HOME > WHO >

Laing, Ronald David

[R・D・レイン]
1927〜1989

last update:20110602
このHP経由で購入すると寄付されます


■著書 ◆Laing, Ronald David 1960,1969 The Divided Self : An Existential Study in Sanity and Madness Tavistock =19710930 阪本健二・志貴春彦・笠原 嘉 訳,『ひき裂かれた自己――分裂病と分裂病質の実存的研究』,みすず書房,304p. ISBN-10: 4622023423 ISBN-13: 978-4622023425 2940 [amazon][kinokuniya] ※ m m01b
◆Laing, Ronald David 1961,1969 Self and Others,Tavistock,160p. =19750915 志貴 春彦・笠原 嘉 訳, 『自己と他者』,みすず書房,231p. ASIN: B000JA1B04 [amazon] ※ m m01b
◆Laing, Ronald David & Esterson,A. 1964 Sanity,Madness,and The Family:Familiy of Schizophrenics,Tavistock =19720625 笠原 嘉訳 , 『狂気と家族』,みすず書房,362p. ISBN-10: 462202344X ISBN-13: 978-4622023449 [amazon][kinokuniya] ※ m m01b f04
◆Laing, Ronald David 1967 The Politics of Experience and The Bird of Paradise,Penguin Books,160p. =19731115 笠原 嘉・塚本 嘉寿 訳, 『経験の政治学』,みすず書房,214p. ASIN: B000J9OIS2 [amazon] ※ m m01b
◆Laing, Ronald David 1969 The Politics of the Family,CBC Publications,160p. =197901 阪本 良男・笠原 嘉 訳, 『家族の政治学』,みすず書房,196p. ISBN-10:4622023490 ISBN-13: 978-4622023494 [amazon][kinokuniya] ※ m m01b
◆Laing, Ronald David 1970 Knots,Tavistock,160p. =19731125 村上 光彦 訳, 『結ぼれ』,みすず書房,157p. ISBN-10: 4622023466 ISBN-13: 978-4622023463 [amazon][kinokuniya] ※ m m01b
◆Laing, Ronald David 1976 Do You Love Me?: An Entertainment in Conversation and Verse,Penguin Books, =19780225 村上 光彦 訳 『好き?好き?大好き?――対話と詩のあそび』,みすず書房,164p. ISBN-10: 4622023482 ISBN-13: 978-4622023487 \2415 [amazon][kinokuniya] ※ m m01b
◆Laing, Ronald David 1976 The Facts of Life:An Essay in Feelings,Facts,and Fantasy,Pantheon, =19790929 塚本 嘉寿・笠原 嘉 訳 , 『生の事実』,みすず書房,242p. ASIN: B000J8E630 [amazon] ※ m m01b
◆Laing, Ronald David 198509 Wisdom, Madness and Folly: The Making of a Psycoiatrist,McGraw-Hill,160p.=198608 中村 保男訳, 『レイン わが半生――精神医学への道』 ,岩波書店→ 19900309 中村 保男 訳r,『レイン わが半生――精神医学への道』,岩波書店,同時代ライブラリー 13,321p.ISBN-10: 4002600130 ISBN-13:978-4002600130 \1155 [amazon][kinokuniya] ※→20020215 中村 保男 訳,『レイン わが半生――精神医学への道』,岩波書店,岩波現代文庫,332+vip.  ISBN-10: 4006000782 ISBN-13: 978-4006000783 \1100 [amazon][kinokuniya] ※ m.

■言及 ◆笠原 嘉 1976 「レインの反精神医学について」,『臨床精神医学』5-5

p675
(反精神医学とは)
 反精神医学とは、一言でいえば、伝統的正統的主流的精神医学の狂気観に対する根本的な異議申し立てである。
つまり、伝統的精神医学が19世紀以来身体医学の枠組や概念をそのまま踏襲し、狂気イコール疾患とみなしつづけてきたとしての意義申し立てである。

