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近藤 廉治

こんどう・れんじ
1928〜

last update: 20110207

◆大日本住友製薬のHPには「治療医療最前線」はインタビューの連載がありその冒頭では次のように紹介される。
http://ds-pharma.jp/medical/gakujutsu/consonance/interview/vol28.html

 1928年、長野県飯田市生まれ。信州大学医学部を卒業後、国立武蔵療養所(現国立精神神経センター)勤務などを経て、1970年に長野県立駒ヶ根病院院長に。2年後に南信病院を開設、現在に至る。主な著書に『開放病棟』(合同出版 1975年)、『開放病棟で診る』(合同出版 1985年)など。
 「南アルプスと中央アルプスを望む田園地帯にある「南信病院」は、1972年に全開放病棟を標榜して開設された。設計の段階から全開放を視野に入れたのは「日本初ではないでしょうか」と、院長の近藤氏は穏やかに微笑む。開設当時の入院患者は7割以上が統合失調症。もちろん患者の選別はしない。今日ほど多くの治療薬もない状況で、画期的というよりは「革命に近かったと思いますよ(近藤氏)」。さらに看護師が患者に代わって買い物や洗濯などを行う「代理行為」を全廃した。10年前に伊那インター近くへ新築移転、病室にはテレビも間仕切りのカーテンもない。見学者が絶えないという、まさに前例のない精神科病院である。」

■著作

◆近藤 廉治 1975 『開放病棟』,合同出版

◆近藤 廉治 19850725 『開放病棟で診る――13年間の体験とデータから 続・開放病棟』,合同出版,270p. ASIN: B000J6SJ80 1300 [amazon] ※ m.

◆近藤 廉治 20100330 『精神科医のまなざし』,中央公論事業出版,326p. ISBN-10: 489514349X ISBN-13: 978-4895143493 1890 [amazon][kinokuniya] ※+[広田氏蔵書] m.

■言及

◆中井 久夫 1991 「私に影響を与えた人たちのことなど」,『兵庫精神医療』12,兵庫県臨床精神医学研究会→中井[19960705:130-152]*
*中井 久夫 19960705 『精神科医がものを書くとき・T』,広英社,349p. ISBN-10: 4906493025 ISBN-13: 978-4906493029 2600+ [amazon][kinokuniya] ※ m.

 「なぜ精神科科に入ったかということですが、それまで精神科に入りそびれていたことにはいくつかの原因があります。学生のときに、同級生がデプレッシヴになったので京大病院に連れていったのですが、電気ショックに立ち会ったのです。私は非常に陰惨な暗い感じがしました。そのことは、電気部屋というのがあって、電気ショックの終わった患者さんを寝かせていました。[…]  たまたま、私は近藤廉治先生に会いました。南信病院という開放病棟で診療しておられまく近藤先生です。本当に偶然でした。彼の話はいろいろご存じだと思いますが、彼の哲学をよく表している<0147<のは、病院の建物ですね。二階が張り出して一階がへこんでいた、「凸」という字を逆さにしたような形になっているのです。どうしてかと聞くと、「こうしてあったら患者が飛び降りても、下は五メートルぐらい砂をうめてあるから怪我をしない。こうしておかないと、建物のすぐそばは犬走りといってコンクリートで固めてあるものなので、そこに落ちて、死ななくでもいい人が死ぬんだ」ということでした。近藤先生はいろんな精神病院に勤めて、それを肥やしにして作ったんだと言っておられました。初めて私が私が会ったのは近藤先生が病院を建てる前でしたが、こういう人が精神科医なら精神科医になってもいいなと思いました。
 それから、そのころ薬が効くようになってきたというのもかなり大きな要因でした。学生時代の私は、クロルプロマイジンの人体実験の被験者になっていましたが、この薬は今までの薬とはまったく違うという印象を持ちました。
 そして最後に、脳外科と神経内科と精神科との三つを考えました。[…]それで精神科にしたのですが、たいていの方と違うのは、私は精神科を明るい科と感じて入ったということです。つまり、少しおぼつかない表情にせよ、はげまされ、見送られて退院する人がいるという発見です。私の医学生の頃は、結核病棟でも伝染病棟でも死亡退院が多かった。大学病院はとくにそうでした。
 どこの精神科に入るかということを近藤先生に相談したのですが、京都は同級生が六年目ぐらいになっているから、お互いに遠慮したい、東大分院は当時、笠松章先生が精神科の教授でした。笠松先生はどんな人でも受け入れるから、このおっさんのところへ行ってみたら、ということになった。」(中井[1991→19960705:147-149])

◆中井 久夫 20100925 「楡林達夫『日本の医者』などへの解説とあとがき」,中井[2010:282-308]*
*中井 久夫 20100915 『日本の医者』,日本評論社,309p. ISBN-10: 4535804249 ISBN-13: 978-4535804241 2100 [amazon][kinokuniya] ※ m.

 「『日本の医者』の反響は4つだった。
 まず、版元を介して私の了解を求めてから、京都の下宿まではるばる訪ねてこられた近藤廉治先生という精神科医があった。」(中井[20100925:295])
 「『日本の医者』の読者でただ一人、京都に訪ねてこられた近藤廉治先生には今日まで御親交をいただき、後に精神医学の多くを実地に学ぶ師の一人になった。時々、淺草の大道芸見物などに誘って下<0300<さった。私の硬さをほぐそうと思われてのことであったか。
 とにかく、私は、今後の身の振り方を決めなければならなかった。助手という地位を差し出すというと、京大ウイルス研究所はにわかに私に好意的になって、臨床ならいるでしょうから、と学位を出すといい、私は未発表のデータをまとめ、岩波から出ていた『生物医学』に投稿した。[…]
 年度末までの短期間、私は伝研に研究に来ていた東大小児科の医師の紹介で、東京労災病院の神経内科と脳外科に一か月ずつ見学に行った。私は精神科もたずねてみようと、近藤先生にお会いしに行った。先生は、「おお、それを言いだすのを待っていた」と言われ、「あなたには東大分院神経科の笠松教授のところがいい。あの大きな頭であなたでも受け入れるだろう」と言って紹介の労をとって下さった。」(中井[20100925:300-301])

◆立岩 真也 2011/05/01 「社会派の行き先・7――連載 66」,『現代思想』39-5(2011-5):- 資料

◆立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m. [91]


UP:20110207 REV:20110211, 0412, 14
精神障害/精神病  ◇WHO

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