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松永 真純

まつなが まさずみ

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last update:20230325


■紹介

1998年より15年間、大阪人権博物館で学芸員として勤務。
障害者や性的少数者、権利の常設展示コーナーを担当した。
現在は大学非常勤講師。

■関連頁

◇松永 真純 20040509 「障害とセクシュアリティ――企画展「性的少数者の現在」を担当して考えたこと」 [内部リンク]
◇松永 真純 200112 「兵庫県「不幸な子どもの生まれない運動」と障害者の生」,『大阪人権博物館紀要』5:109-126
 →立岩 真也・定藤 邦子 編 2005/09 『闘争と遡行・1――於:関西+』,Kyoto Books,120p. 600円→寄付されます gumroad経由

◇立岩 真也 20140301 「生の現代のために・1――連載・97」,『現代思想』41-(2013-12):-

 「☆05 精神障害者の「処遇」と同様、一九七〇年を越えた時期においても優生思想は本格的に問題にされていない(素直に肯定されている)というのが私の見解であり、この点において優生学史研究の第一人者である米本昌平と見解を異にすることは立岩[1997→2013]で述べた。近く刊行されたものでは、おもには「新型出生前診断」について紹介している坂井律子[2013]で読まれるべきは、その新しい技術について記された部分とともに、一九七〇年代初頭の兵庫県における「不幸な子どもの生まれない運動」についてその当時についての取材をもとに記された部分である。そしてこの「運動」についてはそれ以前、二〇〇一年の松永真純による貴重な論文(松永[2001→2005])がある。」


◇立岩真也 202210 「遡行/遡航・4」 [内部リンク]

 「この本というか冊子というかには、堀田義太郎・野崎泰伸の論稿、山下幸子・松永真純の現代史に関わる論文を掲載(再録)している。他に、定藤による川嶋雅恵さんへのインタビューの記録、関西の青い芝の会の関連年表・資料が付され、そして、しばらく忘れていたが、さきの『図書新聞』に掲載されたインタビューも再録されているといった具合だ。」

◇荒井 裕樹・立岩 真也・臼井 正樹 2016 「横田弘 その思想と生涯を巡って

 「これは松永真純さんといって、大阪人権博物館という、こういうところがちゃんとものを残さなきゃいけない、そこが橋下行革で潰されたというか、潰れてはいないんだけれども、そこを辞めざるをえなかったその松永さんが書いている論文(松永[2001])で描かれているんですが、「兵庫県の不幸な子どもの生まれない運動」というのが1970年代初めに起こります。神奈川でも同時期に同じようなことが起こります。「不幸な子どもの生まれない運動」とまではっきり言われると、さすがにむっとくるというか、なんか問題ありそうだなと思うわけです。しかし、これに関して言えば、兵庫の青い芝の連中であるとか大阪の連中が言わない限り、そのまま、すーっと行っていたかもしれないんです。だけれども、このときに、一騒動起こるわけです。たとえば、そういうことがあります。
 「不幸な子どもの生まれない運動」について、松永さんの書いたものには出ています。これが貴重な論文としてあります。その数十年後、兵庫県の大谷という産婦人科医が出生前診断を始めていっとき話題になったんですが、たとえばそのときに、30年前、40年前に、実は同じ兵庫でこういうことがあったんだっていうことを、新聞記者も誰も知らないんです。それはやばいのです。その40年前に、すでに兵庫で、これはきちんと議論になっているわけです。
 それから次に、来年か再来年か、つくろうと思ってるのですが、和歌山も一騒動あったんです。細かい話をしませんけれども、和歌山では「黒潮の子運動」っていうのがあって。「黒潮の子かよ?!」みたいな。そこまで露骨に言われると、やっぱりむっとくるわけですけども、そういうことが、実は70年代にいくつか起こってるわけです。
 神奈川は横田さんが『障害者殺しの思想』の中で書いてくれているんで、そういうことが起こったってことは、我々はわかる。兵庫に関してもぎりぎり、松永さんが、自分が人権博物館の仕事をする中で、この記録を残してくれているんで、ある程度わかる。けれども、たとえば和歌山の「黒潮の子運動」ってことになってくると、これはほとんど資料がありません。そのときに、これはどうなんだっていうことは問われているわけです。そして、もう少し時間を十年ぐらい遡ると、事態はもっと、ある意味シンプルです。殺すしかない、といった言葉が『中央公論』といった雑誌に載っている。 」



頁作成:山口 和紀立岩 真也
UP:20230321
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