p675(1960年代の反精神医学全体の特徴)
@狂気を不当にも病気に仕立て上げるのに、精神科医もふくめて社会の成員がひそかに暴力をふるってきたという認識であり、その内部告発である。
・「狂気の医学化批判」(Manoni)
・「狂気の社会共謀因モデル」(Siegler,M)
A今日の正気がもはや体験できなくなった真理を狂気のなかに見出しうるとする
・狂気復権的狂気礼讃的主張
・狂気のサイケデリック・モデル(Siegler,M)
 
p675(反精神医学の共時性)
・Szazzの「精神医学の神話」(1961)
・Laingの「分裂病とは何か」(第1回国際社会精神医学会での公演/1964)
・CooperのVilla21の開設(1965)
・Laingのキングスレイホールの開設(1965)
・Cooperの「精神医学と反精神医学」(1967)

<背景的理由>
@現代の管理体制の非人間性、
A個人の人権と自由への渇望増大
B青年勢力の抬頭
C反理性論反科学論
 一個別科学でありながら精神医学が反科学的思潮の一つの突出点となったについては、それなりの歴史と理由があったとみてよかろう。この学問分野はその扱う対象の性質上、早くから分析的理性の限界に直面し、直感的な全体認識のための方法論について真剣に模索しなければならなかった。
D向精神薬治療
 向精神薬の出現による治療上の進歩が一段落し、向精神薬の出現によって一時生じた幻想に対し反動的に失望の生じだした時期にこれがあたるということである。
言いかえれば、向精神薬の出現によってある程度までの治療的進歩が達成された上においてでなければ1960年の反精神医学的発想は生じなかったのではないかということである。
かりに他のより広い社会的思想的条件が熟していたとしても、緊張性病像が主で、医療者はその治療に際し自己防衛をまずもって考えなければならないような向精神薬以前の自体にあったとしたら、反精神医学的発想はこれほどの共時性をもって世界的に生じなかったのではなかろうか。

p677(レインの反精神医学の特徴@社会共謀因説)
 社会共謀因説は従来からある社会因説と混同されてはならない。従来からある分裂病の社会因説は貧困、過密、欠損家庭、教育の欠如等の可視的問題をとりあげるのに対し、社会共謀因説が問題にするのは家族や精神科医やソーシャルワーカーや、そして「しばしば仲間の患者たちも加わっての」一致した、しかし、誰にとっても決して意図的ならざる連携的共謀行為である。
それが集団のなかの一人の人間をスケープゴードとして疎外し、そこに分裂病といわれる結果が生れると考える。
    ↓
この仮説の前身は「家族因説」
 つまり家族因説は狂気の病理が病人の「個人内部」にあるとする、これまでの常識を破り、病んでいるのはいわば家族全体であり、それが種々の事情からメンバーの一人をえらんであらわれたと考えることにより、常識的な医学的疾患観に挑戦した
    ↓
  Sullivanの系譜

p678(レインの反精神医学の特徴A狂気礼讃的なサイケデリックモデル「分裂病旅路説」)
 要するに、条件さえととのえば、狂気(分裂病)とは、より望ましい仕方で正気へと帰還してくるはずの一つの内面的「旅路」であると考える。
(…)狂気にはその自然なシークエンスをたどれば正気へと円環的に帰還してくる旅路という可能性がある。
(…)「今われわれが必要としているのは各種の熱心な治療法をおこなう精神病院よりも、この内面の旅路を完遂するのを助ける場所である」。

p679(レインの反精神医学の特徴B/キングスレイホールの実践)
・1965〜1971年ごろの実践(ロンドン)
・病人であるなしにかかわらず、また誰からの強制もなしに、しかも自分の好む期間だけここに住み、一連のスケジュールに加わることが許された
(…)スケジュールとしては絵画教室やヨガから専門的な各種の講義までがある。
(…)キングスレイの特色はここでは誰もが医者でもなく誰もが患者でもなく、誰が狂気で誰が正気かの区別も全くされない。
・1969年5月時点で、収容可能人数は14人、4年間に113名の老若男女は投宿し、滞在日数は3日から最長4年。その7割がかつて病人といわれた人であり、入院歴のある人は半数。キングスレイを去って後再入院した人は12人。

