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池田 清彦
いけだ・きよひこ


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・生物学
・1947生
・山梨大学→早稲田大学

 http://www.logico-philosophicus.net/profile/IkedaKiyohiko.htm

◆池田 清彦 編 20060526 『遺伝子「不平等」社会――人間の本性とはなにか』,岩波書店,240p. ISBN:4-00-005052-4 C0045 2205 [boople][amazon] ※,

◆池田 清彦 200505 『底抜けブラックバス大騒動』,つり人社,127p. ISBN:4885365317 1260 [amazon][boople]
◆池田 清彦 200502 『やがて消えゆく我が身なら』,角川書店,249p. ISBN:4048839101 1365 [boople]
◆池田 清彦 200501 『生きる力、死ぬ能力』,弘文堂,シリ−ズ生きる思想,205p. ISBN:433500060X 1680 [boople]
◆20000401 『臓器移植 我,せずされず』 小学館文庫,222p. 495
 cf.臓器移植

◆池田 清彦+金森 修 20010421 『遺伝子改造社会あなたはどうする』
 洋泉社,新書y028,230p.,680円+税 ※ ** gs

第1章 われわれは遺伝子、DNA情報をどこから得ているのか
第2章 遺伝子問題、それはあるか
第3章 ヒトゲノム解読は何をもたらすのか
第4章 遺伝子改造社会の論理と倫理
第5章 遺伝子組換え作物は安全か
終 章 われわれは何をなすべきか


 cf.立岩 真也 20010804 「池田清彦+金森修『遺伝子改造社会あなたはどうする』について」

 *以下は立岩のデータベースに入っていたものだけ。

『構造主義と進化論』,海鳴社
『構造主義科学論の冒険』,毎日新聞社
『昆虫のパンセ』,青土社
『差別ということば』(柴谷篤弘・竹田清嗣・田中克彦との共著),明石書店
『分類という思想』,新潮選書
『思考するクワガタ』,宝島社
『科学はどこまでいくのか』,ちくまプリマーブックス
『三人寄れば虫の知恵』(養老猛司・奥本大三郎との共著),洋泉社

◆1988   『構造主義生物学とは何か』
 海鳴社
◆1988   「心はどこにあるか――心についての構造主義生物学的アプローチ」
 『理想』640:2-14
◆1990   「多元主義社会への展望」,
 『月刊フォーラム』1990-11・12→池田[1996a:205-236]
◆1990   「動物愛護と文化摩擦」,
 『産経新聞』1990-12-3夕
 →1996 「動物愛護と文化の無根拠性」,池田[1996a:88-92]
◆1992   「虫屋はオタクなのか」,
 『小説新潮』1992-7→1996 「虫屋はオタクか」,池田[1996a:84-87]
◆19960125 『科学は錯覚である 新装版』
 洋泉社,236p. 2000 松本404
◆19960530 『科学教の迷信』
 洋泉社,220p. 1900 松本404

 「たとえば人工的に炭酸同化ができる巨大技術が開発されれば、食物を生体系に依存する必要がなくなるから、エネルギーさえ確保できれば人類は不滅であり、地球の生態系など知ったことかという話になりかねない。」(池田清彦[1990a→1996:229])

※ 能力だけが問題なのであれば、もちろんそういう話になる。にもかかわらず、「知ったことか」とならないとすればそれはなぜか、という問いが立つ。

 「虫オタクが蒿じてくると、時に熱帯雨林に虫採りに行こうなどと考える人が出てくる。そこで彼は図鑑に載っていない虫を思わず集めてしまうことになる。この虫は<物>ではない。対応する観念を持たないからである。ならば何か。それは<自然>である。<自然>を集める人はもはや(p.86)オタクではない。そこで虫屋はオタクを超える。オタクを超えた虫屋は科学者になるわけではない。なぜならば、科学は記号という観念の病だからである。昔はこれを博物学といった。今は博物館はあっても博物学はないから、オタクを超えた虫屋はタイムマシンに乗って一九世紀に戻る他はない。」(池田[1996a:86-87])

 「近年、野生生物愛護の理論的根拠として、アメリカの法哲学者・ストーン氏に代表される論者は、自然物にも法的権利があるとの主張をしている。ストーン氏の論拠は、法人や大学のような人格のないものにも法的権利があるのだから、自然物にも法的権利があって然るべきだというものである。詳しく述べる紙幅はないが、しかしこの論拠は次の二点により破綻する。一つは権利の無限拡張は権利概念の無意味化を帰結すること。一つはいかなる特定の自然物も責任を取れる可能性がない以上、人間と同格の他者にはなれぬこと。」(池田[1990b→1996a:90])

 「@ 動物(人間を含む)の行動パタンには遺伝するものがあると仮定する。…
A ある特定の行動パタンには、それを発現する遺伝子が対応すると仮定する。…
B このように仮定した遺伝子が、自然選択の結果、集団内で増減し、行動パタンの進化が起こると仮定する。
C @ABの結果として、現在みられる行動パタンの存在理由を説明する。」(池田[1996a:197])@については「正しいと思われる」、A「人間にはこの仮定は作業仮説としても妥当しないと思われる」、B「誤っていることは本論で詳述した」
(池田[1996a:197])

 「多くの人々が、競争原理に基づく、自然選択説という進化理論に共感するのは、産業革命以後に確立された資本主義下の競争原理の下で、毎日あくせく働いているからに違いない。このように、考えると、社会生物学の原理によって、人間の様々な行動を解釈する銘うった、巷に流行る幾多の俗悪本は、倒錯の倒錯とでも言うべき循環論に陥っていることがわかるだろう。
 生物の様々な変異のうち、ダメな変異は淘汰されて滅び、有利で役に立つ変異は世界を席捲していく、という自然選択による進化論は、実証によって確立されているわけではなく、我々自身の競争原理社会の代表選手たる進化生物学者の生活実感によって支えられている。」(池田[1996b:18])

 

◆20000401 『臓器移植 我,せずされず』 小学館文庫,222p. 495

序章 反・脳死臓器移植の思想
第1章 死とはどういうことか
第2章 脳死はペテンである
第3章 死の自己決定権について
第4章 人工妊娠中絶と脳死
第5章 臓器移植は欠陥医療である
第6章 ドナーとレシピエントの非対称性
第7章 ドナーになるのは善行なのか
第8章 アンチ・コントロールの思想
第9章 ポスト脳死臓器移植の時代――21世紀の医療の問題点

 ※は立岩研究室にあり

◆立岩 真也 2006/01/12 メモ
 池田清彦氏との対談にあたり


REV:...20060601
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