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桂木 隆夫

かつらぎ・たかお



 ※立岩のデータベースにあったもののみ

◆19870920 「自由社会における不確実性の意味について」
 森際・桂木編[1987:039-072] ※
◆198809 『自由と懐疑――ヒューム法哲学の構造とその生成』
 木鐸社,271p. 2800 
◆19900610 『自由社会の法哲学』
 弘文堂,法哲学叢書 1,208+8p. 3500 ※
◆19920520 「日本社会と外国人受け入れ問題」
 井上・名和田・桂木[1992:192-267]  ※
◆19951215 『市場経済の哲学』
 創文社,224p. 2900 ※
◆桂木 隆夫・森村 進 編 198904 『法哲学的思考』
 平凡社,269p. 2680 


 ※は生存学資料室にあり



 「市場においてお金(貨幣)は極めて重要なものである。しかしそれは、通常考えられているのとは異なった意味において重要なのである。つまり、市場ではあらゆる人々が単純にお金を媒介することによって、自分の価値観や本音を出さずに、多種多様な交流をすることができる。それによって彼らは、見知らぬ人々からあらゆる社会的協力を引き出すことができ、自分の生活圏で各々の信念と人生を築くことができる。これが市場の重要性の本質である。市場によってこそ、各人の生活を追求する自由と多様性が達成されるのである。これに対して、従来の効率主義的な市場観に立つ場合には、各人はお金を稼げば稼ぐほど結果として全体の経済効率が達成されかつそれはよい、ということになる。しかし、この場合、お金は多様な交流(本質)を達成するための手段であったのが、いつのまにか、お金を儲けること自体が目的となってしまう。しかしながら、お金は重要であるがお金は全てではない。市場の達成する基本的価値は多様性の実現であり、経済効率の実現は重要ではあるが副次的な価値であるにすぎない。」(桂木[1990:94-95])

「述べられていることに私は同意する(第8章)。ただ、これは市場を正当化する論理ではあっても、本章で見ている私的所有の体制を正当化するものではない。「自分の価値観や本音を出さずに、多種多様な交流をすることができる」ために必要なだけのものを各人が保有しているなら、それは実現されるだろうが、そうでなければ実現されない。そして生産物の私的所有の体制化ではこの条件は必ずしも満たされない。」(立岩『私的所有論』第2章注)



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