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木村 英子

きむら・えいこ
1965〜

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・1965 横浜市生
・201907 参議院議員当選(れいわ新選組)
 れいわ新選組:https://www.reiwa-shinsengumi.com/

 ※これから情報掲載していきます(201907、立岩真也)

■1965 横浜市生

◇木村英子 「私が地域へ帰るとき」,「生きている!殺すな」編集委員会編[2017]
*「生きている!殺すな」編集委員会 編 20171020 『生きている!殺すな――やまゆり園事件の起きる時代に生きる障害者たち』,山吹書店

 「朝、目が覚めて「ここはどこだろう」とあたりを見回す。隣に寝ている夫と息子の顔を見て、ここは我が家だ、ここが私の現実なんだと実感しやっと安堵する。ときおり、私はまだ施設にいて、地域で家族と暮らす今の生活は夢ではないかという錯覚に陥り、そして絶望感に襲われる。
 […]
 私は、1965年に横浜市で生まれた。生後8か月のころ、歩行器ごと玄関へ落ちて、障害者になってから施設に預けられ、家庭を知らずに育ってきた。物心ついたときは施設のベッドの上だった。見えるのは、白い天井に並んだ四角い線とその中に無数にある黒い△039 点。」(木村[2017:39-40])

■1986

◇1986/03/** 赤窄英子・外山博美(介助者)・安積 インタビュー 聞き手:石川准・立岩真也 34p. 文字化:立岩 34p.

 「あたしは、あのきぬさん〔三井 絹子さん〕の考えかたってすごいなって思う、ほんとに。何がすごいかっていって、絶対障害者は降りない、もうこちらから絶対降りないっていう。差別されてるっていうのをさあ、ほんとにありのままにさあ、真実をさあ、明らかしてくれるしさあ。すごいすさまじい。なまじ、私みたいに話せるとかね、わかるとかね、あのそういう意識がある人はさあ、なんていうのかな、最初はごまかせちゃうところがあるけども、重度すぎる人は全然ごまかしがきかないかさ。」

■1995頃

山之内 俊夫 i2018 インタビュー 2018/09/26 聞き手:立岩真也 於:宮崎 

「立岩 「かたつむり」と多摩って、関わりがあるんですよね。

山之内 そうですね、はい。多摩の「自立ステーションつばさ」っていう団体があってそこの代表の木村英子ちゃん…、

立岩 あのね、木村英子っていうのは今の名前で、僕は彼女がまだ20歳の頃に聞き取りに行ってんねん。まだ名前は…、
 →◇1986/03/** 赤窄英子・外山博美(介助者)・安積  聞き手:石川・立岩 紙のみ34p.[01] 文字化:立岩

山之内 赤窄(あかさこ)…、

立岩 赤窄。赤窄っていう何か変な名前やったから、珍しい名前やったし、それも覚えてて。ほんまに何ていうかな、始めたばかり。あの人がそんな立派になるとは思いませんでした。そしたら、ねえ。それが木村英子でしょ。

山之内 そう。で、その木村英子と筑波から出た藤木徳雄さんっていう頚損の人が、二人で多摩で始めたんですよ。だから「かたつむり」の暖簾分けみたいなかたちで作ったのが「自立ステーションつばさ」で。

立岩 両方、頚損やった?

山之内 えっと…、そうですね、藤木さんは頚損で。向坊さんが藤木さんを紹介して。「東京にこんな人がいるよ」と。

立岩 ああ。藤木さんが赤窄さんと暖簾分けで多摩に来てたと。

山之内 作ったばっかりだったんですよ。

立岩 で、藤木さんを向坊さんが知ってたと。

山之内 はい。[00:05:01]

立岩 そんなんで、向坊さんに紹介されたんですか。

山之内 はい。

立岩 「多摩に、こんなんあるよ」って。

山之内 はい。「こういう人がいるよ」って。

立岩 それが95?

