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西川 長夫

にしかわ・ながお
1934〜2013.10.28
Nishikawa, Nagao : English Page

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/nn01


このHP経由で購入すると寄付されます

立命館大学大学院・先端総合学術研究科(200304〜)
・立命館大学大学院・先端総合学術研究科のHP
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/nn01
・業績リスト
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/nn01/w.htm
・業績リスト(要旨付)
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/nn01/ws.htm

・専門分野:比較史・比較文化論
・文学博士(立命館大学)
・所属学会:フランス語・フランス文学会、18世紀学会、日仏歴史学会
・立命館大学国際関係学部(〜200303)

◆『ARCHIVES.MAI68』
 http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~archives-mai68/index.php

 「本サイトは西川長夫(立命館大学名誉教授)・祐子(元京都文教大学教授)夫妻が収集したフランスの「68年5月」にかんする一次資料と、両氏が当時のフランスで撮影された写真を公開するものです。
 お二人は当時、日本人留学生としてパリに滞在し、いわゆる「5月革命」を最初から最後まで見届けられたばかりか、街頭で配布されるビラや次々に発行される機関紙誌類を丹念に収集され、数々の「現場」に足を運んで撮影した写真とともに、日本に持ち帰られました。その体験については、夫君の長夫氏が2011年に刊行された『パリ五月革命 私論』(平凡社新書)に詳細に語られています。
 京都大学人文科学研究所では、人文研アカデミーシンポジウム「日本から見た68年5月」(2012年2月5日)を、長夫氏を招いて開催したことを機縁に、夫妻からそれらの資料を寄贈いただきました。両氏の許諾を得たうえで、同研究所の共同研究班「ヨーロッパ現代思想と政治」ならびに科研費共同研究「現代思想と政治」の事業として、ここにそれらを公開するものです。」

◆「西川長夫さん」
『京都新聞』2013-11-03朝刊(「凡語」欄)
 http://www.kyoto-np.co.jp/info/bongo/20131103_2.html

 「知識人という言葉は19世紀末のフランスで誕生した、とされる。冤罪を被ったユダヤ人の軍人を、世論に抗して自らの信念と良心に従い擁護した作家ゾラらが最初にこう呼ばれるようになったそうだ▼彼らは抑圧的な権力を批判し、根源的な問い掛けを発し続けた。先月28日に79歳で亡くなった立命館大名誉教授の西川長夫さん(フランス研究)は、極東の地でそうした伝統を引き継ぐ日本を代表する知識人だった▼朝鮮半島で生まれた。敗戦後、本土で米兵と日本人とのやりとりに植民地的な状況を目の当たりにした。翻って少年期まで過ごした半島や旧満州(中国東北地方)での現地の人たちとの関係に、思いを巡らせた▼1968年には留学中のパリで「五月革命」を間近に観察した。学生らの問題提起に刺激を受けて、戦後社会のはらむ矛盾に目を向け始めた▼西川さんのその後を決定付ける二つの出来事だった。今年5月に出た遺著「植民地主義の時代を生きて」では「自己の存在が根底的に覆ってしまった」と振り返る▼東日本大震災、福島第1原発事故の悪夢が頭をよぎったであろう。同書の「あとがきに代えて」には「悪化の一途をたどる世の中に対して抗議したい」とも記されている。最期まで、知識人としての使命感を忘れることはなかった。」

◆「西川長夫氏死去 立命大名誉教授、「植民地」研究」
 京都新聞社 2013年11月01日 08時47分
 http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20131101000021

