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池田 頼将

いけだ・よりまさ

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last update:20170906


■概要

・所属
元自衛官 全国「精神病」者集団ほか


◆派兵の真実――事故を隠蔽された元自衛官の告発(DVD)

2006年7月4日アメリカの建国記念日、イラク派兵中のクウェートで当時派兵されていた航空自衛官の青年が、米軍関係会社のバスにひかれ負傷した。その事実を自衛隊は隠蔽。
 適切な治療を受けられなかったことで、現在も口が数ミリしか開かず、流動食しか食べられない、麻痺と震えで文字が書けない、一日20時間寝ていなければならないなど重い後遺症に苦しんでいる。
 自衛隊のイラク派兵についてのイラク市民へのインタビューや、戦場ジャーナリストの志葉玲氏の解説、戦場でのPTSDと戦いながらイラク支援を行う元イラク帰還米兵へのインタビューも。 戦争法制の先の社会を知るために必見のドキュメンタリー。
 
 映像45分 特典映像12分
[販売期間]2016/08/11 〜 2016/12/31
督:増山麗奈
出演:元イラク派兵航空自衛官 池田頼将
   イラク帰還米兵 ロス・カープーティー
   イラクからの声 アブサイード  ムスタファ
   戦場ジャーナリスト 志葉玲
製作・配給・出版元:アースアートファクトリー

◆イラク派兵中の事故を国に隠蔽された元自衛官の告発「派兵の真実」DVD発売
https://www.youtube.com/watch?v=g0gYolkm60w

◆2014/03/20 元自衛隊員・池田さんの訴え 戦争をさせない1000人委員会出発集会
https://www.youtube.com/watch?v=wu4b6VLrcIs


■新聞記事

◆2015/09/22 「自衛官、覚悟はあれど 安保法、案じるOB 【名古屋】」『朝日新聞』朝刊

 安倍政権は、他国を守るために戦える集団的自衛権の行使を認め、安全保障関連法を成立させた。国民の理解は広がらないが、自衛隊の役割は広がる。OBらは現場の隊員を案じる。

■国の一大事に命かけるが、なぜ米の戦争に
 「立派な自衛隊員を絶対戦場に送ってはならない」。長崎県佐世保市の元海上自衛官、西川末則さん(63)は今月、インターネットのフェイスブック上にこう投稿した。
 「自衛官なら国に一大事があれば命をかける覚悟はある。だが、なぜ米国の戦争のために日本人の命を差し出さなければいけないのか」。投稿を見た現役自衛官から、「自分たちが言えないことを言ってくれてありがとうございます」とメールが届いたという。
 18歳で入隊。ほとんどを護衛艦の魚雷担当として過ごし、定年退職した。海外で合同訓練に参加したが、実装の魚雷を撃つことはなかった。「憲法9条があるから平和だった」と思う。
 「災害救助にも自衛隊は絶対に必要。法律によって戦死する恐れが増せば、入隊者は確実に減るだろう」と西川さんは案じる。
 名古屋市の元航空自衛官、池田頼将さん(43)は2006年、3等空曹の時にイラク復興支援でクウェートに通信員として派遣された。自衛隊の活動範囲が広がることについて、「これまで海外で戦死者が出ていないのは運が良かっただけ」と危ぶむ。
 空自小牧基地(愛知県)からクウェートに着き、バスに乗るなり上官に「カーテンを開けるな。自爆テロがある」と言われた。宿営地には地雷がある立ち入り禁止区域もあった。派遣先は憲法との関係で、活動期間中に戦闘が行われる見込みもない「非戦闘地域」とされたが、「安全地帯なんて存在しない」と感じた。
 安保関連法で、後方支援活動ができるのは「現に戦闘が行われている場所」以外となり、「非戦闘地域」より広がる。「戦闘に巻き込まれるリスクが高まるし、戦いが始まれば敵前逃亡はありえない」
 クウェートでは米軍関連企業のバスにはねられ、けがをした。4年前に退職。後遺症が残ったとして国に損害賠償を求めている。「僕は将棋の駒のように扱われた。そうなってほしくない」。かつての同僚たちへの心配は尽きない。
 
 ■「より安全」と賛成…でも、国民の声聴いて
 熊本市の元自衛官(76)は「より安全な国になる」と安保関連法に賛成する。息子も自衛官で、「危険を顧みず国を守るために働くのは当然」と言う。
 ただ、成立への過程には疑問が残る。「賛成の人も反対の人も、国を思う気持ちは変わらない。話し合える場や国民の声に耳を傾ける機会を、もっと作るべきだった」
 空自岐阜基地などで勤め定年退職した元幹部は、自衛隊が抱えるリスクについて「高い低いの次元の問題ではない。消防士が危険な火災現場でも行かないといけないのと同じ」と語る。
 「デモや世論調査を見ると、法律に国民は納得していない」とは思う。「1960年の日米安保条約改定の時も反対が多かったが、結果としてよかったという世論になった。何が正しいのかわからない」

 【写真説明】
安全保障関連法の問題点を指摘する西川末則さん
池田頼将さん


◆2015/09/22 「「米国の戦争のために日本人の命、なぜ」 安保法、自衛官OBの懸念」『朝日新聞』朝刊

 成立した安全保障関連法により、日本は集団的自衛権の行使が可能となるほか、海外に自衛隊を派遣して常時、他国軍を後方支援できるようになる。自衛官OBの中には、米国の戦争に巻き込まれる懸念や、リスクの増加を指摘する声がある。
 「立派な自衛隊員を絶対戦場に送ってはならない」。長崎県佐世保市の海自OB、西川末則さん(63)は今月、インターネットのフェイスブック上に投稿した。
 安保関連法に伴う後方支援では、負傷者や戦死者が出ると考える。「国に一大事のことがあれば命をかける覚悟はある。だが、なぜ米国の戦争のために日本人の命を差し出さなければいけないのか」。現役自衛官から「自分たちが言えないことを言ってくれてありがとうございます」とのメールが届いたという。
 心配するのは今後、自衛隊への入隊希望者が減ることだ。「災害救助にも自衛隊は絶対に必要。法律によって戦死する恐れが増せば、入隊者は確実に減る」
 埼玉県の元陸自上級幹部は、安保法を「支持する」と明言したうえで、反対する声が強いことについて「危険な場所や任務の場合、『国民に支持されている』ことを心の支えにできないとつらい」と語る。
 2006年にイラク復興支援でクウェートに送られた名古屋市の元航空自衛官、池田頼将さん(43)は、海外での活動範囲が広がることについて「これまで海外で戦死者が出ていないのは運が良かっただけ」と危ぶむ。
 3等空曹の時、クウェートへ派遣された。バスに乗るなり上官に「カーテンを開けるな。自爆テロがある」と言われた。宿営地には地雷がある立ち入り禁止区域もあった。「非戦闘地域」とされたが、「安全地帯なんて存在しない」と感じた。
 安保関連法により、後方支援活動が可能な場所は「現に戦闘が行われている場所」以外に広がる。「戦闘に巻き込まれるリスクが高まるし、戦いが始まれば敵前逃亡はありえない」
 (岡田玄、斯波祥、斉藤太郎)


