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鎌田 竹司
かまた・たけし
http://www.isn.ne.jp/~kamata/


・宮城県
日本ALS宮城県支部

・199312  ALSの告知
・19960622 日本ALS宮城県支部結成・支部長に就任
・19971017 気管切開
・19971027 人工呼吸器装着
・20020512 ありのまま自立奨励賞受賞
・20030525 逝去


*坂爪さんより

Date: Sun, 21 Mar 2004 23:50:05 +0900
Subject: [maee:1805] 鎌田竹司さんのHP復元

皆様、こんばんは。仙台の坂爪です。

 しばらくアクセス不能の状態にあった鎌田竹司さんのHPを復元しま
した。下記の3パートから構成されています。

難病ALSを越えて
URL: http://www5d.biglobe.ne.jp/~comenble/kamatahp/kamata/
管理者アドレス: our_kamata@mse.biglobe.ne.jp

日本ALS協会宮城県支部
URL: http://www5d.biglobe.ne.jp/~comenble/kamatahp/mals/
管理者アドレス: mals@mva.biglobe.ne.jp

宮崎町エトセトラ
URL: http://www5d.biglobe.ne.jp/~comenble/kamatahp/miyazaki/
管理者アドレス: our_kamata@mse.biglobe.ne.jp

 鎌田さんのWWWサーバからダウンロードしたものではなく、鎌田さんの
パソコンのデータから再構築したHPなので、必ずしも忠実に復元されて
いるとは言えません。事実、記憶に残っているHPと何となく違うよう
な印象を受ける箇所も幾つか散見されますが、どうぞご容赦下さい。
 なお、アクセスカウンターや掲示板等は全て不活性にしてあります。
 何かおかしな箇所がありましたら、それぞれの管理者アドレス、或いは
坂爪までご連絡戴ければ幸いです。

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坂爪 新一
[ http://www.ne.jp/asahi/miyagi/comenable/ ]
*=========*=========*=========*=========*=========*

 

■「あすを耕す――難病ALSとの8年」
 『読売新聞』
「不自由」進む中、新規農法(2000.7.4)
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/renai/20000704sr11.htm
人工呼吸器つける決断(2000.7.5)
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/renai/20000705sr11.htm
発声装置で生きる喜び(2000.7.6)
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/renai/20000706sr11.htm
「在宅」支える家族の献身(2000.7.7)
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/renai/20000707sr11.htm
パソコンで世界広がる(2000.7.8)
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/renai/20000708sr11.htm


◆「「不自由」進む中、新規農法――病気に関する情報集め、患者団体も結成」
 『読売新聞』2000年7月4日
 http://www.yomiuri.co.jp/iryou/renai/20000704sr11.htm

 水田のあぜで、アイガモのひな数十羽が体を寄せ合い、ピーピー鳴いている。青空が広がった6月上旬。米どころ、宮城県宮崎町の農業鎌田竹司(たけし)さん(49)の水田で、ひなは元気に泳ぎ始めた。
 カモを放し飼いにして雑草の繁殖を防ぎ、無農薬の米を作る「アイガモ農法」に取り組んで7年。名刺には「宮崎町あいがも稲作生産組合長」の肩書がある。もう一つは「日本ALS協会宮城県支部長」だ。
 ALSは「筋委縮性側索硬化症」という進行性の難病の略。神経細胞が侵され、筋肉を動かす力が徐々に失われる。進行すれば食事や会話などの日常動作が難しくなり、自発呼吸もできなくなる。鎌田さんも全身のまひが進み、外出にも車いすでの介助が必要だ。
 10万人中4人前後が発病し、国内患者は約4500人。決め手となる治療法は、まだない。
 鎌田さんは、中学校の同級生だった幸子さん(50)と22歳で結婚、婿に入った。土木会社を共同経営しながら農業を営み、93年春にアイガモ農法を始めた。「食管制度が変わるし、ほかの人と同じことをやっていたのではだめ」。生来のチャレンジ精神で、未知の農法に取り組んだ。
 体の異変を感じたのも、そのころだった。92年7月、中学生だった二女(21)の学校行事で登山に参加した後、足の筋肉痛が半年も取れない。
 「腰痛が悪化したかな」と思ったが、次第に悪くなる。翌年暮れ、仙台市の病院で、「筋肉の老化が早い病気」と説明された。本人は「深刻さは全然なかった」が、別室に呼ばれた幸子さんは、「あと3年ぐらいの命。手術も特効薬もない」と告げられた。
 自宅療養となり、足を引きずりながらも農作業をこなし、95年4月、仲間8人とアイガモ農法の組合を作った。
 「病気から逃げてはいけない」と、情報収集も始めた。患者団体の日本ALS協会(本部・東京、松本茂会長)から、仙台市の和川次男さん(50)が協会支部の結成準備を進めていると聞き、会いに行った。
 和川さんは人工呼吸器をつけ、声が出ないため、文字盤で意思疎通をする。24時間介護も欠かせない。「自分もいずれこうなるのか」。初めて厳しい現実を突き付けられた。
 「待っていても何も変わらない。自分たちが声をあげよう」。二人が中心になり支部を結成、鎌田さんが支部長に就いた。
 アイガモ農法が軌道に乗るのとは逆に、体の自由は奪われていった。96年秋、収穫の際、長男に抱えてもらってコンバインに乗った。これが最後の稲刈りになった。
 「30年以上続けていたことができなくなるのはショックだった」。だが、作業は妻と仲間に頼み、販路の開拓など「頭を使う仕事を引き受けよう」と気持ちを切り替えた。
 鎌田さんにはさらに大きな目標があった。毎年、全国持ち回りで開かれている「全国合鴨(あいがも)フォーラム」を地元宮崎町で開くこと。「体が動くうちに、自分の生きている証拠を残したい」との思いからだった。(石塚 人生)