 「「植民地」をキーワードに社会や文学の比較研究をリードした立命館大名誉教授の西川長夫(にしかわ・ながお)氏が10月28日午後5時52分、胆管がんのため京都市左京区の自宅で死去した。79歳。葬儀・告別式は近親者で済ませた。喪主は長男陸男(りくお)氏。
 1934年、日本統治下の朝鮮半島に生まれた。京都大で仏文学を専攻。京大人文科学研究所の共同研究に加わる一方、引き揚げ体験を基に搾取モデルとしての植民地に焦点を当て、文化、社会を鋭く批評した。スタンダールと織田作之助など日仏の文学作品の関係性も論じた。74年から2007年まで立命館大教授を務めた。
 著書に「国境の越え方−比較文化論序説」「フランスの近代とボナパルティズム」「植民地主義の時代を生きて」など。【 2013年11月01日 08時47分 】」

◆訃報:西川長夫さん79歳=立命館大名誉教授
 毎日新聞社 2013年11月01日 13時06分(最終更新 11月01日 13時09分)
 http://mainichi.jp/select/news/20131101k0000e060246000c.html

 「西川長夫さん79歳(にしかわ・ながお=立命館大名誉教授、比較文化論、文学、思想史専攻)10月28日、胆管がんのため死去。葬儀は近親者で営んだ。喪主は長男陸男(りくお)さん。
 著書に「国境の越え方?国民国家論序説」など。」

◆西川 長夫 20130524  『植民地主義の時代を生きて』 ,平凡社,622p. ISBN-10: 4582702953 ISBN-13: 978-4582702958 [amazon][kinokuniya] 4800+ ※ s03.

*あとがきに代えて 578-581(全文)

