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石井 雄一

いしい・ゆういち

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石井雄一「言葉がさかさまになる怪獣」

※JMOOK 2019/01/15〜 「生存学の企て」の表紙に使わせてもらっています。

■言及

◆立岩 真也・廣瀬 浩二郎 2016/11/20 「障害と創造をめぐって」,『REAR』38:6-23
 http://2525kiyo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/rear38-27eb.html

□何もしないこと

◇立岩:これは以前出していた雑誌『生存学』【7】で、9号で終刊になったんだけれども、創刊号から毎号いわゆる障害者アート系のものを表紙に使っていて、2号の表紙が石井雄一さんという人の作品。こないだの『現代思想』の特集で、僕も精神医療についてのちょっと長い原稿を書いたんだけれど、同じ号に岡本さんという京都新聞の記者が、京都にある「ほっとハウス」【8】という、作業所なんだけれど作業をしないという場所があって、僕はまだ行ったことがないんだけれど読んだら行ってみたくなった所のことを書いていて【9】、石井さんもそこに出入りしている人らしいんですよ。彼の作品も彼の人となりもいけてるなと僕は常々思っているんですが、粘土の怪獣とか紙の変な箱を作って、それはとにかく優れたものなんだよね。
 そこの作業所は作業所といえば作業所だけど、誰も作業してないってことで長いことやっていたんだけど、政策が変わったりする中で、月に何日以上出てきて仕事をしないと補助金をくれないみたいな世の中になっているらしいんです。そんな中で、何もしないようなそういう場所って近頃大変やりづらくなっている、というような話を岡本記者が書いているんです。ほっとハウスは誰もアートはしていないんだけれども、岡本さんのものを読む限りではアーティスティックな場所で、障害者のアートとしてそれで商売しなさいみたいな流れの中で、そういった芸術的な流れが奪われている感じがする。石井さんの例では、「生き方が変」ってのはアーティスティックなことだし、そうした彼の活動が阻まれるのは悲しいし嘆かわしいですね。生産はしないけれど芸術的な生き方ってあると思う。そうした生き方ができる場所や時間が現にあるんですから、妨げられたくないですね。

◇リア:最近の福祉施設のなかには、アート活動を取り入れることで、何もしないこと≠むしろ積極的に位置づけているところもありますね。アート活動は単なる余暇で働けるための活動ではないので、何もしていないこと≠ノなってしまい、親御さんは心配される。でも、たとえば他の施設が合わなくて問題行動が酷かった方が、積極的にアート活動をしている施設に移ってきて、非常に面白い作品を生み出したりした例もある。近年はアート活動をうまく取り入れて、それぞれ主宰者の個性やスタッフの尽力が反映された施設も注目されている。あるいはそこからスターのような作家が輩出されれば、やにわにアート活動が活気づく。たとえばホームページで「うちの施設のタレントさん」という紹介もありますね。

◇立岩:その『現代思想』の原稿で岡本さんが触れてますが、石井君の個展を出来る場所を探しに京都のギャラリーを回ったとき、予算やポートフォリオの話をされたり「障害者アート」を扱う他のギャラリーをと言うばかりだったと。その後もらったメールには、なんかアートプロデューサーというような人のところに相談に言った時のことだそうで、ハイアート目線で説教されたらしく、それを契機に石井君はブログも閉鎖、「怪獣新聞」もやめてしまったそうなんですよ。こういうことって、実はけっこう起こっているのかもしれませんね。アートとアートではないものとの隙間というか、そこで起こる摩擦のようなことが。

◇リア:ポートフォリオですか…つまり、発表したいなら、アート側のマターを踏んで来いと。先の展覧会「すごいぞ、これは!」は、文化庁と「心揺さぶるアート事業実行委員会」が主催で、全国を巡回しました。障害という言葉は使われず、心揺さぶる≠ニいうキーワードから調査が始まり、障害者アートにこれまで関わってこなかった学芸員など、美的な批評軸をどう設定し選考するのか、意識的な取り組みではありました。その一方で、この石井君の例のように、アートのマター(批評、企画)を持ち込むことには慎重であるべきですよね。



UP:20190116 REV:
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