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野口 俊彦

のぐち・としひこ
1951〜

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last update: 20220503
・1951/07/10生
・東京都立川市
自立生活センター・立川 事務局長(1991〜)→代表(1999〜)
 1951年生まれ。進行性筋ジストロフィー症のため24時間の介護体制を組み生活。介護保障問題などを取り組み、91年に仲間とともに自立生活センター・立川を設立。96年、全国で初めて厚生省認可の非営利民間組織によるヘルパー派遣団体、ヘルプ協会〔立川〕を設立し、事務局長に就任。
 (『季刊福祉労働』80号,19980925,筆者紹介より)

◆野口 俊彦 i2022a インタビュー・1 2022/05/21 聞き手:立岩真也 於:自立生活センター・立川事務所(東京都・立川市)
◆野口 俊彦 i2022b インタビュー・2 2022/05/21 聞き手:立岩真也 於:自立生活センター・立川事務所(東京都・立川市)

◇立岩 真也 2022/05/23 「0519〜0522・東京〜新潟・4:野口俊彦――「身体の現代」計画補足・818」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/3203570136576618

・1951/07/10生
・高校卒業
・タイプライター会社に勤務
・武蔵野日赤、都立神経病院で筋ジストロフィーの診断受ける
・1991 自立生活センター・立川発足 事務局長
・1999 自立生活センター・立川代表
 ……

◆野口 俊彦 19911221 「アメリカ見聞記・1」
 『CILたちかわ通信』006:02-03
◆野口 俊彦 19910328 「アメリカ見聞記・2」
 『CILたちかわ通信』007:02-03
◆野口 俊彦 19910925 「介助の公的保障を――「障害者」・介助者双方のために」
 『季刊福祉労働』52:065-068
◆大野 直之・立岩 真也・豊田 昭知・頓所 浩行・野口 俊彦・増留 俊樹 199411 1994/11/00 「自立生活センターに対する公的助成」,第6回自立生活問題研究全国集会実行委員会『第6回自立生活問題研究全国集会資料集』
◆野口 俊彦 19980925 「当事者主体のサービス供給現場から社会福祉基礎構造改革、介護保険を考える」
 『季刊福祉労働』80:025-029

◆立岩 真也 1992/06/25 「発足二年目の自立生活センター・立川――自立生活運動の現在・1」
 『季刊福祉労働』55号,現代書館,pp.150-155 20枚

 「九一年四月、立川市で自立生活センター・立川(CIL立川)の活動が開始された。『そよ風のように街に出よう』四六号のインタヴューにその思いは多いに語られてもいるから、ここでは事実・数字の提示に徹したい。
 代表は、「三多摩自立生活センター」の活動や立川駅へのエレベーター設置を目指す運動を担い「全国公的介護保障要求者組合」の事務局長も務める高橋修、事務局長は、「立川市在宅障害者の保障を考える会」の活動の中心を担ってきた野口俊彦(『福祉労働』五二号に彼の文章がある)。三多摩自立生活センターの設立時に既にこうした構想はあったが、この組織は広い地域に渡っており、立川在障会を発展させてCIL立川を設立することにした。九〇年十二月に設立準備会が発足し、どういう体制を取るか、検討が本格的に始まった。その際、八六年設立のヒューマンケア協会(八王子市)の活動を参考にしている。野口の自宅を当初使っていたが三か月かけて事務所となる場所を探し、四月の設立となった。九二年五月には事務所を移転し、それまでの事務所は自立生活プログラムを行う場所とした。」

◆立岩 真也 「分かれた道を引き返し進む」
 青木 千帆子・瀬山 紀子・立岩 真也・田中 恵美子・土屋 葉 2019/09/10 『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』,生活書院,424p. ISBN-10: 4865001042 ISBN-13: 978-4865001044 [amazon][kinokuniya] ※