 「本書は私の最後の論集となるはずなので、はじめにここに至る経緯を記させていただきたい。私は数年前に千凡社の関正則さんにニ、三〇編の論考をあずけて、それに「再論の時」というタイトルをつけて出したいという希望を伝えていた。「再論の時」というタイトルを考えた主な理由は二つあって、その第一はここに集めた論考の大部分は、私の第一の退職(立命館大学国際関係学部)と第二の退職(同大学院先端総合学術研究科)に合わせて私を招いてくれた国内や国外(韓国、台湾)の大学・研究機関でのシンポジウムや講演会での発言であり、私はそれを自分のこれまでやってきたことの再点検、そして再出発の機会ととらえていたからである。それにこうして一冊の論集に組めば、私を招いて共に議論してくれた方々へのささやかな御礼にもなると考えた。第二の理由は、いま私たちが直面しているこの戦後最大の転換期はまさに「再論の時」であり、そうあらねばならない、ということであった。
 しかしさまざまな悪条件が重なって、この「再論の時」の出版の話は進まなかった。ようやくニ〇一二年の五月になって関さんがこの予定されていた書物に「植民地主義の時代を生きて」のタイトルを付して平凡社の編集会議に提出してくれたとき、私は大いに喜んだ。関さんにはすでに『〈新〉地主義論』(二〇〇六年)を出してもらっている。そのころにはまだ植民地主義をタイトルにした本は少なく、私は本のタイトルはほとんどいつも編集者まかせなのだが、このときばかりは自分の意見を通させてもらったことがあったからである。だが「再論の時」からはすでにな時間がたっており、9・11に続いて3・11があり、時代の流れも早く急激に深刻の度を増している。私もその間に現在、つまリグローバル化時代の植民地主義にかんする文章を新しく何編か書き留めていた。「再論の時」に予定した文章をそのままの形で出すわけにはいかない。そこで私は今年(ニ〇一二年)の八月になって第三案として、「植民地<0578<主義の時代を生きて」のタイトルはそのままにしたいが、本の内容と構想をかなり変えたものにする提案をした。内容と構想を変えたいと思ったのにはもう一つの理由があって、それは私の健康状態がかなり悪化しており、もうそう長くは生きておれないという予感があったからである。これが最後の論集と思い定めたとき、しかもぺージ数が限られているとき、どんな書物が可能であろうか。私はとりあえずニつの方針をたてた。第一は自分の仕事の出発点(初心)を示すような作品と現在の最終地点な示すような作品を示すこと。当然、最後の地点は思考途上であって必要な加筆や再考もできていないが(最後の数篇は結局、入院中の病床で書くことになった)、その空白や混乱をそのまま残すことにしたい。私はここまでしか行きっけなかったのだから。第二は、私には専門意識がなく、書いたり語ったりすることは常に領域横断的になる傾向があるが、ここではその一端を知っていただくために、最小限、三つか四つの領域(歴史、国民国家論、多文化主義批判、戦後文学論、等々)を示すように構成を考えていただく(全体のコンテクストは内藤由直さんが編んでくれた「著作年譜」を参照いただければ幸いである)。
 私がこのようなスタイルで文章を書くようになったのは、いわゆる六八年革命の影響が大きいと思う。一九六七年から六九年に至る二年間のフランス滞在を終えて(拙著「パリ五月革命 私論』平凡社新書、二〇一一年を参照していただきたい)、本務校に帰任したとき、私は教員としてとどまりその職務を懸命に務めるが、いわゆる学界やアカデミズムとはできるだけ距離なとることを決心した。もちろん私は、欧米や日本近代の多くの国民文学を愛読しそれに育てられた世代であり、また大学入学以後は近代のアカデミズムが生み出した偉大な研究に大きな影響を受けている。しかしこうした近代国民国家のシステムの中に位置づけられた作品や研究がもつイデオロヂー性や限界もおのずと明らかである。私はまた自分が生きている時代の中で、最小限どうしても言わねばならぬことは言うべきであると考えた。そのためにジャーナリズムの本流とはできるだけ距離を置くが、その辺境に自分の発言が可能な位置を作りたいと思た。どうしてそんなことが可能であろうか。幸い私は独自な見識をもった何人かの優れた編集者に出会い、また少数ではあるが熱心な読者のおかげでこれまでその自分のポジションを守ることができたと思う。感謝の気持ちでいっぱいである。<0578<
 反アカデミズムとのかかわりで言えば、私は一時「論文」という言葉や形式にひどいこだわりをもち、自分の著作の一冊に「これは論文集ではない」というタイトルを付けようとしたことがある。これは幸い実現しなかったが、同じ頃、遠方に住む身障者の友人から、「ようやく博土論文が書き上げられそうだ」という喜びの手紙をもらって、「私は博士論文には興昧がありません」というにべもない返事をしたことを今では心から悔いている。彼は結局、その夢を実現することなく早逝してしまった。
