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小林 八郎

こばやし・はちろう
1912〜

last update:20110731
・精神科医
生活療法

■関連文献

http://www.showa-u.ac.jp/sch/nr/frdi8b000000flzo-att/11_0002.pdf

■著作

◆小林 八郎・小林 清男 1956 「リクリエーション療法」,『日本醫事新報』35-41(1662)

◆小林 八郎・松本 胖・池田 由子・加藤 伸勝・徳田 良仁・鈴木 明子 編 19700525  『精神科作業療法』,医学書院,247p. ASIN: B000JA0RBS 2300 [amazon] ※ m. r02.

◆小林 八郎 1971 『病院精神医学研究』,医学書院,414p. ASIN: B000JA0KQA [amazon] ※ m.

◆小林八郎 1978 「生活療法批判の批判」、『日精協月報』203

■翻訳

◆Freeman, Thomas; Canerin, John L., McGhie 1958 Chronic Schizophrenia,Tavistock Publications Limited=19680820 小林八郎訳,『慢性分裂病』,医学書院,172p. ASIN: B000JA4DX6 1500 [amazon] ※ m. [広田氏蔵書]



◆1960〜
※Freeman, Thomas; Canerin, John L., McGhie 1958 Chronic Schizophrenia,Tavistock Publications Limited=19680820 小林八郎訳,『慢性分裂病』,医学書院,172p. ASIN: B000JA4DX6 1500 [amazon] ※ m. [広田氏蔵書]

 「昭和35年5月,われわれは,それまで準備をして来た計画を実施にうつした。実験病悚を開設して,慢性分裂病を入れ,開放政策を背景として生活療法による治療を始めたのである。当時は,フェノチアジン系の向精神薬が普及しはじめた時期であったが,われわれは,このような特殊薬物による治療はもとより,電撃療法その他一切の身体的治療を止めて,人間関係論立場に立って,治療的な相互作用を患者間,患者−看護婦間,看護婦−医師間などにひろげ,それを基礎とした治療を追求しょうとはかったのであっ戸
 この実験の結果は<病院精神医学>第3集,<精神分裂病>(医学書院)に載せられているが,当時,実験を続行するのが心苦しい場合も少なくなかった。あの報告にもあるように,緊張型の多く,妄想型のあるものは必ずしも,このような治療実験の適応症でないことが,次第に分かって来たので,向精神薬を投与したい思いにかられたこともあり,またわれわれが患者の亢奮や暴行に身をさらしている時は電撃療法をしたらと思ったり,また非指示的態度を徹底的にとることの苦しみもなめたし,さらに完全開放なので近隣の地域の居住者に迷惑のかかることを,どれ程おそれたか分からない。
 このように模索しながら実験を続けていた時に,私の手に入ったのが本書であった。もちろんFreemanたちの実験設定の条件,精神分析的発想は,われわれの立場とは多くの違いがあるが,また少なからざる点で共通のものもあった。しかし本書の序文でAnna Freudのいっていることは,単に大げさなほめ言葉ではなく,われわれは,ほとんとその通りの実利と影響を受けた。ただ,われわれの実験は既に進行途上であったので,その方向を変えることはしなかった。」([155])

■言及

 「小林八郎は「身体的治療は精神的疾患の病因的核心に向けられ、その結果として社会適応能力がもたらされることを期待する。リハビリテーションは端的にこの社会適応を問題とし、その解決の過程において逆に疾患の核心もまた、治癒におもむくことを期待するのである。」(「精神疾患の生活療法」日本臨床、昭和34)と規定している。」(群馬大学精神医療研究会[1974:67]*)
*群馬大学精神医療研究会 19740127 「生活臨床と地域精神衛生」『精神医療』第2次Vol.3 No.2[通巻16]:63-78(特集:精神科治療とは何か)



 「われわれがレクリエーション療法の重要性に気付いたのは1952年(S27)年頃からである。それより先、昭和25年に、精神外科手術を終えた患者に、その後療法として行った生活指導が功を奏したことを認め、手術をしていない荒廃患者にも生活指導をはじめた。昭和26年には専門の生活指導病棟ができた。生活指導が行き届いていることはレクリエーション療法の最もよい下地である」(小林八郎,鎌倉矩子[2001]に引用)

 「生活指導、レク指導、作業療法は、その領域と狙いが、それぞれ違うことについては前述した通りである。[…]総括的な命名が必要とあれば、われわれは生活療法という言葉を選びたい。日常語を学術語に使うという昨今の流行を取り入れて命名を試みと次のようになる。<294<
 生活療法(くらし療法)
 (1)(しつけ療法)habit training
 (2)レクリエーション療法(あそび療法) recreation therapy
 (3)作業療法(はたらき療法) work therapy」(小林・小林[1956]、藤澤[1998:294-295]に引用)
 「生活指導には低次のものと高次のものとがある。低次のものは不潔、無為、荒廃、内閉患者を対象とし日常的身辺的な暮らしを自律的にさせるよう絶えざる働きかけをする。そして失った人間的慣習を取り戻させる。
 高次のものは自発性や労働能力はあっても人間的な規範や高き慣習を失った慢性欠陥患者に対して行うものである。居住や集団生活における作法、礼儀等のしつけを行い責任感の養成をする。」(小林他[1956]、浅野[2000:34]に引用)

◆小林 八郎 1965 「生活療法」,江副勉他編『精神科看護の研究』,医学書院

 「患者の生活項目の中から治療の対象として価値あるものを選んで、作業療法、生活指導、レクリエーション療法が生まれたとみることもできる」(小林)

◆小林 八郎 1957 「精神疾患の生活療法」,『日本臨床』第17巻第1号.