 <関連情報>
 ◆日本ALS協会
 〒162−0837
 東京都新宿区納戸町7−103
 電話=03−3267−6942

◆「人工呼吸器つける決断」
 『読売新聞』2000年7月5日
 http://www.yomiuri.co.jp/iryou/renai/20000705sr11.htm

 「病気で自分一人では農業をできなくなり、かえって日本の農業の状況がよく見える。川の上流に住む農家として、環境を考えた農業をしなければ」
 97年3月、宮城県宮崎町で開かれた「全国合鴨(あいがも)フォーラム」。アイガモを水田に放って無農薬米を生産する農家らが集まった。車いすで演壇に登った鎌田竹司さん(49)は、地元で開催にこぎつけた感激を胸に、600人の聴衆に呼びかけた。壇上で、作家の井上ひさしさんも耳を傾けた。
 全身の筋力が失われる筋委縮性側索硬化症(ALS)を発病した鎌田さんは、フォーラム実行委員長として、不自由な体で準備に奔走、大会は成功した。
 だが病状は進み、間もなく深刻な決断を迫られた。筋力の衰えは呼吸器に及び、夜中に息苦しくなって何度か病院に運ばれた。人工呼吸器をつけるか、呼吸器を拒否し尊厳をもって死を迎えるか――。ALS患者の多くが直面する岐路だった。
 患者のうち、人工呼吸器が必要な重症例で、実際に呼吸器をつける人は6割程度に過ぎない。4割が装着しないのは、一日中、目が離せない呼吸管理など、介護の負担が大きい家族への配慮や、長期入院できる病院が少ないためとみられる。
 確たる治療法がないという事情も大きい。
 ALSは、脳や脊髄(せきずい)の神経細胞を興奮させる物質、グルタミン酸が過剰に放出され、神経細胞が破壊されることが原因とみられている。この物質の放出を抑える初の治療薬「リルゾール」が昨年3月、発売された。
 欧米で、病気の初期では呼吸器のまひを遅らせる効果が認められたが、国内の臨床試験では顕著な効果は見られなかった。患者の半数近い2000人以上が使用しているとされるが、重症者では効果が期待できない。
 「呼吸器装着をいつ、どう告げるかも難しい」と、北里大学東病院助教授の斎藤豊和さん(57)(神経内科)は言う。同病院では告知に積極的だが、呼吸器をつける患者はむしろ減っている。「治る見込みのない病気の実態を知るほど、装着を断る患者が出てくるのは仕方がない面がある」と話す。
 だが鎌田さんは、93年に始めたアイガモ農法が軌道に乗りだしたばかり。「体が動かなくても、もっと生きたい」
 妻の幸子さん(50)も「自ら死にたいと思う患者がいるだろうか。太っている人もやせている人もいるように、呼吸器をつけて生きる人がいるだけ。どんな姿でも、夫は夫」という考えだった。
 主治医からも「農業を続けるためにも早く呼吸器をつけましょう」と励まされ、97年10月、人工呼吸器をつけた。
 そんな鎌田さんに今年1月、仙台市の男性患者(38)の妻から、ショッキングな手紙が届いた。本人は呼吸器を拒んで亡くなり、「短い人生でも、数々の貴重な体験をさせていただいた」と、妻に託した辞世の言葉がつづられていた。
 この男性とは闘病の心構えを話したことがあり、「家族に迷惑をかけたくない一心だったんだろう」と心情を思いやる。
 人工呼吸器で命をつなぐことができる反面、のどを切開するため、声が出なくなる。患者仲間が発明した装置の力を借りることになった。

 〈関連情報〉
 ◆北里大 東病院
 〒228−8520
 神奈川県相模原市麻溝台2−1−1
 電話=042−748−9111

◆「発声装置で生きる喜び」
 『読売新聞』2000年7月6日
 http://www.yomiuri.co.jp/iryou/renai/20000706sr11.htm