p680(反ー反精神医学/反精神医学の問題点))
Eyのごとき理性的な立場からの反論のみならず、より経験的レベルからの反論もまた反精神医学に対して数多くなされた。
@医学的診断の狂気への適用に根本的に疑義をさしはさむ反疾病論的傾向
A医学的科学的と考えられる治療一般への疑問という意味での反治療的傾向
B狂人を病人として社会から疎外することに手をかす今日の精神病院批判という意味での反収容主義傾向。
    ↓
・共謀といっても、それが隠然たる相互作用(interaction)である以上、あくまで仮説にとどまり証明しにくい。
・仮に家族内での共謀因説が認められたとしても、家族という小サイズの集団内での暴力原理をただちに拡大して、家族という小集団での暴力原理をただちに拡大して、家族という小集団とは本来異質な、社会という大集団における、
しかもきわめて巨大な暴力現象を仮定するという方法は果たして妥当か。
・予後の良い非定型精神病では「旅路説」は適用しやすいが、正真正銘の分裂病者にも適用できるか。……

◆『集団精神療法の基礎用語』20030930 日本集団精神療法学会 監修,北西憲二、小谷英文 他 編集 金剛出版

 「スコットランドのグラスゴー生まれ。虐待する父と病弱な母の間に生まれた。
 Laing.R.D.は、幼い頃から恐怖や憤怒の感情から逃れるため、精神的な引きこもりを実践していたという。
 14才頃までに心理学、哲学、神学に関心を抱き、17才頃までにはヴォルテール、ダーウィン、ミル、ハックスレーをむさぼるように読み、ギリシャ語で哲学書を読みこなしていた。
 グラスゴー大学に進学後、医学を志し、精神分析に興味を持つようになる。
 1951年から56年まで、最初は軍用病院で、さらにグラスゴー王立病院の重症患者病棟の女性患者を対象に統合失調症を研究を始めた。
 この体験から、1960年『引き裂かれた自己』を出版、家族の中で統合失調症がつくられていくプロセスを描き、精神医学会に激しい論争を呼んだが、英国中でベストセラーとなった。
 その後、彼はロンドンのタビストック・クリニックのスタッフに加わり、Winnicott,D.WやKlein.M.らとともに分析に加わり、Esterson,A.との家族に関する共同研究を行い、『狂気と家族』(1963)、『経験の政治学』(1967)を次々と発表した。
 1965年、精神病治療の改革を目指すグループ、フィラルデルフィア協会のほかのメンバーと共同で、イースト・ロンドンのキングスリー・ホールで独自の治療活動を開始した。
それは、反精神医学の理論を実践するための治療共同体で、道を踏み迷い「狂った」人々が「社会からの十分な励ましと承認を得て、内なる空間と時間の中へ導かれる」ことによって快癒するという信念に基づくものであり、「人間崩壊を再び助長する工場」である精神病院に対するアンチテーゼでもあった。
 キングスリー・ホールでは、患者の著しい退行も許容され、看護師は退行した患者にオムツをあてがい、哺乳瓶でミルクを飲ませ、身体を拭いてやった。毎夜9時半になると、Laingによって取り仕切られるディナーが始まり、長いテーブルを囲んで、Laingが哲学、医学、宗教などについて説いたという。
 真夜中にはテーブルを取り払い、夜明けまで自由なダンスが繰り広げられた。
 キングスリー・ホールはロンドンの反体制文化活動の中心となり、若い反精神医学者たちだけではなく、ロック・グループ、実験的演劇グループ、画家、詩人、反体制派の学生など多くの有名・無名の人々の溜まり場となった。
 患者の中には、画家メアリー・バーンズのような有名患者も出てきた。
 しかし、テレビドラマや映画、演劇にもなり、時代の先端を行く文化的シンボルともてはやされたキングスレー・ホールも1971年には分解、LaingはCooper.D.やEsterson.Aらとも決別、Bark.J.とSchatzman.MもLaingと袂を分かって別の治療共同体アーバーズ協会を作ることになった。
 スリランカ、インド、日本へと長い旅に出たLaingは、70年代には政治的立場を捨て、ヨガ、菜食、新しい分娩様式の信奉者として文筆にいそしむ毎日となった。
 1989年、フランスの避暑地で新しい妻とテニス中に襲った心臓発作で彼は62年の生涯を閉じた。」(武井麻子)

