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古賀 照男

こが・てるお
〜2003

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■著作

◆古賀 照男 19860315 「薬の神話の被害者として」,東大PRC企画委員会編[1986]*
*東大PRC企画委員会 編 19860315 『脳死――脳死とは何か?何が問題か?』,技術と人間,213p. ISBN-10: 4764500493 ISBN-13: 978-4764500495 1800 [amazon] ot.

◆スモン訴訟の確定判決を求める会 編 19910331 『スモン高裁判決は人権を断つ!! 1990・12・7スモン控訴審判決批判』スモン訴訟の確定判決を求める会,86p.

◆古賀 照男 19991101 「スモン被害者として」,浜・坂口・別府編[1999:66-67]*
 http://www.npojip.org/jip_semina/semina_no1/pdf/068-069.pdf
*浜 六郎・坂口 啓子・別府 宏圀 編 19991101 『くすりのチェックは命のチェック――第1回医薬ビジランスセミナー報告集』,医薬ビジランスセンターJIP,発売:日本評論者,479p. ISBN-10: 4535981698 ISBN-13: 978-4535981690 5000 [amazon] ※ b d07

◆古賀 照男・高山 俊雄(聞き手) 200003 「孤独と連帯――古賀照男・闘いの記」(インタビュー),『労働者住民医療』2000-3,4,5
 http://park12.wakwak.com/~tity/shadow/koga.htm

◆「古賀さんとスモンを語るつどい」実行委員会 編 20041017 『古賀さん追悼集』「古賀さんとスモンを語るつどい」実行委員会,44p.

■言及

◆「スモン被害者古賀照男さん逝く」
 2003年1月26日記
 http://www5b.biglobe.ne.jp/~senokiyo/chotto/030126.htm
 *以下全文を引用
 「1960年代から下痢止め薬キノホルムが原因で全国で推定3万人の患者をつくりだした、薬害スモン。一審で勝利したものの、国・製薬会社が控訴、高裁で訴訟団が和解に応じたあとも、たった一人、裁判を継続したのが古賀照男さんだった。「もう一度、田辺製薬の門前へ」の願い虚しく、京都伏見の病院で、23日の夜、帰らぬ人となった。
 古賀さんが、訴訟を継続したのは、田辺製薬が、スモンはウィルスが原因だと主張し続けたから。いったん、スモンとキノフォルムの因果関係をみとめ、和解に応じたにもかかわらず、4ヵ月後に撤回し、ずっとウィルス説を主張してきた。他の製薬会社も国も因果関係を認めている。
 京大ウィルス研究所助教授井上幸重助教授(当時)の唱えたスモンウィルス説は、「うつる」という差別から、百数十人の自殺者を生み出したといわれている。スモン被害者には、どうにも許せないウィルス説を唱える田辺製薬を、古賀さんは許さなかった。様々な事情で、和解に応じざるをえなかった人たちの想いを背負って、裁判を闘った。学説を否定されても、大学で、安穏と自説を発表し続ける、井上助教授や西部陽子助手への責任追及も、しびれる体をおして、闘っていた。
 しかし、東京高裁は、「古賀さんはスモンでない可能性がある」といい、古賀さん全面敗訴だった。スモンの原因については触れなかった。厚生省のスモン研究協議会が、スモン=キノフォルム説を明確にしているにもかかわらず。ひとり、和解に応じなかった、古賀さんへの報復なのであろうか。
 古賀さんの闘いは、今の日本の、無責任体質を告発している。副作用を隠して、薬を売り出す、製薬会社。副作用情報を知りながら、認可する国。誤った学説の責任をとらない研究者。
 古賀さんは、全国の、薬害・医療被害・公害被害者の支援活動を行っていた。身寄りのない古賀さんが入院してからも、支援者が支えていた。私も「人はいかに生きるべきか」を古賀さんの闘いのなかで学んだ。古賀さん、さようなら。ご冥福をお祈りします。」