◆2015/08/28 「安保法制が自衛隊員を殺す 来年2月施行で防衛省「武器使用拡大」」『週刊朝日』

 イラク派遣隊員29人が自殺
 帰還隊員らが語ったPTSDの恐怖
 「血流低下で頭痛、性格が変わった」「捨て駒にされるだけ」

 2016年2月に安保法制が施行され、南スーダンPKOで自衛隊の武器使用が解禁――。安倍政権が描く青写真が国会で暴露され、衝撃が走った。イラクへの派遣で自衛隊の自殺者は29人にのぼる。その上、武器使用解禁で死のリスクも増し、「捨て駒にされる」と隊員らは訴える。

 参院の安保法制特別委員会で8月11日、共産党の小池晃議員が暴露した自衛隊の内部資料のタイトルは、「『日米防衛協力のための指針』(ガイドライン)及び平和安全法制関連法案について」。自衛隊統合幕僚監部が作成したものだ。今年4月に18年ぶりの改定が合意された日米防衛協力の新ガイドラインと、参院で審議中の安保法案の成立を前提に、今後、自衛隊が海外でどのようなミッションをするかを詳細に検討したものだ。
 今後のスケジュールとして安保法案成立は8月中、施行は来年2月とされ、平時から自衛隊を事実上、米軍の指揮下に組み込むことが前提となる。さらに来年3月から安保法制を反映させ、陸上自衛隊は南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)で「駆けつけ警護」を実施することも検討されている。駆けつけ警護とは、PKOで活動中の自衛隊が、他国軍や民間人が危険にさらされた場所に駆けつけ、武器を使って助けることで、今のPKO法では認められない。しかし、資料では自分自身を守る自己保存型の武器使用については、「どのような場面でも憲法第9条との関係で問題にならない」と解釈が付け加えてあった。他にも米軍が南シナ海で展開している監視活動への関与も検討されていた。
「この文書について防衛省は箝口令をしいていますが、内部資料は統幕で作成したパワーポイントの一部のようです。統幕は寄り合い世帯なので様々な意見があり、安保法制反対派が小池議員にリークしたのでしょう。安保法制の施行を2月と想定すると、自衛隊員を海外派遣する前に必要となる訓練には半年ほどかかる。『駆けつけ警護』を実施するなら、武器、物資の調達、隊員選抜などをもう始めないと間に合わないのです」(自衛隊関係者)
 安倍首相はインターネット番組で、自衛隊の武器使用権限が拡大されることで「リスクは減る」との認識を示しているが、資料で検討事項に入っている南スーダンでの駆けつけ警護は、安全な任務とはいえない。国連職員として紛争処理に関わった伊勢崎賢治・東京外国語大教授は言う。
「国連は、コンゴでも武装勢力による虐殺を止められなかったことで批判を浴び、2013年に中立・軽武装のPKOから戦闘部隊の導入に方針を転換しました。実は、コンゴと南スーダンのミッションは連動していて、自衛隊が送られている南スーダンのPKOも、戦闘部隊になる可能性がある。すると、住民保護のために、自衛隊は武装勢力と交戦しないといけない。その時点で憲法違反になります」
 戦後、一人も殺していない自衛隊が、この法案に拒否反応を示すのも当然かもしれない。現役の自衛隊員も、不安や不満を隠そうとしない。陸上自衛隊でイラク・サマワに派遣された経験のある隊員は言う。
「『全面的に米軍が守ってくれる』と上官に言われ、手当もよかったので、家族に反対されたけど、イラクに行った。しかし、現地でウソだとわかった。米軍は交戦して死者、負傷者がバンバン出ていた。米軍兵士と現地で話すと、『イラクすべてが戦場、日本も参加しているんだ』と言われた。憲法9条があるから自衛隊に入ったという人は、かなりいます。私もそう。基本的には戦場に行くことはないだろうと思っていたが、安倍首相は変えようとしている。内心ではみんなブーイングです。政治家はいいよ、戦場に行かないからね」
 イラク戦争では、政府はサマワ地域を「非戦闘地域」とし、復興支援活動に03年から09年まで自衛隊を派遣。自衛官に死者は出なかったものの、帰国後に精神面で変調をきたし、自殺した例が多数報告されている。

 ■帰還幹部、うつにメスで自殺する
 6月5日、民主党の阿部知子衆院議員が提出した質問主意書への回答で、政府はイラク特措法に基づいて派遣された約5600人の陸上自衛隊員のうち21人、約3600人の航空自衛隊員のうち8人が、在職中に自ら命を絶っていたことを明らかにした。
 10万人当たりで換算すると、陸上自衛隊のイラク帰還隊員の自殺者数は38・3人。これは、一般職の国家公務員の21・5人、自衛官全体の33・7人(いずれも13年度)に比べても高い値だ。過去に自衛隊員のメンタルヘルスを担当した防衛省関係者はこう話す。
「派遣前に精神面で問題なしとして選抜された隊員がこれほど自殺しているというのは、かなり高い数字。しかも、これは氷山の一角で、自殺にいたらないまでも、精神面で問題を抱えている隊員が多くいるはず」
 その詳細は公表されていないが、29人の自殺者の中には、幹部らも含まれることが、関係者の証言で明らかになっている。
 一人は04年から05年までイラクに派遣された、当時40代の衛生隊長(2佐)だ。家族の反対があったものの、医師として現地に赴き、自衛隊員の治療だけでなく、現地で病院の運営も手伝い、時には徹夜の作業が続くこともあった。
 それが、イラクから帰還した後にうつ病を発症。やがて自殺願望が出るようになった。首をくくって自殺未遂をしたこともあった。
 治療のために入院もしたが病状は改善せず、最期は自らの太ももの付け根をメスで切り、自殺した。遺書はなかったという。
 そして当時30代の警備中隊長(3佐)は、05年に妻子を残したまま、車内に練炭を持ち込み、自殺した。警備中隊長は百数十人の警備要員を束ね、指揮官を支える役割で、この中隊長の部隊はロケット弾、迫撃砲などの攻撃を数回受けたほか、市街地を車両で移動中、部下の隊員が米兵から誤射されそうになったこともあったという。
 中隊長は帰国後、日米共同訓練の最中に、「彼ら(米兵)と一緒にいると殺されてしまう」と騒ぎ出したこともあったという。

