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おかの・やよ ・立命館大学法学部 ・立命館大学ジェンダー研究会 ◆20040425「「イラク戦争」戦前・戦後――ニューヨークに1年半滞在して」 「女性・戦争・人権」学会春期学習会 cf.イラク戦争 ◆20040625 「『シティズンシップの政治学』を書き終えて」 立命館大学ジェンダー研究会 ◆20031210 『シティズンシップの政治学――国民・国家主義批判』 白澤社,262p. 1900 ※ ◆20020723 『法の政治学――法と正義とフェミニズム』 青土社,318p.,2600円 ※ http://www.seidosha.co.jp/ [amazon]/[boople]/[bk1] 第一章 法とフェミニズム 第二章 従軍<慰安婦>問題が照らし出す<わたし>の諸相 第三章 <わたし>の自由と<われわれ>の責任 第四章 暴力・ことば・世界について 第五章 遅れる正義/暴力のあとで 第六章 正義はどこまで可能か ◇田原 宏人 「書評」 http://t-office.raputax.com/books/2002.html#200206 ◇立岩 真也 2002/12/20「二〇〇二年の収穫」,『週刊読書人』2467:3 ◇立岩 真也 2003/01/**「二〇〇二年読書アンケート」,『みすず』2003-1・2 ◇菊池 夏野 2003/12 「書評」,『女性・戦争・人権』6 ◇Cornell, Drucilla ◇Young, Iris Marion ◆19951231 「アレント――公的空間の再興」 藤原・飯島編[1995:234-250]* *藤原 保信・飯島 昇蔵 19951231 『西洋政治思想史・U』 新評論,488p. 4429 ※ ◆19970205 「ハンナ・アレントとフェミニズム――「闘争の場」としての政治」 『思想』1997-02:102-126 ※ ◆19990320 「シティズンシップ論の再考(二)――国民の批判的理解にむけて」 『法学雑誌』45-3・4:337-373 ※ ◆19991125 「分断する法/介入する政治」,大越編[1999:081-115]* *大越 愛子・志水 紀代子 編 19991125 『ジェンダー化する哲学――フェミニズムからの認識論批判』 昭和堂,274p. 2400 ※ ◆20000320 「フェミニズム」,有賀・伊藤・松井編[2000:199-218]* *有賀 誠・伊藤 恭彦・松井 暁 編 20000320 『ポスト・リベラリズム――社会的規範理論への招待』,ナカニシヤ出版,267p. 2000 ◆2000 「家族と政治」,『立命館法学』2000年3・4号上巻(271・272号):234- http://www.ritsumei.ac.jp/kic/ja/lex/00-34/okano.htm ◆2000 「人間の条件と物語論の接点」,『立命館法学』2000年6号(274号),:298- http://www.ritsumei.ac.jp/kic/ja/lex/00-6/okano.htm ◆20011015 「リベラリズムの困難からフェミニズムへ」 江原編[2001:3-34]* *江原 由美子 編 20011015 『フェミニズムとリベラリズム――フェミニズムの主張5』,勁草書房,255+14p. 2700 ※ ◆20020330 「正義を為すとは、何を為すのか?――bringing them to justice から doing justice to them へ」 第2回「9.11」を多角的に考える哲学フォーラム http://www47.tok2.com/home/stimme/index/Vortrag%20Y.Okano.html ◆20020531 コメント 立命館大学国際文化研究所連続講座「国民国家と多文化社会」第12シリーズ ◆20030101 「境界のフェミニズム」 『現代思想』31-01(2002-01):146-163 ■引用 「問われているのは、結果の平等か機会の平等か、ではない。むしろ、リベラルな社会において、すべての人は具体的現実を離れた/脱身体化された dis-embodied 人格として平等な自由を享受している、と政治的に宣言されるかぎり、リベラリズムがその社会構想において直面せざるを得ない問いなのだ。 つまり、一人ひとりが「平等な自由」を享受す<べき>である、という主張からリベラリズムが社会を構想するのであれば、じっさいに具体的な個人がおかれている立場の多様性に配慮せざるをえない。たとえ、一人ひとりが「所有する」財や資源が「同じ」であると仮定する[★「仮定する」に傍点]にせよ、そのような自由のための手段を自らが抱く善き生へと変換する能力は、個々人の属性や才能・努力のためだけでなく、彼女たちが置かれた立場のために大いに異なる。