 「ああ、声が出る」。思ったより楽だった。気管を切開して35日目。宮城県宮崎町の農業鎌田竹司さん(49)は、自宅で初めて音声発生装置を装着し、表情がほころんだ。
 全身の運動能力が失われる筋委縮性側索硬化症(ALS)の進行で、97年10月、自発呼吸が困難になり、人工呼吸器をつけた。のどの前面に穴を開ける気管切開手術が必要だったため、声が出なくなった。
 音声発生装置で戻った声は、やや小さく、少しかすれた感じがあるが、家族と自分の気持ちを軽くした。「自分の意思を口で伝えられるって、なんて素晴らしいことだろう」
 この装置は「スピーキングコンプレッション」と呼ばれ、千葉県船橋市のALS患者、水野靖也さん(60)が発明した。水野さんも人工呼吸器で声を失ったが、ポンプの技術者だった経験を生かし、妻に指示しながら開発した。
 のどに挿入してある人工呼吸器用のチューブのわきに、空気圧縮機からのホースをつないで空気を送り、声帯を震わせて声を出す。筋ジストロフィーやせき髄損傷など人工呼吸器を装着する人なら使用できるが、すべての人がつけられるわけでなく、病状が進むと使えない。
 鎌田さんは96年、自作の装置をつけた水野さんに出会い、前向きな生き方に励まされたという。「この装置を知らなければ、人工呼吸器をつけて生きる気持ちにならなかったかもしれない」と振り返る。
 アイガモを使った無農薬米の生産に取り組む鎌田さんは98年2月、岡山市で開かれた「全国合鴨(あいがも)フォーラム」に招かれた。人工呼吸器装着後、初めての外出で、飛行機にも乗った。
 「もう何も出来ないとあきらめるのではなく、今何が出来るか考え生きていきたい」。音声発生装置をつけて30分間、講演し、体は動かなくても、頭を使って農業に参加できることを訴えた。懇親会で全国のアイガモ農法の仲間とも語り合った。
 鎌田さんは現在も米の販売交渉や、ALS患者の集まりなどに月2回は外出する。人工呼吸器の故障に備え、携帯用呼吸器、バッテリーや手動ポンプなども持ち歩かねばならないため、外出は手間がかかる。介助に二人は必要で、ふだんは妻の幸子さん(50)が付き添い、長男の裕充(ひろみち)さん(27)が車の運転を引き受ける。
 日本ALS協会の昨年の調査によると、人工呼吸器を使って在宅療養する会員の患者44人のうち、41人(93%)が一日中ベッドの上で過ごし、半数は1度も外出したことがなかった。
 国立療養所山形病院院長の木村格(いたる)さん(55)は「意思疎通が難しいことなどから外出に気後れするうえ、障害を持つ人のための設備も整っていない。社会基盤が整備されれば、人工呼吸器をつけて生きる人は増えるはず」と強調する。
 鎌田さんの発病後、ぱたりと家に来なくなった友人もいるが、今までと変わらず家に上がり込んで何時間も話しこむ人もいる。これも音声発生装置のおかげと感謝しながら、「病気になって人の優しさを改めて知った。悪いことばかりじゃない」と感じている。

 〈関連情報〉
 ◆国立療養所 山形病院
  〒990−0876
  山形市行才126−2
  電話=023−689−5566

◆「「在宅」支える家族の献身――行政、医療側の支援体制の充実急務」
 『読売新聞』2000-7-7
 http://www.yomiuri.co.jp/iryou/renai/20000707sr11.htm

 「居間にビニールシートが敷かれ、浴槽が運びこまれた。毎週金曜日の午前9時。宮城県宮崎町の農業鎌田竹司さん(49)方には、訪問入浴サービスを行う民間業者のスタッフ4人が車でやって来る。
 鎌田さんは、スタッフに抱えられ浴槽に入る。「金曜日を待ちわびてるんですよ」と気持ち良さそうに目を閉じた。
 進行性の難病、筋委縮性側索硬化症(ALS)で、体が動かず、人工呼吸器を装着。のどにたまったたんを頻繁に吸引するなど、常にだれかが介助する必要がある。一家5人のうち、妻の幸子さん(50)と二女の幸さん(21)が中心になって介護するが、入浴までは難しい。
 鎌田さんは4月に始まった介護保険で、最も手厚い介護が受けられる「要介護5」と認定された。訪問入浴のほか、訪問看護婦が週3回、ヘルパーが週2回来る。火、木曜日と週末は家族だけで介護する。
 重度ALS患者のうち、在宅療養する人は約半数。国立療養所山形病院長の木村格さん(55)は「入院しても確かな治療がない。家で家族と過ごした方が心の安定にもなる」と話す。
 しかし重度患者の介護は1日18時間以上に及ぶといわれ、介護者も3人は必要。これまで夜間も対応する民間の訪問看護婦と契約するなどで、月数十万円の負担を強いられる患者も少なくなかった。
 介護保険導入で、負担が軽くなった患者もいる。だが、24時間の介護体制が整備されている地域は少なく、介護保険ですべてを賄えるわけではない。
 鎌田さんの場合、これまで町の事業でヘルパー派遣を無料で利用でき、夜間は家族だけでみているため、介護費用の自己負担は月約2万円だった。介護保険により、訪問入浴の負担額が減った反面、ヘルパー派遣は一部負担が必要になり、出費を増やさないよう、ヘルパー利用は週3回から2回に減らした。
 幸子さんは「今は家族中心に介護できますが、年を取った時を思うと不安もあります」と言う。
 医療側も支援に向け、動き始めた。宮城県内の医師や患者団体、行政などでつくる宮城県神経難病医療連絡協議会(会長=糸山泰人・東北大教授)は今年4月から、鎌田さんら人工呼吸器を使って在宅療養する患者10人に、療育手帳「さぽーと」を配布した。治療歴や使っている薬、人工呼吸器の型などが記され、どんな処置が必要かが分かるようになっている。
 97年10月には、厚生省研究班が中心になり、インターネット上に「ALS全国医療情報ネットワーク」(http://www.nanbyou.or.jp/nanbyou/2als-net/)を設立、入院、治療を受けられる350医療機関のリストを公表している。
 だが、現実にはALS患者が長期入院できる病院は限られている。確実な治療法がなく、診療報酬上の“うまみ”がないことも一因と指摘される。
 その意味でも在宅療養は重要だが、介護の支援体制が欠かせない。鎌田さんは「こういう病気だからこそ、制度の充実を訴えていきたい」と言う。」

◆「パソコンで世界広がる――ホームページ開設、メールも日々交換」
 『読売新聞』2000年7月8日
 http://www.yomiuri.co.jp/iryou/renai/20000708sr11.htm