 だが、論文とりわけ博士論文というのはなんと奇妙な形式たろう。私も過去の歴史的な学術論文の多くが、二〇年もニ〇年もかけた博士論文として出されていることを知っている。感動的な著作も多い。だが今は博士論文量産時代である。そして博士論文が大学やアカデミズムの権威を支える中心的なシステムになっていることもいっそうはっきりとしている。重要なことは数行で書けるのに、そのために数百ぺージを要し、しかも各章に数十の注を付す。権威主義の典型だろう。もっとも私は院生諸君に、お手本にそったできるだけ完壁な博士論文を書くように勧めている。もし真の反抗が起こるとすれば、それはアカデミズムの作法に精通し、その矛盾と空しさを徹底して昧わった人たちの間からではないたろうか。
 私自身の著作の中で最もアカデミックな風采を備えているのは、一九八四年に岩波書店から出していただいた『フランスの近代とボナパルティズム』だろう。これには『思想』に掲載された「論文」のほかに、京大の人文研の共同研究(河野健二班、阪上孝班)での報告などが収められている。私は後になって気付いたのであるが、この本が出たとき、多くの人は博士号請求論文であると思い、編集者の加藤亮三さんもこんな立派な装幀の本にしてくれたのだらうと思う。しかし当時の私はそんな気は全くなく、こんな論文的な文章が次々と書けることに少しは得意になっていたかもしれないが、これは論文ではなく論文のパロディであると考えていた。私が描こうとしていたのは、相交差する日本とフランスの近代の一つの皮肉な興味深い物語であって、実証は舞台の背景にすぎなかった。だが運命は皮肉なもので、私は結局、出版後一〇年近く経ってからこの本で博士号を請求する。それは勤務校で新学部創設のために博士号を持つマル合教員が必要となったからである。私は自分の第一の領域である文学、スタンダールやフランス文<0380<学で博士号をとるのは嫌だったので、結局、第二の領域(歴史)で博士号をもらうことになった。
 こうして末期の目で自分の生涯を振り返ってみると、これまで気付かなかったさまざまな発見がある。例えばこれまで私の書いてきたものはほとんどすべて対話から成っているということ。これは口下手で壇上で言葉を失ってしばしば黙りこんでしまう私にとっては意外なことであった。『日本の戦後小説――廃墟の光』(一九八八年)は日本文学に関心をもつモントリオールの学生たちとの楽しい対話の記録である。『国境の越え方』(一九九一年)は勤務校の比較文化論の教室(時には数百人を越えたが)における数年にわたるこれも楽しい対話の記録である、等々。その他ほとんどすべての文章が、研究会、シンポジウム、講演会など場所の違いはあれ、何らかの形の対話から出発している。ほとんどずべての文章が、研究会、シンポジウム、講演会など場所の違いはあれ、伺らの形の対話から出発している。そのような場を作ってくれた方々、辛抱強く対話に応じてくれた方々に感謝したい。
 私はどちらかと言えば強健な体格にめぐまれていたのであるが、大学入学時に結核を患い、在学中に左肺上葉の半ばを切除するなどのことがあって、就職は断念せざるをえなかった。反アカデミズム、反大学を唱えながら、結局は大学や大学の友人たちの世話になり、大学の周辺でしか生きることができなかった。忸怩たるものがある。私はこれまで自分の文章の原動力は不正や理不尽なものに対する怒りではないかと思っていた。最後の段階に至っても、悪化の一途をたどる世の中に対して抗議したい気持ちがあり、せめて何か私の存在を記す引っ掻き傷くらいは残したいという気持ちがある。しかし私は同時に、自分の文章がある種の楽天性と幸福感に満ちていることも発見した。それは昔、桑原武夫先生が私の河上肇論を評して言って下さった「左翼的エピキュリアン」に通じるものかもしれない。ここで一人ひとりお名前をあげることはできないが、これまでに私にかかわってくれたすべての方々に感謝したいと思う。最後に、私の窮状を知って、本書の出版のために全力を尽くしてくれた平凡社編集部の関正則さんと松井純さんに改めてお礼を申し上げたい。またこれまで一度も言ったことはないが、私の家族にも感謝の気持ちを記させていただきたい。ありがとうございました。
                      ニ〇一二年一一月二六日夜
                            北山を望む八階の病床にて」
西川 長夫大野 光明番匠 健一 編 20141024 『戦後史再考――「歴史の裂け目」をとらえる』,平凡社,325p. ISBN-10:458245447X ISBN-13:978-4582454475 2200+ [amazon][kinokuniya] ※ mc. s03