 ■帰国直後に出る遅発疲労の障害
 第1次カンボジア派遣施設大隊長を務めた元東北方面総監の渡邊隆氏は言う。
「カンボジアへの派遣以降、海外に派遣された自衛隊員で自殺をした人は59人います。PTSD(心的外傷後ストレス障害)は個人個人に影響があると考えないといけない。『弱い』と言ってしまったら、そこで終わってしまうのです」
 前出の防衛省関係者によると、恐怖によるPTSDなど「高強度のストレス」だけでなく、現地での仕事の単調さ、駐屯地や船内など密閉された中での人間関係による「低強度のストレス」が原因となることも多かったと話す。
「たとえば、イラクまで来たのに宿営地の売店で働く隊員が『仕事の達成感が得られない』と感じたり、あるいは環境が激変して夏の気温が60度を超える暑さに不快感を感じたりする人もいる。現地の人たちとの対人関係や、上司から適切な評価を得られなかったことなども、低強度ストレスに含まれます」
 それでも治療が必要な隊員はまれで、症状が出るのは日本に帰国してからがほとんどだった。8月まで陸上自衛隊のメンタル教官で、『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』(朝日新聞出版)の著書がある下園壮太氏は言う。
「『遅発疲労』と呼ばれるもので、現地では極度に高まった緊張感のために感じなかった疲れが、帰国して落ち着くと、一気に出てくる。私たちは『荷下ろし』と呼んでいますが、そこでストレス障害を発症するケースが多い」
 そして帰国した自衛官がストレス障害を発症し、家族関係が危機に陥ったケースも多くあった。
 07年に発表された『国際安全保障』に掲載された自衛官の妻への聞き取り調査によると、40代の幹部自衛官は、イラクに7カ月滞在し、帰国した直後から頭痛に悩まされるようになった。その原因は「脳内の血流が下がった」からだという。
 性格もまったく変わってしまった。ちょっとした言葉に敏感に反応し、普通に話していたかと思うと、突然機嫌が悪くなる。棚の上に手を伸ばしただけで「自分の頭の上に手を伸ばした」と言って怒り出す。病院で「ストレス障害」と診断され、3カ月半入院した。症状が悪化していたときは、妻も「気が滅入って」しまったという。
 海外派遣で大きなショックを受け、今もPTSDに悩む人もいる。
 元航空自衛隊3曹の池田頼将さんは、06年4月にクウェートに派遣された。任務は、主に各国と日本のファクスのやり取りを管理する通信係だった。
「赴任地はクウェート軍の基地内でしたが、地雷が埋め込まれている場所もありました。米軍が地雷の処理をすると、爆発音で窓ガラスが震え、地震のように建物が揺れる。敵に攻め込まれることはなくても、緊張感がありました」
 PTSDの原因となった事件があったのは、同7月に基地内で行われたマラソン大会だ。参加した池田さんは2・5キロの折り返し地点を回った直後、後ろからドスンという音がし、体ごと吹き飛ばされた。
「気がついたときは米軍の医務室でした。米軍が雇っていた民間のバスが、前方不注意で私の左半身を背中からはねたそうです」
 一命はとりとめたものの、首や肩の痛みが激しく、まともに動くことができなくなった。職務に復帰してからも、ソファで横になりながらでないと作業ができない状態が続いた。上官には繰り返し日本に帰国して治療を受けたいと訴えたが、1カ月半放置され、結局、任期満了の8月下旬になってようやく帰国できた。

 ■自衛官が戦場で抱えるトラウマ
 日本で精密検査を受けると、「外傷性顎関節症」と診断された。しかし、すでに治療は手遅れだった。いまでも口は1ミリ程度しか開かず、食事も流動食だ。取材時も座ったままでの会話は難しく、時おり机の上にうつぶせになる。
「日本に帰ってからは、夜は眠れず、うつ病にもなりました。夜中に心臓がバクバク鳴って、息苦しくなるんです。事故のフラッシュバックもあって、今でも何もないのに後ろを振り返ってしまう。『死にたい』と何度も思いました」
 帰国後、池田さんは、からだが不自由になったことでパワハラやいじめを受け、11年10月に依願退職に追い込まれた。公務災害で出た補償金は、800万円程度。妻と3人の子どもがいるが、障害が残っているために再就職もできない。結果として、離婚せざるをえなくなった。今では生活保護を受けながら、一人で暮らしている。
 前出の下園氏は言う。
「多くの自衛隊員は、国のためになるのであれば、危険な場所に行く覚悟を持っています。ただ、海外派遣される隊員の心のケアは、まだまだ足りていません。メンタルヘルスの専門家を増やし、隊員への教育も拡充していく必要がある」
 イラクで激しい戦闘をした米国では、帰還した兵士のメンタルヘルスがすでに社会問題になっている。
 米陸軍の調査を紹介した報道によると、イラクから帰還した3〜4カ月後の兵士の約3割に、精神的な問題が出た。12年には、現役米兵の自殺が349人にのぼり、同年のアフガニスタンでの戦死者(229人)を上回った。
 しかし、日本にとってこの現象は対岸の火事ではなくなるかもしれない。冒頭で紹介したように、自衛隊の「駆けつけ警護」で、自衛官のリスクが上がる可能性が高いからだ。
 自衛隊のイラク派遣当時、内閣官房副長官補を務めた元防衛省幹部の柳澤協二氏は指摘する。
「米国の海兵隊員の話を聞くと、イラクでは『とにかく動くものは何でも撃て』という命令が出ていたので、『怪しい奴だと思って撃ち殺したら、コーランを持ったおじいさんだった』という話がたくさんあるわけです。殺した方のトラウマはすごいものがある。今回はイラク復興支援以上のことをやれる法案になっている。そういう問題を議論しないまま、法案が通ってしまうことに危機感を感じます」
 前出の自衛隊員がこう心情を吐露する。
「イラクに一緒に行った隊員はずっと、『いつやられるのか、という悲惨な場面がフラッシュバックのように、頭に浮かんでしまう』と悩んでいた。私が知っているだけでも、精神的に参って辞めたり、病院に行っていたりするのが数人いますから、全国的にはかなりの数じゃないですか。いま、自衛隊の夫婦の間では、戦場に行く可能性がある夫は辞め、妻が収入を確保するため、仕事を続けるという話も出ています」
 前出の池田さんは近所で安保法制に反対するデモがあると、調子がいい日は参加している。
「安保法案が通れば、僕みたいに捨て駒にされる自衛官が増えます。犠牲者をこれ以上、一人たりとも増やしてほしくないんです」
 4月に合意された日米ガイドラインの内容に合わせるように作られた今回の安保法案。成立を急ぐあまり、国会では自衛官の命が置き去りにされているのではないだろうか。
 (本誌・西岡千史、長倉克枝/今西憲之、横田一)

 【写真説明】
(写真左から)航空観閲式で巡閲する安倍首相、小池議員が明らかにした統合幕僚監部の内部資料、サマワの宿営地に入る自衛隊員(2004年)、クウェートに到着した自衛隊員たち(06年)
インド洋に向けて出港する海上自衛隊の補給艦「ときわ」(2002年)