 全身の筋力が衰える筋委縮性側索硬化症(ALS)で、自宅療養を続けている宮城県宮崎町の農業鎌田竹司さん(49)宅に、昨年9月、看護婦を志す若者たちがやってきた。浦和市の千々和(ちぢわ)香織さん(21)ら看護短大の約10人だ。
 「遠いところをよく来てくれましたね」。人工呼吸器をつけたため、音声発生装置の助けで声を出す鎌田さんが出迎えた。
 日ごろボランティアでALS患者を在宅介護する研究会で活動する千々和さんたちも、予想以上に元気そうな鎌田さんの様子に驚いた。早速、日常生活について質問したり、学校での失敗談を披露したりと、華やかな笑い声が広がった。
 鎌田さんが千々和さんと出会ったのは、インターネットを通じてだった。千々和さんがALS情報のホームページに、人工呼吸に必要なたん吸引機について、電子メールで質問を出したのを見て、鎌田さんが返事を出した。以来、音声発生装置などの使い心地についての質問や、看護についての悩みの相談にも答えてきた。
 昨秋、看護婦資格を取得し、大学で在宅看護の勉強を続ける千々和さんは「鎌田さんと出会えたおかげで、将来の目標も見えてきた」と感謝する。
 鎌田さんは「寝たきりでも、インターネットを通して多くの人と知り合えるし、親しい友人になることもある。パソコンは私の世界を広げる大切な道具」と言う。
 鎌田さんは自ら闘病の様子やALSの詳しい情報を盛り込んだホームページ(http://www.isn.ne.jp/~kamata/)を開設していることもあって、30本ものメールが来る日もある。毎日8時間から10時間はパソコンに向かう。
 パソコンを操作する時は、障害者用の腕を支える装置で左ひじをつり上げ、わずかに数センチ動く左手にマウス(入力装置)を持つ。動かない指に代わり、センサーにつないだ金属棒を唇で押し、マウスのボタンを操作。1分間に30文字程度の早さで文章を書くことができる。
 障害者、難病患者が利用できる電子機器の発達は目覚ましい。わずかでも動くあごやまゆなどにつけた磁気センサーの動きを機器が読み取り、特殊ソフトで文書を作ったり、テレビ、エアコンをリモコン操作するものもある。重度の在宅ALS患者の利用者も多い。
 東京都立神経病院副院長の林秀明さん(56)は「ALSは展望のない病気と考えられてきたが、様々な機器の発達で、生きがいを持ち広く社会とつながって生活できるようになっている。コンピューターの貢献は大きい」と言う。
 鎌田さんは今、12月にデンマークで開かれるALS世界大会への出席を楽しみにしている。実現すれば、人工呼吸器をつけた重度の患者が参加するのは初めて。呼吸器をつけた患者が10時間以上、飛行機に乗った例もほとんどなく、航空会社などと交渉を進めている。
 「不安はある。でも与えられた命を楽しく生きたい」。未知のアイガモ農法を独学で始めたように、あすに向かう姿勢は難病を抱えていても変わらない。」(石塚 人生)

 <関連情報>
 ◆東京都立神経病院
  〒183−0042
  東京都府中市武蔵台2−6−1
  電話=042−323−5110

 

◆2003/07/11

Date: Thu, 3 Jul 2003 16:38:11 +0900
Subject: [maee:1095] 放映再試行


こんにちは。仙台の坂爪です。

 先日、「[maee:1053] おねがい」にて、5月31日のALS総会インターネット
ライブ放映を「見れなかった」方はどのくらいいらっしゃるかをお尋ねしたところ、
10数名の方々から「見れなかった」とのご連絡を戴きました。ご協力に感謝申し
上げると共に、深甚なる遺憾の意を表させて戴きます。申し訳ございませんでした。
 その後「見れなかった」原因を調査致しまして、どうも私のソフト設定に手落ち
があったのではないかと思われ、益々恐懼致しておるところでございます。
 そこで リベンジ (^_-)
 下記の要領で再度インターネット放映を試みようと思います。もし時間がありま
したら、あまり鮮明な映像ではないのですが、ご覧戴ければ幸いです。

 日時: 7月11日(金) 16:00頃〜17:00頃
 内容: 宮城TVが5月28日に放映した故鎌田竹司さんの追悼番組(7分ほど)と、
     同じく宮城TVが6月6日に放映した鎌田夫人の「合鴨農法米作り」(5分
ほど)を、1時間の間に繰り返し放映します。
      また、こちらの準備作業を15:00過ぎから始めるのですが、できるだけ
     早く映像が流れるように努めますので、まあ15:30頃には繋がっていると
     思います(希望的観測?)。なので、15:30頃にアクセスしてみて戴けませ
     んでしょうか。この16:00頃までの準備作業の間、「仙台の和川さんの
     「いのちの言葉」(NHKスペシャル)」を流しています。ただし、この放映
     は準備のためですから、途中で映像がブチンブチンと切れることがあり
     ますのでご了承下さい。
 アクセス方法: 総会ではありませんが、前回の総会へのアクセス方法を、変更を
     加えずにそのまま踏襲致します。下記のホームページをご覧下さい。

    http://www.ne.jp/asahi/miyagi/comenable/soukai/

 備考:
 1.当日問題がありましたら、022-378-7288まで電話を下さい。
 2.東北福祉大の通信教育用ネットワークに間借りしていますので、回線が混み
   合って一時的に受信側(つまり皆様側)でRealPlayerの接続が切れることがあ
   りますが、その際は慌てず騒がず再接続すれば、引き続き放映をご覧戴けます。

