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宮 昭夫
みや・あきお



 「人間的差別に対する私の態度を説明するのに私はよくこういう譬えをもちだす。
一匹の蚊が私を刺そうとしている時、私は迷わずそれを叩き潰そうとするだろう。
決して古代インドのジャイナ教の聖者のように深い心でそれを許したり、運命と諦
めたりはしない。しかしだからと言ってボーフラが生まれそうな一切のドブや沼々
を埋め立てたり、大量の殺虫剤を流し込んだり、蚊を絶滅させるようなやり方には
反対だと。」(宮[1994:3])

 「恋愛も又最高に差別的なものである。ただ何故か我々は恋愛における選択(差
別)には寛大なのであるが。…/笑いも知識も恋愛も…きわめて差別的なものであ
ると同時に私たち人間にとってかけがいのないものに通じている。」
(宮[1984:3])

 「それは一言でいえば、たいして重要とは思えないような事に対して「特殊能力」
を持っている人間を集めてくるという番組だ。例えば、鼻でビールが飲めるとか、
目からたばこの煙が出せるとか、バストで絵が書けるとかいった類の事が出来る人
達が続々登場する。ある意味でそれは頭のいいもの、野球やサッカーのうまいやつ、
顔のいい人だけが持てはやされる現代の能力主義に対する否定や風刺を意味してい
るのかもしれない。そして、「共に生きる社会」が、それぞれの能力や個性を最大
限認めあい評価しあう社会だとすれば、それは「共に生きる社会」への一つの入り
口を指し示しているのか? まさか? 冗談じゃない。それは能力主義の否定じゃ
なくて、単なる能力主義の頽廃だ。そうかもしれない。だけど頽廃は衰退の兆候だ
よ。」(宮[1995:1-2])

 *以下は立岩のデータベースに入っていたものだけ。

◆堀 利和・宮 昭夫 編 19790331 『障害者と職業選択――視覚障害者の場合』 三一書房,292p. 1500 ※ b d
◆19820325 「職業問題から見た視覚障害者短大の問題点」
 『季刊福祉労働』14:120-123
◆1994   「私の差別論ノートから」,
 『障害の地平』(視覚障害者労働問題題協議会)78:1-3 <367> ※
◆1995   「「共に生きる社会」と私あれこれ」,
 『障害の地平』 <367> ※
◆1996   「もう一人の私との対話」,
 『障害の地平』87:1-3 <318,321,373> ※
◆20010501 「視労協がやってきたこと、考えてきたこと」
  全国自立生活センター協議会編[2001:089-097]*
 *全国自立生活センター協議会 編 20010501
  『自立生活運動と障害文化――当事者からの福祉論』
  発行:全国自立生活センター協議会,:発売:現代書館,480p. ※

 ※は生存学資料室にあり

●引用・言及

 立岩「一九七〇年」(『弱くある自由へ』所収)での引用・言及

 「……私は、「能力主義を否定する能力主義の肯定」という章の冒頭に宮昭夫の文章を(そこではもう少し長く)引いている([1997c:321])。

「「たぶん、うまいラーメン屋をうまいと言う事がいけないわけじゃないと思うよ。」
「うまいってほめるだけで、特にひいきにしなければいいのか?」」(宮[1996:2])

 まずいラーメン屋(ラーメンを作ることについて障害を有しているラーメン屋)はもうからない。「能力主義」を否定するのだったら、まずいラーメンをうまいと言わなければならないのではないか。それはどうも無理そうだ。まずいものはまずい。ではまずくても食べなければならないのか。それも苦しい。しかしそれを苦しいというなら、能力主義を否定することにならないではないか。  多分たいがいの人はそんなことを考えはしない。こんな話を聞くと、これはほとんど馬鹿げていると思うかもしれない。しかし、考えていけばそういうことになる。この国の障害者運動が当たったのは……」


立岩『私的所有論』第7章注21に引用

◆21 「「お前は人間には自殺する権利があると思うか?」/「権利はあるかも知れないが賛成はしない。」/「安楽死と尊厳死については反対なんだろ?」/「個人的な決断の問題と、法律として国家によって強制されたり、奨励されたりする事とは別だよ。子供を生むかどうかとか死を選ぶかどうかなんて事は、個人の問題としてはそれぞれの決断には重みがある。しかし、法律で強制される事は別だ。断固反対すべきだ。」/「それはよくわかる。だけど自分で死ぬ事のできる人間の権利は認めるが、死を選ぶのに、言わば介護を必要とする人間の権利は認めないというのは一種の障害者差別じゃないか?…」」(宮昭夫[1996:3])


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