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Mandela, Nelson Rolihlahla

ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ

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last update:20151130

このHP経由で購入すると寄付されます

『現代思想』42-03(2014-03) 20140225 2014年3月臨時増刊号 ネルソン・マンデラ,青土社,254p.  ISBN-10: 4791712757 ISBN-13: 978-4791712755 \1500円+税  [amazon][kinokuniya]

wikipedia

◆2013/12/23 マンデラさん追悼礼拝・偲ぶ会

[ajf-info]グループの掲示板に投稿があったことを、Yahoo!グループよりお知らせいたします。
---
みなさま
こんにちは。理事の津山直子です。
マンデラさんが亡くなり、悲しみとともに、感謝の気持ちと遺志を継ぎ、それぞれの場で行動していくことの大切さを感じています。
大阪でのネルソン・マンデラさん追悼礼拝・偲ぶ会のご案内です。
12月23日に関西・南部アフリカネットワーク(KASAN)の呼びかけで以下のように行われます。
ぜひ関西のみなさま、ご参加ください。

転送歓迎
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マンデラさん追悼礼拝・偲ぶ会 ご案内

関西の反アパルトヘイト市民運動は、1990年に大阪で開かれたネルソン・マンデラ歓迎西日本集会の原動力でした。
それにかかわった人たちはもちろんのこと、多くの人たちがマンデラさんの訃報に接して深い悲しみに包まれておられることでしょう。
有志によって下記のとおり追悼礼拝と偲ぶ会が計画されました。
礼拝の後、参加者によるスピーチ、歌や踊りなど、南アフリカの友人たちとのつながりを感じて分かち合いつつ、さまざまな方法でマンデラさんを追悼して偲びたいと思います。
お知り合いもさそって多数ご参加ください。

日時:2013年12月23日(祝) 午後2時〜

会場:大阪城南キリスト教会
   大阪市天王寺区東上町8-30
電話:06-6772-4152(原田光雄牧師)
    JR・地下鉄・近鉄「鶴橋駅」から徒歩5分

   *参加費無料、申込み不要

(呼びかけ)
関西・南部アフリカネットワーク(KASAN)
578-0943東大阪市若江南町1-6-3 下垣気付
電話090-7873-3836

急いだ呼びかけになりました。この情報は自由にインターネットなどで広く伝えていただくよう、皆さんのご協力をお願いします。
[このメッセージのテキスト以外の内容は省略されています]

◆2013/12/11 お別れの会(↓)
 於:国連大学0(東京都渋谷区神宮前5−53−70)ウ・タント・ホール(U-Thant Hall)
 12:30〜14:00

◆2013/12/09 「虹の国を目指して マンデラ氏の遺言」(↓)
 NHK19:30〜『クローズアップ現代』
  https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20131209-22-30481

◆2013/12/09 津山直子さんがアフリカ日本協議会のMLに配信

「みなさま
 マンデラさんが亡くなり、悲しいけれど、その人生に感謝し、一人ひとりが精神を継ぎ、 自分ができることで行動していくことが一番の追悼になるのだという気持ちが沸いてきます。
 今日NHK19:30〜の「クローズアップ現代」は、「虹の国を目指してマンデラ氏の遺言」というテーマで放送され、AJF前代表で、 マンデラ初来日の1990年にマンデラ歓迎委員会事務局長を務められた吉田昌夫さんがスタジオでコメントされます。 また、ソウェトで撮影した映像では、マンデラ氏の遺志がどう引き継がれているかビクター・マトムなど草の根で活動する人を取材したということです。
 また、在日南ア大使館より、記帳とお別れの会について以下のお知らせが来ています。

○追悼帳の記帳は、駐日南アフリカ共和国大使館にて2013年12月9日(月)と12月10日(火)の二日間、午前10時から正午までと、 14時から16時の間受け付けます。
○お別れの会は、国連大学(東京都渋谷区神宮前5−53−70)のウ・タント・ホール(U-Thant Hall)にて、12月11日(水)12時30分から14時まで行います。 追悼帳への記帳はお別れの会の後に国連大学でも受付けます。
http://www.sajapan.org/condolence-book-and-memorial-service-arrangements/

