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奥山 幸博

おくやま・ゆきひろ

last update:20130716

DPI日本会議事務局次長



◆奥山 幸博 19840325 「義務化体制を支える管理体系――通園施設から」
 『季刊福祉労働』22:046-051
◆奥山 幸博 19940625 「「やさしいまち東京構想懇談会」スタート――委員三〇名,そして障害者は三名……」
 『季刊福祉労働』63:137-142,
◆奥山 幸博 19970809 「障害者の参加なき「障害者計画」策定」
 『ノーマライゼーション研究』1997:056-060
◆奥山 幸博 19990325 「第四回障害者政策研究全国集会・報告」
 『季刊福祉労働』82
 …………

■言及

◆立岩 真也 1997/09/05 『私的所有論』,勁草書房,445+66p. ISBN-10: 4326601175 ISBN-13: 978-4326601172 6300 [amazon][kinokuniya] ※
◆立岩 真也 2013/05/20 『私的所有論 第2版』,生活書院・文庫版,973p. ISBN-10: 4865000062 ISBN-13: 978-4865000061 [amazon][kinokuniya] ※
 *第2版で加えた箇所は【】内

 「優生学をどう考えるかという問題の回避は米本自身について言える。
 「確かにナチ時代には、障害幼児の殺害計画が実行された。この意味で、障害者が絶対に許してはならない悪の極北としてナチズムを位置づけるのは正しい。しかしそれは秘密裏に行われた。であれば、このような事態を二度と許さない道は、どう考えてみても、あらゆる局面での徹底した情報開示(ディスクロージャー)と、手抜きのない討議であり、それ以外の道は考えにくい。わずかでも出生前診断を容認すること、もしくはこの技術自体に、優生政策と等価なものを認め力説する立場は、むしろ一種の社会運営に対する自信のなさの表明なのであると思う。もし、出生前診断を実際に用いる過程を検討してみて、具体的に人権侵害の恐れが想定されうるならば、その危険を封じるための仕組を工夫すればよいのである。」(米本[1992:115])
 「残念ながら障害者差別はいずれの社会にも厳に存在する。差別は、差別された側が差別と感じれば、それが差別である。こういう日常の悪との連続性を、胎児の選択的中絶の中に読み込むことを自然と感じる人間が多数である日本のような社会と、アメリカのような社会とは、当然、出生前診断に対する政策は違ってきてよい。」(米本[1992:116])
 このような認識を受けて、米本らの研究は、各国の政策立案、制定の手続き、過程を調査し報告し、そのあり方を勧告する仕事に移っていく。もちろんその仕事は疑いなく重要である。だが、右と同趣旨の文章が配布され、発言がなされた生命倫理研究会のシンポジウムで、フロアから次のような発言がなされた。
 「非常に誤った判断だとおもいます。なぜならこの言い方は、差別する側される側が共に、差別問題と向き合うことから逃げているときの発言なんです。自分は差別しているつもりじゃないけれども、あなたが差別しているというのならそうだろうということなんです。それは結局考えることをやめているんです。差別という問題について対話することを最初からあきらめている、拒否している判断なんです。…米本さん、どう判断されているか個人の見解をはっきり示していただきたい。「出生前診断は優生思想か」という問いかけで、「そうじゃない」と言われるのは、どこまでがそうではなくてどこからがそうなのかをはっきり言われないと、何をおっしゃっているのか全くわからないのです。」(奥山幸博氏【(二〇一三年時点でDPI(障害者インターナショナル)日本会議事務局次長】の発言、生命倫理研究会生殖技術チーム[1992:131])
 この指摘は全面的に当っている。自らの資質としてここで提起されているような問いに答えようとする仕事を好まないあるいはできないということはあるだろう。だとしても、こうした問いに答えようとする仕事を省いて、その先の問題だけを考えればよいということには決してならない。こうした曖昧さが「戦後精神」についての相当部分は当っている指摘、そして彼の記述全体を覆っている。」(立岩[1997→2013:450-451]、)


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