HOME > WHO >

村田 実

むらた・みのる
193904〜199203



・193904〜199203
東京都東久留米市 CP 1939年4月生 6歳の時から3年病院生活,久留米園(救護施設)に20年, 施設での運動 就学運動→1981.2〜自立 日野新施設建設に反対する会 (七人の会) 東京青い芝・77.6.19 「東京青い芝総会に向けての統一要求書」・『たたかい』『創る会ニュース』1:3-4,5:16,6:23-24『福祉労働』12:52-57 (13:65-67に介助者の手記) 『, 『生きる会ニュース』38:8-10ZR』3:183-188, 4(5):9-10
 1992年3月に、草津温泉で事故に遭い一週間後に亡くなる。

*◇村田 実 1975 『たたかい――私の手記』
 69p.,700 b
◇村田 実 1988 「障害者は財産を継げないのか」
 『季刊福祉労働』40号
◇19930325,「一障害者の歩み(2)――故村田 実さんの手記」
 『季刊福祉労働』58:173-177
◇19930625 「一障害者の歩み(3)」――故村田 実さんの手記,『季刊福祉労働』59:112-117
◇19930925 「障害者の歩み(最終回)――故村田 実さんの手記」
 『季刊福祉労働』60:156-160
◇19990901 『ある「超特Q」障害者の記録――村田実遺稿集』
 千書房,295p. 1800 **2 d
 本の形で買って読みたいという人は、斉藤龍一郎さんあてもしくは解放書店あて(kaiho-shoten@jca.apc.org)にメールを下さい。一冊1800円+税金
http://www.asahi-net.or.jp/~LS9R-SITU/murata/
◇山本勝美さんのホームページ
 http://www03.u-page.so-net.ne.jp/xa2/h-kani/

 *以下、斉藤龍一郎さんより

◆追悼文
山本勝美

 村田君に初めて出会ったのは、七五年のある集会でのことでした。いい年をし
た「おじさん」が小学校へ入りたいと動き出した、という話はすでに聞いていま
したが、現物を……いや、ご本人を目のあたりにした時には何とも見えぬ神々し
さが感じられて感動したものでした。 「ふぅ〜ん、この人か……小学校へ入り
たいっていう気になるものなんだ。本気で動いているんだ!」その頃ぼくは障害
者実態調査反対のたたかいを始めていたので、「この人」と思って話したところ
すぐにのってくれました。それからというもの来る日も来る日も村田君を久留米
園へ送り迎えをしました。
 さてこのたたかいが終わった頃、それまで長く彼を介護してきた仲間から「運
動のためにだけ村田さんに関わって、日常生活の介護をしないのは利用主義だ」
と批判され、ハッとしました。そんな経過から彼の介護者になってゆきました。
彼が亡くなるまで一八年間続けました。介護者の中では最も永いそうですが、村
田君とはむしろ旧知の間柄としてつき合っていたという感じです。彼から教えら
れたことはとても言い尽くせませんが、一つ強く感じ続けていたことは、彼に対
してよく差別的な言動をとってもちっとも怒らなかったことです。何を云っても
ただ黙っているか、笑っている彼でした。介護やカンパを断ったり、けっこうい
ろいろと冷たいこともありましたし、ひどいことも云ったりしたんですが―。で
もそのたびにあとで冷たかったな、とか悪かったな、と反省させられてゆくので
した。彼からは、糾弾されて、というよりむしろ黙っていられることでぼくの意
識は少しずつ変えられてゆくのでした。
 でも一度彼が強烈に抗議してきたことがありました。ぼくの赤ん坊の声をリー
ルからカセットに録音し直してくれ、と頼んだのですが、もらいに行くと、「オ
レにどうしてこんなものを聞かせるんだ!」とすごく怒鳴られてしまいました。
 結婚もしたいし、赤ん坊も欲しい、そんな夢を彼はいつもひそかにいだいてい
たのです。そんな彼に赤ん坊の声やあやす親の声など聞かされ、たまらなくなっ
たのでしょう。
 ところがぼくはとっさにひらき直って「ぼくの生活を認めてくれないのか!」
と言い返してしまいました。彼はそれ以上はもう何も言いませんでした。でもこ
れにはあとあとまで「済まなかったな」という思いが胸に残りました。
 でも彼は年の瀬、正月になると淋しくなって時々ぼくの家に泊まりに来ました。
そのため子どもたちがすっかり親しくなって得難いものを残していってくれまし
た。彼も子ども好きでした。
 後年になるにしたがい村田君は、発言も行動も社会認識も素晴らしいものに成
長してゆきました。七九年障害者実態調査阻止のため、都職労の担当役員をオル
グした時の迫力と説得力のすごさには、横にいて舌を巻いてしまいました。その
ため次の日の執行委員会でその役員は「実施を認めろ!」と叫ぶ調査賛成派の怒
声にも屈せず、孤立無援の中で反対を貫いたとのことです。
 社会のいろんな問題も以前ならぼくが村田君に情報を提供したのですが、次第
に形勢は逆転し、彼のほうが「なあんだ、そんなことも知らないのか」の連発に
なってゆきました。
 一、二歳の違いで同世代でしたから、いろいろ話が合いました。とくに四十代
半ば頃から、まずぼくの体調がおかしくなり、介護がしんどいと言い始めました。
はじめは、「それじゃ介護者として役に立たない」ときついことを言っていまし
たが、やがて「山本さんの言っていたことが今ようやくぼくにもわかってきた」
と言ってくれた時には本当にうれしかった。
 彼はその頃、活動家から「ただのおじさん」に変身(?)を始めていたのです。
 亡くなる二、三年前に本を出したいからぜひ協力してほしいと言ってきました。
ぼくは賛成しました。ところがまだ何もできないうちに出版社と交渉を始めてく
れ、と言うので、「できてないうちは交渉にならないよ」と言ったのですが、今
思うと言い方がちょっと冷たかったかな、それから彼はぼくに出版の話をしなく
なりました。そんな経過があるものですから、申し訳ない気持ちからこの遺稿集
編集には力が入ったというわけです。
 それにしてもあの明かるい性格とバイタリティは一体彼の生涯のどこで身につ
けたんでしょうねぇ。
 なお、ぼくから見た村田君の一八年について関心をもって下さる方は、拙著『
共生へ』(岩波書店・九九年六月刊)をご覧いただければ幸いです。