◆西川 長夫 20110715  『パリ五月革命 私論――転換点としての68年』 ,平凡社,平凡社新書,477p. ISBN-10:4582855954 ISBN-13:978-4582855951 \1008 [amazon][kinokuniya] ※ al03

◆西川 長夫・高橋 秀寿 編 20090330 『グローバリゼーションと植民地主義』,人文書院,376p. ISBN-10: 4409240811 ISBN-13: 978-4409240816 2940 [amazon][kinokuniya] ※

◆西川 長夫 2008/11/30 「方法としての旅」 特集国際シンポジウム「イタリア観の一世紀――旅と知と美」『立命館言語文化研究』20-2: 137-138

◆西川 長夫 2008/11/30 「はじめに」 08年度プロジェクトB4研究報告(2)「戦後の農民運動と農村の変容」,『立命館言語文化研究』20-2: 197

◆西川 長夫・姜 尚中西 成彦 編 200006 『20世紀をいかに越えるか――多言語・多文化主義を手がかりにして』,平凡社,496p. ISBN:4-582-70226-0 3400 [amazon][kinokuniya] ※ b
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db2000/0006nn.htm

◆西川 長夫・大空 博・姫岡 とし子・夏 剛 編 20030423 『グローバル化を読み解く88のキーワード』,平凡社,294p. 2000 ISBN:4-582-45223-X →[kinokuniya][amazon]

◆西川 長夫 20020724 『戦争の世紀を越えて――グローバル化時代の国家・歴史・民衆』,平凡社,269p. 2400 ISBN-10: 4582702392 ISBN-13: 978-4582702392 [amazon][kinokuniya] ※

◆西川 長夫 20010201 『[増補]国境の越え方――国民国家論序説』,平凡社ライブラリー,477p. 1300 ※*

◆西川 長夫 19991001 『フランスの解体?――もうひとつの国民国家論』,人文書院,306p. 2400 ISBN-10: 4409230328 ISBN-13: 978-4409230329 [amazon][kinokuniya] ※

◆西川 長夫・渡辺 公三 編 19990228 『世紀転換期の国際秩序と国民文化の形成』,柏書房,532p. ISBN:9784760117147 (4760117148) 6090 [amazon][kinokuniya] b

◆西川 長夫 19980301 『国民国家論の射程――あるいは<国民>という怪物について』,柏書房,289p. 2500 ※*

◆西川 長夫・渡辺 公三・McCormack, Gavan 編 19971020 『多文化主義・多言語主義の現在――カナダ・オーストラリア・そして日本』,人文書院,305p. ISBN:4-409-23026-3 2310 [amazon][kinokuniya] ※

◆西川 長夫 19951005 『地球時代の民族=文化理論――脱「国民文化」のために』,新曜社,224+24p. 2100 ※ *

◆西川 長夫 1992 『国境の越え方――比較文化論序説』,筑摩書房 *

◆西川 長夫 1988 『日本の戦後小説――廃墟の光』,岩波書店 *

◆西川 長夫 1984 『フランスの近代とボナパルティズム』,岩波書店 *


◆牧原 憲夫 編 20030601 『<私>にとっての国民国家論』,日本経済評論社,369p. ISBN:4-8188-1505-5 3200 ※ [bk1]

 
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◆19970530 「国民文学の脱構築」,三浦信孝編[1997:246-261]*
*三浦 信孝 編 19970530 『多言語主義とは何か』,藤原書店,340p. ISBN:4-89434-068-2 2940 [kinokuniya][bk1] ※ *m01

 「もし多文化主義・多言語主義が徹底して追究されれば、現在の国民国家的秩序は根底からつくがえらざるをえないはずである。」(p.258)
 「多文化・多言語主義がこうした旧来のナショナリティ概念にもとづくかぎり、それはいたずらに多数のミニ・ネイションとそれらの諸集団のあいだの紛争を生みだすだけであろう。多文化・多言語主義が国民文学、したがって国民国家に対する真に有効な批判となりうるためには、それが依拠する文化概念、言語概念を根本的に疑い、変革しなければならない。文化にかんしては私はこれま(259)で、文化は交流し変革を続けること、文化はつねに雑種的であり、純粋で孤立的な文化などはありえず、したがって民族が虚構であると同様、国民文化(日本文化、フランス文化、等々)も虚構であることをくりかえし指摘してきた。それは変容し続ける自己の他者性や複数性に通じる議論でもある。
 ここごは同じことを言語について強調したい。言語は交流し変容する。言語は常に雑種的であり、純粋で孤立した言語などはありえず、国語(日本語、フランス語、等々)は虚構である。」(pp.259-260)

 

◆19971020 「多文化主義・多言語主義の現在」
 西川・渡辺・McCormack編[1997:9-23]*
西川 長夫渡辺 公三・McCormack, Gavan 編 19971020 『多文化主義・多言語主義の現在――カナダ・オーストラリア・そして日本』,人文書院,305p. ISBN:4-409-23026-3 2310 [kinokuniya] ※

