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東 琢磨

ひがし・たくま

last update:20100701


 1964年広島県生まれ。音楽評論家。2005年に本拠を東京から故郷広島に移してからも、ヒロシマ平和映画祭実行委員、連続ティーチ・イン沖縄実行委員、成蹊大学講師などを勤め、日本中を飛び回っている。著書に『全−世界音楽論』(青土社、2003)、『国境を動揺させるロックン・ロール ソウル・フラワー・ユニオン』(ブルース・インターアクションズ、1998)、『ラテン・ミュージックという「力」』(音楽之友社、2003)、『おんなうた』(インパクト出版会、2004)、『違和感感受装置』(冬弓社、2004)など。(――『ヒロシマ独立論』より)

 1964年、広島生まれ。[……]2005年から広島市在住。帰郷してみると、なかなかに手強い郷里であり、軍都=平和都市という、空虚な日本近代が凝縮したデルタを漂いつつ白昼夢にふける日々。広島、沖縄、それぞれについての本がずっと難航中。最近の唯一の趣味は、テキトーに作る料理。(――『音の力 沖縄アジア臨界編』より)

■紹介ページ
◇TLO
http://www.009net.com/tlo/index.shtml
◇TLO Takuma Higashi
http://www.009net.com/tlo/people/people_east.html

「ヒロシマ独立論 東琢磨さんに聞く」
 (2007年10月10日 asahi.com>マイタウン>広島《ピース@ヒロシマ》)
http://mytown.asahi.com/hiroshima/news.php?k_id=35000160710100001 *リンク切れ
「(【本カバー写真】ヒロシマ独立論 青土社・1995円/ひがし・たくま 64年、広島県生まれ。レコード会社勤務をへてフリーランスライターに。)
 「唯一の被爆国」。広島市の音楽評論家、東琢磨さん(43)はこの言葉に違和感を抱いてきたという。「被爆を語るとき、私たちは知らず知らず『国家』という枠に取り込まれてきたのではないか」。そんな引っかかりを下敷きに過去と現在の被爆地広島の表情を描きながら、平和都市のあり方を考察した「ヒロシマ独立論」(青土社)を今夏刊行した。なぜ独立なのか。自身の体験を交えて語ってもらった。(聞き手・武田肇)
 ――唯一の被爆国という言い回しは広島、長崎以降、核が実戦使用されていないという点では間違っていないように思います。違和感の理由は何ですか。
 いくつかの点で疑問があります。ひとつは62年前、広島、長崎で被爆したのは日本人だけではなかったということです。在日朝鮮人や強制労働で連れてこられた中国人、アジア諸国の留学生、捕虜のアメリカ兵ら、さまざまな人々が被爆しました。被爆は大日本帝国を背景にした多民族的な都市としての経験であり、単一民族的なニュアンスを含んだ「唯一の被爆国」という語り方は正確でない。さらには世界の核実験場や原発事故で被爆(被曝(ひ・ばく))の問題が起きており、被爆体験は日本だけではないことです。安易に「唯一の被爆国」と強調することは、加害を含めた歴史を忘れ、ナショナリズム的な反核に転化してしまう危険性があります。
 ――といいますと?
 原爆投下は米国という特定の国家によって加えられた暴力だった。しかし同時に、原爆投下を科学技術的にも政治的にも可能にしたのは、国益のために暴力や破壊をためらわない「国家」という装置一般がはらむ問題であることを銘記する必要があります。そうした国家の暴力性を批判的に見据えなければ、被爆国を強調することは、憲法9条を変えて軍事大国化に突き進もうとする国家の実態を包み隠すことに利用されるのではないかと危惧(き・ぐ)します。ヒロシマを訴えても、南京やパールハーバーが対置されるような戦争犠牲者に国境線が引かれる状況からも脱却できません。
 ――なぜ「ヒロシマ独立」なのでしょうか。
 一瞬で10万人以上の人間の生命が消され、その後も多くの人々を放射線の後障害に苦しみ続けさせている。こうした被爆の重さを受け止めるのは特定の国家や国民ではなく、世界中の不特定多数の人々ではないかと思います。ならばいっそ日本から独立し、超国家、超宗教の、世界に開かれた「独立空間」にしてしまえばどうかと。むろんこれは思考実験であり「笑い話のネタ」程度に受け止めてもらって結構ですが、発想の根っこはまじめです。
 ――本職はラテンアメリカや沖縄を専門とする音楽評論家。ヒロシマに関心を向けたのはなぜですか。
 05年、生まれ育った広島市南区へ十数年ぶりに居を移したのが直接のきっかけです。原爆投下は私が生まれる19年前ですが、被爆で父方の祖父が亡くなり、父方の祖母は被爆者として97年に90歳で死去するまで戦後を生き抜きました。祖母は被爆のことをあまり話したがりませんでしたが、毎年8月6日が近づくと家の中がぴりぴりしていた。そんな空気の重さもあって10代後半に逃げるような感じで上京しました。でも、30代後半あたりから、私が世界でマイノリティー(少数者)と呼ばれる人々や土地に根ざした音楽文化に傾斜するのは「生まれ育ち」とかかわりがあるのではないかと意識するようになりました。そうした目で再びヒロシマと向き合ったとき、空洞化が気になり始めたのです。
 ――いまの広島をどう見ていますか。
 国際平和都市という世界的なシンボルを背負わされた故郷には確かに平和という言葉があふれているが、その内実は貧しくなっているのではと懸念しています。ヒロシマが「国家」に取り込まれ、利用される可能性をどれだけの人が気にかけているのか。核廃絶は言っても戦争の否定には向き合えていないのではという批判に答えられているか。自分も含めて恥ずかしい限りですが、目と鼻の先である米軍岩国基地の拡張問題にさえ、まともな形で対応できていません。
 なぜそうなのか。私なりに理由を挙げると、平和運動の担い手から20代から40代がスポンと抜け落ちているからです。平和という「きれいごと」を口にするのは子どもと老人だけと言わんばかりの事態になっている。自分たちはどう生きたいのか、社会をどうしたいのかという徹底した議論の不在です。「ヒロシマ独立論」は故郷への愛を最大限高め、またその分憎悪も込めて、そうした議論のたたき台になればとまとめました。」