 あと、12月12日に行うAJFの年末パーティーでも、マンデラ氏への追悼と感謝を込めて、思い出や私たちの活動に与えてくれた影響など語り合えればと思います。 パーティーの案内は星野さんよりMLで流していただいていますが、今日まで申し込みを受け付けていますので、ぜひご参加ください。
津山直子」

アフリカ日本協議会 2013/12/06 「南アフリカ共和国 元大統領 ネルソン・マンデラ氏の死を悼む」
 http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/seminar-event/nelson_mandela.html

◆2013/12/06 「南アフリカ マンデラ元大統領が死去」
 NHK 12月6日 8時57分
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131206/k10013619521000.html

 「南アフリカでアパルトヘイト=人種隔離政策の撤廃運動を指導し、ノーベル平和賞を受賞したネルソン・マンデラ元大統領が5日、死去しました。
 95歳でした。
 南アフリカのズマ大統領は、日本時間の午前7時前、テレビを通じ、マンデラ元大統領が現地時間の5日午後8時50分、 日本時間の6日午前3時50分に家族に見守られながら亡くなったことを明らかにしました。
 ズマ大統領は、「われらが愛すべきネルソン・マンデラは旅立ち安らかに眠りについた。自由を求める彼の不断の闘いは世界の尊敬を集めた。 いつかはこの日が来ることを分かってはいたが、この大きな喪失感が消えることはない」と述べて悲しみをあらわにしました。
そのうえで、マンデラ元大統領の葬儀を国葬にすると発表しました。
そして、国全体で哀悼の意を表するため、6日から半旗を掲げるよう国民に呼びかけました。
 マンデラ氏は、1918年、イギリスの支配下にあった南アフリカに生まれ、大学在学中から、白人政権の下で行われていたアパルトヘイトの撤廃運動に取り組みました。
1962年に逮捕され、国家反逆罪で終身刑を受けましたが、獄中からも黒人解放を訴え続け、「不屈の闘士」として、世界中から尊敬を集めました。
釈放後は、白人政権との対話によって人種隔離政策の法律をすべて撤廃し、1993年、その功績が認められ、ノーベル平和賞を受賞しました。
 1994年には、初めてすべての人種が参加した選挙を経て黒人として初の大統領に就任し、異なる人種間の融和と民主化に努めました。
 マンデラ氏は、2010年のサッカーのワールドカップ南アフリカ大会の閉会式に出席したあとは公の場に姿を現すことはほとんどなく、 ここ数年は肺の感染症などで入退院を繰り返していました。
 ことし6月、肺の感染症が再発したため首都プレトリアの病院に入院したあと、9月に退院してヨハネスブルクの自宅で療養していました。
◇アパルトヘイトとは
 アパルトヘイト=人種隔離政策は、かつて南アフリカ政府が推し進めた国家による人種差別で、少数の白人の既得権益を守るため政治や経済など、 あらゆる分野で白人以外の人種を差別しました。