 それでは宜しくお願い致します。


◆2003/01/26日
 日本テレビ系列 NNNドキュメント' 03”「コメと難病とパソコンと」
 深夜0時25分〜55分(27日未明) ナレーター:斉藤慶子
 http://www.ntv.co.jp/document/

 http://www.isn.ne.jp/~kamata/

 *鎌田さんによるホームページの紹介

 「平成5年12月にドクターよりALSと告知。その年より取り組んだ米の無農薬
 栽培合鴨農法に生きがいを求め5年,とうとう平成9年10月27日人工呼吸器装着,
 11月5日家族に感謝しての山奥での在宅療養が始まる。人工呼吸器装着後4ケ月
 目の2月5日に初めての外出が飛行機で岡山へ2泊3日,4月東京へ1泊2日,
 6月に車で3泊4日山梨へと動き回っています。
  人工呼吸器装着しているといかにも重病人に見えますが至って本人は元気なん
 です。問題は1人で生きていけないので24時間介護が必要な事です。多くの人に
 ALSを理解して頂きたくホームページを作成しました。おまけのページに方言
 集や車いすで泊まれるページも有ります。」

199312  ALSの告知
19971017 気管切開
19971027 人工呼吸器装着


 

■呼吸器を付けても話が出来る。
 http://www.isn.ne.jp/~kamata/myroom/kokuti.html#え

 *鎌田さんのホームページより。
 http://www.isn.ne.jp/~kamata/
 ぜひ直接鎌田さんのページをご覧ください。

 「私は42才で発病しました。平成9年10月17日気管切開をし27日に人工呼吸器の世話になりました。それ以来,私は24時間介護を受ける在宅患者です。私は目も見えて,耳も聞こえ,知覚,痛覚もあります。ただ,運動神経が侵されていますから,私は動けませんし,もちろん声も出なくなりますが、私は,小型コンプレッサー(スピーキングコップレッション)を使って声を出しています。平成7年日本ALS協会総会の時千葉支部のALS患者水野さんが呼吸器を付けていたがスピーキングコップレッションを使い肉声で話をしているのを見て私も気管切開の時は、これを付けようと思っていました。気管切開35日後にスピーキングコップレッションを導入し肉声を取り戻し現在は声は低いが日常会話が出来ています。
 スピーキングコップレッションを使い発声するには、気管カニューレの問題もあります。「ポーカレイド」を使用します。これはカフの上に開口部のある細いい管があります。ここからスピーキングコップレッションで空気を入れると空気が声帯を通りますので話ができるわけです。
 このポーカレイド・カニューレはかなり嚥下困難が強くても食事が口から食べられることです。つまり、カフを十分膨らましておくと、口から摂ったものが気管の方に誤嚥されても吸引できるからです。ポーカレイドは、発声によし、嚥下によし、また喉頭洗浄が可能と、利点があります。
 スピーキングコップレッションで出来ることうがい空気が送れられているのでガラガラと気持ちよくうがいが出来ます。 食事ですが、気管切開後1年ですが普通に食べています。
 時々家族で外食にも行きます。
 気管切開手術の次の日より普通食にしていただきました。はじめは喉にカニューレがあるのでとても違和感があり飲み込むとき苦労しましたが10日もするともう何でも食べられるようになりました。とろろそばが一番良かったように思います。
 お酒も少し頂きますが、ストローのせいか酔いが回るがとても早いです。
 呼吸器を付けて臭いを感じるのがかなり鈍感になりました。
 臭いと言うとたばこですが、気管切開直前まで吸っていてたばこの臭いがとても好きでした。鈍感になった臭気も近くで吸われると呼吸器を通して感じるたばこの臭いこんなに不快な物かと最近感じています。」

 

◆ありのまま自立奨励賞、宮崎町の鎌田さん受賞
 『朝日新聞』宮城1(p.25)・朝刊2002年05月13日

ありのまま自立奨励賞、宮崎町の鎌田さん受賞 /宮城
 障害がありながら積極的に社会参加する人や団体などに贈られる「ありのまま自立大賞」(主催・社会福祉法人「ありのまま舎」)の第4回授賞式が12日、仙台市内であり、宮崎町の農業鎌田竹司さん(51)が自立奨励賞を受賞した。県内の受賞者は初めて。
 鎌田さんは93年、筋肉が次第に衰え動けなくなる難病の筋委縮性側索硬化症(ALS)を発症した。現在は人工呼吸器をつけ、寝たきりの状態だが、妻の幸子さん(51)や仲間の助けで、農薬や化学肥料を使わないアイガモ農法による米作りに取り組んでいる。
 鎌田さんは93年、筋肉が次第に衰え動けなくなる難病の筋委縮性側索硬化症(ALS)を発症した。現在は人工呼吸器をつけ、寝たきりの状態だが、妻の幸子さん(51)や仲間の助けで、農薬や化学肥料を使わないアイガモ農法による米作りに取り組んでいる。
 眼球と唇の動きでパソコンを操作し、ホームページを作るなど販売活動もしている。97年には「全国合鴨(あいがも)フォーラム」を宮崎町で開き、地場産品としてのアイガモ肉販売を始めた。また、患者団体「日本ALS協会県支部」を立ち上げるなど、ALS問題の啓蒙(けいもう)も積極的にしている。
 授賞式で、鎌田さんは舌で胸元のセンサーを操作し、大画面に映し出されたパソコン画面に「3〜5年の命と告知を受け、一度はあきらめた人生だが、今も現役の百姓です。『生きていてほしい』と言ってくれた妻や仲間に感謝したい」と喜びの気持ちを表した。
 アイガモ農法による米は普通の米よりも割高で、当初は理解されなかったが、現在は固定客が全国各地にいる。これからもずっと百姓でいたいという鎌田さんは「人生は悔いなく」が口癖だという。もうすぐ田植えが始まり、6月にはアイガモが田んぼに放される。
 cf.ありのまま舎