それだけでなく、つねにすでに置かれた立場によって、どのような善き生を抱くか、といった人生の見通しを抱く自由の程度も大いに影響を受けいるのだ。 自由のための手段をもって善き生へと変換する能力や、人生の見通しを広げていく能力こそを、わたしたちの潜在能力と考えてみよう。そうすると、リベラリズムが社会構想のさいに考えるのとは逆に[★「逆に」に傍点]、潜在能力は、各人に平等に備わった能力というにはあまりにほど遠い。 だが、リベラリズムにおいて、「自然における」相違の結果生じた不平等は政治が介入し是正しなけばならない社会的不正義とはいえない、といった議論は、これまで繰り返されてきた。「より多くの自然が所与とみなされればみなされるほど、自然が中心的役割を果たすその世代における不平等に対して、社会がとるべき責任は少なくとなる」、と(Nagel[1997:305])。あるいは、わたしたち一人ひとりは平等な自由を享受している、と宣言されたとたんに、「そのようなレトリックが持つ暖かみは、人々の間の多様性を「配慮しない」あるいは「ないものと仮定する」という形で、無視させることになった。このことは、ひとつの変数から他の変数へ(例えば、所得から効用へ、基本財から自由へ、資源から福祉へ)の転換が、非常に容易であることを前提にしている」(セン[1999:38])。 すなわち、ここにおいて議論は反転する。ある社会において、その社会が作り出した不平等に対しては、それは社会的不平等/不正義であるのだから、リベラルな社会は政治的介入によってその不平等を是正するだろう。しかし、自然――どこまでが資源で、どこまでが社会的産物であるかの議論の余地はあるにせよ――における不平等は、彼女の不運なのだ。そして、リベラリストは言う。それでもなお[★「それでもなお」に傍点]、彼女は平等な自由を享受している<はず>である、と。 すでに、一人ひとりを平等で自由な存在として尊重する社会が存在している、とリベラリストが主張するとき、そうした社会における不平等は、彼女個人の(自由な)選択・選好・能力(努力)の結果か、あるいは、制度とはなんら関係のない、自然的所与の問題へと還元されてしまう。社会は自由である<はず>なのに、彼女が不自由「である」のは、彼女個人の問題なのだ。」(岡野八代「リベラリズムの困難からフェミニズム」より) ■言及 ◆立岩真也 2002/09/**「分配的正義について――問うことと残されるもの」,『立命館大学公共研究会会報』(07/12の研究会の記録) 「つまり、簡単な問題と難しい問題があって、私は簡単な問題についてお話をしました。考えれば解けそうな問題について、分配可能なものをいかに分配するかということについて考えようというのです。しかし世の中には分配したり交換したりできないもの、あるいはすべきでないものがあります。例えば責任という問題がある。悪いことをしたときにどうするか、どうやって償うかという問題があります。それは交換されたら困るもののように思えます。司法取引がなにかうさん臭いのもそういうことに関係するのかもしれません。そういうものが、世界の半分かどうかわかりませんが、ある、厳然として残る。これは別の経路から、同時に考えるべき巨大な主題として残されていると思います。 岡野八代さんが新著を青土社から最近出されました(『法の政治学――法と正義とフェミニズム』、青土社、318p.、2600円)。おもしろいです。私が取り上げてきたことの逆の側から攻めているのです。「配分的正義」という捉え方では正義の中で一番大切なことがすくいあげられないじゃないかと彼女は言っている。そうだと思いますね。ロールズを引き合いに出して、正義を分配の問題として語ることの限界を指摘し、そうした把握からはみ出してしまうことをどう語るかを私は考えたいのだというように、その本は書かれている。その議論がうまくいっているかどうかはよく読んでみないとわかりませんが、少なくともこころざしとしていいぞ、と思うんです。私はひよわな人間なので、楽な方を選んでいるのですが、私が逃げているところを正面から考えてくれる人がいるというのはうれしい。そんな位置関係になっていると理解していただければよいと思います。」 ◆立岩 真也 2002/12/20「二〇〇二年の収穫」 『週刊読書人』2467:3 ◆立岩 真也 2003/01/**「二〇〇二年読書アンケート」 『みすず』2003-1・2 ◆立岩 真也 2004 『自由の平等』,岩波書店 2001 「リベラリズムの困難からフェミニズムへ」,江原編[2001:3-33] <335> 2002 『法の政治学――法と正義とフェミニズム』,青土社 <291> 2003 「境界のフェミニズム」,『現代思想』31-01(2002-01):146-163 <334> 「一つに悪、責任という主題がある。