◆2015/07/30 「元自民県議ら、法案反対訴え 名古屋・栄で集会 【名古屋】」『朝日新聞』朝刊

 安全保障関連法案への反対を訴える集会が29日夜、名古屋・栄であった。約2千人(主催者発表)が参加し、元自民党愛知県議や元自衛官も壇上で訴えた。弁護士らが発起人の市民団体が主催した。
 元自民党県議で弁護士の梅村忠直さん(65)は「首相が何を言っても間違っているものは間違い。憲法に違反する法案を提出してはいけない。(この問題に)右も左もない」と声をあげた。元航空自衛官の水上学さん(41)は「自衛官の仕事は国を守ること。海外で武力行使をすることではない」と訴えた。
 元航空自衛官の池田頼将さん(43)も会場で紹介された。イラク復興支援でクウェートに派遣されてけがを負い、国に損害賠償を求めている。「安全な地域と言われて派遣され、けがをしても十分に国は補償しない」と取材に話した。


◆2014/05/16 「(集団的自衛権)近づく戦場の現実 隊員は、家族は 【名古屋】」『朝日新聞』朝刊

 この国はどこへ向かおうとしているのか――。憲法解釈を変えてまで、集団的自衛権の行使を認めようとする安倍政権。日本が再び戦争できる国になることを恐れる声が高まる。自衛隊員やその家族、身をもって戦争の悲惨さを知る元日本軍兵士らに思いを聞いた。

 ■迫られる死の覚悟
 「決まれば、命を捨ててでもやることになる」。航空自衛隊小松基地(石川県小松市)。40代の男性隊員は集団的自衛権をめぐる解釈変更の是非には触れず、こうつぶやいた。
 1961年に開設された小松基地は日本海側で唯一、戦闘機部隊が配備されている。平時は日本海の領空侵犯の警戒が主な役割。だが、集団的自衛権の行使が容認されると、朝鮮半島で同盟国の米軍が関わる武力衝突が起き、日本に重大な影響が出ると判断されたケースでは、小松基地の戦闘機が戦線に加わる可能性も出てくる。
 同基地の30代隊員の妻は「自衛隊は戦争をしないとずっと思っていたので、複雑な気持ち」と言う。幼い子ども2人を育てる。「残業代も十分に出ないのに、多くの隊員は『命令に従う』としか言わない。まるで洗脳されたかのよう」
 関東地区の20代の陸上自衛隊員は言う。「死ぬ可能性は、今より高くなる。でも、戦争で死ぬのは我々の任務。集団的自衛権の行使に賛成か反対かと聞かれれば、賛成です」。武器にあこがれて10代で入隊したが、国を守る意味を考えるようになったという。
 陸自信太山駐屯地(大阪府和泉市)の30代の隊員は東日本大震災の救助活動に加わり、「人を殺さず、助ける軍隊でいいじゃないか」と思うようになった。「射撃訓練で人の形をした的を撃つが、いつも後味が悪い。日本の国民が巻き込まれていない戦地に行くのが自衛隊の任務なのか。安倍さんは自分の思いだけで突っ走らないで」
 陸自北部方面総監部(札幌市)に所属する30代の2曹は「実感がない。実際に現場に行くのは、階級的に僕らが一番多い。でも、現場が必要としているというより、安倍総理がやりたいことをやり、政治の道具になっている」と話した。
 名古屋市に住む元航空自衛官の男性(40代)は「現役隊員の中には、日本が集団的自衛権を行使する日がくると覚悟している人が少なからずいた」と振り返る。でも、この男性は政治が止めてくれる、と信じていた。安倍政権はいともあっさりと、それを認めようとしている。「隊員はこれまでより危険な目にあう。家族にもその覚悟はあるのだろうか。やりきれない」と話した。

 ■消えぬ派遣の後遺症 元自衛官
 「集団的自衛権を行使して自衛隊が海外で戦ったら、私のような被害者がまた出るだろう」。イラク復興支援で航空自衛隊小牧基地(愛知県小牧市)からクウェートに派遣された元自衛官の池田頼将(よりまさ)さん(42)は、そう話す。
 池田さんは3等空曹だった2006年7月、派遣先のクウェートで米軍関連企業のバスにはねられた。あごや上半身にけがをし、後遺症が残ったとして、国に損害賠償を求めて名古屋地裁に提訴し、係争中だ。
 池田さんは「クウェートは危険度が低いと言われていた。でも、イラク軍が設置した地雷を米軍が爆発させて撤去しており、隊舎が揺れる経験をした。安全な派遣地域なんてないと思った」と振り返る。
 集団的自衛権の行使が認められれば、自衛隊はさらに危険な地域へ派遣される、とみている。「反対の世論が強まる中で、自衛官にけが人や死亡者が出れば、国は事実関係を明らかにし、十分な補償をするだろうか。隠したりはしないか」。自身の経験に照らして、そう危惧する。
 池田さんによると、事故後、現地の部隊ではコルセットをする程度の治療しか受けられなかったという。早期帰国の訴えも認められず、帰国は約2カ月後の06年8月末になった。国は裁判で、「帰国が遅れたことは不当ではない」としている。
 公務災害は認められたが、10年12月、完治したとして、医療費の補償を打ち切られた。11年10月に依願退職に追い込まれ、12年9月に提訴した。
 不眠やうつなどにも悩まされ、新たな仕事に就けず、妻と離婚。子どもたちとも離れて現在、大阪府内で一人で暮らしている。手の震えや体の痛みが続き、一日の大半を横になって過ごす日が多いという。
 池田さんは「おかしな方向に政治が向かっている。憲法9条の解釈変更で、性急に集団的自衛権の行使を認めるのではなく、国民にしっかり考える時間を与えて欲しい」と話す。
     ◇
 空自のイラク派遣については、名古屋高裁が08年4月、「多国籍軍の武装兵員を戦闘地域であるバグダッドに空輸することは、他国による武力行使と一体化し、憲法9条などに違反する」との判断を示した。この訴訟の弁護団事務局長だった川口創(はじめ)弁護士(41)は「安保法制懇は安倍首相の私的諮問機関に過ぎない。安倍政権は正当性のない、その報告書を基に国の根幹にかかわる憲法を変えようとしている。国民主権をないがしろにする行為だ」と批判する。(渋井玄人)

 ■各地で「NO」
 集団的自衛権の行使容認に反対する市民の集会が15日、各地で開かれた。東京・永田町の首相官邸前では約2千人が、JR名古屋駅前では25人が集まり、「解釈改憲、絶対反対」「戦争できる国にすることは許さない」などと訴えた。
 名古屋駅前の集会に参加したNPO法人職員の内田隆さん(38)は「憲法解釈の変更による行使容認は姑息(こそく)なやり方」と批判。話を聞いていた福祉関連の会社を経営する土方雅幸さん(39)は「無理やりな流れでここまで来ている印象だ。高齢者福祉など国内の問題にも目を向けてほしい」。

 〈+d〉デジタル版に動画
 【写真説明】
障害者手帳を手にする池田頼将さん=大阪府
首相官邸前で集団的自衛権行使容認に反対の声を上げる人たち=15日午後、矢木隆晴撮影
名古屋駅前で抗議の声をあげる市民グループ=15日午後、名古屋市中村区、相場郁朗撮影
(集団的自衛権)遠のく平和の理念 企業・NGO、旧日本兵 【名古屋】

