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神田橋 條治

かんだばし・じょうじ


・19370205 鹿児島県姶良郡加治木町(現:姶良市)生
・1961 九州大学医学部卒業
・1962〜84年 九州大学医学部精神神経科,精神分析療法専攻
・鹿児島市伊敷病院

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%94%B0%E6%A9%8B%E6%A2%9D%E6%B2%BB
  神田橋 條治(かんだばし じょうじ、1937年2月5日 - )は姶良郡加治木町(現:鹿児島県姶良市)生まれの精神科医。専門は精神分析ついで内省療法、さらに対話精神療法であったが、現在は雑談精神療法を目指していると言う。九州大学精神神経科にて長年、精神分析療法を専攻。1971年から1年間、モーズレー病院ならびにタビストックに留学。
 1976年に荒木冨士夫氏との共著による「自閉の利用一精神分裂病者への助力の試み一」(精神神経学会雑誌,78,43-57)を発表し、日本の精神医学界に強い学問的衝撃をもたらした。西欧で発達した精神療法を、日本人ならではの感性で咀嚼し、実践し、伝達している。個性が強く、毀誉褒貶もあるが、優れた臨床力と論理的思考から、土居健郎、中井久夫に匹敵する秀峰と見る向きもある。コツ三部作を始めとした著書で精神療法の神髄を伝えている。現在は、鹿児島市の伊敷病院に精神科医として非常勤で勤めるかたわら、全国の研修セミナーに招かれて後輩の育成と指導に努める。
 治療は、一見独特で、天才肌かつ名人芸的であるが、芸事における古今の名人が全てそうであるように、緻密な観察眼と精巧な理論および長年の実践に裏打ちされた、実は極めてオーソドックスなものである。病める患者の「身になって」、限りなく優しく、その眼差しは、氏に関係する全ての人間に注がれている。

■著作

◆神田橋 條治 198404 『精神科診断面接のコツ』,岩崎学術出版社,220p. ISBN-10: 4753384020 ISBN-13: 978-4753384020 [kinokuniya] ※ m.

◆神田橋 條治 199009 『精神療法面接のコツ』,岩崎学術出版社,258p. ISBN-10: 4753390055 ISBN-13: 978-4753390052 3150 [amazon][kinokuniya] ※+[広田氏蔵書] m,

◆神田橋 條治 19940801 『追補 精神科診断面接のコツ』,岩崎学術出版社,256p. ISBN-10: 4753394085 ISBN-13: 978-4753394081 \3150 [amazon][kinokuniya] ※ m.

◆神田橋 條治 19990512 『精神科養生のコツ』,岩崎学術出版社,222p. ISBN-10: 4753399028 ISBN-13: 978-4753399024 \3150 [amazon][kinokuniya] ※ m.

◆神田橋 條治・八木 剛平 20020219 『対談 精神科における養生と薬物』,メディカルレビュー社,199p. ISBN-10: 4896008278 ISBN-13: 978-4896008272 1890 [amazon][kinokuniya] ※+[広田氏蔵書] m.

◆神田橋 條治 20040826 『発想の航跡〈2〉 (神田橋条治著作集)』,岩崎学術出版社,440p. ISBN-10:4753304108 ISBN-13:978-4753304103 7665 [amazon][kinokuniya] ※

◆神田橋 條治・兼本 浩祐・熊木 徹夫 編 20071025 『精神科薬物治療を語ろう――精神科医からみた官能的評価』,日本評論社,221p. ISBN-10: 4535982813 ISBN-13: 978-4535982819 2520 [amazon][kinokuniya] ※+[広田氏蔵書] m.d07.

◆神田橋 條治 20090519  『精神科養生のコツ 改訂』 ,岩崎学術出版社,228p. ISBN-10:4753309045 ISBN-13:978-4753309047 2415 [amazon][kinokuniya] ※

◆神田橋 條治・岩永 竜一郎・愛甲 修子・藤家 寛子 20100527 『発達障害は治りますか?』,花風社,318p. ISBN-10: 4907725787 ISBN-13: 978-4907725785 [amazon][kinokuniya] ※ m. a07.