 「第五に、多文化主義・多言語主義の理論的な問題にふれておきたい。多文化主義が政策として登場したという事情から、その理論的な検討がなおざりにされる傾向があった。だが運動としての多文化主義も、政策としての多文化主義も、理論としての多文化主義によって深められ裏付けられない限り、方向を見失う恐れがないとは言えないだろう。本稿で私がここまで疚しさと煩わしさを感じながら、「多文化主義」のあとに「多言語主義」ということばを付してあえて「多文化主義・多言語主義」という書きかたを続けてきたのは、一つには多文化主義のあいまいさとある種の詐術を意識化したいという気持が働いていたからである。言語は文化の最も重要な要素である。もし多文化主義を唱えるならば、あるいは多文化主義を押し進めるならば、それは論理的に当然、多言語主義を伴うはずであるし、多言語主義を伴わなければそのことについて何らかの説明を必要とするはずである。」(p.16)
 「文化はあいまいな概念であるから、多文化主義を唱えることは容易である。それはたいして我身にかかってこない。だがひとたび多文化主義の必然的な帰結である多言語主義が導入されれば、事態は急変する。多文化主義を受けいれながら多言語主義を拒否する理由の説明は、いままで私の知りえた限りでは、経済的効率のみである。それは妥協によって成立つ現実政治の観点からは説得的な理由である。では、文化的多様性を認め、それぞれの文化的自立と共存を積極的に推し進めようとする多文化主義は、経済的な効率によって左右されるような性質のものであろうか。そこには論理的あいまいさが残されており、その理論的なあいまいさにあえて立ち入ろうとしない姿勢がうかがわれるのである。」(p.17)

 cf.立岩真也『自由の平等』
◇序章注15 「集団としての規定・同一性の肯定性が主張されるとともに、それが他の範疇の人々の排除やそこで規定される属性に回収されるものでない個人の抑圧につながりうることが問題にもされる。そしてそれに分配の問題が重ねられるという具合になっていて事態はなお複雑なのだが、しかしそれでも私は議論がおおまかすぎると感じる。例えばテイラーが持ち出すケベック州でのフランス語の問題についてどこまでのことが言えるのか、言語は他のものとどこが共通しておりどこが異なるのかを考えるといった仕事を一つずつ積んでいくことが必要だと思う。」

 テイラー/ハーバーマスの『マルチカルチュラリズム』*中の文章について
*Gutmann, Amy ed. 1994 Multiculturalism: Examining the Politics of Recognition,Princeton University Press=19961018 佐々木毅・辻康夫・向山恭一訳,『マルチカルチュラリズム』,岩波書店,240+3p. 2600
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1990/9400ga.htm ※

 「テイラーとハーバーマスという、世界的な名声を得ている第一級の哲学者たちの、多文化主義をめぐる言説のあいだに見え隠れするあいまいさや矛盾あるいは言い落としの部分のなかに、今後展開し深めなければならない多文化主義の重要な理論的課題、むしろ彼の性といったものが示されているのではないかと思う。次の四点を指摘しておきたい。
 (1)先住民問題[…](19)[…]
 (2)新しいタイプの自由主義の提案にせよ、民主的立憲国家の成熟にせよ、ここでの議論は既成の国民国家の存続を前提して、国民国家の枠の中で、統合形態の再編、デモクラシーやシティズンシップの新たな形態を問うという形で進められている。[…]
 (3)[…]彼らが用いる文明、文化、エスニシティ、民族、アイデンティティ等々の主要な概念が、基本的には国民国家時代に形成された古い概念のままであって、そうした概念に対する根本的な懐疑や批判が、いくつかの興味深い提案はあるものの、いまだ十分に行なわれていないところ[…]
 (4)二人の哲学者の緻密な論理が時にあいまいで欺瞞的に思われるのは、エスニシティや民族問題(20)の背後にあってつねにその根本的な原因になっている、差別(あるいは搾取と被搾取)のシステム、形を変えた新しいタイプの植民地主義、といったものに対する指摘や考察の欠如、あるいはそうした差別のシステムと多文化主義がいかなる関係にあるかについての考察の欠如が感じられるからではないかと思う。」(pp.19-21)

