦しみを抱えて暮らしています。

なぜ、こんなことが行われたのでしょうか。
日本には、つい最近まで(1996年)、優生保護法という法律がありました。
これは、「不良な子孫の出生を防止する」という目的で作られた法律で、
「不良」とされた障害者が生まれてこないように、
障害者や病者に子どもを作らせないようにする法律でした。
これに基づいて、障害者やハンセン病患者に対して、
強制的に不妊手術が行われてきたのです。

しかし、こういった事実は、長い間隠されてきました。

このビデオは、広島で自立生活を作り上げてきた佐々木さんの日常と、
強制不妊手術の解明に向かって活動する彼女の姿を追いながら、
もう一人の当事者、飯塚淳子さんへのインタビューを織り混ぜ、
この問題の本質に迫っていきます。

重いテーマですが、佐々木さんの愉快な人柄がにじみでて、思わず頬がゆるみ
ます。ご覧になれば、元気が出ること間違いなし。ぜひ、ご覧ください。
(抜粋・一部編集)

参考サイト:優生思想とはhttp://www.oak.dti.ne.jp/~ibaraki/review1.htmlまたはhttp://www.arsvi.com/d/eg.htm

■古井 正代・松本 孝信(脳性まひ者の生活と健康を考える会) 2013 「何重にも差別を受けた佐々木千津子さんの死を悼んで」
 http://ameblo.jp/kanateach/entry-11737945600.html

 「今年65歳で亡くなった脳性まひ者佐々木千津子さんの生涯は何重にも差別を受けた歴史そのものでした。千津子さんの強制不妊手術に対する闘いの記録は「忘れてほしゅうない」というDVDで販売されています。それを見た人も、これから見る人も、知らなかった人にも、全ての人の問題としてぜひ一緒に考えてもらいたいのです。そしてひとりでも多くの人に「決して忘れません」と霊前に誓って頂ければ・・・と思います。  広島市近郊(現在は広島市)で生まれた脳性まひ者の佐々木千津子さんが生をうけたのは、広島が被爆しお父さんが行方不明の家族を探しに爆心地へ行った2年後の、昭和22年12月28日でした。学齢期になっても小学校に行くどころか、就学猶予・免除にされて、地域や社会から隔離された環境で同世代の友達もなく育ちました。やがて彼女が成長し、お姉さんの結婚が決まった時に、障害をもった妹がいることが知れ、「障害者は遺伝する」と言われ結婚が破談になったそうです。当時は「内部被曝」の事実はタブーだったかもしれませんし、障害者や「五体満足」以外の子供への視線は被爆地ゆえ厳しいものであったかもしれません。このお姉さんの破断をきっかけに、佐々木さんは自分のことを「家族一同の厄介者」と感じ「これ以上迷惑をかけられない」と自宅に居たたまれなくなったといいます。当時の日本は「家から出るには、施設に入るしか選択枝がない」社会で、彼女に施設に入所する決意をさせました。当時、施設では介護側の都合が優先され「生理の手間」などに介助の必要な者は入所許可しない「規則」もありました。彼女は生後からの在宅生活で、女性の身体についての基本知識さえ知る機会がありませんでした。だから「生理がなくなる」ことが「子供を産めなくなる」事になるなど、想像もつかなかったといいます。手術について何の説明もないまま、何の疾患もない生殖器に不妊手術をいともたやすく強要されました。彼女は子宮と卵巣に放射線を長時間当て被曝させられたのです。
 不妊の為のコバルト照射はひどい後遺症をともないます。亡くなるまで身体中あちこちに痛みを訴え、莫大な量の薬を飲まないではいられなかったといいます。彼女は自分のその後の生涯のテーマとして、優生思想(遺伝病・伝染病・障害者を隔離・排除する国家的思想)で差別され不当な不妊手術を強要された事に怒りと謝罪を訴え、事実確認・原因究明をもとめましたが、病院側は「記憶がありません、記録もありません」の一点張りです。
 広島で被爆直後に生まれ、社会から隔絶した中で育ち、教育も受けられず、障害を理由に家族まで差別され、施設入所しか選択肢がなく、身辺介護が必要だと差別され、放射線不妊を強制され、子どもの産めない身体になり、放射線後遺症に苦しめられ、そのうえ医療側からは無責任にも被害を隠蔽された佐々木千津子さんは、2013年に65歳の若さで、急に亡くなりました。亡くなる日も優生思想の学習会に行った帰り道だったそうです。強制不妊手術さえなければ子どもを産みたかったというのが念願だった彼女は、人生で初めて分娩室に入れました。しかし彼女はそこで自分が命を産みおと出すのではなく、自分の命が燃え尽きる瞬間をむかえることになったのです。搬送先の病院で、病室が空くまで待たされ亡くなるまでの束の間のことでした。最後の最後まで差別され、彼女はその時をどのような想いでむかえたのでしょうか?
 苦しい魂の叫びを感じずにはいられません。
 終戦後、障害が遺伝する奇形児が産まれると言われ、広島出身だと結婚の時に差別を受けたと聞きます。70年近く経った今、原発事故後の福島でまたもや、「結婚出来ないかもしれない」とか「普通の子どもが産めない」と密かにささやかれます。私達障害者の事を「あってはならない存在」と思う根強い優生思想は70年近く確実に生き延びているようです。だからこそ、その原点である原爆被爆地で起こった事実をしっかり振り返ることを忘れては、今日の本当の姿は見えないのかもしれません。」


UP:20130819 REV:20151227
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