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川島 聡
かわしま・さとし
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last update: 20190429
◆東京大学大学院経済学研究科特任研究員
[外部リンク]http://disabilitylaw.jp/
◆障がい者制度改革推進会議差別禁止部会構成員
[外部リンク]http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/kaikaku.html
◆ハーバード・ロースクール(HPOD)客員研究員
[外部リンク]http://www.hpod.org/
■業績
□論文および著書
◆川越 敏司 ・
川島 聡
・
星加 良司
編 20130830
『障害学のリハビリテーション――障害の社会モデルその射程と限界』
,生活書院,192p. ISBN-10: 4865000135 ISBN-13: 978-4865000139 \2000+tax
[amazon]
/
[kinokuniya]
※
生活書院のHP
http://www.seikatsushoin.com/bk/113%20shogaigakunorehabili.html
◆
長瀬 修
・
東 俊裕
・川島 聡 20080729
『障害者の権利条約と日本――概要と展望』
,生活書院,307p. ISBN-10: 4903690237 ISBN-13: 978-4903690230 \2940
[amazon]
/
[kinokuniya]
※ undc
◆松井 亮輔・川島 聡 編 20100525 『概説 障害者権利条約』, 法律文化社, 373p. ISBN-10: 4589032651 ISBN-13: 978-4589032652 \3990
[amazon]
/
[kinokuniya]
◆松井 彰彦・
川島 聡
・
長瀬 修
編 2011
『障害を問い直す』
,東洋経済新報社 [144]
◆2001/01/12 「障害者の国際人権保障の歴史的展開――障害者の国際人権基準の「設定」及び「実施」を中心に」横浜国立大学大学院国際経済法学研究科国際関係刷は違う――文献表的には前・修士論文(修士(国際経済法学))
◆2005/09/20 「障害者の国際人権保障 : その歴史と課題」新潟大学大学院現代社会文化研究科国際社会文化論専攻・博士論文(博士(法学))
[外部リンク]http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp:8080/dspace/handle/10191/6908
◆201106 「差別禁止法における障害の定義――なぜ社会モデルに基づくべきか」,
松井・川島・長瀬[2011
:289-320]
□翻訳
◆国連総会第56会期第3委員会 2001/11/28
修正決議案「障害者の権利及び尊厳の保護及び促進に関する包括的かつ統合的な国際条約」
◆2001/12/19
「障害者の権利条約」についての国連総会決議
◆2002/03/20
国連社会開発委員会・障害特別報告者ベンクト・リンクビストのスピーチ
障害を持つ人に関するヨーロッパ会議
―「非差別+ポジティブアクション=インテグレーション」―
■レジュメ
◆レジュメNo.1 「障害者権利条約の動き」
障害学研究会関東部会
第20回 (2002年1月26日)
川島聡(人権フォーラム21)
1 国連障害政策の大きな歴史的流れ(1945年から1990年代)
(1) 「技術援助活動」から「国際人権基準の設定と実施」へ (国際的人権保障へ)
(2) 「障害予防とリハビリテーション」から「機会均等化、障害予防、リハビリテー
ション」へ (完全参加と平等へ)
(3) 「専門家中心」から「障害当事者中心」へ (医療・福祉・保護の客体から権利
・開発・意思決定の主体へ)
2 障害者の人権保障をめぐる今日的課題
(1) 「多種多様な法的基準」から「障害者権利条約」へ (一つの包括的な国際法へ)
(2) 「人権と開発の背離」「自由権と社会権の分断」から「人権の不可分性」へ
(障害者の権利の総合的な保障へ)
