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金沢 英児

かなざわ・えいじ
1931〜1976/01/26

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last update: 20191027


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■言及

◆廣野 俊輔・青木 千帆子・瀬山 紀子・立岩 真也・田中 恵美子 2019/09/06 「往き還り繋ぐ――福島障害者運動史本刊行も機してアーカイヴィング公開シンポジウム第2回」,於:立命館大学朱雀キャンパス

 「廣野:[…]自分の立ち位置を話すんじゃないのか、ということですけど、僕はですね、調べようと思った時、行きがかりでもあるんですけど、東京で青い芝の会ができた時に3人の創始者がいます。高山久子、金沢英児、山北厚という人です。そのうちの高山久子さんは〔調査の時〕ご存命で、山北さんはご存命だったんですけど既に老人ホームに入られているという状態でした。で、高山久子さんにお会いして、かなり初期の青い芝の会の会報を譲っていただいて、そこから調べることを開始した、いうことです。ちなみに高山さんは、僕は東京に行く度にお会いしてたんですけど、2年前に残念ながら亡くなってしまいました。その方に一番協力していただいてるので、どちらかと言うと初期の運動、おとなしいと言われる運動のことから調べ出している。で、高山さんの影響っていうのは、やっぱりたぶんに受けてるんだというふうに思っております。」
 「廣野:[…]「就労が無理や」と。それは東京の文脈で言うと、金沢英児さんっていう創設者の一人が労働で無茶して。一つの特徴ですよね。二次障害になって絶望して自殺してしまわはった。で、それものすごい、
立岩:金沢英児って自殺したの?
廣野:自殺と言われてるんですね。海で打ち上げられて見つかってるんで、「恐らく自殺だろう」という。「あれは労働で無茶したからだ」と。「だから自分らはもう、労働の路線は無理なんだ」っていうのがあって、やっぱり自立の概念広げたいっていうのあったと思うんですよね。「就労してお金稼ぐだけじゃ自立じゃない」って。だけど残された部分の社会性というのは逆に強く求めてしまいすぎたんちゃうかな、っていう気がするんですよ。「できない」、「できないって」言われてる人ほど、それを強く求めちゃうみたいなことって、いくつもあると思うんですよね。[01:19:52]
※1976/1/26死去。『とうきょう青い芝』7-8では金沢の死をめぐって会員が所感を投稿している。金沢自身の遺稿として金沢智代編(1976)『遺稿 光をもとめて』ルック社.」


作成:安田 智博
UP: 20191026 REV:20191027
青い芝の会  ◇東京青い芝の会  ◇脳性麻痺/脳性マヒ/脳性まひ(Cerebral Palsy)  ◇病者障害者運動史研究  ◇WHO  ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築 
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