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ひろまつ・わたる ・廣松 渉 ・ひろまつ わたる ・哲学 ・東京大学(元) * 立岩のデータベースにあったものだけ ◆熊野 純彦 20040420 『戦後思想の一断面――哲学者廣松渉の軌跡』,ナカニシヤ出版,270p. ISBN:4-88848-869-X 2520 [boople]/[bk1] ※ ★広松 渉『唯物史観の原像』三一書房,三一新書 737,238 p. ISBN: 4380710041 683 [boople] ※ ◆ 『科学の危機と認識論』 紀伊國屋書店 千葉教養E514 *◆19690920 『マルクス主義の地平』 勁草書房,209p. 600 ※ *◆19710315 『唯物史観の原像』 三一書房,三一新書737,202p. 550 ※ *◆1972 『現代革命論への模索』,新泉社→1975 改装版 ◆19721015 『世界の共同主観的存在構造』 勁草書房,279+9p. 1800 ※ ◆19741025 『資本論の哲学』 現代評論社,291p. 1800 ※ *◆19750401 『現代革命論への模索 改装版』 新泉社,340p. 1200 ※/千葉教養E526 ◆19750520 『事的世界観への前哨――物象化論の認識論的〜存在論的位相』 勁草書房,316+11p. 2000 ※ ◆19790928 『もの・こと・ことば』 勁草書房,218+3p. 1400 ※ ★広松 渉・吉田 宏晢 19791225 『仏教と事的世界観』,朝日出版社,エピステ−メ−叢書,185p. ISBN:4255790248 1050 ※ ◆19800130 『弁証法の論理――弁証法における体系構成法』 青土社,408p. 1900 ※ ◆19810620 『相対性理論の哲学』 日本ブリタニカ,247p. 1300 ※ *◆19810714 『新左翼運動の射程』 ユニテ,269+17p. 2200 ※ *◆19820210 『唯物史観と国家論』 論創社,318p. 2200 ※ ◆19821028 『存在と意味――事的世界観の定礎』 岩波書店,547+16p. 4500 ※ ◆19900615 『今こそマルクスを読み返す』 講談社現代新書1001,270p. 600 ※ ◆199112 『現象学的社会学の祖型――A・シュッツ研究ノート』 青土社,427+11p. ISBN:4791751612 3200 広松 渉;坂部 恵;加藤 尚武 編 19900630 『講座ドイツ観念論〈1〉/ドイツ観念論前史』 弘文堂, 341p., 4,200(本体4,078) ISBN4335100310 4200 広松 渉;坂部 恵;加藤 尚武 編 19900630 『講座ドイツ観念論〈2〉/カント哲学の現代性』 弘文堂, 338p.,4,200(本体4,078) ISBN4335100329 4200 広松 渉;坂部 恵;加藤 尚武 編 19900920 『講座ドイツ観念論〈第3巻〉/自我概念の新展開』 弘文堂, 326,27p., ISBN4335100337 4200 広松 渉;坂部 恵;加藤 尚武 編 19901110 『講座ドイツ観念論〈第4巻〉/自然と自由の深淵』 弘文堂, 355,19p., 4,500(本体4,369) ISBN4335100345 4500 広松 渉;坂部 恵;加藤 尚武 編 19901125 『講座ドイツ観念論〈5〉/ヘーゲル 時代との対話』 弘文堂, 328p., 4,100(本体3,981) ISBN4335100353 4100 広松 渉;坂部 恵;加藤 尚武 編 19901230 『『講座 ドイツ観念論〈第6巻〉/問題史的反省』』 弘文堂, 323,50p., ISBN4335100361 4500 ※は生存学資料室にあり 19900515 「脳死論の前提的価値観を問い返せ」 吉田編[1990:390-397]* *吉田 惠子 編 19900515 『脳死――私はこう思う』,北窓出版,発売:星雲社,447p. 1700 ■言及 ◆立岩真也「選好・生産・国境」注22 「…廣松渉は、マルクスが夢想していた社会は今既に到来しているのだと、生産は相当に十分な段階に既に達しているのだと述べたことがある(『現代革命論への模索』、新泉社、一九七二年、一九七五年改装版二三二−二三四頁)。」 