(3) 「国内的人権保障」から「国際的、地域的、国内的及び地方的な人権保障」へ
(多層補完的な人権保障へ)
3 「障害者の権利及び尊厳の促進及び保護に関する包括的かつ総合的な国際条約」と
題する国連総会決議56/168
Comprehensive and integral international convention to promote and
protect the rights and dignity of persons
with disabilities
(1) 2001年11月の国連総会第3委員会で、「メキシコ政府」が「人権問題」と題する
議題の下で、「唐突に」決議案を提起
(2) いくつかの修正提案(「条約作成委員会」から「条約提案検討委員会」へなど)
を経た後、表題の総会決議が採択
(3) ベルギー、アメリカ、オーストラリア、カナダ等による条約慎重論(「条約疲
れ」「議論の不透明」「研究不足」「時期尚早」)
(4) 国連人権委員会及び基準規則特別報告者の報告並びに関連会議等を踏まえて、
「条約提案検討委員会」は活動開始
4 条約反対派と賛成派 (1987年、1989年及び2001年の総会第3委員会討議、ゲグナー
・クイン論文などを参照)
・反対派: (1)重複、(2)既存の人権条約強化、(3)国内関心事項、(4)国連財政難、
(5)障害者の周辺化、(6)各国の条約疲れ
・賛成派: (1)法的拘束力の強化、(2)国連財源配分、(3)権利(「差異の権利」等)
の拡充と具体化、(4)国内的インパクト(サウレ等)
(5)国際障害運動の触媒作用(国際世論の喚起)、(6)障害問題の国連人権計画へ
の包含(国際法の枠組内に包含)
5 権利条約の採択後は・・・
(1) 基準規則、世界行動計画、地域(アジア太平洋等)との関係、(2)国内的影響、
日本の批准、(4)条約監視機関の役割など
6 参考事例 (女性差別撤廃条約と子どもの権利条約)
・「女性差別撤廃宣言」(1967年)の採択後、1974年に女性の地位委員会は、女性差
別撤廃に関する単一の包括的な条約案を準備する必要があるとする決議を行い、その
ために設けられた起草部会が条約案を策定し、その条約案について政府やNGO等から
多数の意見が寄せられた。それらを踏まえて1976年に女性の地位委員会が採択した条
約案は、経社理を経て、総会第3委員会(その作業部会が文案をとりまとめた)にお
ける数年の審議の後、1979年に総会本会議で採択された。「この条約は、女性の権利
に関して国際的に同意された諸原則を、包括的で法的に拘束力のある形に統合し、諸
原則があらゆる社会における全ての女性に適用できることを明らかにしている」(国
連ブルーブックVI)。国家報告制度により条約の履行は確保され、1982年から女性差
別撤廃委員会が活動を開始した。日本は1985年の批准にあたり、国籍法の改正や男女
雇用機会均等法を制定するなどした。
・1970年代に入ると、四散している子どもの国際基準を一つの包括的な法(one
comprehensive law)にとりまとめるべきとされた。また、新条約は総合的アプロー
チ(integrated approach)をとり、自由権のみならず社会権も含む基本的な子ども
の権利の総合的なカタログを提供すべきである、と主張された。1978年にポーランド
が「条約案」と「決議案」を国連人権委員会に提出したことから条約論議が活性化し
た。しかし、「国際児童年」(1979年)に条約を採択しようとする立場は否定され、
研究が必要であるという慎重論が優勢を占めた。それを受けて、国連人権委員会は
1979年から条約起草にとりかかることを決定し、以来、1989年の条約採択まで起草部
会が毎年開かれ、そこでは逐条審議とコンセンサスによる採択が重ねられた。1983年
以降、NGOも共同行動をとり、「条約起草のためのNGOアドホック・グループ」を組織
し(50以上の多種多様なNGOが参加)、起草作業に貢献したほか、様々な国際会議が
条約審議に直接的・間接的な影響を与えていった。条約は1989年に採択。1991年か
ら、子どもの権利委員会が活動を開始。国家報告制度は委員と政府代表との質疑応答
による対話の場として機能する。日本は1994年に条約を批准している。
