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川端 舞

かわばた まい

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last update:20211127

■紹介

群馬県出身。1992年生まれ。CILほにゃら(つくば市)スタッフ、コラムニスト、市民記者。重度訪問介護を利用しつくば市で自立生活を行う。小学校から高校まで普通学校で育ち、筑波大学に入学。学部卒業後は、筑波大学の大学院に卒業するが中退。ダスキン第34期研修生。現在はつくば市のウェブメディア「NEWSつくば」でも活動している。

作成: 山口 和紀

■関連記事

◇NEWSつくば 20210406 「 車いすから見た世界を描くライター、川端舞さん 」.
「群馬県出身の川端さんは、周囲のサポートを受けつつ地元の普通学校に通った。教室に障害のある生徒は川端さんだけだった。重い障害のある多くの子どもは特別支援学校や特別支援学級に通学し、一般生徒と分けられるからだ。[…]知的障害のある人との出会いは、群馬時代の同級生を思い起こさせた。同級生は特別支援学級に通学していた。普通学級の川端さんは当時『勉強できる自分は、彼(彼女)とは違う』と差別していた。『私は授業についていけないと見捨てられる。見下される側になるという恐怖感を抱いていました』と当時を振り返る。」
 
◇朝日新聞 20211005 「 (ひと)川端舞さん 不自由な口を動かして質問し続ける記者」.
「脳性まひのため、思うように発音することが難しい。取材ではたどたどしい口調で質問を重ねる。伝わらなかったら、何度でも。
 茨城県つくば市のネットメディアのライターを務めている。」

◇読売新聞オンライン 20211122 「 [衆院選2021・届け]<障害者>介助者 まだ足りず 」 「17日午後、茨城県つくば市の喫茶店。「ホットティーお願いします」。電動車いすで来店した川端舞さん(29)に代わって、同行していた介助者の女性がこう注文した。言語障害で言葉が伝わりにくい川端さんに、店員が何度か聞き返した後のこと。商品を受け取って2人で席についた川端さんは「よくあることです。介助者がいないと、お茶さえスムーズにできない時がある」と苦笑する。
介助を受けながら、車いすで自宅の最寄り駅へ向かう川端さん。「介助者がいれば自由に行動できる」と語る(17日、茨城県つくば市で)=富永健太郎撮影  川端さんは先天性の脳性まひで手足や発話に障害がある。大学に進学した約10年前から、障害福祉サービスの「重度訪問介護」を利用し、食事や入浴などの介助を受けて一人暮らしをしている。
 学生時代に同じ障害者の支援に取り組んだ縁から、地域ニュースを発信するNPO法人「NEWSつくば」で週に1回程度、記事やコラムをパソコンで書く。取材では自分で質問するが、伝わらない時は介助者が「通訳」し、メモもとる。日々の仕事や外出に介助者は欠かせない。」

◇当事者の語りプロジェクト 20211123 「 CILとの出会いで能力主義・学歴主義から解放され、親の知らない「私」が広がっていった
「――川端さんは、小学校から高校まで普通学校ということですが、今振り返ると特別支援学校という選択肢もアリだと思いますか。それとも普通学校で良かったと思いますか。

川端:昔は「特別支援学校に行きたかった」と、親とケンカしたこともあったのですが、大人になって振り返ると、少なくとも高校時代は友だちに手伝ってもらいながら、楽しく生活できたので、高校に行くための小・中学校だったのかなと思っています。

小暮:筑波大学には、高校生のときから行きたいと思っていたのですか。

川端:自分から筑波大学に行きたいと思ったというよりは、幼いときから母親からずっと、「障がいがあるから、勉強だけは誰よりもできて、大学を卒業しないと社会で生きていけない」「障がい学生がいっぱいいる筑波大学に、行ったほうが良い」と言われていました。私自身は筑波大学に行かないと見捨てられると思って、それ以外の選択肢はなかったのです。」

「 小暮:一般の事業所からヘルパーさんに来てもらっていた大学生のときは、介助者とうまくいかなかったとのことですが、具体的にどのようなことがあったのでしょうか。

川端:大学院に入って、障がい児教育について研究しようと思いました。ただ、私は「普通学校にいる障がい児」について研究したかったのですが、大学にいる教授たちは特別支援学校の子どもか、教育学の先生は障がいのない子どもにしか興味がなくて、自分のやりたい研究がなかなかできませんでした。よく調べれば、普通学校にいる障がい児も研究対象にしている教授もいたようなんですが、大学時代の私はまだ自分の子ども時代をうまく整理できてなくて、向き合い方がわからず、積極的に調べられなかった面もあると思います。そういうことをFacebookでつぶやいていたら、全国障害学生支援センター(※3)の殿岡さんから「1回会って話したい」と連絡をいただきました。その時、私はほとんど介助者を使っていなかったので、一人で電車に乗って東京まで行き、殿岡さんとご飯をご一緒するときも、介助なしで食べていました。当時の私にはそれが当たり前だったのですが、殿岡さんに「食事介助を受けたほうが早く食べられるし、食べながら話もできるよ」と言われて、その通りだと思いました。そこで、当時使っていた介助者派遣事業所に「食事介助を受けて早く食べ終わり、自分の大学院の勉強に時間を使いたい」と相談したのですが、「自分でできることをなんで自分でやらないんだ」と、何回か説明してもわかってもらえませんでした。それを殿岡さんに相談したら「つくばにもCILがあるから相談すれば良いよ」と言われ、初めてCILに行きました。

小暮:殿岡さんとの出会いがきっかけとなったのですね。でも、当時使われていた一般の事業所から言われたことは自立生活とは真逆のことだったんですね。 」



作成: 山口 和紀
UP:2021127
蛯原 千佳子 WHO
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