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向井 承子
むかい・しょうこ
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「1939年生まれ。北海道大学法学部卒業。北海道庁勤務後、婦人団体機関紙編集者などを経て、現在ノンフィクション・ライター。医療を中心としたテーマを執筆。主な著書に『病の戦後史』(筑摩書房)『医療最前線の子どもたち』(岩波書店)『脳死移植はどこへ行く?』(晶文社)など。) (『患者追放』著者紹介より)
「1939年生まれ。北海道大学法学部卒業。ノンフィクション作家。1994年、最初の「脳死臓器移植法」の国会提出の後、その性急な立法化に反対する立場から、幅広い市民運動を続けてきた。
著書『小児病棟の子どもたち』『老親とともに生きる』(いずれも晶文社)ほか。」
(『脳死移植はどこへ行く?』著者紹介より)
◆向井 承子 2009/05/10 「書評:立岩真也『唯の生』――生死めぐる難題に挑む」,『東京新聞』『中日新聞』2009-05-10
http://www.tokyo-np.co.jp/book/shohyo/shohyo2009051002.html
◆向井 承子 20080201 「超高齢社会と死の誘惑」
『現代思想』36-2(2008-2)
:101-109(特集:医療崩壊――生命をめぐるエコノミー)
◆立岩 真也 2003/10/25
「向井承子の本」
(医療と社会ブックガイド・31)
『看護教育』44-(医学書院)
◆20030825
『患者追放――行き場を失う老人たち』
筑摩書房,250p. ISBN:4-480-86349-4 1500
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[kinokuniya]
※, b d01 a02 a06
□内容説明[bk1]
「えっ、こんな重症者がどうして在宅なの? 病院に入院を拒まれたり、治療を拒否される老人が急増している。老人や重症患者をとりまく環境はなぜ激変したのか。「健康でないかぎり淘汰されるいのち」の時代のはじまりなのか。」
「やがて、過剰医療ということばが生まれる。患者がまるで検査やクスリを消費するだけの存在、病院を支える道具のように扱われることになる。
それは患者が選んだことではなく、医療関係者たちが患者を医療経営のコマとして扱う羽目に自ら負い込まれる、いわば自縄自縛の落し穴にはまってしまった結果なのだが、そのころから今度は、家族もかかわりようのない高度医療の場で死んでいく人たちのことが問題視されるようになった。患者の治療にも、まして孝不孝にもかかわりなしに湯水のように患者にお金がかけられるようになり、スパゲッティ症候群ということばが生まれてきた。そして、当然のように病院で医療に頼って生き続けるおとしよりの存在が財政面から問題視されることとなって、いまでは、医療が必要な人もそうでない人も一気呵成に医療から追放されようとしている。」(p.8)
cf.
◇
安楽死/尊厳死
◇立岩 真也 2003/12/19
「二〇〇三年の収穫」
『週刊読書人』
2517
◆19900320
『病いの戦後史――体験としての医療から』
筑摩書房,246p. ISBN-10: 448085536X ISBN-13: 978-4480855367 1495
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品切(2001) ※
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◆20010130 『脳死移植はどこへ行く?』,晶文社, 317p.ISBN:4-7949-6474-9 1890
[kinokuniya]
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[bk1]
※
□内容説明[bk1]
「「法律」による人間の死に際への介入は許されるのだろうか? 臓器移植法をめぐる様々な問題を解き明かし、ドナーカードにサインする前に、一人一人が考えておかなければならないことを、生活者の立場から明らかにする。」
http://www.shobunsha.co.jp/
体験としての死と病 まえがきにかえて
臓器移植法はどのようにしてできたか
脳死・臓器移植論争をふり返る
「死の光景」が変わっていく
――臓器移植法成立で「死が期待される時代」に
アメリカ臓器移植事情
ドナーカードにサインする前に
cf.
脳死・臓器移植
>TOP
*立岩のデータベースにあったものだけ
◆20020201 「医療の転換点としての脳死臓器移植」
『現代思想』
30-02(2002-02):171-183 ※
◆1980 『女たちの同窓会』
現ちくま文庫 [品切?2003.8]
◆19811025 『小児病棟の子どもたち』
晶文社,280p. ISBN: 4794958196 1320
[kinokuniya]
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[bk1]
※ *
http://www.shobunsha.co.jp/
◆1982 『大地の女たち』
家の光協会 [品切?2003.8]
◆198306 『がんばれ、風太』(いま、子どもたちは 7) フレーベル館,196p. 1068
[bk1]
◆19840705
『たたかいはいのち果てる日まで――医師中新井邦夫の愛の実践』
新潮社,286p. 1300 →ちくま文庫↓[品切?2003.8]→20070110 ※ *
◆198605 『漂流する家族』
筑摩書房,230p. 1300
◆1987 編著『お母さんの仕事 お父さんの仕事』
晶文社
http://www.shobunsha.co.jp/
◆1990 共著『聞き書き 庶民が生きた昭和[3]』
日本放送出版協会
◆199001 『たたかいはいのち果てる日まで――人間的医療に賭ける』
筑摩書房,ちくま文庫,384p. 620 [品切?2003.8] *
◆19900320 『病いの戦後史――体験としての医療から』
筑摩書房,246p. 1495円 ※/松本498/三鷹498 [品切2003.8]*(↑)
◆1991 『北大思迪寮の男たち』
新潮社 [品切?2003.8]
◆19930720 『看護婦の現場から』
講談社現代新書,240p. 600 ※ *[品切?2003.8]