山之内 95年です。

立岩 そうですか。

山之内 それで、東京まで、つい飛んで行って。で、藤木さんに会いに行って。そしたら、赤窄さんとか、木村英子さんとか、「つばさ」のメンバーがみんな勢揃いで。で、まあ「東京でとりあえず自立生活してみたら? で、何年間か生活していっぱい学んで、それから宮崎に帰ったらいいよ。」って言われて。それでね、簡単に何かあの「もう、気合だけ持って東京出て来な。」みたいな感じで言われて。

立岩 で、ほんまに東京に住むように、長く住むように…、

山之内 で、僕それから、はい。もうだって、僕は行くとこなかったので、家にも帰りたくなかったし施設にも行きたくなかったので。それで、「東京にこういう支援してくれるとこあるから東京で暮らすわ。」って親に言って、東京に行ったんですよ。

立岩 で、その、赤窄さんとかつばさの人が。

山之内 はい。最初、体験室があって。そこが面白くって。あそこ、ほらやっぱり、三井さんとか新田さん系の流れだから、何も言わずに体験室行って。その時はスタッフがね、正確に言うと代表の木村英子の旦那がその日は介助してくれるんですけど、次の日に朝、まあ来るけど、「ワープロを打てる?」って言うから「ワープロ打てます。」って。そしたら、「これでワープロとか使って、ボランティア募集のビラ作ったらいいよ。俺、介助するのは明日までだからね。それ以降、自分で生きなよね。介助見つけな。」って言われて。で、何のことか分からなかったんですけど、とりあえず「はい。」って言って、ビラをこう書いて。で、それをバーッと印刷して、膝の上にポンと置かれて、本当に駅前にポンと置いていかれて。もうそっからは全然訳が分からないまま。これ本当の話なんですよ。

一同 (笑)

立岩 2日目から。

山之内 はい。

川口 大丈夫だったの?

山之内 誰か見つからないともう家にも帰れないという。必死。[…]「こんにちは。」って。「すいません、読んで下さーい。読んで下さーい。」って言って。

川口 見つかったの?

山之内 もうそれが本当にいるんですよ。ビラもらって、何時間もおって、「あ、まだ、あの人ここにおる」って気の毒に思ったのか、「何かお手伝いしましょうか?」って言って。じゃあ、まあちょっと時間、何時間あるから部屋に上がってこれまでやったら、みたいな感じで。ごはん、ちょっとね、買い物付き添って準備してくれたり、ちょっと着替えを手伝ってくれたり。そしたら本当に何人か徐々に増えてきたり。当時、僕、95年だったから同級生が東京の大学にまだ何人かいたりしたので、[…]

立岩 高校の時の友だちが東京おって。へえ。

山之内 そうやってまあ、何て言うかね、初めは滅茶苦茶やなと思ったんですよ。気軽に…、まあ、こうゆう、するからそれでもよかったら来なっていうのは別だけど、「えー、もう着替えだけ持って来ておいで。」なんて言ってて、いきなり「探せ。」ってあんまりだなって思ったんですよ。

立岩 それはあんまりですよね。

山之内 でも、そしたら…、今度は逆の立場になってというか、1、2ヵ月過ぎて、そしたらね、やっぱり木村さん「よう頑張ったね。」って、「えっ?」って。「実はずっと見守ってたのよ。」みたいな感じで。で、僕みたいな特に中途の障害持ってたら、やっぱこう介助が必要っていうのを人にちゃんと伝えるっていうのが自立していく上で一番大事だと。で、制度なんかどうなるか分からんって。制度なくなったら地域で暮らせないっていうのは本当の自立じゃないって。どんな人でもボッとひっ捕まえて介助者にしていくぐらいのバイタリティがないとあかん、みたいな話をされて(笑)。[00:10:14]

立岩 たぶん僕らがインタビューしてから10年は経ってないんじゃないですか。86年かな、赤窄さん。とんがった感じが、確かしたんです、その時も。とんがっ…、何か、あのように(?)、とんがった女の子やなとは思ったけど、まだ自立してなか…、

山之内 はい。

立岩 するとかしないとか言ってたんじゃない…、

山之内 はい。三井絹子さんのところに住まわせてもらってたんです。

立岩 そっか、急激に偉くなってた(笑)、(?)、10年経つ間に。

山之内 あの時はね、本当、言われました。やられました。「あのねえ、」とかって。「首〔頚損〕の連中はさあ、」。

一同 (笑)