 ■「非軍事」が強みなのに 企業・NGO
 ビジネスや国際貢献で海外と関わっている人たちは、懸念を深めている。
 中国との取引がある名古屋市のメーカーに勤める30代男性は、今後のビジネスを心配している。
 尖閣諸島をめぐる問題で、日中関係が悪くなったころ、1年間かけてまとまりかかった4千万円以上の商談が破談になった。
 「中国は国家と企業の関係が密接な国。今の日本の動きは中国にとって喜ばしいものではないだろう。取引がまた不安定になると思うとがっかりだ。安倍首相は急がずに、しっかり内外に説明をして欲しい」と話した。
 中国に進出したネット通販会社の現地法人は尖閣問題以降、中国から次々に撤退する日本企業を横目に、売り上げを伸ばしてきた。だが、40代の男性社長は「今回は大きな転換点になる」と予感している。「海外で暮らす日本人は結果を残そうと踏ん張っている。影響が出ないようにしてほしい」
 2005年から6年間、アフガニスタンで医療活動や教育支援をしてきたNGO「日本国際ボランティアセンター」の長谷部貴俊事務局長(41)は「日本の支援には『非軍事』のイメージがあり、好意的に受け止められていた」。しかし07年ごろ、自衛隊がインド洋で多国籍軍への給油活動を行っていることが現地で報道されると、アフガン人から「日本はいい国だと思っていたが残念だ」と言われた。
 支援活動には現地の人の協力が欠かせないが、外国軍は反発の対象になる。集団的自衛権を行使し、自衛隊が軍事行動に加わることがあれば、NGOも含めた日本人全体が反感を買いかねない。「憲法9条による平和主義の精神を生かし、日本の国際貢献の強みにすることはできるはずなのですが」

 ■なぜ再び戦争できる国に 旧日本兵
 中国、沖縄の最前線で戦い、約30年前からその証言活動を続ける三重県桑名市の元陸軍伍長・近藤一さん(94)は、政権の動きに悔しさを感じる。「国内だけで300万人が犠牲になってようやく憲法9条を得たのに、なぜまた戦争のできる国にならなければいけないのか」
 殺すか、殺されるか。戦場の狂気は人を変える。商店従業員だった近藤さんも中国の前線に連れていかれると、無抵抗な捕虜に銃剣を突き刺した。戦友は「こいつらの息子が仲間を殺した」と老人の耳をそいだ。今の若者もどうなるか。「そんな状況をつくらないのが、政治じゃないですか」
 沖縄では、圧倒的な米軍兵力を前に無力だった。背中から撃ち抜かれ、野戦病院に運び込まれたが、ろくに薬もない。鎖骨が折れたまま、三角巾で右手をつって前線に戻った。「銃も撃てず、殺されに行くようなもの。それでも逃げられない。それが戦争です。またやれ、と言うんですか」
 集団的自衛権の行使を認める理由として、中国や北朝鮮との緊張関係をあげる政治家や識者の言動が許せない。「中国で日本軍の兵士が何をしたか。親兄弟に話せないことをした。それを知らない。知ろうとしてないんじゃないですか」
 思い出すのは、「チャンコロ」と中国人をバカにし、戦争を正当化した、かつての自分たちの言動だ。
 1980年代、沖縄戦での日本軍の横暴が教科書記述で問題になった時、「最前線で捨て石にされた兵士のことが知られていない」と証言を始めた。近藤さんが所属した約200人の部隊のうち、生き残ったのは負傷兵ら11人だけだった。
 各地の市民集会で講演し、取材にも答え続けてきた。戦場の真実を伝えるのが、義務だと思ったからだ。「もう一、二度、あの敗戦の苦しみを味わわなければいけないんでしょうか」(編集委員・伊藤智章)

 ■「殺した」痛み、胸になお
 同盟国など他国への武力行使に反撃する集団的自衛権は「必要最小限度」の自衛権にあたると憲法解釈を変更し、認めようとする安倍政権。その姿勢に、岐阜県恵那市の元陸軍伍長・西尾克己さん(94)は強い懸念を示す。
 「限定行使という枠をはめたとしても、戦時では解釈はいかようにも変わる」と考えるからだ。「いったん戦火を交えると引けなくなるのが戦争。成り行きによっては、政府の力量を超える事態になる」
 西尾さんは開拓団員として旧満州(中国東北部)に渡り、現地で召集された。抗日「八路軍」の情報を聞き出そうとしたが抵抗され、農民1人を撃った。「機関銃の射手だったから、ほかにも殺したかもしれない」
 平成になってから証言活動を始めた。「殺した」ことが、胸の奥底に沈殿していた。「『偶発』に引きずられるのが戦争で、『刹那(せつな)』で動いてしまうのが兵士。民間人をあやめることもある」
 憲法改正ではなく、解釈を変えることで「戦争ができる国」に急旋回する安倍政権。西尾さんは「米国追従のご都合主義だ」と批判する。「戦うことに、ためらいがなくなっているのが怖い」
 西尾さんは昨年7月、岐阜県内の証言活動で「自国の戦争行為を検証し、過去の過ちに学ばないと、国は滅びる」と訴えた。
 「国にも守るべき道徳はある。現憲法の基本『専守防衛』を貫いてほしい」(森川洋)
 【写真説明】
近藤一さん
西尾克己さん


◆2012/09/27 「元自衛官、賠償求め国提訴 イラク支援「クウェートで事故、後遺症」 地裁【名古屋】」『朝日新聞』

 イラク復興支援で航空自衛隊小牧基地(愛知県小牧市)からクウェートに派遣された際に、訓練中の事故で大けがをしたのに十分な治療が受けられずに後遺症が残ったとして、元自衛官の男性が26日、国に約1億2300万円の損害賠償を求める訴えを名古屋地裁に起こした。
 男性は、当時3等空曹だった新潟市の池田頼将(よりまさ)さん(40)。訴状によると、池田さんは2006年4月にクウェートに派遣され、同年7月の訓練中に道路で米軍関連企業のバスにはねられ、首をねんざするなどした。しかし、現地の民間病院で首にコルセットをはめる程度の治療しか受けられず、早く帰国したいと希望したが、帰国が認められたのは1カ月余り後だった。
 公務災害が認められたが、10年12月には完治したとして医療費の補償を打ち切られ、昨年10月に依願退職した。
 会見した池田さんは「事故後すぐに帰国させてくれれば、もっとまともな体でいられた」と訴えた。航空幕僚監部広報室は「関係機関と調整の上、適切に対処する」としている。