 「指示的−非指示的のみでなく、庇護的−訓練的、心理的開放−物理的閉鎖のような対立概念と方法が、病院精神医学のなかにあり、いずれも必要があって発達して来たのである。このような対立的なものを、現場に生かして使い、あるいは綜合させ、あるいは個別的に適用して、滞ることがないのが生活療法の本質であろうと思う」

■言及

◆藤澤 敏雄 19981110 『精神医療と社会 増補新装版』,批評社,431p. ISBN-10: 4826502648 ISBN-13: 978-4826502641 3150 [amazon][kinokuniya] ※ m. m01h1956.
 →小林八郎 1978 「生活療法批判の批判」、『日精協月報』203

◆柳田 純子 2004/09 「医療技術職の専門分化過程における職業意識の考察(二)――精神科作業療法従事者の専門分化と職業倫理」,『東京情報大学研究論集』8-1: (2004.9) pp.45-57
(Job Identity of Co-Medical Workers in the Professionalization(the Second Report)-A Study of Psychiatric Occupational Therapists' Cases in View of Work Ethics-)
 http://www.iic.tuis.ac.jp/edoc/journal/ron/r8-1-7/r8-1-7c.html

「(4)小林八郎
 小林[15a]は、生活療法の主旨として患者の治療外の時間(生活時間)を治療化することによって、薬物などによる身体的治療の効果を活かし、社会復帰までもっていくことをめざすことを挙げ、「患者の生活項目の中から治療の対象として価値あるものを選んで、作業療法、生活指導、レクリエーション療法が生まれたとみることもできる」と述べている。
 また小林[15b]は、呉秀三、加藤普佐次郎、長山泰政、菅修ら先人たちの取り組みに言及した後に、むすびとして次のように述べている。「指示的−非指示的のみでなく、庇護的−訓練的、心理的開放−物理的閉鎖のような対立概念と方法が、病院精神医学のなかにあり、いずれも必要があって発達して来たのである。このような対立的なものを、現場に生かして使い、あるいは綜合させ、あるいは個別的に適用して、滞ることがないのが生活療法の本質であろうと思う」
 加藤[6b]によれば、小林による生活療法の体系化は、1953年の懇話会の席で国立武蔵療養所所長の関根眞一が次のように話したことに端を発するという捉え方ができる。「患者の幾分でも残っている精神作用を活用して、健康な生活圏内に引きあげる源に作業療法の意義がある。その点から私は作業療法と云う言葉の代わりに、広い意味から生活指導と名付けたいと思う」
 生活療法は、上記(3)の山根[17]の指摘にあるように当時の時代的な背景のもとで病院経営上から患者の使役につながった場合が多々あり、学界・マスコミから厳しい批判を浴びた。加藤[6a]は、その批判として「体系化とともに生活療法は一連の流れに乗せなければならない儀式と化した点に問題があった」と指摘し、さらに秋元による批判を例示し「生活指導という精神科看護の活動そのものを治療概念にまで拡大化した点にも問題があった」としている。
 生活療法批判は、従来の取り組みの悪しき例として、作業療法士に写った部分が少なからずあったと考えられる。そして自分達の「作業療法」はそうではない、ではどうあるべきかという職業上のアイデンティティの模索への契機にもなり得ただろう。生活療法やそのなかで実施された作業療法の考え方自体には患者の使役の意図は見られないものの、それが実施された時期の精神病院をめぐる状況のもとで病院経営上の手段に転化されやすい面を持っていたと考えられる。なお、生活療法をめぐる経済的側面については次の(5)で参照する石田[19]による指摘と合わせて後述する。

[6b]加藤伸勝(2004)「わが国の精神科作業療法の歩み−作業療法士誕生まで−」『作業の科学』第4号.
[15a]小林八郎(1965)「生活療法」江副勉ほか編『精神科看護の研究』医学書院.
[15b]小林八郎(1957)「精神疾患の生活療法」『日本臨床』第17巻第1号.
[16a]臺弘(1975)「精神科作業療法の概念−その歴史と展望−」『医学評論』第43巻.
[16b]臺弘(1984)「生活療法の復権」『精神医学』第28巻第8号.
[17]山根寛(1997)「精神医療の歴史と作業療法の歩み」山根寛『精神障害と作業療法』三輪書店.
[18]秋元波留夫・調一興・藤井克徳編(1991)『精神障害者のリハビリテーションと福祉』中央法規.
[19]石田武(1975)「生活療法」横井晋ほか編『精神分裂病』医学書院.」

◆立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.
『造反有理――精神医療現代史へ』表紙


UP: 20110309 REV:20110730, 31, 20130508, 14, 20140127
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