◆レジュメNo.2 「国際障害政策の展開」
障害学研究会関東部会第20回 (2002年1月26日)
川島聡(人権フォーラム21)
第1期 医療モデルに基づく国連障害政策(1945-1970年代)
1 ハビリテーション分野における技術援助活動
・1950年「身体障害者の社会的リハビリテーション」(経社理決議)
・1952年「国際リハビリテーション調整計画」(社会委員会決議)
・1965年「障害者のリハビリテーション」(経社理決議)
2 医療モデル優位の国際環境の下での国際人権基準
・1948年「世界人権宣言」 →差別禁止事由に「障害」は含まれず (1966年の国
際人権規約も同様)
・1961年「欧州社会憲章」 →伝統的な施設主義的障害観
3 医療モデルからの離脱に向けて
・1969年「社会進歩と開発に関する宣言」 →障害者差別に若干言及
・1971年「精神遅滞者の権利宣言」 →初の障害者の国際人権基準だが、その内容
は「不完全な参加と不平等」
・1975年「障害者の権利宣言」 →「完全参加と平等」に向けた一歩
第2期 人権モデルに基づく国連障害政策の開始(DPI成立)――人権意識向上の時代
へ(1980年代)
1 人権モデルに向けた国際人権基準の設定
・1980年「国際障害者年行動計画」(1980-1981年までの短期枠組) →社会的障
壁への言及あり
・1981年「国際障害者年」 →「完全参加と平等」を宣す
・1982年「障害者に関する世界行動計画」 →リハビリテーション・障害予防・機
会均等化という3大目標
・1983年「国連障害者の十年」(1983-1992年) →機会均等化、社会参加、社会
的障壁除去など、人権意識向上の期間
2 障害者の国際人権基準の実施
・1987年 「ストックホルム専門家会議」 →各国の政策および活動の微温性を指摘
・1987年 「障害者に関する世界行動計画」のモニタリング開始(1987年、1992年、
1997年、2002年報告予定)
・国連人権システムの一部機能回復 →宇都宮病院事件、デスポイ報告、精神保健ケ
ア改善原則の審議(1991年総会決議)
3 障害者差別撤廃条約の試みの失敗(1987年イタリア、1989年スウェーデン) →基
準規則へ
第3期 人権モデルに基づく国連障害政策の伸張――人権意識向上から行動の時代へ
(1990年代)
1 障害者の国際人権基準の実施強化へ
・1993年「障害者の機会均等化に関する基準規則」(基準規則) →2001年から改
定案作成作業
・1995年 基準規則のモニタリング開始(1995年、1997年、2000年に報告書提出。
2002年報告予定)
・人権条約機関の機能回復(社会権規約委員会、女性差別撤廃委員会、子どもの権
利委員会など)
2 地域的取組の活性化
・1993年「アジア太平洋障害者の十年」(1993-2002年) →「12の行動課題」と
「107項目の目標」を設定
・1999年「障害者差別撤廃米州条約」の採択
3 各国で差別禁止法と人権委員会の急増
・ADAやDDAなどの障害者差別禁止法を含む、障害者差別を禁止している法律を持つ
国はすでに43ヶ国以上
・欧米、アジア、アフリカにおいて障害関連の人権委員会やオンブズマンが次々と
設置。また、各国裁判所も活動を始める。
第4期 「人権モデルに基づく障害者権利条約」を中軸に据えた「総合的」かつ「多
層補完的」な人権保障体制へ(2000年代)
・2000年「アフリカ障害者の十年」(2000-2009年)
・2002年「メキシコ提案」成功。「条約提案検討委員会の設置」総会決議56/168
(2000年には中国、アイルランド挫折)
・2003年 「欧州障害者年」
・2003年 「第二のアジア太平洋障害者の十年」(2003-2012)へ →「障壁か
らの解放」をテーマ
・2003年 日本も人権救済機関の設置へ。また、社会権規約委員会が障害者差別
禁止法の制定を日本に勧告(2001年)
■言及
◆立岩 真也 2018
『不如意の身体――病障害とある社会』
,青土社
UP: 20071112 REV: 20080723, 20091718, 20110507, 0511,0429
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