◆2012/09/27 「「けがで後遺症」賠償求め提訴 中東派遣の元3等空曹=中部」『読売新聞』朝刊/中部 32頁

 イラク特措法に基づいて航空自衛隊小牧基地(愛知県小牧市)からクウェートに派遣された元3等空曹の池田頼将さん(40)(新潟市中央区)が、現地で負傷し後遺症が残ったとして、国に約1億2350万円の損害賠償を求める訴えを26日、名古屋地裁に起こした。
 訴状によると、池田さんは2006年7月、米軍主催のマラソン大会に参加した際、民間バスにはねられたが、空自では適切な治療が受けられなかった。派遣期間満了の同年8月に帰国後、外傷性顎(がく)関節症と診断され、口がほとんど開かないなどの後遺症があるといい、「早く帰国させて適切な治療を受けさせるべきだった」と主張している。
 航空幕僚監部広報室は「治療は適切に実施したと認識している。訴状を確認し、関係機関と調整のうえ対処したい」としている。


◆2014/06/27 「特集ワイド:続報真相 集団的自衛権と特定秘密保護法 懸念される自衛隊の「ブラックボックス化」」『毎日新聞』東京/夕刊 12頁

 集団的自衛権の行使を容認する閣議決定の議論が大詰めを迎え、足並みをそろえるように特定秘密保護法の施行の準備が進む。憲法9条を空文化する閣議決定と秘密保護法施行が一緒になると、何が起こりうるのか。迫りつつある「自衛隊のブラックボックス化」の危険を探った。

 ◇イラク派遣差し止め訴訟 政府は「墨塗り」資料提出
 自衛隊のイラク派遣から10年。「人道支援」という政府の説明とは大きく異なる派遣実態が明らかになってきた。
 「ある書類」をご覧いただきたい。1枚は墨塗り、1枚は墨塗りが取り払われている。そこで明らかになっているのは「自衛隊が憲法違反をしていた事実」である。
 最初から説明しよう。2003年3月、大量破壊兵器の査察受け入れを拒否していたイラクに対し、米国は英国などと開戦に踏み切った。ロシアや中国の反対を押し切る形だったが、小泉純一郎政権(当時)は米国を支持し、同年7月にイラク復興特別措置法(イラク特措法)を成立させた。「非戦闘地域」で「人道支援」を行うため、5年間で陸海空の隊員延べ1万人がイラクに派遣された。
 <10・23(月) 米陸軍51 米海軍4 米空軍1 米軍属5 人数61>。書類に書かれた数字は、06年10月23〜29日に、クウェートのアリアルサレム空軍基地からイラクの首都バグダッドに航空自衛隊が空輸した米兵の数を示す「週間空輸実績」だ。

 当時「自衛隊のイラク派遣は憲法違反」として派遣差し止めを求める訴訟が各地で起こされていた。05年以降、防衛省は、訴訟団に対し5回にわたって「墨塗り」の文書を出し続けた。だが、民主党への政権交代後の09年9月に全面開示された。それによると、06年7月から08年12月までに空輸した2万6384人のうち、米軍が1万7650人と3分の2も占めていた。
 実は、公開に先立つ08年4月、名古屋高裁が空自の空輸活動について「他国による武力行使と一体化した行動であって、自らも武力の行使を行ったとの評価を受けざるを得ない」と認定し、憲法9条とイラク特措法に違反しているとの判断を下した。原告団事務局長の川口創弁護士は「政府はイラクでの人道支援を宣伝するばかりで、自衛隊の活動実態を明らかにしてこなかった。裁判で一番苦労したのは活動実態を明らかにすることだった」と振り返る。おおまかな米兵の輸送人数のほか、人道支援スタッフだけを選別して空輸していないことなど傍証を積み重ね、空輸は「武力行使と一体」と証明した。
 「『空輸実績』を見ると、人道支援物資をイラクに運んだのは最初の1回だけでした。激しい戦闘が行われていたバグダッドの最前線に武装した米兵を多数送り込む輸送であることは一目瞭然だった。最初に公開されていたら違憲判決は容易に勝ち取れた」と川口弁護士はあきれる。
 「非戦闘地域での支援は武力行使との一体化に当たらない」としてきた政府はどう対応したのか。判決は派遣差し止めまでは認めなかったため、福田康夫首相(当時)は「傍論だ。わきの論」と述べ、派遣を続行。空自トップだった田母神俊雄・航空幕僚長(当時)は「私が(隊員の)心境を代弁すれば『そんなの関係ねえ』という状況だ」と発言した。首相、空自トップがそろって「憲法違反」の司法判断を無視した。判決は確定している。
 実際にイラクに派遣されていた自衛隊員たちは無論、実態を知っていた。なぜ内部告発できなかったのか。「非戦闘地域に派遣するという政府の説明がうそなのは輸送機の装備からも明らかだった」と証言するのは06年4月にクウェートに通信士として派遣された元自衛官、池田頼将さん(42)だ。池田さんはクウェートで米軍関係車両にはねられ、現在後遺症などで国を相手取って裁判を続けている。
 イラクに派遣された空自のC130H輸送機はミサイル攻撃のおとりにする火炎弾(フレア)を特別に装備。目立たないよう空と同じ水色に塗装された。激しい戦闘が行われていたバグダッドの空港に着陸する際は狙われないよう大きな円を描いて降下し、火炎弾を放ちながら着陸することもあったという。
 池田さんは「派遣先での秘密は墓場まで持っていくように、と上官から言い含められていた」と明かす。危険な任務による精神的な重圧は帰国後も隊員に影響を与えている。池田さんは精神のバランスを崩し、今も通院中。今年3月までに派遣隊員26人が自殺している。国民平均(おおむね4000人に1人)の10倍以上だ。
 自衛隊内のいじめやパワハラに関する著書を多数発表しているジャーナリスト、三宅勝久さんは「20年前、モザンビークのPKO(国連平和維持活動)に派遣された指揮官は『私たちは憲法の下で仕事をしている』と胸を張っていた。その後、無理な解釈で海外派遣が繰り返されると、憲法や法律を軽んじる幹部の発言が増加。同時に隊内でいじめやパワハラが横行し、その多くが隠蔽(いんぺい)されるようになりました」と語る。
 海上自衛隊の護衛艦「たちかぜ」の乗組員だった男性(当時21歳)の「いじめ自殺」を巡る訴訟では、海自はいじめの有無を全乗員に尋ねたアンケートを「破棄した」と主張した。だが現役3佐が「存在する」と内部告発し、ようやくアンケートを開示した。その一方で、告発した3佐の懲戒処分が取りざたされた。
 このような3佐への対応は自衛隊の隠蔽体質を示すものだろう。特定秘密保護法施行後、その傾向がさらに強まるのではないかと懸念されている。