◆サヨナラ村田さん
松崎功

 いったい村田さんの介護に関わり始めたのはいつごろからだったか? 死んだ
ときの鮮明な記憶に比べて、最初の関わりの記憶は定かでない。いくつかの場面
やシーン、話の断片は今でも鮮やかに思い起こされ、こんな時村田さんがいたな
らと、彼の話や身振りまで想像し、今ここにいたならと思いを託してしまうこと
が死んでから今日まで何度あったことか……。
 清瀬の僕の家から村田さんの家まで車で一五分ほどだったので、介護者がいな
いときにはよく電話がかかってきた。当番でない日でも何度か、遅刻してくる介
護者の繋ぎをやるハメになった。
 村田さんは車が好きで、あるとき『障害者の足がわりに車は絶対必要だ。』と
言って車を買う算段を相談された。既に新車のカタログを何種類か揃えていたが、
一体生活保護と障害年金という財政状態でどうするんだろうと半信「全疑」であ
ったが、結局知り合いから中古のワゴン車を格安で譲り受けていた。ガソリン代
や駐車場、維持費をどうするつもりか、まったく見当がつかなかったが、サンル
ーフのついたその車で介護の日にはよくドライブをした。(車に限らずどうもあ
ちこち借金をしていたらしいことは後日の話。)
 確か八七年の正月の二日、その車で村田さんと僕の家族で湘南までドライブを
したことがあった。海でも見に行こうかと意見が一致し江の島から葉山までドラ
イブをしたのだが、めずらしいサンルーフから顔を出して喜ぶ子供に村田さんは
してやったりという顔をしていたっけ。一月にしてはポカポカ陽気の中、渋滞も
なく本当にノンビリしたドライブで、葉山の海岸に車いすをくりだして遊んだこ
とが懐かしい。
 村田さん、その車は一年足らずで手放すことになったが、金が無い生活は大前
提であったにもかかわらず一面けっこうリッチな生活をしていた。「借金」のカ
タはおもしろい時代を過ごしたことそのもので、借金自体いまや帳消しとなって
しまった。
 もうひとつ、村田さんの追悼ということで触れておかなければならない点があ
る。本書でも触れられている「施設」の問題だが、1989年、全障連施設小委
員会が障害者施設の生活実態調査を計画し、まず施設障害者へのアンケートをす
ることになった。この取り組みに引っ張りこまれ、介護の日タタキ台を村田さん
と作っては会議にかけ、さらに手直しを次の介護の日におこなうということを繰
り返し、いずれは関東地区の療護施設まわりをして実態調査をしたいと村田さん
は展望していた。
 しかし、この作業は中途で途切れてしまったのだが、村田さんが死んで後一九
九二年秋の全障連大会に、村田アンケート素案をもとにした全国的な療護施設の
調査結果が報告され、日の目を見ることになった。(これ以前九〇年には、都職
労民生局支部が職員向けのアンケートを行なっている。)外出・外泊への制限を
はじめ依然として、施設障害者への管理と抑圧の強い実態を浮き彫りにし、これ
を機に全国の療護施設自治会ネットワークが結成されていく。そして現在、施設
における「人権ガイドライン」策定が熱く論議されているところだ。
 常々村田さんは、施設に対する厳しい批判を展開し、施設で働く僕としては耳
が痛いところも多い。モットーとしては施設解体なのだが、具体的なとっかかり
としては自治会の設立を強く主張している。その意味では、未完に終わったとは
いえ、施設実態調査アンケートの素案を作った村田さん、ほとんどの項目と設問
がその後の全障連や都職労のアンケートに引き継がれ、実を結んでいったことは
どうしても墓前に捧げておきたい。 
 サヨナラ、村田さん。


障害者(の運動/史のため)の資料・人WHO

TOP HOME (http://www.arsvi.com)