◆「古賀さんの遺志を明日へ」
 2004年10月17日記
 http://www5b.biglobe.ne.jp/~senokiyo/chotto/041017.htm
 *以下全文を引用
 「薬害スモン患者でただ一人、最高裁まで争った、古賀照男さんを語る会に参加した。病に冒され、家族との関係もある、辛い状況の中で、スモン患者はほとんど製薬会社との和解の道を選んだ。
 古賀さんは、田辺製薬が「下痢止め薬キノフォルムはスモンの原因ではないが人道的見地から和解に応じる」とした態度を絶対に許せないと判決の道を選んだ。結果は、「古賀さんがスモンであるかどうか疑わしいため」敗訴。見せしめ的判決であった。
 古賀さんは、全国の公害や薬害の闘いの支援者として各地を回っていた。長靴と杖、そして古びたゼッケンがトレードマークだった。製薬会社・厚生省・裁判所に対して果敢に闘っていた。いつも辛口で私たちを励ましてくれていた。
 司会者からも古賀さんの遺志をついで、それそれが今取り組んでいることを話そうと呼びかけがあった。わが人生の師としての古賀さんの闘い続けた半生を思うと目頭が熱くなる。
 その後、荒川河川敷のおそうじに参加した。「ごみをこんなところに捨てるなよ!!」と言いたくなるマナーの悪さ。荒川クリーンエイドという、荒川上流から下流まで50箇所での取り組みである。
 荒川クリーンエイドホームページhttp://www.cleanaid.jp/
 さて、荒川区政のおそうじにも、取り組まねば・・・。

◆田中 百合子 20050810 『この命、つむぎつづけて』,毎日新聞社,238p. ISBN-10: 4620317365 ISBN-13: 978-4620317366 1470 [amazon][kinokuniya] ※ d07
 古賀照男さんのこと 93-98
 「もうひとり、忘れられない人がいる。古賀照男さんである。
 彼は、神奈川県のスモンの会会員だった。いつも茶色のビニールの長靴を履いて、クラッチという肘まである松葉杖をカチャンカチャンと鳴らして歩いていた。
 胸と背中には「薬害根絶」という文字があった。汚れた布にいつ書かれたか分からないような手書きの字だった。いつも同じようなジャンパー姿だった。「それでよー、おまえよー、何考えてるんだ、しっかりしろ」というような、言葉使いは乱暴だったが優しい心根をもった人だった。
 東京地裁の裁判が和解に向けて怒涛のように動いていったとき[…]いつもわたしと行動をともにしてくれた。
 自分たちの弁護団のところへ何度も話し合いに行った。話し合ってもちらがあかないため、新<0094<しい弁護団をつくることができるかどうかを模索するため、2人で歩き回った。あちらの弁護士、こちらの弁護士、ほんのちょっとの知り合いにも紹介してもらって、とにかく歩いた。[…]しかし前にも述べたように、社会的な地位のある弁護団を解任して新しい弁護団をつくることは、もうここに至ってはできななかった。しかし、たった1人の弁護士だけが、第一次判決のときにわたしたちを助けてくれた。
 その後しばらくして、わたしたちの原告団は頑張ってはみたが判決を求めていくことができず、和解へと追い込まれていったのは、先述したとおりである。
 ところがこのとき、古賀さんともう1人の原告だけは絶対に和解しないと言った。わたしたち判決派の原告団では、決して和解を強要することはしまいと申し合わせていたので、古賀さんにはできるだけ協力することにした。
 とは言っても体力、気力の限界まで頑張った後に和解したわれわれだったので、古賀さんの闘いにおいて、わたしたちにできることは限られていた。[…]<0095<
 […]
 わたしたちスモンの原告団は、古賀さんの仲間だったはずであったが、時々のカンパを別にすれば、古賀さんと行動をともにできた者は結局いなかった。
 古賀さんは、強烈な個性の持ち主であった。彼は、自分だけを残して和解してしまったわたしたち原告団に対して、表面上はともかく、心の中に怒りを秘めていた。裁判にも負け、奥さんを失い、古賀さんの心で燃えるのは怒りのともしびだけだったかもしれない。古賀さんは、私たち昔の仲間に電話をかけては、怒りをぶつけた。
 わたしたちは、古賀さんに愛情をもっている仲間であり、古賀さんの気持ちは十分理解できると思ってはいたのだが、古賀さんに鋭く批判され、怒りをぶつけられたとき、体の具合が悪いわたしたちは、寛容の心をもってそれを聞き、ともに闘うということができなかった。
 私も電話をもらい、あまりに理不尽なことを言われて大げんかをしたことがある。同じ病で死ぬか生きるかのときに、こちらも古賀さんのわがままをわがままとして受け止め続けることができなった。
 古賀さんは私たちを見放した。古賀さんは、自分の怒りを受け止めてともに闘ってくれる仲間と田辺に対する抗議行動を続けた。」(田中[2005:94-96])