 「3 二人について複数について
 最後にもう一度、運動の方に戻ろう。さきに述べたのは、いろいろなやり方があってもよいこと、あった方がよいこと、そのぐらいいろいろとやって、ようやく取るべきものがいくらか取れるということもあるということだった。つまり、複数の声があったほうがよいということだ。声色を変えて、いろいろやってみるのがよい。ただ、ときにはやり方・言い方を間違えると損することもあるから、そのことはわかっておいた方がよい、注意した方がよいことを加えた。間違えると自分を安くしてしまい、結果、かえって損することもある。そのことがわかったうえでなら、二枚舌がうまく使えることはよいことだ。
 しかしそれを、どんなふうに、どんな人が言うかというはある。それをすべて一人でまかなおうとすると、不自然な、嘘っぽい感じになりそうだ。時と場合によって言い方を変える人、何を考えているのか本当のところがわからない怪しい人、ずるい人ということにされてしまうことがある。だから、一人でなく、複数の人がいた方が、最少なら二人いた方がよいということは言える。ワンパターンの刑事ドラマで、取調べの時に、おどす人とそれをなだめる人が出てくる。漫才だとぼけとつっこみということになる。白石と橋本は、この二通りのいずれでもないだろうが、しかし、二人でやってきた。そういえば、と、私は私が知る何組かの二人組のことを思った。立川(自立生活センター・立川)には、高橋修と野口俊彦がいた。宮崎(障害者自立応援センターYAH!DOみやざき=やっど宮崎)には永山昌彦と山之内俊夫がいる★49。」(308-309)

★49 高橋について、高橋と野口の立川でのことについて書くことは述べた(立岩[2019g]に収録)。永山と山之内には二〇一八年にインタビューしている(永山[i2018]、山之内[i2018])。※
※永山 昌彦 i2018 インタビュー 2018/09/28 聞き手:立岩真也 於:宮崎市・障害者自立応援センターYAH!DOみやざき事務所
 山之内 俊夫 i2018 インタビュー 2018/09/26 聞き手:立岩真也 於:宮崎市・障害者自立応援センターYAH!DOみやざき事務所

◆立岩 真也 「遠くから」
 青木 千帆子・瀬山 紀子・立岩 真也・田中 恵美子・土屋 葉 2019/09/10 『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』,生活書院,424p. ISBN-10: 4865001042 ISBN-13: 978-4865001044 [amazon][kinokuniya] ※

 「そして、「東北関東大震災障害者救援本部」の代表は、そのHPからそのままとってくば、中西正司(DPI日本会議常任委員、全国自立生活センター協議会常任委員)、副代表:牧口一二(ゆめ風基金)。呼びかけ人には、DPI日本会議から三澤了、山田昭義、尾上浩二、奥山幸博、八柳卓史、全国自立生活センター協議会(JIL)から、長位鈴子、平下耕三、佐藤聡、東京都自立生活協議会(TIL)から横山晃久、野口俊彦、今村登、ゆめ風基金から楠敏雄、福永年久、共同連から松場作治、地域団体から江戸徹(AJU自立の家)、廉田俊二(メインストリーム協会)、そして北村小夜(障害者権利条約批准・インクルーシブ教育推進ネットワーク)、青海恵子、徳田茂。この人たちについてもいくらでも書くべきことがあるが、きりがない。(「全国障害者解放運動連絡会議(全障連)」の代表幹事であったこともある楠については現在、やはり私の勤め先の大学院生の岸田典子が聞き取りを継続的に行なっている。その成果がそのうち出されるだろう☆09。)」(380)

☆09 楠は二〇一四年に亡くなった。生前に行なったインタビュー他から岸田典子は研究を始め、ゆっくりとだが、続けている。論文として岸田[2017]。ほかに三澤了が二〇一三年に亡くなった。JIL編に楠木[2001]、三澤[2001]。ここ一、二年の間に行なえたインタビューは佐藤聡[i2018]、横山晃久[i2018]、横山晃久・尾上浩二[j2018]、廉田俊二[i2018]。できるだけ公開していきたいと思っている。JIL編には廉田[2001]、牧口[2001]、山田[2001]、横山[2001]。」(390)


UP:20130319(ファイル分離) REV:20220501, 0821

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