◆19900309 「R・D・レインの死」(『レイン わが半生』解説),Laing[1985=1986→1990]*→中井[19950922:201-222]
*Laing, Ronald David 198509 Wisdom, Madness and Folly: The Making of a Psycoiatrist,McGraw-Hill,160p.=198608 中村 保男訳,『レイン わが半生――精神医学への道』,岩波書店→ 19900309 中村 保男 訳r,『レイン わが半生――精神医学への道』,岩波書店,同時代ライブラリー 13,321p.ISBN-10: 4002600130 ISBN-13:978-4002600130 \1155 [amazon][kinokuniya] ※→20020215 中村 保男 訳,『レイン わが半生――精神医学への道』,岩波書店,岩波現代文庫,332+vip.  ISBN-10: 4006000782 ISBN-13: 978-4006000783 \1100 [amazon][kinokuniya] ※ m.

 「<0209<
 英国陸軍の軍医精神医学は、何と患者に話しかけることを禁じていた。彼は、中尉という地位を利用してこれに逆らい、患者に語りかける。続く軍隊精神医療の「テントの中」的体験はレインの後の実験病棟キングズリ・ホールに通じているかもしれない。一見梁山伯のような雑駁な施設を運用できる実務能力は、しばしば軍隊経験が与えるものだ。除隊した彼はグラスゴーの王立精神病院に勤務し、院長と婦長の支持の下に十一人の患者を選んで最初の実験病棟を作っている。この成功が「わが生涯の最も感動的な体験であった」。一年半のうちに全員が退院したが、その一年後には全員が再入院していた*。これが、彼に分裂病の社会因説を示唆したのではないか。それまでの彼は、神経学と精神医学の統合のほうに賭けていた科学的青年医師だったのである。
  * サリヴァンは、すでに一九二〇年代に、精神病棟内の雰囲気の改善は退院後の社会との落差を大きくし、再入院率を高めることを指摘していた。

 レインの精神病恐怖はあとまで尾を引いていると思う。『ひき裂かれた自己』は、分裂病の破壊的な面を濃い陰影と恐怖感をもって描き、そのあまり、この病いの生命維持的・自然回復的な面が覆われている。精神医学の理論が患者にこびる羊頭狗肉的なものであってよいわけはないが、いたずらに患者(あるいは医師)を絶望させるのもよい医学理論ではない。「自己がバラバラになっている」とか「自己の死」とか言いっ放しにしてよいものだろうか。精神医学の理論はどこか患者を納得させ、患者のためになるようなものの方がよりいいと私は思う。<0210<
 実践的楽観主義とでもいうべきものが治療に必要であるとは、統計の示すところである。分裂病は治ると考えている医師の治癒率は、治らないと考えている医師の治癒率より確かに高い。おそらく、前者は好ましい芽を自説の確証と考え、悪化を一時的現象とみるであろう。後者は、逆に、改善を一時的現象とみるであろう。この違いが長期的には大きな差を生むとしても不思議ではない。
これは、神の存在に賭けるほうが利益が大きいと説いたパスカルの賭けと同じ論理である。 私にとってレインはむしろ僚友的な存在だが、同時にその毒によって精神科医あるいは患者が萎縮しないことを望んでいる。