 特に、オランダ系移民で作る国民党が1948年に政権をとってからアパルトヘイトは本格的に法制化され、白人だけに参政権が認められたのをはじめ、 異なる人種どうしで結婚したりバスや公園で隣に座ったりすることも禁止されました。
 1959年に定められた法律では、人口の大多数を占める黒人が「ホームランド」と名付けられた狭い地域に閉じ込められ、移動の自由を制限されました。
 こうした差別に対する反対運動は次第に激しくなり、1960年にはデモの参加者に警察が発砲して69人が死亡した「シャープビル虐殺事件」が、また、 1976年には教育現場の言葉をオランダ系移民の言葉に切り替えることに反対する黒人の学生のデモを警察が武力で鎮圧して100人以上が死亡した 「ソウェト蜂起」が起きました。
 国際社会でも南アフリカへの批判が高まり、1980年代には欧米諸国が経済制裁を発動してアパルトヘイトをやめるよう圧力を強めると、 南アフリカの経済は次第に悪化しました。
 1989年、黒人との融和路線を打ち出して政権についた当時のデクラーク大統領は、1991年6月、 差別的な法律をすべて廃止しアパルトヘイトは撤廃されました。
 日本も、アパルトヘイトに反対する立場から南アフリカに対する投資や一部の製品の輸出入を規制していましたが、1987年には南アフリカとの貿易額が一時、 世界で最も多くなり、国際社会から「日本の規制は形ばかりだ」などと批判されました。
◇2回訪日したマンデラ氏
 マンデラ氏は生前2回、日本を訪れています。
 1回目は1990年10月。
 27年余りに及ぶ服役のすえに釈放されて、8か月後のことでした。
 このときはまだ大統領に選ばれる前で、黒人解放闘争を進めていたANC=アフリカ民族会議の副議長という立場でしたが、 日本政府の招待に応じて当時の海部総理大臣をはじめ、与野党の代表などと会談したほか国会でも演説し、 アパルトヘイト=人種隔離政策の廃止に向けた日本の支援を呼びかけました。
また、大阪で行われた集会にはおよそ3万人の市民が集まり、日本でもマンデラ氏を支持する声が幅広い層に広がり、反アパルトヘイト運動が盛り上がりました。
2回目の来日は、アパルトヘイト撤廃後、マンデラ氏が大統領に就任した翌年の1995年7月でした。
 このときは国賓として招かれ、天皇皇后両陛下と会見したほか、当時の村山総理大臣と会談し、アパルトヘイト後の新しい国造りに対する日本の支援について、 感謝の言葉を述べました。
◇マンデラ財団「日本の人たちに感謝」
 南アフリカでマンデラ氏に関する記録の保存と継承活動を行っているマンデラ財団のセロ・ハタングさんは、 「マンデラ氏の体調が悪化した時に祈ってくれた日本の人たちに感謝したい。マンデラ氏が残した遺産は普遍的であり、単に南アフリカだけのものにとどまらない。 次の世代に受け継がれる新たな遺産として築いていかなければならない」と話していました。」(全文)

