HOME > WHO >

宮 昭夫

みや・あきお
〜2012/04/22


◆立岩 真也 2013/10/21 「『私的所有論』の登場人物2(視労協・宮昭夫)――連載:予告&補遺・22」,生活書院のHP:http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa.html

◆立岩 真也 1997/09/05 『私的所有論』,勁草書房,445+66p. ISBN-10: 4326601175 ISBN-13: 978-4326601172 6300 [amazon][kinokuniya] ※
Tateiwa, Shinya(立岩 真也) 2016 On Private Property, English Version, Kyoto Books

 chap.8 note 1
 "This quotation is from the same text also quoted in Chapter 7 Note 21 and at the start of Chapter 9, and originally published in "Shogai no Chihei (Horizon of Disability)", the magazine of the "Shikaku Shougaisha Roudou Mondai Kyogikai (Conference on labor issues related to the visually impaired)" (See also Miya [1994] [1995]). I do not have the same point of view as the author. I have intentionally quoted only these passages and omitted what follows them. I included these passages because I like them, because they confirm for me the existence of the efforts of someone, actually several people, I do not know who have thought about these issues for almost thirty years while vacillating between different points of view and allow me to think I am not the only one pondering these strange issues and ideas, and because freedom has been fostered by this vacillation (or rather these writings contain something like the freedom of vacillation) and I think this freedom illustrates the quality of the social activism which has been pursued by people with disabilities over the past three decades."


 「人間的差別に対する私の態度を説明するのに私はよくこういう譬えをもちだす。一匹の蚊が私を刺そうとしている時、私は迷わずそれを叩き潰そうとするだろう。決して古代インドのジャイナ教の聖者のように深い心でそれを許したり、運命と諦めたりはしない。しかしだからと言ってボーフラが生まれそうな一切のドブや沼々を埋め立てたり、大量の殺虫剤を流し込んだり、蚊を絶滅させるようなやり方には反対だと。」(宮[1994:3])

 「恋愛も又最高に差別的なものである。ただ何故か我々は恋愛における選択(差別)には寛大なのであるが。…/笑いも知識も恋愛も…きわめて差別的なものであると同時に私たち人間にとってかけがいのないものに通じている。」(宮[1984:3])

 「それは一言でいえば、たいして重要とは思えないような事に対して「特殊能力」を持っている人間を集めてくるという番組だ。例えば、鼻でビールが飲めるとか、目からたばこの煙が出せるとか、バストで絵が書けるとかいった類の事が出来る人達が続々登場する。ある意味でそれは頭のいいもの、野球やサッカーのうまいやつ、顔のいい人だけが持てはやされる現代の能力主義に対する否定や風刺を意味しているのかもしれない。そして、「共に生きる社会」が、それぞれの能力や個性を最大限認めあい評価しあう社会だとすれば、それは「共に生きる社会」への一つの入り口を指し示しているのか? まさか? 冗談じゃない。それは能力主義の否定じゃなくて、単なる能力主義の頽廃だ。そうかもしれない。だけど頽廃は衰退の兆候だよ。」(宮[1995:1-2])

 *以下は立岩のデータベースに入っていたものだけ。

◆堀 利和・宮 昭夫 編 19790331 『障害者と職業選択――視覚障害者の場合』 三一書房,292p. 1500 ※ d
◆19820325 「職業問題から見た視覚障害者短大の問題点」
 『季刊福祉労働』14:120-123
◆1994   「私の差別論ノートから」,
 『障害の地平』(視覚障害者労働問題題協議会)78:1-3 <367> ※
◆1995   「「共に生きる社会」と私あれこれ」,
 『障害の地平』 <367> ※
◆1996   「もう一人の私との対話」,
 『障害の地平』87:1-3 <318,321,373> ※
◆20010501 「視労協がやってきたこと、考えてきたこと」
  全国自立生活センター協議会編[2001:089-097]*
 *全国自立生活センター協議会 編 20010501 『自立生活運動と障害文化――当事者からの福祉論』
  発行:全国自立生活センター協議会,:発売:現代書館,480p. ※