立岩 そう。頚損ばかにしてる。差別してるよね、あいつら。

山之内 「何かね、あれなんだよね、中途半端なんだよね。」って。

立岩 「中途の奴は中途半端なんだよね。」的なことを言うよね。

山之内 うん。「健常者にもなりきれねえのに、障害者にもなりきれねえ。」みたいに。でもですね、その辺すごく…、最初に、そういう新田さんやら三井さんやらの…、ね、本当、僕も何回も会ってこう、知ったから。そこはすごく最初のスタートとしてすごく良くって。頚損やったら頚損で固まりがちでしょう。それが、脳性麻痺の青い芝の会とか、府中療育センター闘争の話とか。」

全国公的介護保障要求者組合

■2019

◆れいわ新選組公認候補者 木村英子 発表記者会見 2019年6月28日 ダイジェスト  https://www.youtube.com/watch?v=KfZqkA5CK1Y
 →https://www.reiwa-shinsengumi.com/

◆【ドキュメント】木村英子 〜重度障がい者として生きるということ〜
 https://www.youtube.com/watch?v=6epvtGolw9M

◆2019/06/28 「れいわ新撰組・山本太郎代表、重度の障害者の木村英子氏擁立を発表」
 6/28(金) 19:05配信 スポーツ報知
 [写真:木村英子氏(右)と山本太郎代表
 「政治団体・れいわ新選組の山本太郎代表(44)は28日に記者会見を開き、自立ステーションつばさの事務局長で、重度の障害を持つ木村英子氏(54)を参院選での公認候補予定者として発表した。
 木村氏は生後8か月で歩行器ごと玄関から落ち、脳性まひなどの障害を患った。以後は車いすの生活が続き、現在は首から上と右腕が少ししか動かない状態。文字も以前は書けていたが、今は書くことができないという。木村氏は会見で「重度障害者が地域で生きるには、命すら保証されないほど深刻な状況に置かれている」と話し、「年々悪くなっていく」という障害者対策の整備を訴えた。
 れいわ新撰組はこれまでに、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)元副代表の蓮池透氏(64)、女性装する東大教授として有名な安冨歩氏(56)を擁立すると発表していた。」


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◆木村英子 「私が地域へ帰るとき」,「生きている!殺すな」編集委員会編[2017]
*「生きている!殺すな」編集委員会 編 20171020 『生きている!殺すな――やまゆり園事件の起きる時代に生きる障害者たち』,山吹書店

 「朝、目が覚めて「ここはどこだろう」とあたりを見回す。隣に寝ている夫と息子の顔を見て、ここは我が家だ、ここが私の現実なんだと実感しやっと安堵する。ときおり、私はまだ施設にいて、地域で家族と暮らす今の生活は夢ではないかという錯覚に陥り、そして絶望感に襲われる。
 […]
 私は、1965年に横浜市で生まれた。生後8か月のころ、歩行器ごと玄関へ落ちて、障害者になってから施設に預けられ、家庭を知らずに育ってきた。物心ついたときは施設のベッドの上だった。見えるのは、白い天井に並んだ四角い線とその中に無数にある黒い△039 点。」(木村[2017:39-40])

 *言及

◇立岩 真也 2019/07/20 「やまゆり園事件から3年 「生きる価値」の大切さ問う」,『朝日新聞』2019-07-20朝刊

 「[…]
 『生きている!殺すな』は、強く悲しみながらも弱気になってしまったり、自死を肯定してまう心性から遠く離れて、生きている人たち、その生活を手伝う人たちの文章が集められた本だ。むだに暗くなったりせず怒っている本だ。そんな人たちを知らなかったら読むとよい。」

 cf.こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす

全国公的介護保障要求者組合

障害者である議員(であろうとする人たち) 
■言及

◆青木千帆子・瀬山紀子・立岩真也・田中恵美子・土屋葉 2019/09/10 『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』,生活書院,424p. ISBN-10: 4865001042 ISBN-13: 978-4865001044 [amazon][kinokuniya] ※

