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久保 耕造

くぼ・こうぞう


 *以下は立岩のデータベースに入っていたものだけ。

◆19880000 「アメリカのアダプタブル・ハウジング」
 ?:19-25  ※COPY
◆19880901 「アメリカの障害者自立生活事情」
 三ツ木編[1988:369-390] ※

◆久保耕造,1989,「米国において援助付き雇用はなぜ始まったか」『職業リハビリテーション』3,5-11.
 cf.)引用
p. 5
米国における1986年のリハビリテーション法改正によって誕生した援助付き雇用(SupportedEmployment)は,日本の職業リハビリテーション関係者の間で大きな注目を集めている。

p. 6
従来,米国における精神障害者に対する基幹的な法律としては1963年に成立した地域精神保健センター法(Community Mental Health Center Legislation)というものがあったが,この法律やその1975年の改正法の中においても,そもそも雇用ということ自体に対して大きな関心が払われていなかった。リハビリテーション法も1943年の法改正により精神障害者をもその対象者とすることになったのではあるが,実際に精神障害者に対して十分に機能することは少なかった。しかし,1960年代,1970年代のファウンテンハウスなどを始めとする地域や民間の多くの実践によって精神障害者にとっての労働の意味が明らかにされるとともに,1970年半ばに国立精神保健研究所(National Institute of Mental Health,NIMH)により地域援助システム(Community Support System)が開発され,精神障害者と労働の関係が明らかにされた。

pp. 6-7
障害者に対する最も基本的な職業リハビリテーション・サービスは教育省の特殊教育・リハビリテーション局(OSERS)のもとにあるリハビリテーション部(RSA)によって管轄された各州の職業リハビリテーション機関によって行われている。ここでは,インテーク,評価,訓練,職業斡旋,追跡調査などが行われる。この評価の中には職業適性評価が含まれているが,この適性評価そのものがシェルタード・ワークショップ(shelteredWorkshop)に委託して行われることが多い。この職業適性評価の過程で雇用に結びつく可能性が判断される。障害のない者の生産性の25%以下の能力しかないと判断された者に対してはワーク・アクティビティ・センター(Work ActivityCenter),それ以上の生産性はあるが一般の職場でやっていくには無理があると思われる者に対してはシェルタード・ワークショップに進むことが勧められる。一般雇用の可能性の認められた者は移行的雇用訓練(Transitional Employment Program)のもとで訓練が行われ雇用へと進む。そもそも,職業リハビリテーション・サービスの対象とはならないと判断された者に対しては地域のデイ・センターが用意されている。雇用に結びつかないと思われる重度の障害者を対象として,日常生活訓練やリクレーション活動あるいは簡易な技術訓練などが行われている。

p. 7
1975年までのデータで,重度の障害者が実際の仕事を行い,賃金を得ることを通じて何かを得ることができるということを示すものは全くなかった。そうした時代にあっては,デイ・センターのような場所で特殊な教育や訓練を継続して受けることが最良の道とされ,またしばしばそのことが唯一の選択肢でもあった。

pp. 8-9
シェルタード・ワークショップから一般雇用への移行がなかなか達成されていないことについて,さまざまな行政機関,専門家あるいは権利擁護の団体などから批判がなされた。シェルタード・ワークショップでは受注に基づいた作業が行われるものであるが,その平均的な賃金は1日1人あたり1ドルから4ドルにすぎない。その中でも精神薄弱者はより低い賃金しか受給していない。その賃金上昇率は一般労働者のそれと釣り合わないものとなっている。また,シェルタード・ワークショップは本質的に隔離された施設であり,障害者が一般雇用に移行することはほとんどない。こうした点が批判の的となっている。1977年の全米のシェルタード・ワークショップ調査(注3)では一般雇用への移行率はわずか12%であり,2年以上シェルタード・ワークショップに在籍している者だけをみてみると,その移行率は3%にしか過ぎない。同様のことは1986年の別の調査によっても裏付けられた。その他にも,シェルタード・ワークショップは運営面,組織面から下記の批判を受けている。(イ)財政的援助が十分でない。(ロ)効率のよい機器や新しい技術の導入に失敗している。(ハ)シェルタード・ワークショップの職員には,利益を最大にあげるとか,障害者の賃金を高めるために必要とされるマーケティングや生産管理の知識がない。

pp. 8-9
こうした問題点を解決するために生まれたのが援助付き雇用である。時代的背景の一つとしてあげられるのはいわゆる脱施設化(deinstitutionalization)の動きである。大規模な施設よりも地域で自立して生活するという方向への変化が起こったのである。こうした変化を支えたのはノーマライゼーションの考え方であることは言うまでもない。そして,それは援助付き雇用における統合された職場という考えにもつながっていくのである。援助付き雇用を生み出し,支える考え方には三つの点があげられる。その第一は,調査研究や地域における実践活動によって,重度の障害者も働くことができるし,働きたいという意思をもっていることが明らかにされたということである。第二は,障害をもつ者ともたない者の統合という考え方の高まりである。専門家や権利擁護団体は,重度障害者が障害をもたない者とともに学び,働き,遊ぶ手法を見いだすことに努力を傾注した。インテグレーションに対する期待は大きく,一部では,たとえ賃金を伴わなくてもデイ・センターよりも地域で何らかの仕事をした方がましであるという議論さえ生み出すに至った。第三は,継続的援助に対するニーズが明らかになったということである。前述したように,連邦政府の定めにより障害者の職業サービスは期限付きであるが,さまざまなデータにより,地域でサービスを受けている障害者の多くが継続的援助を必要としていることが明らかにされた。

p. 9
一般雇用,インテグレートされた職場,継続的援助という三つが重なったものが援助付き雇用であり,これにより,従来はドッキングされていた,職業には結びつかないサービスと継続的援助という二つの繋がりが打ち破られたのである。別の言い方をすれば,従来はできるだけ期限付きの職業リハビリテーション・サービスに重度障害者を対象としてとりこもうとしていたのをあらため,その代わりに継続的援助を提供することとしたのである。また,従来のインテグレーションというのは障害者と障害をもたない者(あるいは仕事をもたない者ともつ者)という別々の者があって,その両者が統合されるという考え方であったが,援助付き雇用のもとでは重度の障害者に対して公平な賃金を支払うことの重要性が指摘され,そのことを通じて重度の障害者も働くことそのものから得られるあらゆる恩恵を受けることにつながるとされている。

p. 10
米国における成人の障害者に対する職業サービスではデイ・サービス,ワーク・アクティビティ・センター,シェルタード・ワークシヨップ,職業リハビリテーションを経ての一般雇用という連続する流れ(continuum)にのって障害者が雇用に結びついていくとされているが,こうした考え方は1960年代に生まれてきたものである。それぞれの異なる段階は異なる機関により資金援助を受け,異なるサービスを提供するものとされた。そして障害者は雇用をめざしてこの流れの中の段階をのぼっていくことが想定されていた。しかし,実際には,この流れにのって雇用にたどりつく障害者は生まれてこなかった。従来の職業サービスの連続する流れという概念をとり払うものとして登場したのが援助付き雇用であった。

◆アジア・太平洋経済社会委員会(ESCAP)第48回総会 19921201
 「「アジア・太平洋障害者の十年」決議(仮訳)」(92年4月14〜23日・北京)
 『月刊福祉』75-14(1992-12):050-051 解説:久保耕造 ※COPY

 ※は生存学資料室にあり

*更新:伊東香純
REV:20210204
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