◆山田 真 20050725 『闘う小児科医――ワハハ先生の青春』,ジャパンマシニスト社 ,216p.  ISBN-10: 4880491241 ISBN-13: 978-4880491240 1890 [amazon] ※ b
 「被害者のなかで、ぼくたち「支援する医者」にも鋭く批判をするのは古賀照男さんくらいでした。古賀さんはスモンの患者さんでしたが、病気になる前は労働者で、病気になった後で加害者である「田辺製薬」を追求(ママ)するときも作業衣のままだったりしました。二〇〇三年に亡くなられましたが、最後まで製薬会社の追求(ママ)をやめず、その姿勢にぼくは深く感動し、また多くのものを教えられたと思っています。
 […]<0242<[…]
 古賀さんの闘いでは古賀さんが主役で、医者も黒衣にすぎませんでしたから、スッキリした気持ちでかかわることができましたし、古賀さんの言葉からあらためて日本の医療の問題点を見直すことにもなったりしました。
 しかし、被害者の人たちと医者とがこんな関係になれるのはめずらしいことで、医者が医療被害者運動の先頭に立ってしまうこともしばしばあったのです。」(山田[2005:242-243])

◆2007/12/23 山田真に聞く
 於:立命館大学衣笠キャンパス・創思館403.40 15:30〜
 山田 真立岩 真也(聞き手)→参考資料
 記録  山田「裁判でもね、スモンの裁判最後までやった古賀(照男)さん★っていう人がいて、古賀さんなんかがやった裁判っていうのは、ほんとに、自分の意見を押し通してやる人だったから、あれは被害者自身の裁判だったと思うけれども。ほとんどそういうものはやっぱりなかったし、それぞれが、要するに弁護士が自分の利害も含めて、引くべきか進むべきか考えて、それでやめたり、進めたりしてたようなところがあるっていうか。」

◆古賀さんの文集を作る会・編『ついのすみか』について
 http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000028640