 ◇「違憲裁判できなくなる」
 12月までに特定秘密保護法を施行するため、国会では関連法整備が急ピッチで進む。秘密法運用をチェックする監視機関を国会に設ける国会法改正案は今月12日、衆院議院運営委員会で自民、公明両党などの賛成多数で可決された。質疑はわずか7時間だった。
 12日に質問に立った後藤祐一議員(民主)は違法な秘密指定があった場合、それを通報した人が秘密を漏らした罪に問われる同法の矛盾を突いた。だが、法案提出者のひとり、大口善徳議員(公明)は「行政内部で現場の声をチェックしていく仕組みが大事」と一般論を返しただけだ。
 後藤議員は「国の安全保障には秘密保護は必要だが、国民の知る権利とのバランスをとる仕組みをどう定めるかが重要だ。内部通報制度は、秘密指定が適正かどうかをチェックする手段になる。秘密保護法に通報者保護の規定を加えるか、公益通報者保護法の改正を検討すべきだ」と提案する。
 冒頭に紹介した空自の空輸実績のようなデータは、秘密保護法施行後は「墨塗り」されてしまうのか。公的機関の情報公開を進めるNPO法人、情報公開クリアリングハウスの三木由希子理事長は「『特定秘密』に指定される情報の多くが現行法下の『防衛秘密』と予想されており、非公開範囲が直ちに広がるわけではない」としたうえで、「今後、集団的自衛権の行使が容認されれば、そのための自衛隊の活動に絡む同種文書は特定秘密に指定される可能性が高い。最高で懲役10年の罰則がある特定秘密保護法が施行されれば、内部告発は今まで以上に難しくなるだろう」と解説する。
 公明党は、集団的自衛権行使容認の閣議決定をめぐり「与党協議で武力行使に一定の歯止めをかけた」とする。だが、もし勝手に歯止めを外すような活動があっても「特定秘密」として開示されなければ誰も検証できない。
 川口弁護士は「新しい閣議決定は歴代政権の憲法解釈を逸脱しており、違憲、無効だと訴えていく。閣議決定に基づく法律や自衛隊の派遣にも違憲、無効の疑いが生じる。しかし、証拠の収集が罪に問われ、内部通報も期待できない状況では、違憲裁判自体が成立しなくなる恐れがある」と訴える。
 違憲の疑いのある閣議決定を経て戦地に派遣され、その活動を国民の目から隠される自衛隊員たちはどうすればいいのか。これは立憲国家の根幹に関わる問題だ。【浦松丈二】


◆2014/06/20 「特集ワイド:続報真相 集団的自衛権行使 「政治家の信念」なんて言われても… 自衛隊員の本音は」『毎日新聞』東京/夕刊 16頁

 ◇「自分の命」の問題です
 「日本国憲法および法令を遵守(じゅんしゅ)し……」。全自衛隊員が入隊時にそう宣誓する。だが安倍晋三政権はその憲法の解釈変更を閣議決定し、集団的自衛権を行使しようとしている。戦場に派遣される可能性のある自衛隊員や家族たちはどう受け止めているのか。駐屯地を訪ね、本音を探った。
 東京・池袋から東武東上線で約15分、さらに住宅街を歩いて20分。今月中旬、首都防衛を担う陸上自衛隊東部方面総監部のある朝霞駐屯地(東京都練馬区など)は、陸海空から精鋭チームが集まる週末のバレーボール大会の準備が進められていた。
 「政府のいう『限定容認』とか『3要件』とか。現場の人間からすると何のことかさっぱり分からない。机上の空論だ」。大会関係者らしき隊員に声をかけ、近所の居酒屋ののれんをくぐると、生ビール2杯で本音が噴き出した。
 制服姿や日焼けした角刈りの男性でにぎわう「基地の街」ならではの店内。上司と焼き肉をつついていた若者も話を聞かせてくれた。3等陸曹だという。「現場で起きることは、紙芝居のような物語ではない。想定外のことが起きたら『限定容認された範囲外だから』と現場を放棄しろとでも言うんですか」
 3等陸曹はビールをあおりながら続ける。「一言で言えば、政治家が今している議論はリアリティーがなさすぎる。パネルで説明なんてナンセンスですよ」と、5月の会見で、パネルを持ち出して集団的自衛権の必要性を訴えた安倍首相をあてこすった。
 近くにいた30代の2等陸曹も「結局、政局の話でしょう。いつもの展開になりつつありますね」とため息をつきながら焼き鳥の串を置いた。安倍首相が2度目に就任した後「どんな人だろう」と著書「新しい国へ」を読んでみた。1990年代のカンボジア国連平和維持活動(PKO)などについて「国会の議論と現地の実情は、大きく乖離(かいり)していた」と指摘したくだりが目に留まった。「『手足を縛られた状態』で海外に派遣される自衛隊を本気で変えてくれるのではと期待しました」。だが、集団的自衛権の議論には失望させられたという。
 「憲法の解釈をただ変えると言われても……。妥協して中途半端に終わるなら最初から何も変えない方がいい。『政治家の信念』なんて言われても、現場で命をかける私たちには響いてこない」
 気持ちを語ってくれた自衛官の多くは匿名を条件に、なし崩しに自分たちの任務が拡大する懸念を一様に口にした=表。富士山麓(さんろく)の演習場で訓練を指導する40代の幹部は「『国を守る』という目的は何ら変わらないでしょう。しかし、今の議論は『どうしたら閣議決定できるか』だけが焦点になっている。要するに私たちの実際の任務をどうするかは二の次なんですよ」とあきらめ顔だ。
 東海地方のある陸自幹部も「不安がないと言えばうそになる」と打ち明ける。「本来、武器の使用基準や部隊行動の判断基準なども含め、精緻な議論をすべきだ。だが、十分に尽くせたか疑問に思う」
 東海地方の駐屯地に勤める30代の陸曹長は「国際貢献や災害派遣で人の役に立ちたいと入隊したのに、自衛隊の活動内容の拡大に歯止めがかからなくなると、自分の命の問題になってくる。命をかけて国を守るのは建前だが、正直不安しかない」と打ち明ける。
 家族感情も複雑だ。陸自勤務の夫を持つ女性(30)の自宅を訪ねると「何で、新聞各紙の世論調査はこんなに違うんですか」といきなり質問攻めにあった。夫は普段仕事の話はしないが、女性はスマートフォンに集団的自衛権に関する世論調査結果のばらつきを分析する記事を何本も保存していた。「どれが真実に近い数字かはともかく、ある意味、国民の意見が割れていることは明らかでしょう。そんな状況の中であわてて決めても、いざというとき国民は自衛隊の活動を支持して、隊員や家族を『守って』くれるのでしょうか」
 北海道で任務に就く息子がいる都内の会社員男性(51)も不安を口にする。「憲法解釈の変更は、肝心な国民の声を聞き漏らしているように思える。息子は何も言わないけれど自衛隊にとっては大きな転換点。国民の理解と後押しは本当にあるのか。選挙で国民の信を問うべき重要な話ではないでしょうか」
 自民、公明両党は妥結ありきの協議を繰り返し、安倍首相は閣議決定を急ぐが、現場の隊員や家族の声は置き去りにされたままだ。

