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早野 禎二

はやの ていじ


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last update:20210220


■論文

◆早野禎二,2018,「精神障害と社会――歴史社会学的背景から」『東海学園大学紀要』23:29-53.
p. 30
現在の日本は、精神障害者は、「自立」して「働ける」ようになることを目標に「治療」を受け「回復」をめざすように求められる。また、健康であることに重点が置かれる社会となっている。しかし、現在の社会において精神障害者すべてに働くことをゴールに定め、「回復」して「健康」となることを目的として援助や「治療」の政策を進めていくことは、果たして、精神障害者の「生活の質」を高めることになるのであろうか。「自立」「就労」「健康」が社会全体の価値とされると、精神障害者のなかで「働く能力のない人」あるいは「病気を抱えて生きざるをえない人」は社会のなかに自分の「場所」を見つけることができなくなってしまいはしないだろうか。筆者は、現代の社会の価値と文化、社会構造を所与のものとし、それを前提として、精神障害者の側にこの社会への「適応」「社会復帰」「自立」を求め、「就労」を目標として「治療」「支援」を行っていくことだけが、精神障害者の福祉の方向ではないと考える。

p. 31
18世紀後半にイギリスで始まった産業革命によって、産業化が進むと労働と生産性が重要とされるようになり、労働能力の有無が問われるようになった。「働く能力」があって「働ける」ことが重要となり、「働かない人」は「働く」ことを求められるようになった。貧困は懲罰の対象となり、怠惰は批判されるようになった。フーコーが述べているように管理的な精神病院が作られ、そこに精神障害者が収容され、監禁、監視されるようになった。このように近代以降の産業社会において、生産と労働が社会の主要な価値となると、精神障害者は、「働ける」かどうかという基準で計られるようになり、働けない人は、社会の下位に追いやられていった。このような状況は、現在でも大きく変わらない。精神障害者は「治療」を受け、「回復」し働いて「自立」していくことが求められる。

p. 31
パーソンズの理論はこのような現在の社会の精神障害者の位置を説明する理論として有効である。パーソンズは第二次世界大戦後のアメリカ社会をモデルとして、精神上の健康を、社会的に期待される役割遂行能力の有無に関連付けた。精神障害はそのような役割遂行能力を持てない状態とされ、「病者」としての役割を担わされる。精神障害者は治療を受け積極的に受け「回復」し、働いて「自立」していくことが求められる。現在の日本社会もアメリカ社会の価値観と社会構造に近づいてきているように思われる。健康が重視され、(一般)就労することが求められる。しかし、それは精神障害者にとって、あるいは障害者にとって生きやすい社会であろうか。今とは異なる社会、新しい価値と社会構造を構想していくべきだと筆者は考える。

p. 34
社会学では精神障害を生物学的、医学的な疾患の側面からではなく、社会的な側面から論じている。社会学は、精神障害の不変的な側面ではなく、社会が何を逸脱とするかによって、健康と病気、精神障害の範囲が変わるという側面に焦点をあててきた。ゴッフマンやシェフは、ミクロな対人相互作用のなかで、精神障害者が作られていくプロセスを理論化している。サズは、精神医学が「精神障害者」を作り出し、道徳的、政治的な理由がその背景にあると論じている。デュルケームやパーソンズは、マクロなレベルで社会における「正常」と「異常」、健康と病気の問題を論じている。社会学では社会は変動していくものであり、価値・文化と社会構造も変動していくものととらえる。その社会によって価値や規範も異なるため、「同じ症状」もある社会では精神疾患、異常とされ、別の社会では精神疾患ではなく正常とされる。

p. 40
ピネルは、精神病者に対する人間的な態度、監獄的雰囲気の改善を行おうとした精神科医の一人である。彼は、施設で鎖でつながれていた精神障害者を鎖から解放した最初の人とされる。一方、フーコーは近代精神医療に対して批判的であり、ピネルの行った「改革」に対しても懐疑的である。フーコーは、近代は精神障害者を、「解放」したのではなく、「精神障害者」を「労働」「治安」の観点から「監禁」したのであり、精神障害者は単なる治療の対象である「患者」とされ、かつてあった精神障害と現実の世界との豊かな交流は絶たれてしまったと述べる。

p. 42
アメリカの社会学者パーソンズの社会理論を参照し、現在の産業社会における精神障害者の位置と役割について検討したい。パーソンズは、構造=機能主義理論を展開した。彼は、社会的役割を規定するところの文化と社会構造の観点から、社会と精神障害の関係について論じた。彼は、特に現代のアメリカ社会は、他の社会に比べて健康、特に精神の健康を重視する社会であるとし、……病気も社会制度であり、病者役割があること、病者は社会が求める役割期待を遂行する能力を治療を通じて「回復」することが求められるとした。精神的健康の重視と「回復」リカバリーはアメリカのみならず、現在の日本における精神保健の特徴となっている。