◆2013/12/06 「マンデラ元大統領死去 南ア人種隔離撤廃」
 東京新聞 2013年12月6日 夕刊
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2013120602000262.html

 「【ロンドン=石川保典】南アフリカで白人が黒人を差別したアパルトヘイト(人種隔離)と闘い、 平和裏に撤廃させて同国初の黒人大統領となったノーベル平和賞受賞者のネルソン・マンデラ氏が五日夜(日本時間六日朝)、ヨハネスブルクの自宅で死去した。 九十五歳だった。 
 ズマ大統領がテレビを通じて死去を発表。「わが国は偉大な父を失った」と述べた。
 マンデラ氏は、反アパルトヘイト運動の伝説的な闘士。政治犯として過ごした二十七年間の獄中生活でも非転向を貫いた。一九九〇年に釈放された後は、 白人からも支持を得て人種の融和と民主化の象徴となり、「国父」と呼ばれて尊敬された。
 近年は獄中生活で患った呼吸器系疾患により、肺感染症などで入退院を繰り返した。最後は自宅で家族に見守られながら午後八時五十分ごろ、 穏やかに息を引き取ったという。
 大学在学中の四四年、黒人組織アフリカ民族会議(ANC)に加入。非白人からの参政権剥奪や人種別の居住区指定と強制移住、 公共施設の使用差別といった一連のアパルトヘイト法の反対運動に加わった。
 ANCが六〇年に非合法化されると、地下に潜行。武装闘争を指導し六二年に逮捕された。六四年には反逆罪、反テロ法違反罪を追加宣告されて終身刑判決を受けた。
 八〇年代の世界的な反アパルトヘイト運動の高まりを受け、廃止にかじを切った白人のデクラーク大統領が九〇年、マンデラ氏を釈放。 ANC議長となった同氏は、大統領と二人三脚で民主化に取り組んだ。九三年、デクラーク大統領とともにノーベル平和賞を受賞。 翌年に全人種が参加した初の総選挙が行われて大統領に就任し、アパルトヘイトは完全撤廃された。大統領を九九年まで務めて政界を引退した。
 二〇〇五年には息子がエイズの合併症で死亡したことを公表。エイズ撲滅キャンペーンを行った。 一〇年に南アで開催されたサッカー・ワールドカップ(W杯)閉会式に出席したのが、公式の場に姿を見せた最後だった。」