「われわれは、もとより『ゴーダ綱領批判』にいう共産主義の第二段階に一足とびに移るわけにはいかない。しかし、第二段階の共産主義は、果たして、一部の論者が考えるほど、”気が遠くなるような将来のこと”であろうか? なるほど、マルクスの時代には、それは遠い将来の理想であったかもしれない。だが、現代資本主義は、マルクスの予想を超えて発展をとげてはいないか? われわれは、現代資本主義がマルクスのいう第一段階を実現したなどという馬鹿げた主張をするつもりはない。しかし、マルクスが第一段階の途中ではじめて実現されうると考えたいくつかの条件が、変■した形においてではあれ、■る程度現実化していることに着目することができる。例えば、「児童労働の全般的禁止は大工業の存在と両立できない。それは空疎な叶わぬ望みである」とマルクスは主張しているが、今日の生産力水準はおそらくマルクスが第一段階もかなり進んでからはじめて実現されると考えた水準に達しているといえよう。生産と流通の組織化という点についても同様である。端的にいって、経済と密着している方面での客観的条件は、今日すでに、マルクスが第一段階の途中になってようやく実現され(p.232)ると予想した水準に到達している。この限りで、第一段階を跳び越すことはできないにせよ、第一段階の途中と考えられていた地点、いわば第一段階と第二段階との中間ともいうべき地点を、われわれは直接的な射程に収めることが可能ではないのか。」(廣松[1972→1975:232-233]) ■言及 ◆立岩 真也 1997 『私的所有論』,勁草書房 「局所に望ましい関係を作っていくことが問題を解決しないのであれば、全域が一気に変わらなければならない。しかし、現在の関係が現在の私達を作っている限り、待っていては変わらない。とすれば事態を見抜いた者達、少数者達が先駆的にいまあるものを全面的に覆してしまい、関係を変えてしまえば、その後、関係が存在(意識)を規定するのだから、事態はうまく運ぶだろう。その他の人々の意識も変わる。だからまず少数者が、多数の承認を得られないとしても、関係を変えるしかない。このような主張が、論理必然的に、導かれる(廣松渉[1975][1981]、等)。だがそれにしても革命は容易ではない。」(立岩[1997:296]) ◆立岩 真也 2004 『自由の平等』,岩波書店 「☆02[…]なお十九世紀後半に夢想された社会の現実的な条件は既に存在していると見ることもできるのではないかと廣松[1972→1975:232-234]に述べられているのを[2000a]で紹介した。」(立岩[2004:288]・序章注2) 「☆01しばらく前に終止してしまったかのような諸思想について、それらが何だったのか、どんな論理の構造になっていたのか、何を巡って対立したのか、再検討する必要があると思う(序章注15)。(疎外論/物象化論という対立については廣松[1972][1981]等、田上[2000]、他。なお本節と本書の何箇所かは[1997]を論じた三村[2003]への応答でもある。)また、本文に記したのは現実が変わると意識が変わるという一つの線だが、むろんそれだけが想定されたのではない。両者の間の幾度もの往復が、希望とともに、描かれたのだった。それはたしかに空想的だと思える。しかし、人もまた変わっていくはずであると考えるのは、人はこんなものだろうというところから議論しそこに留まってしまうのと比べて、少なくとも論理的に誤っているということはない。人はどのように変わっていくかわからないのだと、だから「代替案」を示せという脅迫に「誰にも予見できない未来」(西川[2002:112,138-139])を対置することは正しいのだし、論と現実を先の方まで進めていこうとする力に対してリベラリズムが反動として作用することに苛立つ人がいる(Zizek[2001=2002])のも当然なのである。」(立岩[2004:319]・第3章注1) 1972 『現代革命論への模索』,新泉社→1975 改装版 <288,319> 1981 『新左翼運動の射程』,ユニテ <319> REV:...20031125,20041118 20070711 ◇WHO |