p. 45
病人の役割として次のような特徴があげられる。@能力の損なわれた状態は、事態を単に意思決定過程を通じて克服しようとしても克服し得ない状態にある。そしてそのことに関して「責任はとらされない」。そこから回復するためには何らかの「治療」過程が必要であるとされる。A病気と規定される能力の損なわれた状態は、個人が正常なときに課せられていた役割および課業上の種々の義務を免除される正当な根拠となる。病気であることは部分的に条件付きではあるが正当化された状態である。B病気の状態が正当なものであるということは、病人が病気であることは望ましくないこと、それゆえ病人は「よくなろう」と努める義務があり、この目的のために他の人々に協力する義務があることを病人が認めなければならない。C病人およびその厚生に責任のある人、とりわけ病人の家族は、要求にかなった援助を求める義務があると同時に、病人に回復を援助する適切な担当機関、主に医療機関に協力する義務がある(Parsons 1964=1973: 361-362)。

p. 45
病人の役割が制度化される意味の一つは、個人を病人とカテゴリー化することによって、「援助を必要とするもの」また援助を受ける義務があるもの、および援助を提供する機関と能動的に協力する義務がある者として規定される位置に個人を立たせることにある。また、病人の役割は、病人を病気でない人々に依存する位置に立たせる。病人をめぐる構造的配置は病人ばかりのグループという形をとらず、病人に病気でない人が随伴するという形をとる(Parsons 1964=1973: 364)。

p. 46
アメリカ社会において、精神的に病気である人びとの完全な社会参加への復帰、とりわけ業績を達成するための能力の完全な「回復」をもたらす治療への際立った関心が見られる。とくに患者がよくなろうと努めることが患者の側での活動的な仕事であって、治療課程にはそれが含まれてくると考えられている(Parsons 1964=1973: 371)。

p. 47
アメリカ社会においては、精神障害者は、「治療」を積極的に受け、……「自立」「回復(リカバリー)」が求められる。精神障害であることは条件付きで、病者役割を受け入れることで一時的に社会的に許容されるが、将来的には、「回復」して病者から健常者となっていかなければならない。社会的な役割遂行能力を持っている健常者を上位として、精神障害者は、その「社会復帰」の程度に応じて序列化される。

p. 48
精神障害者は、「回復」し「健康」になり、「自立」し「就労」できるようになることが求められる。医療や福祉的な支援もこれを目的としてなされる。しかし、それは、果たして精神障害者にとってよいことなのだろうか。健常者に近づくことを求めることは、負荷をかけ、無理を強制することにならないだろうか。精神障害者が無理をせず、自然に生きていける社会があるのではないか。

◆早野禎二,2005,「精神障害者における就労の意義と就労支援の課題」『東海学園大学研究紀要』10:29-43.
p. 41
一般に労働の意味は、まず、経済的な生活を維持していく上で必要であるという点があげられる。就労ができない場合、年金や手当や、作業所の賃金だけではやっていけない場合が出てくる。あるいは、現在は生活できても、将来的に親がいなくなった時、立ち行かなくなる人たちがいる。その意味で、精神障害者にとっても労働は社会生活維持という点で重要である。しかし他方で、労働は、単に経済生活の維持だけを目的にするものではない。それは、高畠氏が述べているように、働くことは「社会的に一個の人間として認知され自尊感情の満足」につながったり、「人間関係の拡大」をもたらしたり「自己実現や自己表現」につながるという点で、就労は収入だけに限らないという面を人にもたらすからである。しかし、また、就労することだけに、「生活の質」の保障を限ることはないと筆者は考える。就労することが「社会的に一人前になる」という考えは、障害者に限定的思考を与え、かえって、選択の幅を狭めてしまう。また、就労の場以外で患者会活動などを通じて社会的関係を作ることに「生きがい」を見出している例もある。労働をすることだけが「幸福」なのではなく、人によって「幸福」「生きがい」の中身は多様であることを踏まえて、支援のあり方を考えていく必要がある。すなわち、個々の人間が自らの「幸福」「生きがい」観に合わせた選択ができることが最上である。

pp. 41-42
しかし、この点を押えた上で、なお、就労は経済生活の維持、社会参加、自己実現という意味で大きな意味を持っていると考えられる。粥川氏が述べているように労働しないことが、「無能力感、無気力感、低い自己評価、スランプ、抑うつ、等の心理的マイナス」をもたらすことが、一般に多いのではないかと考えられる。また、粥川氏は述べていないが、「就労」していないことが、その人の社会的関係を限定し、時に社会的に「孤立」を招き、「生きがい」の喪失をもたらす要因となりやすいと予測できる。そこで、精神障害者の障害に合わせた働き方とは何かを論じていきたい。〔中略〕働かないことを積極的に選んだわけではなく、就労の環境が整えば、働きたいという人が多数である。精神障害者が時間が調整できたり、休息がとりやすい働き方について検討していく必要がある。労働のワークシェアリングという発想は、時間調整や休暇がとれるという条件をクリアするひとつの方法であると思われる。その場合、仕事の収入だけで生活を営むことはできないので、障害年金、手当などの社会保障が現在より拡大されたものでなければならない。社会保障が一定、充実している上で、ワークシェアリングを行って、精神障害者が働ければ、収入面での課題をクリアし、労働を通じた社会関係の広がりや自己実現を達成することができる。



*作成:伊東香純
UP:20210220 REV:
精神障害/精神医療 障害者と労働  ◇障害学  ◇WHO
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