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石川 清

いしかわ・きよし
1924〜

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石川 清(いしかわ きよし、1924年 - )は日本の精神科医。元東京大学講師。
略歴 [編集]1971年(昭和46年)、日本精神神経学会評議員として、東大教授で元同会理事長の台弘を、人体実験の件で告発[1]。
著作 [編集] 単著 [編集]現代教育亡国論 (実業之日本社)
翻訳 [編集]『精神医学小史』エルヴィン・ハインツ・アッカークネヒト/ 医学書院(1976/12)
台(臺)人体実験批判



◆石川 清 1968 「精神分裂病の「硬さ」と「冷たさ」について」,秋元波留夫教授還暦記念刊行会編[1968]
◆石川 清・阿部 完市 1968 「神経性不食症患者の長期予後と治療機転について」,秋元波留夫教授還暦記念刊行会編[1968]
◆石川 清 1968 「秋元波留夫教授と東京大学精神医学教室」秋元波留夫教授還暦記念刊行会編[1968]
*秋元波留夫教授還暦記念刊行会 編 19680625 『秋元波留夫教授還暦記念論文集・上巻』,秋元波留夫教授還暦記念刊行会,365p. ASIN: B000J9VUYW [amazon] ※ m.
◆石川 清 19730915 「台氏人体実験批判の総会可決に際して考える」『精神医療』第2次3-1(11):21-30
◆石川 清 19790525 『現代教育亡国論――精神科医の現場からの発言』 ,実業之日本社,218p. ASIN: B000J8HB2S 1200 [amazon] ※ m.

■言及・引用

◆「東大闘争以来、東大病院精神神経科病棟(通称赤レンガ)は全共闘系の東大精神神経科医師連合(石川清委員長)が自主管理する東大内全共闘系唯一の拠点として知られている。もっとも民青系等、反全共闘派は、これを不当占拠とよび、台東大精神神経科主任教授らとともに「不当占拠解体」を目指してきた。この東大闘争以来の矛盾が昨今、東大構内に活火山的様相を呈し始めている。」(高杉[1972])

◆「わたしの教授時代には予想もしなかったことであり、精神科教室のそんな状態を傍観するに忍びない心境であった。/一九六九[…]年六月二十七日夜のことであった。精医連発足当時の指導者で、わたしの教授時代の医局長でもあり、親しくしていた石川清君(故人)たち三人の諸君に自宅に来てもらった。早期解決を説得しているさなか、わたしは、なんとクモ膜下出血に襲われ意識不明となってしまった。虎の門病院に緊急入院した。沖中重雄院長(東大名誉教授)のお世話になり、半年ほどの入院で全快できた。ところが、わたしの入院中、東大精神科では最悪の事態が持ちあがっていた。」(秋元[2005:228-229])

◆春日一幸→衆議院議長 1978/03/07 「「東大医学部附属病院精神神経科の正常化に関する再質問主意書」
 http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/a084018.htm

「二 石川清講師は、東大医学部職員として教育、研究、治療については職務上独立の地位にあるとはいえ、教職員人事、施設管理等については何らの権限を持つておらず、従つて自主管理と称して集団で病棟を占拠するがごときは、はなはだしき不法、不当の行為と考えるがどうか。
三 精医連のリーダーであつた石川清講師は現在その地位を退けられ、その後任に森山公夫という東大医学部職員でない医師が実行委員長となつていると伝えられるが、大学当局はこのような無責任な局外者を相手として話合いをしているのか。」

◆石川 清 19790525 『現代教育亡国論――精神科医の現場からの発言』,実業之日本社,218p. ASIN: B000J8HB2S 1200 [amazon] ※ m.

 「次に執筆の理由について、自己紹介を兼ねて若干述べよう。私は本来「主義」を奉じない、いわゆるノンポリの医学部教官であるが、昭和四十三年(一九六八)に始まった東大闘争で、同年十一月に精神神経科医局が解散すると同時に設立された、東大精神科医師連合(約百二十名の精神科医から成る任意加盟の医師集団)の実行委員長(代表者)に公選され、これを昭和五十二年(一九七七)七月に年齢の関係でやめるまで十七期つとめた。その間いろいろと紆余曲折はあったが、因襲的な医局制度の解体、人体実験問題、薬害問題、精神病院不祥事件等々に連合員やその他の同志とともに取りくみ、学内学外でいささか活動した。
 連合は日本精神神経学会でいくつかの宣大決議を採決することに成功し、人体実験や生体解剖を行った教授たちに反省を求めた。
 第五回国際脳神経外科学会(昭和四十九年、一九七四年)では、帝国ホテルの会場に入って、<0004<外国の学者にもアピールした。現在さらに連合はロボトミーやロベクトミーの廃絶に努力し、刑法改正・保安処分の立法化にきびしく反対して、東大精神科仮病棟の自主管理を続けている。
 既述のように私は委員長はやめたが、マッカーサーのようなソルジャーではないから、消え去ったりはしない。
 私は教育者であり、かつわが国最初の大学精神衛生教官であるから、浅学菲才ではあるが、同僚とともにキャンパスの明朗化と教育・研究の効率の向上につとめてきた。
 私はなによりも真っ当な討論を重要視するが、学生や市民との対話を完全に拒否したり、まして権力的対応だけをくり返す者に対しては、「暴力」は正当化されて「武力」となると信ずる。しかし「内ゲバ」はしばしばあまりに短絡的であり、共犯者意識を生じやすく、不毛で悲惨な行為であると思う。
 派閥と身分を超えた討論によって決定された事項を、勇敢に実行に移すことが、責任者にとって一番大切である。しかしこの十年間、学内学外を問わず、当面の重要課題について、無知で不勉強であり、しかも無知をあたかも超俗的な学者らしい態度であるかのように錯覚して、泰然自若としている教授たち、高級官僚たちが多々存することを思い知らされて、彼らの安住の基盤である、現教育体制の変革の必要性を痛感してきた。このことが、教育体制に関して見解を表明する気になった第一の理由である。」(石川[1979:4-5])

◆「一九七八年、年明けと同時に、産経新聞が東大精神科医師連合を攻撃するキャンペーンを開始した。[…]/一方、この年の秋、石川信義の「開かれている病棟」が出版された。石川は一九六八年に群馬県太田市に全開放の三枚橋病院を創設し、一〇年の実践記録を公にしたのである。「開かれている病棟」は、学会闘争という表舞台での空中戦ではなく、日常の臨床の場から改革を問うという意味で説得力を持っていた。全国から三枚橋への見学が集中した。」(藤沢[2010:22]◎)

◆立岩 真也 2013 『造反有理――身体の現代・1:精神医療改革/批判』(仮),青土社 ※


UP:20100731 REV:20130823
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