 

◆2002/05/31 山口さんより

鎌田さんの「ありのまま自立大賞奨励賞」受賞のお祝いに協力のお願い

 この度、JALSA宮城県支部支部長の鎌田さんが、5月12日に「ありのまま自立
大賞奨励賞」を受賞されました。授賞式は、仙台ホテルにて執り行われました。
 受賞理由は、「病気になったのに合鴨農法に打ち込み、合鴨フォーラムを開催し地
域に広め、合鴨解体処理場を作り肉と米の販売を行い、地場産業に貢献したのが評価
されたとおもいます。後は、声を無くしてもパソコンを使い活動している事ですか
ね。」
という鎌田さんらしい控えめな感想ですが、常に明るく何事にも前向きに対処される
生活信条は、私たちをはじめ全国やALS/MND国際会議等を通じて世界の方々に
も力強い励ましを与えてくれています。今後とも更なる活躍を期待したいと思いま
す。
 ありのまま大賞は、社会の中で自己の生活を自ら切り開き自立生活を営む千差万別
な障害を持つ人々が、さらにより高い理想を掲げて生きようとする活動を支援するこ
とを目的に創設されたもので、1999年に第1回の賞が与えられ、今までに進行性
脊髄性筋萎縮症のため人工呼吸器を常時装着しながらも障害者の地域での自立生活の
支援を行っている佐藤きみよ氏を始め、錚々たる方々が受賞されています。

と言うわけで、今回、友人からのお祝いとして、
1. 花束 
2. 新潟の銘酒
3. オペナビ(XP対応版。夏に発売予定。NEC殿より寄贈)
4. XP付きパソコン購入資金の一部
を6月8日に新潟支部総会会場でプレゼントしたいと思います。

付きましては、賛同いただける方は下記の口座に、お振り込みいただけると幸いで
す。
(これは強制ではありません。何口でも結構です。)
振込先    郵便振替00620−7−19853 日本ALS協会新潟県支部 
      「鎌田さんのお祝い」と書いてお送り下さい。
一口金額 : 2,000円

呼びかけ発起人(JALSA友人有志)
川上 純子
橋本 みさお
平岡 久仁子
山口 衛
若林 佑子 (50音順)

 

◆Date: Sun, 18 May 2003 17:31:49 +0900 From: 鎌田竹司 Subject: [maee:0943] パソコンでの代理投票

宮城の鎌田です。

MLみなさんこんにちわ。

平成の市町村合併で我が町も3町が4月1日に合併しました。
本来は加美郡4町で加美市に成る予定が昨年の12月脱退した町があり
3,000足りなくて市に成りませんでした。

これに伴う町長選挙が今日行われました。
先日選挙管理にパソコンを持ち込み代理投票したいと、申し込んだとこ
ろ加美町の選挙管理が県の選挙管理と打ち合わせ問題ないとの回答を頂
きました。
先ほどパソコンでの代理投票をして来ました。

前回までは瞬きで代理投票していました。
今からは選挙もIT化にしなきゃ(o^_^o)

 

■「私がALSと知ったのは」
 鎌田さんのホームページより

 「私の体に異変が起きたのは、平成4年7月のことでした。
 次女が通う中学の舟形登山に同行したそのさいに生じた筋肉痛が半年間もとれず、奇妙な痛みを抱えたまま正月を越して、平成5年2月頃、石油缶をもって階段を駆け上ろうとして、前年までは軽々とできたのに、足が鉛のように重く感じていました。6月頃には、いつのまにか走ることもできなくなっていました。持病の腰痛からとたいして気にもしていませんでした。
 あまりにも階段の上り下りがきついので平成5年10月15日から一カ月間、古川市立病院に検査入院。階段を上るのがきつくなったのは、筋肉炎ではないかとの診断でした。専門的な検査を受けるため12月5日仙台市の神経内科専門の広南病院へ転院、12日後12月17日に結果が出ました。
 私と妻を前に医師は、「運動ニューロン病に間違いないでしょう。」運動神経の老化が普通よりずっと激しい病気です。難病の一つですから医療費の負担はありません」脳や脊髄の断層写真などを見せられながら、病気の説明を受けた。 医師は最後にいった。「医療費免除などの説明をしますから、奥さんだけ残ってください」医師は妻に別室で「3年ほどで動けなくなり、長くても、あと5年……」と告げられて平静を装って病室へ戻って来たと後から聞きました。」