 

◆「多文化主義・多言語主義」,小林・遠藤編[2000:197-217]*
*小林 誠・遠藤 誠治 20001015 『グローバル・ポリティクス――世界の再構造化と新しい政治学』,有信堂高文社,238p. ISBN:4-8420-5541-3 3360 [kinokuniya][bk1] ※ *m01

 1 歴史的徴候としての多文化主義・多言語主義
 2 アメリカ・カナダの場合
 3 オーストラリアの場合
 4 ヨーロッパ的統合と共和国モデル
 5 多文化主義とアジア

 「多文化主義(multiculturalism)ということばは、1970年代の初めにカナダとオーストラリアで新たな国民統合の形態を示す国是として採用されて以来、急速に普及した。もちろん新語であって、英語の辞書(Randam Houseの新版)によれば65年、フランス語の辞書(Le Petit Robertの新版)によれば71年の日付が記されている。この英語とフランスの日付のずれは、多文化主義が英語圏からヨーロッパに広がっていったことを想像させると同時に、地域による多文化主義の差異を予想させる。英語やフランス語の多文化主義は一般的には、ある集団や共同体のなかで複数の文化が共存している状態を指すと同時に、そのような多文化の共存を好ましいと考え積極的にその推進をはかろうとする政策や思想的立場を意味する。
 多言語主義(multilingualism)も新語であり、現在では多文化主義にともなってあらわれ、多文化主義ほどに定着していない印象を与えるが、実際は(197)多文化主義より古い用語である。[…]文化には言語が含まれる。したがって、多文化主義政策は論理的には多言語主義をともなうはずである。だが、多文化主義は現実には、カナダは二言語多文化主義であり、オーストラリアは一言語多言語主義であることからも分かるように、必ずしも多言語主義を含まない。一見明らかなこの論理矛盾をどう考えればよいのだろうか。そこには文化と言語の一様ではない複雑な関係が示されていると同時に、多文化主義のある種の詐術が隠されている。」(pp.197-198)

 「先住民から奪った土地に居座り続けることは、いかなる論理によって正当化され、奪った者たちの現存と現在の諸制度はいかなる理由によって正当化されるのであろうか。かつて「文明化の使命」と「無主の地」の教義が果たした役割を今ではグローバリゼーションの理論と多文化主義・多言語主義が果たそうとしている、という側面を見落してはならないと思う。他方、アジアの可能性がアジアの豊かな多様性にかかわるものであるとすれば、われわれは多文化主義・多言語主義を単に欺瞞として退けるのではなく、その可能性を異なった角度から追求する必要があるだろう。それは、大航海時代以来の歴史の大転換がもたらす歴史のアイロニカルな課題の一つである。」(p.216)

 

◆20020724 『戦争の世紀を越えて――グローバル化時代の国家・歴史・民衆』,平凡社,269p. 2400 ※

I 開戦の記憶と戦後の原風景
 映像と記憶――九月十一日をめぐって
 戦争と文学――文学者たちの十二月八月をめぐって
 廃墟と検閲――異文化としての戦後体験

II 戦後という時代と歴史学
 戦後歴史学と国民国家論
 戦後歴史学と国民国家論、その後
 『国民国家論の射程』韓国版の序
 民族という錯乱――民族論のためのノート