 ※は生存学資料室にあり

■引用・言及

◆宮昭夫[1996:2-3]
 →立岩『私的所有論』第9章p.373に引用

「自分の子供が五体満足ですこやかに生まれてくる事を望むのは、やっぱり差別的なのかね。」
「多分ね。」
「でもそれは人間としてごく自然な感情じゃないか?」
「それはそうだけど、自然な感情であるという事は、そのまま正しいということじゃないし、差別的でないという事でもない。例えば、人よりできるだけ楽をしてうまい物を食いたいと思ったり、人をけ落として競争で一番になりたいと思うのも自然な感情だと言えば言えるだろう。」
「どこか違うんじゃないか? 俺はたとえ子供がどんな状態で生まれてきても、それを引き受けて一緒に生きていこうと覚悟した。それでもやっぱり生まれる時にはすこやかであってくれと思った。正直の所ね。その事で俺は他者をけ落としたり傷つけたりしているか?」
「五体満足で生まれてくれという願いをきく事は、障害者には嬉しくないとは思わないか? 自分が否定されている、少なくとも肯定されていないと感じる。」
「俺も障害者だけど、俺はそんな風に思わないよな。」」(宮昭夫[1996:2-3])

◆立岩真也「一九七〇年」(『弱くある自由へ』所収)での引用・言及

 「……私は、「能力主義を否定する能力主義の肯定」という章の冒頭に宮昭夫の文章を(そこではもう少し長く)引いている([1997c:321])。

 「「たぶん、うまいラーメン屋をうまいと言う事がいけないわけじゃないと思うよ。」
 「うまいってほめるだけで、特にひいきにしなければいいのか?」」(宮[1996:2]) English

 まずいラーメン屋(ラーメンを作ることについて障害を有しているラーメン屋)はもうからない。「能力主義」を否定するのだったら、まずいラーメンをうまいと言わなければならないのではないか。それはどうも無理そうだ。まずいものはまずい。ではまずくても食べなければならないのか。それも苦しい。しかしそれを苦しいというなら、能力主義を否定することにならないではないか。
 多分たいがいの人はそんなことを考えはしない。こんな話を聞くと、これはほとんど馬鹿げていると思うかもしれない。しかし、考えていけばそういうことになる。この国の障害者運動が当たったのは……」 English


◆立岩真也『私的所有論』第7章注21に引用

☆21 「「お前は人間には自殺する権利があると思うか?」/「権利はあるかも知れないが賛成はしない。」/「安楽死と尊厳死については反対なんだろ?」/「個人的な決断の問題と、法律として国家によって強制されたり、奨励されたりする事とは別だよ。子供を生むかどうかとか死を選ぶかどうかなんて事は、個人の問題としてはそれぞれの決断には重みがある。しかし、法律で強制される事は別だ。断固反対すべきだ。」/「それはよくわかる。だけど自分で死ぬ事のできる人間の権利は認めるが、死を選ぶのに、言わば介護を必要とする人間の権利は認めないというのは一種の障害者差別じゃないか?…」」(宮昭夫[1996:3])

◆立岩 真也 2018 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社



◆宮昭夫 2011 「自治寮の夕映え」, なずれば指に 明きらけし――筑波大学附属盲学校記念文集』,社会福祉法人桜雲会 202-206.
「私が広島の盲学校から当時の教育大附属盲学校高等部普通科に入学したのは1961年4月のことでした。入学と共に私が暮らすことになった寮は教育大雑司ヶ谷分校寮という名の寮でした。つまり、そこは大学生の暮らす学生寮の趣を残す場所だったのです。自治領とはどういうところかという事について当時の私が「なるほど」と感心したのは、食堂で働いている賄いの人たちも自治委員会が直接雇用していると聞かされたときでした。」(p.202)
「自治寮の雰囲気は私にとってはまさにカルチャーショックといえるものでした。例えば、広島の盲学校では、起床と同時に全員がたたき起こされ、洗面・点呼を受けた後、天気が良ければラジオ体操、それからみんなで食堂に向かい「いただきます」の合唱と一緒に食事を始めたものです。
 それが雑司ヶ谷では、朝の点検は一応あるものの、布団の中でそれぞれ済ませる者もあり、食堂へ向かう時間も銘々ばらばら、中には結局朝食を抜いて学校に直行する人もいます。それどころか、授業をさぼって寮に残っている者も珍しくないという状態でした。
 もう1つ私が驚いたのは、近くの商店から寮に御用聞きがやって来る事でした。私の時代には、蕎麦屋が2軒、洗濯屋が2軒、乾物屋が1軒毎日のように通ってきていました。先輩の中には蕎麦屋のお兄ちゃんに「蕎麦はまた今度撮るから煙草買ってきてくれない?」などと無償の「御用聞き」を頼む者や、洗濯屋に靴下や下着まで出す猛者もいたようです。」(p.203)

REV:20091219 REV:20180831, 20220813(山口和紀)
障害学  ◇視覚障害  ◇差別  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究  ◇WHO
TOP HOME (http://www.arsvi.com)