■紹介・言及

◆立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.
『造反有理――精神医療現代史へ』表紙

 第1章「☆20 私がインタビューした山田真中井久夫神田橋條治については肯定的だった(→50頁)。私は次のように応じている。
 […]
 神田橋・中井らについては、まっとうな医師による、以下のような批判がある。見出しは「おかしな治療法を提唱する大先生」。
 「有名な精神科医の中には、時々おかしなことをいい出す先生がいるものです。/心理療法の名土として有名な先生[…]は「発達障害を体操で治す」などという趣旨の本を出しておられます。発達障害[…]を体操で治すことができるということについては、エビデンスは何もありません。分類するならホメオパシーやアロマテラ<0366<ピーと同じ代替療法の一種なわけで、精神科医がそういうもので発達障害が治るなどと、もっともらしく一般向けの本に書いていいのか、疑問に思わざるをえません。
 それだけならまだしも、この先生は「Oリング(オー・リング)テスト」で薬が合うかどうかを決めるというのです。[…]左右の手の親指と人差し指でつくった輪をつなぎ合わせて引っ張り合い、その輪がどこで開くか、あるいは開くかどうかという簡単な方法で、身の回りのものが自分の身体に合うかどうかを調べる方法です。これで、身体のどこの部分が悪いか、とか、薬の合う合わないを決める、ということを学術的に論じている医師が結構大勢います。これはいわば、偽科学です。[…]私からすれば噴飯ものですが、大真面目にそれを行なっている有名な先生がいるのです。権威ある先生なので、彼を支持する医師たちは反対もせず真剣な面持ちで話を聞いているのです。
 この先生の信奉者のひとりに某国立大学の元教授(この人も多くの精神科医の「信仰」を集める大物中の大物教授です)がいますが、彼はエッセイで「薬の飲み心地で効くかどうかを決める」という発表をしています。/「官能的評価」といって、飲んだときに効く薬と効かない薬とでは「味が違う」というのです。ご自分も患者に出す前にひと通り飲んでみるといいます。
 さらにこれを受けてある先生が、「薬物の官能的評価」をテーマにした本を書いていて[…]本人が飲んでみて気に入ったのだけを飲めばいい、飲み心地が重要であり、それを自分の感性で見極めましょうというわけです。/これは申し訳ないが、寝言・たわごとの頬としか思えません。[…]苦かろうとまずかろうと効くものは効くのです。薬がおいしいとかまずいとかいう話は論外です。[…]/[…]精神科の薬は毎日飲んで、一定期間を経過してはじめて効いたかどうかを判断するものです。[…]それなのに官能的評価などとうそぶいているのは私にとってはもはやオカルトの世界です。そして誰もそれをたしなめようとしないのです。」(斉尾[2011:123-125])
 「薬の飲み心地」の話は中井[2004]等に出てくる。「官能的評価」については熊木[2007]神田橋・兼本・熊木編[2007]、『発達障害は治りますか?』という本は神田橋他[2010]。私には信心はない。Oリング(神田橋の本にたくさん出てくる)は信じがたい。ただ他は、実際にはさほど無理なことが言われているわけではない。」(立岩[2013:366-367])

 〔臺弘の文章の引用の後〕「(できるだけ略そうとしたのだが)長い引用になった以上の文章にも様々にわからないところがある。「人によっては、パーソンズ、中井の言うような病者の役割を認めることから出発することが必要であり、また他の場合には障害者の役割への微妙な転換が求められている」と言われる。パーソンズが言う「病人役割」には幾つかあり、その一つは「社会的責任の免除」だが「治療の義務」も同時に課される。そしてそれは基本的に事実の記述である。中井の論はそうではない。ただ二人の論は併記されている。そして、神田橋(→51頁)・中井(→49頁)といった人たちによる「撤退」を言う論を繰り入れつつ、その主張と反対の結論で閉じてしまう。この論理もわからない☆16。両方がありえて、「場合によって」ということになるのだろうが、それにしても基本的にどんな場合に「自閉」や「拒絶」はよいことになるのか。最後の段落も、「だが一方」の前後のつながり方も不明で、わからない。
 ただ、「障害の受容」といった言葉が使われる。あるところまでしか「なおらない」ことを受け入れた方がよいというような意味らしい。とすると、「生活療法」は普通の意味での「治療」「なおすこと」の後に用意されるものなのか。臺がそれまで述べてきたことからはそうはならないはずだが、ここでは「障害」のほうに移動させている。そのうえで、さきに述べたように(本人の側からの)「適応」が目指される。しかしそれが難しいのではなかったか。」(立岩[2013:270])
 「☆16 浅野によれば「臺は、中井や神田橋論文についても「精神病理、精神療法の側からの発言は、一見、生活療法とは反するような形でそれとは言わずに、障害の受容をとりあげるようになった」と似たように牽強付会を行っている」(浅野[2000:111])ということになる。」(立岩[2013:393])

 第5章 何を言った/言えるか
  5 停滞という了解?〜その時代・思想の肯定?
 「また、八木剛平と神田橋條治(→51頁)の対談――二人とも自らは少数派であること、しかしそのことに肯定的でもあることを冒頭で互いに認めあって対談を始めている――で、八木に問われて神田橋は次のようなことを言っている。
 「八木 神田橋先生はどこから方向転換したんですか。主流派から少数派へというか。主流派じゃないところに。悩んでいた時期があったとどこかに書かれていたけど、留学から帰ってきてからですか? 神田橋 その前です。やっぱり大学紛争だ。[…]ちょうど一番若い助手の時だ。僕は体制側です。つまり保守陣営。だけど、僕は反体制側の人たちの言うことに実に共感できるものがあってね。僕がやっている”精神療法”と”洗脳”とどこが違うかと考えたりしてね。その時ですね。自分の生涯として選んだ道についてかなり考えてね。/それと、もっと前からあったんですが、精神病理学は器質的な要因から除外したあとにしか通用しないような情けないものが多いんですね。原田憲一先生の書かれた本に接して原田先生のファンになったんだけど、器質的なものをちゃんと把握出来る症候が乏しくて。それを見つけたいと思うんです。身体的な病理を見つけるための症候学、そちらまでカバーできる技術がほしい。だから精神分析の病理学ばかりにはまる気になれない。」(神田橋・八木[2002:79-80]、原田については91頁)」(立岩[2013:309-310])

◆立岩 真也 2011/06/01 「社会派の行き先・8――連載 67」,『現代思想』39-8(2011-6):- 資料

◆中井 久夫 2007a 「神田橋先生のいる風景」、『ひとつの歩み――神田橋條治先生古稀記念集』、福岡・行動医学研究所→中井[2008:93-103]

高木俊介,19920831,「うたがう自由をたもつ――『発想の軌跡――神田橋條治著作集』」,『精神医療』4-1(77): 104-6.

 ※は生存学資料室にあり


UP:20080831, 20110516, 20130816, 0904, 20140221
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