  *

 ここまでの文章は、一九八九年夏のレインの死に際して、『朝日ジャーナル』誌より求められた「追悼文」である。このたび、レインの自伝の「解説」として再録することを求められたけれども、これはとうてい解説ではない。死の知らせを聞いて思いのさまようままをつらねたもので、決してレインの業績の解説になっていない。舌足らずであったところを補って、解説に代えて参考までに、ほぼ同時代の一精神科医の感慨を伝えるものとして掲載を承諾した次第である。多少の補足と事情説明を加えておきたい。
 レインの追悼のお鉢が私にまわってくるということ自体が、レインの置かれている現在の位置を雄弁に物語っている。もし、二十年前といわずとも、十年あまり前であったならば、追悼者にも解<0211<説者にも事欠かなかったであろう。
 なるほど、いかなる作家も、死後十乃至二十年はいったん忘却される。これを地獄の縁にある「リンボ」(「縁」という意味であるが)にはいったとフランスではいうそうである。しかし、レインは、生きながらにして忘れられたようにみえる。レインは少し長生きしすぎたのだろうか。六十一歳という年齢は、通常の意味では、そうではない。それでは、レインはもはや乗りこえられたのだろうか。あるいは、誤謬の淵に沈んでしまったのだろうか。レインはもう復活しないのだろうか。
 あるいはそうかもしれない。しかし、いかなる意味においてか。
 私はレインを「僚友」と書いた。これはどういう意味かときかれたことがある。これまで私はレインを口にしたことさえほとんどないからである。
 レインを精神病理学者としては評価するが、実践家としては評価しないという見かたがある。私の感じ方は、おおむね反対である。彼の著作は私には衝撃的でなかった。『ひき裂かれた自己』さえも。詩のいくらかをすこし面白いと思う。同時代のビートルズと照らしあうものがあるとも思うが、とうていビートルズに及ばない。詩にしても、その後の著作にしても、ひどく生焼けのままを投げ出す人だと思った*。それを好む人もあり、おのれに馴染まないと思う人もあるだろう。
  * 『ひき裂かれた自己』で一躍有名になった後のレイン家には出版社の人が押しかけ、まだ形をとっていない著作のためにどんと札束を積んだそうである(当時英図在住の精神科医S氏の話)。「これはいかん」と私は思った。

