・宮 淑子
・みや よしこ
1945年長野県飯田市生まれ。
青山学院大学卒。法政大学卒。
月刊『教育の森』編集部を経て現在フリージャーナリスト。
教育問題,女性問題を中心にルポ・評論・講演をつづけてお
り,昨今は性をテーマにしたものが多い。
(宮[19890615]より)
以下、宮さんより
◆著書
『屈折した少女の性』(潮出版社、1981年)
『おんな 生きる・まなぶ』(三一書房、1983年)
『セクシュアリティ……女と男の性と生』(現代書館、1984年)
『ドキュメント性暴力』(サンマーク出版、1984年)
『「女」なんていや!……思春期やせ症を追う』(朝日新聞社、1988年)
『セクシュアル・ハラスメント……女たちの告発』(教育史料出版会、1989年)
『美の鎖……エステ・整形で何が起こっているか』(汐文社、1991年)
『ダイエットってなんだろう』(岩崎書店、1992年)
『不妊と向きあう……生殖技術・私の選択』(教育史料出版会、1992年)
『セクシュアル・ハラスメント』(朝日新聞社、文庫、1993年)
『メデイア・セックス幻想……AVにつくられる女と男の性文化』(太郎次郎社、1994年)
『男たちの更年期クライシス』(NHK出版、1997年)
『新版セクシュアル・ハラスメント』(朝日新聞社、文庫、2000年)
『メノポーズからのからだ・心・性』(現代書館、2000年)
◆共著
『教師の懲戒と体罰』(総合労働研究所、1982年)
『女の人権と性』(怪書房、1984年)
『沈黙を破った女たち』(ミネルヴァ書房、1988年)
『ア・ブ・ナ・イ生殖革命』(有斐閣、1989年)
『男性改造講座』(ドメス出版、1993年)
『〈性の自己決定〉原論』(紀伊国屋書店、1998年)
『20世紀のすてきな女性たち1 歌い演じるよろこび』(岩崎書店、2000年)
*以下は立岩のデータベースに入っていたものだけ。
◆19820925 「自立にむかうワン・ペアレント・ファミリー」
『季刊福祉労働』16:008-015 ※
◆19830325 「「老い」と「性」」
『季刊福祉労働』18:025-032 ※
◆19831225 「書評:グンネル・エンビィ『私たち,愛し合わなければ』」
『季刊福祉労働』21:107 ※
◆1984 『セクシュアリティ――男と女の生と性』
現代書館
◆19880225 「窃盗罪から性的自由の保障へ――強姦をめぐる男の論理の低劣さ」
『法学セミナー増刊総合特集シリーズ』40:226-231 ※
◆19890615 『セクシュアリティ――女と男の性と生 新装版』
現代書館,231p. 1700 ※
◆19891001 「性的いやがらせに「ノー」」
『月刊社会党』407:153-155 ※COPY
◆青木 やよひ・芦野 由利子・金住 典子・草野 いづみ・駒野 陽子・田中
喜美子・堂本 暁子・丸本 百合子・宮 淑子・ヤンソン 由実子 19891030
「性殖革命と女の選択」(座談会) グループ・女の権利と性[1989:1-48]
◆19891030 「性と性殖のあいだ」
グループ・女の権利と性[89:51-69]*
*グループ・女の人権と性 編 1989 『アブナイ生殖革命』,有斐閣選書
◆19900901 「男の不妊法パイプカットの現実」
『婦人公論』075-09:162-167 ※COPY
※は生存学資料室にあり
■引用
◆19891030 「性と性殖のあいだ」,グループ・女の権利と性[1989:51-69]
「精子にしろ、卵子にしろ、顔のないノッペラボーの代物では決してないのであって、精子には父である男の数十年の歴史が、卵子には、母である女の数十年の歴史が、すでに刻みこまれているのである(石川憲彦『治療という幻想』1986年、現代書館)。そのことに想像力を働かせるなら、性愛のない、人格を認めあった等身大の相手との血の通い合ったコミニュケーションを捨象した、”受精”、人格が投入されない子づくりなど、売買春といかほどの差があろうかと思ってしまうのである。」(宮淑子[1989:63])
「実際の性的関係がなくても、自分のパートナーではない男の精子をもらって受胎することは、セックスという直接的行為はなくてもやはり、”科学的不倫”(この言葉の命名者はヤンソン由美子さん)といっていい行為なのではなかろうか。この場合、男のペニスがインサートされるか、注(p.66)射器がインサートされるかの違いだけなのであるから……。」(宮淑子[1989:66-67])
「レズビアンの女性たちは、母性(マザーフッド)を必ずしも否定しない。性と生殖とが切り離し可能なものなら、異性愛を迂廻しても母親になる道は、体外授精(ママ)や人工授精のようなバイオテクノロジーの発展によって開かれている。彼ら(ママ)は今、異性愛のポリティックスから独立した母性と育児の概念に、チャレンジしつつある」(上野千鶴子「女性にとって”性の解放”とは何か」、ジュリスト増刊総合特集『女性の現在と未来』、1960年(誤記?)、有斐閣)、宮淑子[1989:62]に引用…下の部分に「はたしてそうであろうか。」と続く。)
「性に権力や暴力を持ち込んで、性を支配と服従関係にしてしまった男社会のポリティックス、「女が一人で生きることを自由に選択できない、女が男なしで生きられない、生きてはならない強制異性愛社会」(映画「声なき叫び」パンフ)のポリティックスから自由になろうとしたレズビアンたちが、新しい母性と育児の概念にチャレンジしようとして、結局は生身の男は排除したものの、男の分身ともいうべき精子をもらい受けて子どもをつくろうとする姿勢には、強制的異性愛社会への迎合を感じてしまうのは私だけだろうか。母性を必ずしも否定しないのなら、養子縁組などをして”育てる”という行為、つまり、””親と子の関係性”をつくりあげることを育んでいくべきではないか。」(宮淑子[1989:63]…上の「精子にしろ、…」に続く)
「性的関係を持たずに子どもを産むこの行為は、彼女の人生の欠損感(人生を分かち合うほど愛している男性もいない)を埋め合わせるためである。そのために、子産みを性的人間関係から切り離し、子どもが両親の愛情に恵まれて育つ権利を侵害していいというのだろうか。」(宮淑子[1989:64])
◆青木 やよひ・芦野 由利子・金住 典子・草野 いづみ・駒野 陽子・田中 喜美子・堂本 暁子・丸本 百合子・宮 淑子・ヤンソン 由実子 19891030 「性殖革命と女の選択」(座談会) グループ・女の権利と性[1989:1-48]
「誰にとっても、自分の性アイデンティティを確立していくのは大変な作業なのね。その遍路に加えて、材料化された無個性の精子を「親」にもって生まれたと知ったら、よけい悩むんじゃないかしら。」(宮淑子、座談会での発言、グループ女の人権と性編[1989:48])