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小池 文英

こいけ・ふみひで

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◆小池文英・保田良彦 1966 『脳性麻痺の治療:機能訓練の実技 :リハビリテーション』,医道の日本社


◆水野祥太郎 1983 「小池文英君をしのんで」,『総合リハビリテーション』11-9:766-767  

◆坂口亮 1983 「静かな勇士 小池文英先生」,『総合リハビリテーション』11-9:767 

◆津山直一 1983 「小池文英先生の追悼」,『総合リハビリテーション』11-9:766-767 

◆整枝療護園 2012 『整枝療護園のあゆみ』 

■言及・引用

◆立岩 真也 20181220 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社,512p.

 「そして「本省」の方針があった。水上勉、守る会の運動を受け、「国立の収容施設や、コロニー設置の約束をするはめになった」政府が国立療養所側に伝えた、そのいきさつを成瀬の資料から「要約すると」と書かれた部分をさきに引用したが、その続き。
 ▼昭和四〇年九月二八日、東京勧銀本店で四〇年度秋季全国国立療養所長会議が行われ、そのとき本省説明で、重症心身障害児施設は医療施設として考えてゆきたい旨が発表された。一〇月二日、希望施設長が島田並びに東京小児療育園を見学。一〇月四日、日比谷の松本楼で小林提樹・小池文英両博土の講話をきく。午後、国立療養所課長、母子衛生課長同席で出席施設長全員と協議があった。「現在世論では、国立施設でこれら重障児を扱えという声が喧しいが、果して現在の国立療養所でこれらを世話できるであろうか。」これに対して施設長側よりの積極的意見は殆んどなかった。最後に、今すぐ引きうけ得ると答えられる施設がありますかという問に、A療養所のA所長が一人だけ手をあげた。A所長は上京するとき職員代表より、どんな患者でも引き受けるから必らず手を挙げてくれる様に依頼されたのだという。△148
 このあと各々の施設長は施設に帰って、重障児施設を引きうけるかどうか決定を迫られたわけである。長良荘では病棟の敷地、設備内容、医師、看護婦その他の人的資源将来像などについて検討、引きうけるべきかどうかについて悩むのであるが、びわこ学園などを見学、岡崎園長に会い、話をきき、引きうける以外に長良荘の生きる道はないという結論に達し、地方医務局に申し出るのである。(保坂・阿部[1976:257-258])▲

 小林提樹はさきにすこし紹介したし(124頁)、中では知られている人である。小池文英は整枝療護園に長く務めた。整枝療護園(東京都板橋区)は一九四二年開園。日本医療団(75頁)に属した。空襲で大部分を消失。四六年に再建。五一年に児童福祉法に基づく肢体不自由児施設になる。六七年に重症心身障害児施設「むらさき愛育園」を同じ構内に開設、八〇年に外来部門を加え、三つの部門を合わせ「心身障害児総合医療療育センター」と総称。小池(一九一三〜八三)は東京大学医学部卒、文部省の技官から、整肢療護園に務め、二代目の園長になる★49。脳性まひ等、障害児の医療、リハビリテーションはこの施設が先駆とされる★50。引用を続ける。引用した部分の後には年度別整備状況の表が付される。」(立岩[2018:148-149])

「★49 小池の追悼文に、水野[1983]、坂口[1983]、津山[1983]。後二者が掲載されている雑誌の当該号には「小池文英先生略歴」もある。 ★50 整肢療護園の歴史についてウェブ上で読めるものに整枝療護園[2012](実際には著者名は記されていない)。青い芝の会の横塚晃一(cf.[201511d]、立岩編[2016])もいっとき整肢療護園にいた。「横塚は一九三五年一二月七日生。[…]五二年六月に整肢療護園(東京都板橋区)に入園、小学六年に編入され、五三年三月、小学校卒業。同級生だった矢野龍司によれば、その園の子供会の会長を務めた、また将棋が強かったという。同年四月、中学校入学、五四年一二月、児童福祉法適用切れにより整肢療護園を退園、以後、不就学。この時一八歳、児童福祉法は基本一八歳の人までの法律だから退園ということだが、そ(△197 の時、学校二年で学校も終わりということになる。[…]/整肢療護園は全国にできていくが、東京のそれは最初のもので、医学者によって作られ、治療が目指された。「脳性麻痺には脳性治療を」という標語もあったらしい。関係者によって『脳性麻痺の治療』(小池文英・保田良彦[1966])といった本も出されている。ちなみに今日に至るまで脳性麻痺はなおらない。ただなおすための営みは引き続き行われ、私(一九六〇年生)が直接に話を聞いた少し上の世代やほぼ同じ世代の人たちも親に連れられそうした施設に暮したり通ったりして、いろいろと痛い目にあった、それで良いことはなかったという話を聞いたことはある。」([201511d])  脳性まひをなおすことについて調べたらよいと、このたびのもう一つの本に記した([201810:66])。その原稿を書いてから、中山善人(一九五三〜)、永山昌彦(一九五四〜)の二人にインタビューを行なった(中山[2018]、永山[2018])。そのうち誰かにまとめてもらおうと思う。」(立岩[2018:197-198])


UP:20160520 REV:20210730
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