◆2013/12/06 「南アのマンデラ元大統領死去 反アパルトヘイト闘争指導」
 朝日新聞社 2013年12月6日10時42分
 http://www.asahi.com/articles/TKY201312060006.html

「写真・図版2010年7月、サッカー・ワールドカップ(W杯)で、ヨハネスブルクのスタジアムでの閉会式で手を振るマンデラ元大統領。 今月5日、95歳で死去した=ロイター
【ヨハネスブルク=杉山正】南アフリカ共和国での反アパルトヘイト(人種隔離)闘争の元指導者で、 ノーベル平和賞受賞者ネルソン・マンデラ元大統領が5日午後8時50分(日本時間6日午前3時50分)、ヨハネスブルクの自宅で家族に見守られながら死去した。 95歳だった。ズマ大統領が5日、国営テレビで発表した。
 【写真特集】マンデラ元大統領死去
 白人支配層が、非白人の居住地や職業、移動などを極端に制限したアパルトヘイトに反対する運動を指導。27年半に及ぶ獄中生活を経て、 旧白人政権との対話を通じ民主化を実現した。新生南アフリカの大統領として、人種・民族間の和解を推し進めた。
 オバマ米大統領はホワイトハウスで記者会見し、「理想のために生き、それを実現させた。だれもが期待したそれ以上のことを成し遂げた」などとマンデラ氏の業績をたたえた。 【続きを読む(会員の方)】」

 ……

 
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◆Date: Tue, 15 Jul 2003 20:48:46 +0900
From: ajf@mtb.biglobe.ne.jp
Subject: Fwd: 【南ア報道】マンデラ前大統領、パリ・エイズ会議に登場

斉藤@AJF事務局です。

12日からパリで開かれていた世界エイズ会議にマンデラ前大統領が登場したとの
記事です。
TAC、ザッキーさんがbccで配信しているニュースで届きました。
南アでは、7月14日のBusiness Dayで配信されたニュースのようです。

Mandela charisma energizes Aids conference
マンデラのカリスマ性がエイズ会議を勢いづける

パリ AFP

 彼は金曜日に85歳を迎える。少しやつれて杖をついて歩いている。しかし、パリの世界エイズ会議に登場したネルソン・マンデラ氏は、 変わらぬアピール力とカリスマ性で会場を沸かせた。5,000人の研究者と活動家たちを前に、マンデラ氏は世界を危機に陥れている怠慢さと優柔不断を責め、 エイズ危機と日夜闘っている人びとを称賛し参加者全てにエイズ危機との闘いを呼びかけた。会場はスタンディング・オベーションで呼びかけに応えた。
 南アフリカ共和国の前大統領は、直裁に、見習うべき成功も一部あったがこの20年におよぶエイズ危機との闘いは衝撃的な敗北の連続であったと語った。
 彼は言う。
 「これまでに2600万人以上がエイズで亡くなった。95%は途上国の人びとだ。そして現在4500万人がHIVに感染している」
 「これらの数字は驚くべきものであるだけでなく、受け入れがたいものだ」
 「人類の歴史上最大の公衆衛生に関わる危機にありとあらゆる手段を講じて対処していこう」
 科学がこの危機と闘うための重要な手段を提供しているにもかかわらず、悲しむべきことにそれらの手段の多くが講じられていない、とマンデラ氏は言う。
 彼は、抗レトロウイルス薬の高価格さのために、延命薬が貧しい人々の手の届かないものになっている現状に強い不満を表明する。
 「この不平等が現実であり、目を背けることはできない」
 「まぎれもなく世界をまたいで不正義がはびこっており、人権がないがしろにされている」
 最後にマンデラ氏は、GFATM(世界エイズ・結核・マラリア対策基金)への資金拠出や二国間援助の増額によって資金がないという 「言い古された弁解」がやっと使われなくなり始めたことに満足の意を表明した。
 特に米ジョージ・W・ブッシュ大統領がリーダーシップを取ってアフリカとカリブ海のエイズ対策に5年間で150億ドルを拠出しようとしていることに触れ、称賛した。
 一方で、彼は、約束は履行されなければならないと強調した。
 「私たち、アフリカの人間は、重大な関心を持ってこの決定的なコミットメントが実行されることを期待している。」というのである。
 そして、ヨーロッパも米国に続くべきである、と語った。
 「総体としての人口と経済力を考えれば、ヨーロッパは米国を超えなくとも同等の貢献をすべきである。」
 ウガンダ、セネガルそして最近のボツワナを例外に、アフリカ諸国の多くはエイズ危機に対応してこなかったという点で責めを負わなくてはならない、とも語っている。
 マンデラ氏は、今年12月1日の世界エイズデーに、マンデラ財団とGFATMが共同で、世界中の人びとにエイズと闘うために一分間を捧げることを呼びかけるという構想を提起した。
 個人だけでなく大企業の参加も歓迎される、と彼は言う。
 2000年の国際エイズ会議ダーバン会議の際、マンデラ氏のことばに、 いつもは控え目な研究者たちが手を打ちならしながら声をあげ果ては椅子の上で立ち上がるという熱狂をもたらして以来、エイズに関する会議の象徴的な存在となっている。
 彼のスピーチが終わり、会場が拍手の波におおわれている中で、デモンストレーターのグループが大きな横断幕をかかげて、 富裕国は貧しい国々のエイズに苦しむ600万人に抗レトロウイルス薬を支給できるように資金拠出を求めるスローガンをあげ始めた。
 反アパルトヘイト闘争のベテランであるマンデラ氏は、ステージの上から横断幕を読み上げ、満面の笑みを見せた。
 彼はスローガンに声をあわせ、プロテスターの一人が壇上に上がってきたのを迎えて、彼女を側に引き寄せた。 彼女の肩に腕を回しながら、彼は、まさに彼らしくこの闘いへの支持を約束した。


