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小浜 逸郎
こはま・いつお



 1947年生

 *立岩のデータベースにあったものだけ

●著書

◆19990804 『「弱者」とはだれか』 PHP新書083,222p. 657円 ※
 cf.障害
◆20020621 『人はなぜ働かなくてはならないのか――新しい生の哲学のために』
 洋泉社,285p. 740 [bk1]

◆19811225 『太宰治の場所』
 弓立社,205p. 1400 三鷹904
◆1985   『学校の現象学のために』
 大和書房
◆1987   『方法としての子ども』 大和書房
◆19901101 『可能性としての家族』
 大和書房,310p. 1800 ※/杉並367
◆19910401 『症状としての学校言説』 JICC出版局,270p. 1700 ※
◆19921130 『人はなぜ結婚するのか』
 草思社,222p. 1300 三鷹152
◆     『男がさばくアグネス論争』
 大和書房
◆     『男はどこにいるのか』
 草思社

●共著

◆小浜 逸郎・芹沢 俊介・湯沢 雍彦・高橋 玄洋・青木 悦・清水 真砂子
 19901101 『家族はどこまでゆけるか』★
 JICC出版局,309p. 1800 ※/千葉社5150/三鷹367.3

●論文・他

◆19870101 「制度を超えるには」
 『クリティーク』06(特集:家族と性):33-46
◆198909  「ポルノ批判の言説に寄せて」
 『現代思想』17-10:118-128(特集:セックスの政治学――男のフェミニズム)
◆19900101 「性欲の現象論」
 『現代思想』18-01:138-147(特集:ポルノグラフィ)
◆19901101 「家族の根拠」
 小浜・芹沢・湯沢・高橋・青木・清水[1990:011-041] 千葉社5150/三鷹367.3
◆19901101 「可能性としての家族」
 小浜・芹沢・湯沢・高橋・青木・清水[1990:271-304] 千葉社5150/三鷹367.3
◆199106  「私はなぜフェミニズムを批判するか」
 『群像』46-6:254-270
◆19920206 「満足と虚無の共存――大衆消費社会の欲望の形態」
 上野他編『家族に侵入する社会』(シリーズ変貌する家族 6):193-209 ※
◆19921201 「家族の意味を問い直す時代がきた」
 『婦人公論』077-12(0941):100-105, ◆19930823 「教育構造改革の基本提言」
 『別冊宝島183「日本の教育」改造案』:269-273 ※

 

◆『「弱者」とはだれか』
 PHP新書 1999年8月初版 9月3刷

「カバー」より

 「弱者に優しい政治を」「差別のない明るい社会を」といった、だれも異議を唱えることのできないスローガン。しかし、現代社会における「弱者」とは、ほんとうはどういう存在なのだろうか?
 本書では、障害者、部落差別、マスコミの表現規制など、日常生活で体験するマイノリティの問題について、私たちが感じる「言いにくさ」や「遠慮」の構造を率直に解きおこしていく。
 だれもが担う固有の弱者性を自覚し、人と人との開かれた関係を築くための考え方を「実感から立ちのぼる言葉」で問う真摯な論考。」

 「マイノリティの当事者以外は語る資格がないような空気」(p.11)

 ホームドアが「うっとうしい限りだ」(p.38p)
 「盲人対策としては、今までホームに点字ブロックを埋め込んできたのだから、それで十分」(39p)
 エレベーターは大変いい施設だが、ホームドアは「過剰な保護思想」であり、「生きていく上でだれもが必要とされる自立心、危険や不測の事態に対して自らを管理するという心構えを、封じてしまう」と主張する。(p.40)

 「私たちがまずできること、必要としていることは、感情として個人の中に深く入り込んでいるさまざまな「共同性の観念」が、いたずらに他者どうしのバリアーを高くしていないかどうかを、冷静に検討することである。そしてその冷静な検討のためには、それぞれの人がどのような「弱者性」を背負っているのか(あるいはいないのか)を、接触体験や対話や自己への問いを通して、深く知ろうとするものでなくてはならない。」(p.217)
 以上、つるたまさひで (鶴田雅英)さんのメイルからの再引用


 ※は生存学資料室にあり


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