 ◇派遣先の事故「隠蔽」
 集団的自衛権を容認した先には何があるのか。自衛隊に交戦による負傷者はないが、事故の負傷者は出ている。イラク戦争で2006年にクウェートに派遣された元航空自衛隊員の池田頼将(よりまさ)さん(42)を大阪府の自宅に訪ねると「自分のような人を二度と出さないでほしい」と苦しそうに訴えた。帰国後8年近く経過した今も後遺症でほとんど口が開けられない。
 「入隊当時、危険な任務は災害派遣ぐらいしかなかった。海外に派遣されるとは夢にも思わなかった」。池田さんが自衛隊に入隊したのは91年。当時、大工見習などをしていた池田さんは自衛隊募集担当の熱心な勧誘を受けた。入隊後は成績上位者が配属される通信隊員として小牧基地(愛知県)で勤務。20歳で結婚、子ども3人に恵まれた。
 ところが、イラク戦争が03年3月に勃発。小泉純一郎政権は早々に対米協力を打ち出し、7月にイラク復興特別措置法が成立。自衛隊の活動地域は「非戦闘地域」に限るから憲法には抵触しないというのが根拠だった。法成立を受けて陸自はイラク・サマワで医療や給水支援などを、空自はクウェートを拠点にイラク国内への物資輸送を担う。入隊15年のベテランだった池田さんは06年4月にクウェートのアリアルサレム空軍基地に通信士として派遣された。
 「空港到着後、乗せられたバスの窓は黒いカーテンで覆われていた。軍車両だと思われると自爆テロの標的になるため、制服の私たちを隠すためでした。バグダッドへの空輸機もいつ撃墜されてもおかしくなかった。『非戦闘地域』は全くのうそでした」
 空自が派遣したC130輸送機は「人道復興支援」の名目だったが、輸送人員の3分の2が米兵だったことが後に判明。08年に名古屋高裁はこれを「他国による武力行使と一体化した行動」として憲法違反の判決を出し、確定している。無理な派遣は池田さんの事故にも影を落とした。
 派遣から3カ月後の米独立記念日の7月4日。池田さんは米軍主催の長距離走大会に自衛隊から参加。先頭グループで折り返し地点を回ったところで、軍事請負最大手・米ハリバートン社の関連企業の大型バスに後ろからはねられた。全身を強打し、気を失う。その後、日米両国から信じられない扱いを受ける。
 「運び込まれた米軍の診療所では小指の先ほどもある錠剤4錠を飲まされ、目が覚めたのは23時間後。自衛隊で治療を受けようとしても保健室のような施設しかなかった。治療のために帰国を願い出ても便がないと拒否されました」。池田さんはコルセットをして横になったまま勤務を続けるしかなかったが、日本から要人が視察に訪れると、上官から「コルセットを外せ」と命じられたという。「非戦闘地域」で負傷者を出したことを自衛隊が進んで公表することはなかった。
 事故から2カ月後、任務を終えて帰国し、愛知県小牧市内の病院で受診すると「なぜこんなに放っておいたのか」と医師に問われた。首や肩のけがのほか、顎(がく)関節症は特に重症で早期回復は難しいと診断された。「小学校6年の長男とキャッチボールをする約束をしていたのに、満足に動けない体になってしまった」。池田さんは続ける。「集団的自衛権の行使には反対です。自衛隊は国を守るための組織であり、無理をして海外に派遣して事故が起きたら、私のように隠蔽(いんぺい)されてしまう」
 池田さんは12年9月、名古屋地裁に後遺障害などの国家賠償請求の訴えを起こした。国側は「障害は原告主張ほど重くない。事故を隠蔽した事実はない」などと全面的に争う。
 時の政権が解釈を変えても憲法の条文と戦場の現実は変わらない。集団的自衛権行使容認の先には、違憲訴訟、国家賠償訴訟の続発が予想されている。【樋口淳也、浦松丈二】


◆2012/09/26 「損賠訴訟:元自衛隊員が国提訴 イラク派遣で障害残る−−名地裁」中部/夕刊 7頁

 イラク戦争で06年、航空自衛隊小牧基地(愛知県小牧市)からクウェートに派遣された元自衛隊員の池田頼将さん(40)=新潟市=が現地の基地で車にはねられ重傷を負ったのに十分な治療を受けられず、早期帰国も認められなかったとして、慰謝料など計約1億2300万円の賠償を国に求める訴訟を26日、名古屋地裁に起こした。
 代理人の弁護士によると、イラク特措法に基づき派遣された自衛隊員が国を訴えるのは初めて。バグダッドへ武装した米兵らの輸送を航空自衛隊が始めた時期で、対米支援を円滑に進めるため、事故を隠した可能性を指摘している。
 訴状によると、池田さんは通信士として06年4月、クウェートの空軍基地に着任。同7月、米国の独立記念日を祝い基地内で開かれたマラソン大会で、前を走る米兵を追い抜いた際、米軍から業務を請け負う軍事会社の大型バスに背後からはねられ、顎(あご)や肩に重傷を負った。
 施設の整った病院への搬送を求めたが、与えられたのはコルセットと睡眠薬のみ。数日後、上司に案内された地元の病院では医師と意思疎通ができず、十分な治療を受けられなかった。
 帰国を強く求めたが、認められたのは任期満了の同8月末。空自は早期に帰国させ、適切な治療を受けさせる義務があったのに放置し、顎(がく)関節症などの障害が残ったとしている。この後、障害が原因で空自のいじめや嫌がらせを受け、昨年10月に依願退職した。


◆2012/08/27 「損賠訴訟:空自元隊員、06年クウェートで米軍バスにはねられ障害 賠償求め国提訴へ」『毎日新聞』東京/夕刊 9頁
 
 イラク戦争に派遣され、クウェートで米軍車両にはねられて重傷を負った元航空自衛官の池田頼将(よりまさ)さん(40)=新潟市中央区関屋=が「自衛隊が事故隠しのような態度を取り、適切な治療を受けられなかった」として、国に損害賠償を求める訴訟を9月下旬に名古屋地裁に起こすことが27日、代理人弁護士への取材で分かった。
 代理人弁護士によると、池田さんは3等空曹だった06年4月、空自小牧基地(愛知県小牧市)から通信士としてクウェートの米空軍基地に派遣された。同年7月の米軍主催の親善長距離走大会で先頭を走っていて、民間軍事会社の米国人女性が運転する米軍の大型バスにはねられて意識を失い、気付いたら空自の自室ベッドに寝ていたという。
 池田さんは現地で適切な治療を受けられず、事故から約2カ月後に帰国した後は口がほとんど開かなくなった。
 今は流動食しか食べられず、身体障害者4級に認定されている。池田さんは11年、依願退職した。
 代理人は「早期に帰国するなどして治療していればここまでひどくならなかったと思う。池田さんが指摘するまで自衛隊は公務災害補償の手続きをしなかった」と話している。
 航空幕僚監部広報室は「(池田さんは)米軍の医務室での投薬など適切な治療を受けた。早期帰国を申し出たという認識はなく、治療しながら働けたと考えている。提訴は把握しておらず、現時点ではコメントできない」と話している。【山口知】



*作成:桐原 尚之
UP:20170906
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