先週から今週にかけて、パリでは、エイズ治療実現のための国際会議、世界エイズ会議、Fund the Fund 会議、そしてGFATM支援会議と、エイズに関わる会議が続いています。
AJF代表・林と感染症研究会メンバーの河野は、世界各国のエイズ・アクティビストたち、 とりわけ途上国でのエイズ治療実現のために努力しているPHAを中心に活動する諸団体と連絡を取り合いながら、GFATM支援会議に参加します。
川田悦子衆議院議員も今日、パリに到着し明日のGFATM支援会議に参加します。私たちが用意できる関連資料を
http://www.ajf.gr.jp/hiv_aids/treatment_access
にまとめていますので、ご覧下さい。


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◆20020907 牧野さんより

ケープタウンの牧野です。マンデラの記事の翻訳を以下、貼り付けます。
手元にあったPrinted versionから起こしました。
引き続き、TACないしZackie Achmatさん関連の記事を翻訳して流します。

Mandela: How my family has been hit by Aids
Sunday Times, August 25 2002, p.1

マンデラ:私の家族がいかにエイズの打撃を受けているか

 ネルソン・マンデラ前大統領は、彼の私生活がエイズの流行によってどのような影響を受けているかについて、初めて明らかにした。 近い親戚のなかにもエイズで亡くなった人がいるという。
 今週、マンデラは「サンデータイムズ」紙に対し、東ケープ州に住む家族のうち3人の若者がエイズに罹患し、そのうちの1人を病院に訪ね、支援を申し出たことを明らかした。
 エイズで倒れたマンデラの親戚は、22歳の姪と、マンデラが「単なる親戚であるだけでなく、私自身にとても近い大切な親戚」と形容する甥の2人の息子であるという。
 マンデラによれば、彼の姪はウムタタから22kmほどの距離にある彼の故郷クヌの近くに、彼の甥の息子たちは「どの町からもかなり離れたところ」に住んでいた。 「3人ともトランスカイのなかの別々の場所にいた」とマンデラはいう。
 マンデラは「サンデータイムズ」紙に次のように語った。「私はトランスカイに行ったときに姪の病気を知った。彼女が病院にいて、HIV陽性であるということを知った。 トランスカイに行けるのはその日だけだったので、私は彼女に会いに行き、私の兄弟に彼女の治療費を預けた」
 「数日後、ヨハネスブルクに戻った後で、私は彼女が亡くなったと聞かされた」
 マンデラは、彼の甥もまた2人の息子をエイズで失ったと語った。 「一人は教師をしていた。もう一人のほうの職業は私は知らない。彼らの年齢についてもはっきりしたことは知らないが、2人とも若かったのは確かだ」
 マンデラは、エイズで亡くなった親戚の名前などを明らかにしてよいか木曜日に家族に相談したが反対されたため、名前などは明かせない、と語った。
 「彼らが抗レトロウィルス薬を服用していたかどうかはわからない。彼らの父親はとても裕福なので、抗レトロウィルス薬を買えなかった、ということはないと思う」
 「私は姪の病気には気づいたが、甥の息子たちの病気については、亡くなるまで気がつかなかった」
 マンデラは、サッカーW杯で南アフリカ・チームを率いたジョモ・ソノ監督の栄誉を称えるパーティの席でも、自分の家族に降りかかった不幸について語った。 マンデラは、自分とソノ監督の両方の家族がエイズの打撃を直接こうむっていると語り、サントンのヒルトン・ホテルに招かれた来賓たちを驚かせた。
 マンデラはソノについて、単に南アフリカ・サッカー界における名声のためだけではなく、ロールモデルとして大いに尊敬しており、 南アフリカの若者にとって「ソノの考えは大変重要なものになっている」と語った。
 マンデラは、「2、3カ月前に」ソノとHIV/AIDSについて会話を交わした際、ソノが「自分に近い人間を失ってみるまで、 HIV/AIDSにかかっている人の辛さを理解することができない」と打ち明けたことを明らかにした。
 マンデラは、「この国のエイズの破壊的な影響を私は強調したい。私たちは皆で立ち上がり、そのことを広く知らせなければならない」と語った。
 マンデラは、ヨハネスブルクの日刊紙「ソウェタン」の死亡記事欄からもエイズ流行の程度が明らかだと語った。「昔は死亡記事は1ページのなかのほんの一部だった。 ところが今では2ページもある。注意して見れば、流行がどれほど深刻かわかるはずだ」
 ソノは金曜日に「サンデータイムズ」紙に対し、「私にきわめて近い2-3人」がエイズに罹患したことを認めた。 しかし、彼らに子どもがいるため、それ以上詳しいことは話せないという。
 マンデラは次のようにいう。「私たちは親戚を支え、彼らに何としてでも希望を捨てさせないよう、力づけなければならない。 生きようという決意は医者が処方する薬と同じくらい大切だ」
 「私たちはHIV陽性の親戚が助力や介護を得られるように、そのステータスを公にすることを促さなければならない」
 「致命的な病気にかかっていることを公にするのは何ら恥ずべきことではない。HIVもその点では同じはずだ。私は監獄で結核にかかり、 監獄から出た後で前立腺ガンを患った。どちらのときも、私はそのことを公にしたが、誰もそのせいで私を遠ざけようとはしなかった」
 「皆にこう呼びかけたい。HIV陽性の人々にスティグマを与えるのではなく、抱擁と愛を与えよう」

以上

 〇原文

Sunday Times(South Africa) 25 August 2002
Mandela: How My Family Has Been Hit By HIV/Aids