◇「戦後歴史学と国民国家論、その後」より

 「第二は、国民国家にかわるもの、代案つまりオルタナティヴを示さないで、国民国家批判をやるのは無責任だ、というものです。責任の名においてオルタナティヴのイデオロギーが保守派にも革新派にも蔓延しているようです。だが、またしても、安易なユートピアを示せというのでしょうか。今一般に言われているオルタナティヴは、ある大きな枠組みのなかでの選択肢です。だが、その大きな枠組み自体が崩れようとしている。問題となっているのは誰にも予見できない未来ではないでしょうか。混沌とした現実の歴史の進行のなかで、その場その場の選択を行いながら、試行錯誤の末に、私たちの視野が徐々にひらけていく。真のオルタナティヴは、長い考察と批判の間に、おのずと形成されるものだと思います。」(p.112)
 「私はこれまで、意図的に代案を出すことを拒否してきたのですが、それには主として三つの理由があります。一つは、すでに述べたように、代案というのは二大政党制が理想とされるような代議制の、したがって国民国家の枠内での選択を示す、いわば体制内イデオロギーであるということ。第二は、歴史の考え方にかかわってきますが、歴史にはつねに意外性があって、とりわけ現在のような五〇〇年来の大転換期にあっては、未来の予測は困難である。ウォーラーステインはそのことを、プリゴジンの理論を借りてバイファーケーションという用語で説明しています。そういう時代にあっては、一歩一歩、視野を切り開いて、その度ごとに道を選んで進むしかないのであって、もし一挙に代案を出せる(p.138)人がいたら、多分それはいんちきだと思います。第三は、ほぼ第二と同じことですが真の代案を出すためには、その人が感性においても思想においても、根底から変わらなければならないだろう。
 代案と言うときに、われわれは手持ちの材料で考えてすぐ代案が出せるような錯覚をいだいています。しかし国民国家の歴史のなかでは、その代案を考える思考力を抑圧する力がずっと働いていて――それが国家イデオロギーというものでしょう――、それはわれわれの感性や思考力を左右している。」(pp.138-139)

■言及

◆立岩 真也 2002/12/20「二〇〇二年の収穫」
 『週刊読書人』2467:3

◆立岩 真也 2003/01/**「二〇〇二年読書アンケート」
 『みすず』2003-1・2

◆立岩 真也 2004 『自由の平等』
◇序章・注15 「[…]多文化主義、マイノリティ文化の権利についてはKymlicka[1995=1998]、Kymlicka ed.[1995]、工藤[2000]、西川[2002]、等々。また井上[2003a:171-211]では多文化主義とリベラリズムとの関係が検討されている。(井上の言うリベラリズムとこの語の本書での用法とは同じでないが、本書では論者による語の理解の異同を確認していくことはできない。)」
◇第3章注1 「[…]本文に記したのは現実が変わると意識が変わるという一つの線だが、むろんそれだけが想定されたのではない。両者の間の幾度もの往復が、希望とともに、描かれたのだった。それはたしかに空想的だと思える。しかし、人もまた変わっていくはずであると考えるのは、人はこんなものだろうというところから議論しそこに留まってしまうのと比べて、少なくとも論理的に誤っているということはない。人はどのように変わっていくかわからないのだと、だから「代替案」を示せという脅迫に「誰にも予見できない未来」(西川[2002:112,138-139])を対置することは正しいのだし、論と現実を先の方まで進めていこうとする力に対してリベラリズムが反動として作用することに苛立つ人がいる(Zizek[2001=2002])のも当然なのである。」
西川 長夫 2002 『戦争の世紀を越えて――グローバル化時代の国家・歴史・民衆』,平凡社 <319>
西川 長夫 22003 「多文化主義から見た公共性問題――公共性再定義のために」,山口・佐藤・中島・小関編[2003:82-106] <295,325>


UP:2002 REV 20020912, 17, 20030113, 0519, 0727, 0811, 1212, 20041029,1101, 20050112, 20090411, 1127, 20111117, 20130715, 1101, 02, 06, 20140726, 20150114
Nishikawa, Nagao (English)  ◇立命館大学大学院・先端総合学術研究科  ◇多文化主義  ◇国家/国境  ◇フランス  ◇WHO
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