<0212<
 二十七歳の若書き『ひき裂かれた自己』は、本国の英国でも日本でも熱烈に歓迎された。不毛であった英国精神病理学に新進気鋭のスターが現れたと、多くの人は思った。そう、レインはスターであった。スターは回顧されても復活はしない。あるいは、スターとして出発したことにレインの不幸とはいわずとも不運があったのかもしれない。スターになった精神科医ははなはだ落ち着くまい。多くの患者を苦悩のままに置きながら、おのれのみが脚光を浴びることは、精神の不均衡を生むであろう。ことにレインはそういう人であったろう。その後の彼の彷徨は、この不均衡からの自己救済だけではないにしても、一般に患者でなく自己の救済を動機として生まれたのではないかと私は思う。彼は永遠の求道者であるという見かたをする人は、その面に光を当ててのことであろう。もっとも、私には、道を求める人というよりも、救いを模索する人に見える。しかし、彼が、ラカンのような「導師」でなかったことは、私にすれば彼の不名誉ではない。
 『ひき裂かれた自己』だけは、若書きの常として、野心的であり、自己承認を社会に迫る秀才青年の勉強の成果という一面を持つ。当時の英国精神医学の虚を突いたのである。大陸精神医学、アメリカ精神医学、その基礎をなす実存哲学、フロイトの思想――こういうものは、その後の英国精神医学が摂取したところのものである。また、現象学的視点、分裂病質論、自我心理学、対人関係論、家族精神医学――これらが『ひき裂かれた自己』にきらびやかに総合されている。これは、その後の平均的な折衷派的精神科医の頭に同居するようになった混合物の代表的構成物件である。まわりの精神科医を見回せばよい。 <0213<
 もちろん、衝撃力は多くの人にとって強いものであった。英国でも、この本によって精神科医になった人が多い、私もそうだと、彼地のある追悼文は述べる。わが国でも、一世代若い精神科医が、いかに熱っぽく、この本を手にして私に議論をしかけてきたことか(わが国ではDivided Selfを「分割された自己」でなく強調的に「ひき裂かれた自己」としたために、いっそう強烈な印象が生まれた)。そうであっても、精神分裂病患者といわれてきた人たち、あるいは分裂病質といわれる人たちから世界を見れば、特に対人世界を見れば、このように不安定であって、彼らの生きようとする努力が自己破壊に終わりがちなことを、多くの精神科医は、この本によって知った。精神科医が分裂病患者や分裂病質の人を、ひとごとでなく、わがこととして感じるような視点の変換である。ある友人は、レインを読んではじめて、分裂病を治療しようという勇気を持てたと語っている。もう一つ、レインの重要な読者には患者たちがいる。彼の著書によって患者ははじめて自己正当化の根拠を見出した。レインは患者の弁護士であった。いささか弁護の対象に過剰に自己同一化した弁護士であったとしても、そもそも患者の弁護士は少ないのである。
 私が、レインを「僚友」と表現したのには、目下精神医学界においてはなはだ不評であるレインのためにいささか挑発的言辞を弄したくなった気味があるけれども、レインが直面していたものと私が直面していたものとがおおむね同じであるという感覚である。
 彼自身が、相当の挑発者であった。彼は精神科医たちを、社会を、家族を怒らせようとしていた面がある。しかし、レインという現象は、精神医療の現実とかけはなれた絵空事ではない。私はレ<0214<インをその面で評価する。
 たとえば、患者は、社会の無意識の共謀によって精神分裂病になると彼は挑発した。今日では社会の条件のいかんによって「事例 case」として析出するかどうかが決まるという。
 病者は、精神科医、看護婦、その他その他によって患者に仕立て上げられると彼は挑発した。今日では病院環境、医療者の応対、家族の態度その他が病状を、予後を大いに決定するという。
 患者は家族のスケープゴートであると彼は挑発した。今日の家族研究は、患者を、家族という複雑な網の目の中で患者と指定された者という。家族精神医学では、患者といわず、IP(identified Patient 患者とされた者)というのである。
 彼は、患者と治療者の区別を撤廃し、挑発的な実験病棟――一種の避難所、共同体を作った。現在、治療共同体という概念が市民権を得、種々のアジールが、さまざまな名のもとに生まれている。
ヴォランティアが参加するようになった。
 精神分裂病は、より積極的な生への旅路であると彼は挑発した。この旅路が、一部に言われているような快いフーガからは程遠く、途中で力尽きる者が多いとしても、これは、病いの重要な意味づけであり、今日の伴侶的精神療法の概念は、何よりもまず、患者の病いの旅路の伴侶という意味であるはずである。
 彼は、症状は精神科医が作り出すものだといい、自分の患者はほとんど症状を語らないと挑発した。ロールシャッハ検査において、異常反応をよく出させる検査者とそうでない検査者とがあるよ<0215<うに、症状の意識化は治療関係によって左右される部分が予想外に大きい。そもそも、症状から生へと焦点を移動させることが、治療の成功の尺度である。
 精神分裂病は資本主義の所産だと彼は挑発した。私は歴史的にみて賛成しないが、産業革命以後であるという説がさまざまな論拠を挙げて存在しつづけている。
 結局、レインの毒は薄められた形で今日の精神医学にずいぶん取りこまれている。
 もし、人を、その最低点で評価すれば、レインを切り捨てることはやさしい。しかし、そのもっとも有意義な点を以て評価するならば、レインの出発した精神医療の現実は、ほぼ、われわれの出発した現実であり、私もそこから出発した。私のことはともかくとして、誰もまだレインを嘲笑できるほどには、この現実は解消していないと私は思う。また、レインの著作には、患者がレインをとおして語っているようなところがある。それは、精神医学が、多くの患者の現状を棚上げにして自己満足に陥らないための有用な毒であると私は思う。レインの肉体は地上を離れた。テニスコートでの突然死であったというから、いちおう幸福な死であろう。レイン個人についてはそうであるが、レインが地上に残した毒をもはや精神医学が必要としなくなっているかどうか。そうなる時には、レインは安んじて二度目の死を死ぬのであるまいか。」(中井[1986:210-216])

◆中井久夫 ★ 「ロナルド・D・レイン『ひき裂かれた自己』」,中井[★→20051124]
」*
*中井 久夫 20051124 『関与と観察』,みすず書房,333p. ISBN-10:4622071754 ISBN-13: 978-4622071754  2730 [amazon][kinokuniya] ※ m.
◆立岩 真也 2011/06/01 「社会派の行き先・8――連載 67」,『現代思想』39-8(2011-6):- 資料


UP: REV:20081101, 20090819, 20110511, 16, 0602, 14
精神障害/精神医療  ◇「反精神医学」  ◇WHO 

TOP HOME (http://www.arsvi.com)