Bonny Schoonakker

FORMER President Nelson Mandela has spoken for the first time of how he has been personally affected by the Aids pandemic, losing close relatives to the disease.
This week, Mandela confirmed to the Sunday Times that three young members of his family had succumbed to Aids in the Eastern Cape and that he had visited one of them in hospital and had offered his help.
The relatives who had succumbed were a 22-year-old niece and the two sons of a nephew whom Mandela described as "a prominent relative who is not only a relative but also very close to me".
Mandela said his niece lived near his home town of Qunu, about 22km from Umtata. His nephew's sons "lived quite some distance from the nearest town.
All three were in different parts of the Transkei."
Mandela told the Sunday Times: "I became aware of my niece's illness when I came down to the Transkei . . . I learnt that she was in hospital and that she was HIV-positive. I went to see her because I was visiting the Transkei only for that day. I left some money with my brother to treat her.
"A few days after I got back to Johannesburg, I heard that she had died."
Mandela said his nephew had also lost two sons who were HIV-positive. "One was a teacher and I do not know what the other one's occupation was.
Although I am not sure of their age, they were both young," he said.
Mandela said he had asked his family on Thursday "if I could disclose their identity but they were not happy about that, so we can't disclose their identity".
"I do not know if they had antiretrovirals. The father is a very well-to-do man so they could not have been short of resources to get antiretrovirals.
"I was aware of the illness of my niece but I was not aware of the illness of the sons of my nephew until after they had passed away," he said.
Mandela also spoke of the scourge's toll on his family at a recent function in Johannesburg to honour Jomo Sono for his role as South Africa's coach during the World Cup soccer tournament. He stunned a VIP audience at the Sandton Hilton Hotel by saying both his and Sono's family had had first-hand experience of the devastation caused by Aids.
Mandela told the audience that he had a high regard for Sono, not only because of his stature in South African soccer but also because Sono was a role model and that "his opinions were extremely relevant" to the country's youth.
Recalling a conversation he'd had with Sono about HIV/Aids "two or three months" earlier, Mandela said Sono had confided to him that: "You don't understand how painful it is for somebody to have HIV/Aids until somebody close to you dies of this pandemic."
Mandela said: " What I want to stress is the devastating effect of Aids on this country. All of us have to stand up and make sure that this matter is widely publicised."
He said the extent of the epidemic was also evident from the obituary columns of the Johannesburg daily newspaper the Sowetan: "There was a time when obituaries covered only a small part of a page. Now it is two pages.
If you look closely, you will see how serious the pandemic is."
On Friday, Sono confirmed to the Sunday Times that "two or three people very close to me" were coping with the illness. However, he declined to elaborate, citing the fact that they had children.
Mandela said: "We must be supportive of our relatives and encourage them by all means not to lose hope. The determination to live is as important as the medicines prescribed by the doctors.
"We must encourage our relatives who are HIV-positive to disclose their status so they can be helped and attended to.
"There is no shame to disclose a terminal disease from which you are suffering and HIV is no different. In prison, I suffered from tuberculosis and outside I suffered from cancer of the prostate. I went public in regard to both and nobody shunned me.
"We call upon everybody not to treat people who are HIV-positive with a stigma. We must embrace and love them."


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◆2002/10/26 マンデラ前大統領、エイズ撲滅目指して全国行脚
 読売新聞ニュース速報 2002-10-26-10:13

 南アフリカのマンデラ前大統領がエイズ問題の深刻さを部族指導者に訴える国内行脚を続けている。
 25日付のスタア紙によると、マンデラ氏は24日、故郷の東ケープ州で出身部族テンブ族の指導者ら400人を前に演説し、 「この病気との戦いで真の指導力を示せ」とげきを飛ばした。
 同紙に対し、エイズ問題関係者は「地方ではエイズは今も作り話と考えられている。住民はニュースに接する機会もなく、部族指導者から情報を得ているだけだ」と指摘。 さらに「国民はマンデラ氏を信じ、彼の言葉に従って行動しようとする。彼は希望のしるしだ」と絶賛している。
 84歳のマンデラ氏の威光はいまも健在だ。(ヨハネスブルク支局)

 
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◆稲葉さんより

Subject: [viva_hiv_aids] マンデラ、"HIV-Positive" Tシャツを着る
Date: Fri, 13 Dec 2002 10:00:09 +0900

皆様 こんにちは。

 ネルソン・マンデラがTACの"HIV Positive" Tシャツを着ている写真がMSFのホーム
ページに出ています。後ろにザッキーらしき人物も。

稲場 雅紀

>Check out former President Nelson Mandela wearing one of TAC's "HIV
>POSITIVE" t-shirts while visiting the MSF project in Khayelitsha:
>
>http://www.doctorswithoutborders.org/
>
>Rachel
>MSF


UP: REV:20131206, 08, 20151130
南アフリカ共和国  ◇HIV/AIDS  ◇WHO
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