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松本 文六

まつもと・ぶんろく
1942〜

last update:20101211

◆『松本文六のホームページ いのちが一番』  http://www.matumoto-bunroku.com/

■第11回市民講座
講演タイトル:医療制度「改革」と、いのちの切り捨て
講師:松本文六さん(医師、社会医療法人財団天心堂会長)
日時:2017年3月4日(土)13時30分~16時45分(開場13時)
会場:カメリアプラザ(亀戸文化センター)第2研修室(5F)
http://www1.ttcn.ne.jp/fuminokai/page006.html
住所:〒136-0071 東京都江東区亀戸2丁目19−1 03-5626-2121
JR総武線亀戸駅北口より徒歩2分
資料代:500円
主催:臓器移植法を問い直す市民ネットワーク
連絡先電話:080-6532-0916
e-mail:abdcnet@gmail.com
ブログ:http://blog.goo.ne.jp/abdnet

講演概要より
「安倍政権は、・・・2016年度より3年間に亘って、
社会保障費を毎年5000億円圧縮するという途方もない政治を始めています。
弱者の自己負担を大幅に増やしてきています。
経済を最優先して、弱者を対象とする医療・介護・福祉を大幅に圧縮することは、
国民のいのちを更に切り捨てることです。これらに対して私たちはどうすべきなのでしょうか?」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%96%87%E5%85%AD
松本文六
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松本 文六(まつもと ぶんろく、1942年11月5日 -)は、日本の医師、政治家。
人物 [編集]
30年以上の地域医療の現場での経験を有し、2007年には「いのちが一番」をキャッチ・フレーズに、聖域なき構造改革によって危機に瀕した医療・福祉を立て直すことを訴え参議院議員選挙に立候補したが、落選している。

略歴 [編集]
1942年11月5日 - 現在の大分県大分市中戸次で生まれる。
1955年 - 大分市立戸次小学校卒業
1958年 - 大分市立戸次中学校卒業
1961年 - 大分県立大分上野丘高等学校卒業
1971年 - 九州大学医学部卒業
1971年 - 国家公務員共済組合連合会千早病院勤務
1980年 - 天心堂へつぎ病院を創立し、院長に就任
1985年 - 特定医療法人財団天心堂理事長就任
1987年 - 地域医療研究会世話人
1988年 - 労働者住民医療機関連絡会議副議長
1997年 - 大分県病院協会理事
1998年 - 大分県老人保健施設協会会長(- 2007年3月)
1998年 - 日本病院会大分県代議員、医療経済・税制委員会委員(- 2004年3月)
2004年 - 大分大学医学部臨床薬理学臨床教授
2004年 - 日本病院会理事・中小病院委員会委員
2007年7月 - 第21回参議院議員通常選挙に立候補するも落選
2007年11月 - 地域医療研究会代表世話人

著書 [編集]
注射による筋短縮症(三一書房)
地域医療が変わる(ゆみる出版)
生命倫理の再生に向けて(青弓社)
パンドラの箱を開けたのか-崩れゆく日本の医療(エヌワイ企画)



◆松本 文六 200704 『パンドラの箱を開けたのか――崩れゆく日本の医療』,エヌワイ企画,380p. ISBN-10: 4990329619 ISBN-13: 978-4990329617 [amazon][kinokuniya] ※ [62]



◆注射による筋短縮症全国自主検診医師団学術調査委員会 編 19970331 『注射による筋短縮症』,注射による筋短縮症全国自主検診医師団学術調査委員会,発売:三一書房,305p. ISBN-10: 4380969053 ISBN-13: 978-4380969058 15750 [amazon][kinokuniya] ※

◆「脳死」移植問題を考える――医療現場の感覚と生命倫理の乖離」,西日本生命倫理研究会編[2004]*
*西日本生命倫理研究会 編 20040423 『生命倫理の再生に向けて――展望と課題』, 青弓社, 347p. ISBN-10: 4787232304 ISBN-13: 978-4787232304 3150 [amazon][kinokuniya] ※ be,

■言及

◆市田 良彦・石井 暎禧 20101025 『聞書き〈ブント〉一代』,世界書院,388p. ISBN-10: 4792721083 ISBN-13: 978-4792721084 2940 [amazon][kinokuniya] ※

 1977年「八月に、同志になれそうなところを僕と黒岩でかき集めて、地域医療懇談会というのを開くんです。こじんまりとした交流会ですけど。夏だったし、遊びの要素も半分入れつつ、葉山でディスカッション。これがその後、医療分野において、ゆるいけれども一種の一派をなすものに育っていきます。その記念すべき最初の一歩が七七年の夏です。僕にとってはその後いろいろと社会的発言や活動を再開していくなかで、つねに”バック”をなしていた勢力ができはじめる。[…]
 集まったのは、うちの病院と黒岩のところ――あついはもう浦佐(新潟県)で「ゆきぐに大和病院」をはじめてた――以外では、関西の阪神医療生協――元は社会党系――の今泉さん、精神科では初音病院、これから病院作るぞとぶち上げていた九州の松本文六(7)たちでしょ、それから当時民医連から脱退していた京都の堀川病院なんかも来てくれた。」(市田・石井[2010:225])

 註07「現在は社会医療法人財団「天心堂」理事長。一九四二年、大分生れ。一九七一年九州大学医学部卒業。六八年六月の米軍機墜落事件(ファントム戦闘機が九大工学部の建物に激突)を機に、学生運動に参加、医学部自治会委員長となって無期限スト闘争を組織する。一九八〇年、大分市に天心堂へつぎ病院を設立し、院長に就任。地域医療研究会の主要メンバーの一人である。二〇〇七年には参議院議員選挙に立候補したが、落選」(市田・石井[2010:266])

◆立岩 真也 2011/01/01 「社会派の行き先・3――連載 62」,『現代思想』39-(2011-1): 資料

◆立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.


UP:20101211 REV:20101212, 20140127, 20170304
病者障害者運動史研究  ◇WHO 
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