岡野は、正義から矯正的正義の側面が落とされ分配的正義として語られてしまっていることをShklar[1989=2001][1990]等を引きながら批判する。正義を分配の問題として把握すると落ちてしまう部分を考えたいのだと言う(岡野[2002:244ff.]、cf.大川[1999])さらに直接に自分が関わったのでないことについての責任、集団の責任をどう考えるかという問題がある。江原編[1998]、安彦・魚住・中岡編[1999]、瀧川[1999]。cf.小泉[1997]。 このことについて私はこの本で何も書くことができない。ただ[…]」(p.291 序章・注15) 「機会の平等/結果の平等を主題にする予定ではあり、その際、第4章とも関連しリベラリズムの位置づけが重要になることはわかっていたが、当初予定していなかった考察を加えようと考えたのにはいささか外在的な理由もある。私が属する大学院の開設に関わりドゥルシラ・コーネルを招待した講演会(Cornell[2003]、その解読として岡野[2003])があり、その準備のために著作を読んだ。読むと、そこに見出される問題がリベラリズムの問題として捉えられるように思え――直接に関係するのは第6章に記す部分だが――既に論じたことも含めてまとめて考えておく必要があると思った。」(p.334 第5章・注1) 「岡野はリベラリズムが自由の尊重を主張しながら「現実の自己と社会を構想する段階において、現状維持に加担してしまう反転」を見せるのはなぜかと問う(岡野[2001:20])。一つは、「選択」であることにおいて許容されるという論理構成によるとされる――これは私の第6章での論に関わる――のだが、もう一つは、「自然」のものとされる相違(の結果としての不平等)は放置されてよいという考え方から来ていると論じられる(例示的に引かれているのはNagel[1997])。本稿の以下の部分は、なぜリベラリズムがこの差異を放置するのか、少なくともしがちであるのかについて考えてみようとするものである。例えば次のような文章があり、竹内[1999]、そして田中[2002]――そこでの論理展開は十分と言えないとしても、問題の所在は直感されている――で問題にされる。 「私はまた、全ての人々が正常な範囲内にある身体的ニーズと精神的能力をもっていると想定しているために、特別なヘルスケアの問題やthe mentally defectiveをどのように扱うかについての問題は生じない。正義論をこえたところへ我々をつれていくような困難な問題を早まって導入することに加えて、これらの困難なケースについて考えることは、しばしばそうした人の運命が同情と不安を引き起こすような、我々とかけ離れた人々について我々に考えさせようとすることで、我々の道徳的知覚を混乱させてしまう。しかるに正義についての第一の問題が関与しているのは次のような人々である。正常な道をたどる社会における十分に活動的な参加者であり、生まれてから死ぬまでに直接的あるいは間接的に結びついているような人々との関係に正義の問題が関与しているのである。」(Rawls[1975]。竹内[1999:194-195]、田中[2002]に引用。訳文は田中による)センのこの部分についての記述は以下。「ロールズの格差原理によると、彼が身体障害者だからという理由でより多くの所得を提供することも、より少ない所得をあてがうこともない。身体障害者が効用の面で不利な位置にあることは、格差原理にとって重要性をもっていない。これは過酷なことのように見えるかもしれないし、私は実際にそうだと思う。ロールズはこの点を正当化しようとして、「[身体障害者をどのように扱うべきかという]難しい事例はそうした人の運命が憐憫と不安をよび起こすわれわれとは隔たった人々のことを考えざるをえなくすることによって、われわれの道徳的知覚(our moral perception)を混乱させることになりうる」と書いている。それはロールズのいう通りかもしれない。が、難しい事例は現実に存在しているのだから、身体上の疾病、特別な治療のニーズや心身の欠陥といった事柄が、道徳的に重要な意義を有していないなどと見なしたり、間違いを恐れるあまりにそれらを考慮の外におくことは、必ず逆の意味で過ちを生じさせるに違いなかろう。」(Sen[1980=1989:249]、[]の内部は訳者の注記)」(pp.335-336 第5章・注6) REV:......20030113,0206,22,0320,0619,1214,25 20040625 20060625 ◇哲学・政治哲学 ◇フェミニズム feminism ◇立命館大学 ◇立命館大学・先端総合学術研究科 ◇WHO 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