看護
◆向井 承子 19930930
『老親とともに生きる』
,晶文社,285p. ISBN-10:4794961375 ISBN-13: 978-4794961372 1835
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[kinokuniya]
※ b a02 a06
◆1995 責任編集『脳死と臓器移植』
岩波ブックレット
◆199704 『医療最前線の子どもたち』
岩波書店,今ここに生きる子ども,223p. ISBN:4-00-026059-6 1200
[kinokuniya]
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[bk1]
□内容説明[bk1]
医療技術の進歩で、重い病や障害をもつ子供たちは生きる可能性を押し広げた。しかしその事が親や医師に新しい課題と試練をつきつけ、子供自身にとっても生きる為の新たな戦いの場が生まれつつある。〈ソフトカバー〉
〇雑誌に掲載された文章
◆19861001 「夢想郷のやさしい魂たち――重症心身障害を生きる」
『中央公論』101-11:099-109 ※COPY
(特集・生と死の操作はどこまで許されるか)
◆19861225 「長寿社会のテスト・パイロットたち」
『福祉労働』33:027-035 ※
◆19880225 「農村の子育ての変貌」
『法学セミナー増刊総合特集シリーズ』40:086-093 ※
等々
※は生存学資料室にあり
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◆19811025 『小児病棟の子どもたち』
晶文社,280p. 1320
[bk1]
※ *
http://www.shobunsha.co.jp/
「二十数年前、私は地域に支える方法がないばかりに病院や施設に閉じ込められたままとなった長期療養の子どもたちのことを書物にまとめた。わが子の長期入院がきっかけだったが、私たちの社会が重い病気や障害をもつ人たちを見えない世界に閉じ込めて、何食わぬ顔で営まれている事実を初めてつきつけられた体験だった。まだ子育て中の母親だった私は、この世の同じ生を享(p.123)けた子どもたちが、病気や障害の多少の軽重で残酷なほど運命が変えられてしまうことに、罪悪感にも似たやりきれなさを感じてたまらなかった。その理不尽をだれかれかまわず知らせたくて文字にした当時だった。
数年前、同じ病棟をもう一度取材して書物を書いた。二〇年を経て、[…]」(→『医療最前線の子どもたち』↓)
(『患者追放――行き場を失う老人たち』pp.123-124)
>TOP
◆19970421 『医療最前線の子どもたち』
岩波書店,シリーズ今ここに生きる子ども,223p. ISBN:4-00-026059-6 1200
[bk1]
※
「数年前、同じ病棟をもう一度取材して書物を書いた。二〇年を経て、子どもたちの状態はかつては異質なほど変わっていた。ひとことでいえば重症化である。以前にもつじて生きくい、育ちにくい子どもたちで病棟が埋まっていた。医学の発達が生み出した新しい困難な課題を改めてつきつけられる体験となった。
二十数年前には、「病気があるというだけで病院に収容されている大量の子どもたち」に胸を衝かれた。現在は逆に、特別のケアがなければ生きにくく育ちにくい子どもたちが医療から「追放」されようとしていた。かつては、その子たちを地域に返してやりたいとあんなに願ったのに、いま追放される先とは地域とは名ばかりの荒野とは。」(「二十数年前」の本は『小児病棟の子どもたち』)
(『患者追放――行き場を失う老人たち』p.124)
第一章 病院再訪/第二章 追いつめられた子どもたち/第三章 病気の顔が変わった――小児慢性疾患病棟/第四章 電子の音が響く世界――超未熟児たちのたたかい/第五章 重症の子どもたちのいま――新生児集中治療装置をめぐって/第六章 善意のあわいで――生きていくことの重さ/第七章 地の底を行く あとがき
193901 東京都渋谷区笹塚に生まれる
『病の戦後史』p.3
194504 北海道へ移る
『病の戦後史』p.3
194509 結核を患っていた兄が衰弱死
1961 北海道大学法学部卒業
1961 北海道庁勤務
1964 退職
1973 下の息子が事故で頭蓋骨骨折に蜘蛛膜下出血で入院
『病の戦後史』p.153-
1976 息子が入院(当時11歳)
『病の戦後史』p.148-
1978 二男(当時11歳)が入院
『小児病棟の子どもたち』p.16-
1970'後半 はじめてアメリカを訪ねる
「「患者の権利章典」とかインフォームド・コンセントということばにも接した。[……]いつか日本にもこういうキーワードが着地する時が来るのかと想像しても実感が湧かないほど、それは衝撃的な体験だった。[…]天地がひっくりかえるようなカルチャーショックだった。」(『患者追放』p.65)
1980' 「「金の切れ目が縁の切れ目」とでもたとえたらいいのだろうか。私が日本の医療の変化に気がついたのは八〇年代後半に入ったころだった。」
『患者追放』p.168
1982 「私は同居の老親のあいつぐ病気と入退院の繰り返しにほとんど振り回されるような日々を過ごしていた。」
『病の戦後史』p.156
198702 父死去
『病の戦後史』p.164-,227-
1990 『病の戦後史』刊行
1992 療養型病床群導入
『患者追放』p.140
1994 母90歳で死去
『患者追放』p.
1996 オーストラリアの高齢者施設を訪ねる
『患者追放』pp.37-38
1997
『「福祉のターミナルケア」に関する調査報告書』
『患者追放』pp.179ff.
199901 『神奈川県内大学病院における転園援助再困難事例調査報告書』
『患者追放』p.136
2001 『在院日数短縮マニュアル』(改訂新版,川淵孝一監修)
『患者追放』p.211
200110 第13回日本生命倫理学会年次大会
『患者追放』p.174
200204 180日ルール開始)
20020916 地域医療研究会主催「さまよえる長期療養者――医療保険と介護保険の谷間でどこへ行くのか」
『患者追放』p.123
REV:....20030827,0903,25,1010,1201,20040827 20061206 20070418 ..20080104,0623
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