 ■はじめに・いきさつ(立岩真也)
 […]
 「*挨拶が終わった後の補足
 八〇年代の調査は、さきに記したメモと文字起こししたものを綴じたファイルによると、八五年六月から八七年四月にかけて三四回は――「は」、と言うのは、相模原でのもののように記録が失われているものもあるから――行なわれた。『生の技法』の「はじめに」を見ると、一〇〇人余りの人に話をうかがったとある。また五三名の方々の名前が列記されている。こちらにある調査の経緯についての記録は本書出版前には公開する。文字起こしした記録も、手書きのものありワープロで入力して印字したものあり(もとのファイルはない)なのだが、可能でまたその気になったものについては、入力しなおすなどして公開できればと思う。ただ、あの時のものだって使えるかもと思ったのはほぼ今日なので、その過去の記録は本書にはほとんど生かすことができない。
 それでも、こんなことを付記するのは、(「ぎりぎり」の後の)ほんとうの作業最終日の今日(七月二一日)は参議院議員の選挙の日で、れいわ新選組から木村英子が立候補しているのだが、私と石川准はその人に、一九八六年三月、東京都国立市の喫茶店スワンでインタビューしているのだ(赤窄[i1986]=木村[i1986])――今回は文献表に同じものを二つ載せてみた)。当時は赤窄(あかさこ)英子だった。B5の紙三四頁の記録がある。それ以来、彼女にはたぶん一度もお会いしていない――「たぶん」、と言うのは、「はじめまして」と挨拶すると、高い割合で相手からはじめてではないことを言われて恐縮するからだ。ただ、何度か彼女のことを聞くことはあった。近いところでは二〇一八年九月、宮崎市で山之内俊夫にインタビューした時(山之内[i2018])だ。山之内は東京でずいぶん木村に鍛えられて宮崎に戻ったのだと話した。さらに加えれば、私は昨日(=投票日の前日)、二〇一六年七月二六日に相模原の施設で起きた殺傷事件に関わる本の紹介を『朝日新聞』に書いたのだが(立岩[2019d])、そこで紹介した本の一冊は「生きている!殺すな」編集委員会編[2017]で、そこには木村の「私が地域へ帰るとき」(木村[2017])も収録されている。さらに、その事件の翌年の五月「津久井やまゆり園事件を考える集会」が開催され、「津久井やまゆり園の建替えに関する提言書」が出された時、そのよびかけ人のところに、「室津滋樹 グループホーム学会」(横塚[1975→2007:157])とともに「栗城シゲ子 くえびこ代表」を見た時、ああとても長い時間の後で、と思い、あれからずっと活動されてきたのだなと思った。こんなふうに、途切れながら、いろいろがつながっていく。ここまで書いて、寝て、七月二二日夜明けのだいぶ前、最後の仕事をと起き出したら、木村英子当選確実〜当選、との報あり。

◇安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 1990 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』,藤原書店
◇―――― 1995 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第2版』,藤原書店
◇―――― 2012 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』,生活書院・文庫版
◇「生きている!殺すな」編集委員会 編 2017 『生きている!殺すな――やまゆり園事件の起きる時代に生きる障害者たち』,山吹書店
◇立岩 真也 2019d 「やまゆり園事件から3年 「生きる価値」の大切さ問う」,『朝日新聞』2019-7-20朝刊
◇山之内 俊夫 i2018 インタビュー 2018/09/26 聞き手:立岩真也 於:宮崎市・障害者自立応援センターYAH!DOみやざき事務所
横塚 晃一 1975 『母よ!殺すな』,すずさわ書店
◇―――― 1977 「障害者解放運動の現在的視点」,『全障連結成大会報告集』
◇―――― 1981 『母よ!殺すな 増補版』,すずさわ書店
◇―――― 2007 『母よ!殺すな 新版』,生活書院
◇―――― 2010 『母よ!殺すな 新版第2版』,生活書院


UP: 20190718 REV:20190721, 23, 31,20200116
障害者である議員(であろうとする人たち)  ◇病者障害者運動史研究  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇WHO
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