 その後、総回診のとき、ピクピクと筋肉が跳ねているのを指して「間違いないですねえ」と小声で頷きあっているのが私にも聞こえ、運動ニューロン病とは、そういうものなのかとただ聞いていました。
 「運動ニューロン病」を知りたく病院近くの書店に行き、分厚い医学書を開いて「難病」のページを見たが「運動ニューロン病」は、その医学書のどこにも載っていませんでした。
 その後ALSと確信したのは、小長谷正明著『神経内科――頭痛からパーキンソン病まで』(岩波書店)を新聞広告で知り、書店へ行き買い求めました。『神経内科』の十三ある章の中から、最も疑わしい「筋萎縮性側索硬化症」の章を読みました。
 「アメリカでゲーリッグ病と呼ばれている病気がある。1930年代の大リーグでニューヨーク・ヤンキースの4番バッター、ルー・ゲーリッグは14年間に493本のホームランと3割4分の打率を残したが、1938年になって成績ががた落ちとなった。翌年に引退してから、みるみるうちに手足の筋肉がやせて寝たきりとなり、子供たちの英雄はやせ細って消耗しきって三七歳で亡くなった。[中略]多くは人生の最盛期である中年以降に発症し、たちまちにして人生を荒廃させ、生命を奪っていく。
 ブラック・ホールの理論的発見者で、車椅子の天文学者として有名なホーキング博士もかかっているといわれている。ただし、ホーキング博士は二〇歳ころの発症であり、発症してから20年以上になっても指でコンピューターの操作ができて、人工呼吸器を使っていないなど、ALSとしては早期発症でかつ進行が遅い。特殊なタイプのALS、あるいはべつの運動ニューロン病のようにも見受けられる」
 運動ニューロン病! 告知された運動ニューロン病と、筋萎縮性側索硬化症とが、実は同一だったのだと確信せざるをえなかった。あらゆる記述が、自分の身に起きていることと、同じでこの時ALSと確信しました。
どうして年末ジャンボが当たらなくてこの病気が」

◆呼吸器装着しての航空機利用
 http://www.isn.ne.jp/~kamata/より
 *直接鎌田さんのホームページをご覧ください。

 1997年2月上旬岡山へ行くことが決定し新幹線を乗り継いでいくか飛行機にるか家族と検討し移動時間の少ない飛行機に決定しました。(自宅より待ち時間を含めホテル到着まで8時間近くかかりました。)
 10月に気管切開の手術を行い人工呼吸器を付けての外出、外泊は退院以来今回初めてのことで不安ありました。航空会社日本エアシステム(仙台岡山間は1社だけ)へ呼吸器を装着の旨を伝え搭乗に関してのことを問い合わせたところ下記の書類提出が必要と連絡有りました。
1 呼吸器、吸引機の名前とその種類
2 呼吸器の操作を完全に理解していることを照明する書類(医師の照明)
3 医師または看護婦の同行がなくても搭乗可能である証明(医師の照明)
4 正式な病名と医師の診断書
 この時にペンチレーター便用者が飛行機を利用しての旅行に出かけることは、簡単には行かない事を初めて知りました。車椅子での飛行機を利用しての旅行は数回経験ありましが、病名や診断書の提出などなくスムーズでしたのに、ペンチレーターを使用していることで診断書の提出は、納得いきません。ペンチレーターはメガネや補聴器と同じ生活の道具です。ペンチレーターは生命維持装置ではなく生活の道具であるという任識を多くの人達に持って頂きたいと思います。
 搭乗に当たり2社の航空会社を調べてみましたが、航空会社まちまち見たいです。
日本エアシステムは、ベンチレーター、吸引機等電気機器については、使用中に発生する電波が飛行に影響を与えないかどうかを調ぺるために各機器の仕様書のコピーを前もって提出する必要があります。日本航空は、ベンチレーター、吸引機、心拍モニター.この他、規格内の医療用醸素ポンペ(原則として航空会所有のもの)や、透析(CAPD)のための機器の使用も可能です.またインターフェロンの持ち込み,インシュリンと注射器の持ち込み使用もできるとあります。また心臓ペースメーカー使用者の飛行機利用も間題はないということです。ただし、その他の電気機器については、使用中に発生する電波が飛行に影響を与えないかどうかを調ぺるために仕様書のコピーを前もって提出する必要がある場合があります。
 つぎにペンチレータ−の電源についてですが、これも各航空会社まちまち見たいです。
日本エアシステムは、密閉式の液状バッテリーで有れば機内への持ち込みは、可能です。 日本航空は、液状バッテリーの機内持ち込みは強い酸性の液体が入っているため破損した場合危険たということで機内では使えませんが、家庭用と同じ電源を引いてくれるそうです。ただし、非常時のことを考え乾式バッテリーを持参しなければなりません。ペンチレーター便用者で乾式バッテリ一を所有している人はいるのでしょうか。非常時のことを考えるのは、各航空会社で考えるべきだと思います。
 日本エアシステム社に対してメーカーのIMIさんを通じ家庭用と同じ電源を引いてほしいとお願いしましたが断れました。
 家庭用の電源を引くことは、欧米の航空会社では、呼吸器に使えるようにAC電源をコンバーターで変換して使用する事は一般的なことです。
 家庭用の電源を引くことにより加湿器の使用が出来ることで機内の乾燥した空気も気にすることなく快適な空の旅が出来ると思います。各飛行機の前列に家庭用の電源の取り出し用コンセントの設置する事がそんなに難しいとは思いません。コンセントが常設されていることで救急患者輸送がある時は簡単に医療機器が使えると思います。
 搭乗手続きにしても日本航空の場合は、東京に「お身体の不自由なお客様のご予約・ご相談窓口(ブライオリティ・ゲスト予約センター)」があります。
 日本エアシステムでは、この種の障害者専用の窓口は設けておらず。通常の窓口で対応しているで対応が面倒でした。
 上記の事を考えると航空会社、医療機器メーカー、関連機関等が話し合いをして頂き統一したペンチレーター使用者搭乗マニアルの作成を早急に作って頂きたいものです。
 次に航空運賃のことがあります。
 ペンチレーター使用者のサポートは最低2名が必要です。
健常の方でも2席以上は50%割引になります。障書者の、介助者をベンチレーターと同等と考えていただき、復数以上の席については、健常者以上の割引を考えて頂きたいと思います。この事により障警者も気軽に旅行を楽しむことができるとおもいます。この事については有料道路の割引券のようなものを発行し行政側での助成を考えていただく必要があります。
 移動にかかる経費は、航空運賃だけでは済みません。自宅から空港までの経費、目的地に着いてからの経費を考えるとよほど経済的に余裕がないと気軽に旅行をするというわけにはいきません。

