長 宏
おさ・ひろし
〜1997/02
◆柿沼肇 19981117 「生存権保障の運動と「長宏(おさひろし)」――「朝日訴訟文庫」開設に寄せて」
『しんぶん赤旗』1998-11-17
http://www.incl.ne.jp/~ksk/ksk/jyo/ji990210.html
昨年来、私どもの日本福 祉大学では付属図書館に「朝日訴訟文庫」を開設するよう準備を進めてきたが、このたび(一九九八年九月末)、一部の未整理資料を除いてその大部分を公開できるところとなった。昨年二月に亡くなった「長宏氏(元朝日訴訟中央対策委員会事務局長)」の所蔵していた「朝日訴訟」関係文献を整理し、「文庫」という形に取りまとめたものである。
亡くなられる少し前に、先生から提供の申し出を受け、夫人児島美都子氏などの手をわずらわせて、できるだけ早く活用が可能となるよう取りくみを急いできた。収蔵文献は単行本、雑誌、生資料など約三百点で、入館の手続きさえとれば、だれでも利用できるようになっている。
訴訟の影響
周知のように「朝日訴訟」というのは、一九五七年、国立岡山療養所の入院患者であった朝日茂さんが厚生大臣を相手どって起こした裁判で、直接的には憲法二五条等にもとづいて生活保護を受けている結核患者の生存権の保障を求めるというものであった。
この「人間が人間らしく生きたい」という願いは、日本患者同盟などによって支持され、やがて国民的な広がりとなって、いわゆる「朝日訴訟運動」として展開される。裁判も「人間裁判」と通称されるようになり、それを通してわが国の生存権保障の水準とありようが鋭く争われるところとなった。
裁判の結果は、第一審の東京地裁判決で原告朝日さん側の全面勝訴、二審の東京高裁では敗訴となった。上告審の最中に朝日さんが死亡して養子夫妻が継承したが、一九六七年、最高裁は「上告人の死亡によって(訴訟は)終了した」との判決をおこなった。このように法的には厚生省側のいい分が通った形になったが、この訴訟の影響はきわめて大きく、生活保護基準の大幅な引き上げをはじめ、いろいろな点で行政の大きな「譲歩」を引き出し、実質的には「勝利」したといってよいような事態を生み出したのである。
「長宏」氏は、戦争で召集され、敗戦によリシベリアに抑留、その後日本に帰還し、文化活動に従事。肺結核を患い、それを契機に日本患者同盟を知り、やがて常任事務局員となる。以後、「朝日訴訟」の提訴からその終了まで、運動の中心的役割を担った。この訴訟の「勝利」は、もちろん朝日さんの健闘によるものであるが、他方でこの「長さん」の活躍がなければ成し得なかったということもできる。
「長さん」は、この「朝日訴訟」以外でも前記の患者運動をはじめ、障害者や高齢者の運動などさまざまな分野で、日本の社会保障の発展のために獅子奮迅(ししふんじん)の活躍をした。まさに「戦後社会保障史の、在野における体現者の一人」といってよい。他方「長さん」は、学生たちをこよなく愛し、彼らに大きな期待を抱いた教師でもあった。たとえば日本福祉大学では二十三年もの長きにわたって講義を続け、非常勤ではあったがある意味では専任教員以上の情熱をもって指導にあたった。亡くなられる二カ月ほど前におこなわれた「最終講義」では、すこぶる大きな教室に、座りきれないほど多数の学生、卒業生などが集まり、先生とともに感動深い一時を過ごしたのであった。
意義と教訓
ところで、「朝日訴訟」の意義・教訓は何であったろうか。当の「長さん」がいっていることをまとめてみると次のようになる。
第一は「社会保障の水準をぐっと引き上げた。それを通じて国民の生活を引き上げ」たということ。
第二は「国民に社会保障は権利なんだ、権利として求める必要があるということをあきらかにしたこと」。
そして第三は「憲法が身近にあることを啓蒙(けいもう)したこと」、「多くの人々」が「憲法の存在を、憲法が身近にあることを知」るようになったこと。
第四は「社会保障の向上の足を引っばっているのは何かという点を明らかにしたこと」、すなわち憲法第九条に反して「軍事力にお金を注ぎ込んでいるから社会保障が良くならないんだということを朝日訴訟の全過程を通じて明らかにして来た」こと。
そして最後に「闘いなくしては成果はないということ」「運動しなければ成果はない。生きるためには運動だ」ということを教えたこと。以上である。
いま、私たちは、新しい世紀の到来を目の前にし、「高齢化・少子化」社会と悪政下の経済不況の中で、年金問題、介護保険問題をはじめとするたくさんの重大問題に直面している。国民にとって、また子どもや若者にとって、未来は明るいなどと、とてもいえる状態ではない。まったく反対に、不安や心細さが先だつばかりである。
そんな折であるだけに、いっそう「朝日訴訟」の持っていた意義とそこから導きだされた教訓とが輝いて見える。そこから学び、生かしていくことの重要性がますます大きくなってきているように思われる。そのような意味からも、この「朝日文庫」が多くの人びとによって広く活用されることを願う次第である。
(かきぬまはじめ・日本福祉大学社会福祉学部長)