◆立岩 真也 2008/**/** 「争いと争いの研究について」,『不和に就て』,生存学研究センター報告3

◆立岩 真也 2008/10/01 「争いと償い――身体の現代・4」,『みすず』50-10(2008-10 no.565):- 資料,

◆稲場 雅紀・山田 真・立岩 真也 2008/11/** 『流儀』,生活書院

『流儀』 (Ways)表紙

 「山田:裁判でもね、スモンの裁判最後までやった古賀さんっていう人がいて、古賀さんなんかがやった裁判っていうのは、ほんとに、自分の意見を押し通してやる人だったから、あれは被害者自身の裁判だったと思うけれども。ほとんどそういうものはやっぱりなかったし、それぞれが、要するに弁護士が自分の利害も含めて、引くべきか進むべきか考えて、それでやめたり、進めたりしてたようなところがあるっていうか。それは今もC型肝炎でもなんとなく垣間見れるところがあるよね。なんか被害者の思いと弁護士はなんとなく取引してるような感じがあるんだけれども。」
 「立岩:[…]けっこう個別に違うと思うんだけど。確かに医者は一本気にこれは正しいんだろうと言う傾向ってあるのかなって気はする。弁護士は、落としどころっていうか、取るもんとらにゃって思う。そこまではわかるんですよ。そうすると、医療サイドにしても法律サイドにしても、あるいはそうじゃなくて、患者というか本人の側が主導権っていうか、持つ場合とね、一般論で語れないことなのかもしれないけれども、どういうふうに裁判なら裁判、あるいは裁判の闘い方の形態っていうのが変わってくるものなのだろうか。それどうなんですか?
 当事者にとっては、裁判ずっとやってるの待ってたら「俺死ぬかもしれない」っていうのあるじゃないですか。でも適当なとこで和解になったら悔しいっていうのもあるじゃないですか。本人自身が裂かれているっていうか、両方の望みがあると思うんですね。で、そうしたときにね、その本人の中でも、和解でいくのか、最後までいくのかって、分かれる部分がある。で、いろんな人たちが引っ張っていく中で、どっちの方に傾きがちっていうか、傾いちゃうことになるのか。そういうことっていうのは、今までのことでいかがですか?
 山田:僕が関わった範囲で言えば、大きな社会的な事故じゃなくて、医療事故なんかによる個別の事故っていえば、被害者は、実際は、金を請求するっていうかたちでしか裁判できないから、金で請求してるけど、金いくらもらったってすむ話じゃなくて、要するに、手をついて謝ってほしいとかなんかっていうことで始まるわけだよね。でもほとんど手をついて謝ってもらえる光景には出会えない。示談である程度のお金が出ることはあっても。
 だからほんとに裁判なんて悲惨なもんで、僕らが証言で出ててもそうだけども、被告だってほとんど出てこない。全部代理人で、代理人同士で終わってしまって、それで、原告出てきても被告にもいっぺんも会えないままで終わってしまうとかっていうことがよくあって。そこらへんがやっぱりなかなかで。そうするとね、たとえば、弁護士の利害から言えば、謝ってもらったってしょうがないっていうか、実質的に取るもの取らないとしょうがないわけだから。確かに、お金を払わないでただ謝るっていうふうなかたちになることも、まぁありえないといえばありえないから、しょうがないんだけれども。とにかくやっぱりその患者さんの思いっていうのが、その裁判やなんかやってると早い段階で抑えられてしまって、裁判はこういうもんだからこういうふうになるんだよって言われて、なんとなく納得できないまんまに裁判が終わるっていうことが多いという感じはする。それはやっぱり、僕らがその証人として出たりしてみててもそういうところがあるよね。やっぱり食い足らないっていうか、もっとやっぱり本質的に問わなきゃならない問題があったりするのに、やっぱりそこを弁護士がきちんと掘り下げるってことをしてないから。
 Aさん:ちょっといいですか。その医療者と弁護士が主導するかたちでの告発っていうか運動を見て、その、ある意味で、積極的な意味でその主導権を被害者の方に譲り渡していくようなプランというか、案っていうのは考えられたことはありますか?
 山田:患者さんが非常に強くてっていう。強くて、弁護士や医者はついていくしかないみたいなかたちになったことっていうのが、それが滅多にないけれども、たとえば、そのスモンの古賀さんなんかはそうだったと。
 Aさん:ある意味強い患者さんっていうのがいないと、そういうことにはあんまりなりがたいってことですよね。
 山田:そうだよね。水俣なんかはかなり患者さんが前面に出られる運動だったと思う。それはやっぱり、最初にチッソで出てきたときに、その裁判が主たる運動はなくて直接行動を一緒にするっていうことにして、裁判を後ろにやったわけだから、そこからやっぱり患者さんがある程度主導権をにぎって運動をやれるっていうことになった。
 立岩:近ごろ出ている話としては、裁判ってのはそもそもそういうもんで、いろいろ工夫してもそうでしかないから、裁判外のプロセスっていうか仕掛けっていうのを作りましょうかみたいな話はボツボツとあります。僕もそれもありかなと思いつつ、でも裁判は裁判でやらざるをえない…。
 山田:水俣ぐらいに直接行動強いものをやればね、それと平行するかたちで裁判が意味を持つことはあると思うよね。だけど裁判だけということだったら、裁判よりも直接行動の方が。たとえばひどい医者に医療ミスさせられたなんていうんだったら、裁判しても、被告出てこないからなんともないけど、病院の前で毎日ビラまきをしたりする方が有効だって感じだよね。」

◆立岩 真也 2018 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社

■写真

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UP:20071229 REV:20080825, 0902, 20140218, 20181003, 20200222, 0811, 16
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