今回の岡山までの経費を上げてみます。
診断書作成 2.000
自宅空港往復リフト付きタクシー利用 64.700 空港まで50K高速代含む 
仙台岡山往復 本人、介護人 79.200 26.350×75%×4
介護人2名  84.000  21000×4 2週割引
宿泊ハンデキャップルーム 32.000 16.000×2泊
介護人宿泊費 32.000   8.000×4
現地車調達 6.850 岡山市福祉協議会所有のリフト
その他経費 4.3000 食食代等


◆鎌田竹司追悼 鎌田幸子/伊藤道哉(宮城県支部事務局長)
 『JALSA』060:42


立岩の文章における言及

 [17]一九九三年・「三年ほどで動けなくなり、長くても、あと五年……」(仙台市・広南病院で、妻に。鎌田[199?])
 [29]一九九五年・「多くは人生の最盛期である中年以降に発症し、たちまちにして人生を荒廃させ、生命を奪っていく。」(「新聞広告で知り、書店へ行き買い求め」た小長谷[1995]の記述、鎌田[199?])★05  [54]鎌田竹司(宮城県)は、一九九二年に発症、一九九三年に妻が「三年ほどで動けなくなり、長くても、あと五年……」と聞かされ[17]、二〇〇二年に一〇年になる。  [81]「ALSと確信したのは、小長谷正明著『神経内科――頭痛からパーキンソン病まで』(岩波書店)を新聞広告で知り、書店へ行き買い求めました。『神経内科』の十三ある章の中から、最も疑わしい「筋萎縮性側索硬化症」の章を読みました。/「[…]ブラック・ホールの理論的発見者で、車椅子の天文学者として有名なホーキング博士もかかっているといわれている。ただし、ホーキング博士は二〇歳ころの発症であり、発症してから二〇年以上になっても指でコンピューターの操作ができて、人工呼吸器を使っていないなど、ALSとしては早期発症でかつ進行が遅い。特殊なタイプのALS、あるいはべつの運動ニューロン病のようにも見受けられる」/運動ニューロン病! 告知された運動ニューロン病と、筋萎縮性側索硬化症とが、実は同一だったのだと確信せざるをえなかった。あらゆる記述が、自分の身に起きていることと、同じでこの時ALSと確信しました。」(鎌田[199?]、略した部分の一部は[29]に引用)
 けれども、運動ニューロン疾患という言われ方のためにわからないこともある。小長谷の本を読んでわかった鎌田竹司(宮城県)[17][29][54]も、それ以前はわからなかった。
 [82]一九九二年七月「あまりにも階段の上り下りがきついので平成五年一〇月一五日から一カ月間、古川市立病院に検査入院。階段を上るのがきつくなったのは、筋肉炎ではないかとの診断でした。専門的な検査を受けるため十二月五日仙台市の神経内科専門の広南病院へ転院、十二日後十二月十七日に結果が出ました。/私と妻を前に医師は、「運動ニューロン病に間違いないでしょう。」運動神経の老化が普通よりずっと激しい病気です。難病の一つですから医療費の負担はありません」脳や脊髄の断層写真などを見せられながら、病気の説明を受けた。/医師は最後にいった。「医療費免除などの説明をしますから、奥さんだけ残ってください」医師は妻に別室で「三年ほどで動けなくなり、長くても、あと五年……」と告げられて平静を装って病室へ戻って来たと後から聞きました。」/その後、総回診のとき、ピクピクと筋肉が跳ねているのを指して「間違いないですねえ」と小声で頷きあっているのが私にも聞こえ、運動ニューロン病とは、そういうものなのかとただ聞いていました。/「運動ニューロン病」を知りたく病院近くの書店に行き、分厚い医学書を開いて「難病」のページを見たが「運動ニューロン病」は、その医学書のどこにも載っていませんでした。」(鎌田[199?])
 [126]鎌田竹司[54][81]に「医師は最後にいった。「医療費免除などの説明をしますから、奥さんだけ残ってください。」医師は妻に別室で「三年ほどで動けなくなり、長くても、あと五年……」と告げられて平静を装って病室へ戻って来たと後から聞きました。」(鎌田[199?]、[82]でも引用)
 [296]鎌田竹司[126]は、一九九七年十月に気管切開、呼吸器装着。「それ以来、私は二四時間介護を受ける在宅患者です。[…]私は、小型コンプレッサー(スピーキングコップレッション)を使って声を出しています。平成七年日本ALS協会総会の時千葉支部のALS患者水野さんが呼吸器を付けていたがスピーキングコップレッションを使い肉声で話をしているのを見て私も気管切開の時は、これを付けようと思っていました。気管切開三五日後にスピーキングコップレッションを導入し肉声を取り戻し現在は声は低いが日常会話が出来ています。」(鎌田[199?])


※おことわり
・このページは、公開されている情報に基づいて作成された、人・組織「について」のページです。その人や組織「が」作成しているページではありません。
・このページは、文部科学省科学研究費補助金を受けている研究(基盤(C)・課題番号12610172)のための資料の一部でもあります。
・作成:立岩 真也
REV: 20011117,20020727,0812,0912,0918,0928,20030412,0706,14 20040713
日本ALS宮城県支部  ◇ALS  ◇障害者(の運動)史のための資料・人  ◇WHO

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