2006/12/16 「都市−文化−記憶」研究会(先端研公募研究会)企画
 「1980年の広島に戻って――音楽・身体・都市」〜〜東琢磨氏を招いて
 於:立命館大学衣笠キャンパス

「(コラム)緑地帯」(全8回),『中国新聞』20060519,20,23〜27,30

■著書
◇20030430 『ラテン・ミュージックという「力」――複数のアメリカ・音の現場から』,音楽之友社 [amazon
◇20030810 『全−世界音楽論』,青土社 [amazon
◇20040415 『おんなうた――ひそやかに手渡していくもの』,インパクト出版会 [amazon
◇20040601 『違和感受装置――クロニクル1996−2003』,冬弓舎 [amazon
◇20070806 『ヒロシマ独立論』,青土社 [amazon

▼編著・共著
◇『地球の音を聴く』(共著、TBSブリタニカ、1990年)
◇『カリブ海の音楽』(共著、冨山房、1994年)
◇東 琢磨編 199511 『サルサ――ラテン・ディスク・ガイド』,ブルース・インターアクションズ,『Black music review』11月号増刊
◇東 琢磨編 199611 『カリブ――響きあう多様性:Djobeurs』,ディスクユニオン
◇東 琢磨編 19980606 『国境(ボーダー)を動揺させるロックン・ロール――ソウル・フラワー・ユニオン』,ブルース・インターアクションズ
◇『ユーロ・ルーツ・ポップ・サーフィン』(大島豊監修・共著、音楽の友社、1999年)
◇『シリーズ20世紀の記憶・大日本帝国の戦争2:太平洋戦争1937-1945』(毎日新聞出版局、1999年)
◇『建築の書物・都市の書物』(五十嵐太郎編・共著、INAX出版、1999年)
◇『ラテンアメリカからの問いかけ』(西川長夫・原毅彦編・共著、人文書院、2000年)
◇『ボサノヴァ・レコード事典』(共著、ボンバ・レコード、2001年)
◇『アンダーグラウンド・フィルム・アーカイブス』(共著、河出書房新社、2001年)
◇『プラクティカ1:セルフ・エデュケーションの時代』(共著、フィルムアート社、2001年)
◇東 琢磨編 20020330 『カリブ・ラテンアメリカ 音の地図』,音楽之友社
◇杉浦 勉・東 琢磨・鈴木 慎一郎 200303 『シンコペーション ラティーノ/カリビアンの文化実践』,エディマン [amazon
◇東 琢磨編 20090201 『広島で性暴力を考える――責められるべきは誰なのか? 性・家族・国家』,ひろしま女性学研究所,Hiroshimaブックレット1000シリーズ・12,98p. ISBN-10:4907684207 ISBN-13:9784907684204 1050 [kinokuniya]
http://www.enjoy.ne.jp/~kazokusha/Ftop2.html
◇行友 太郎・東 琢磨 20090720 『フードジョッキー――その理論と実践』,ひろしま女性学研究所,148p. ISBN-10:4907684215 ISBN-13: 9784907684211 1260 [kinokuniya]
http://www.enjoy.ne.jp/~kazokusha/Ftop2.html

【『音の力』シリーズ:参加作】
◇DeMusik Inter.編 19960515 『音の力』,インパクト出版会 [amazon
◇DeMusik Inter.編 19980410 『音の力 沖縄「コザ沸騰編」』,インパクト出版会 [amazon
◇DeMusik Inter.編 19980510 『音の力 沖縄「奄美/八重山/逆流編」』,インパクト出版会 [amazon
◇DeMusik Inter.編 20020820 『音の力 ストリートをとりもどせ』,インパクト出版会 [amazon
◇DeMusik Inter.編 20041210 『音の力 〈ストリート〉復興編』,インパクト出版会 [amazon
◇DeMusik Inter.編 20050710 『音の力 〈ストリート〉占拠編』,インパクト出版会 [amazon
◇DeMusik Inter.編 20060623 『音の力 沖縄アジア臨界編』,インパクト出版会 [amazon

■論文・書評など
◇199606 「(書評)『シチュアシオン――ポップの政治学』上野俊哉――生々しい現場性に向かって」,『インパクション』97:145-147
◇199708 「音との出会い直しに向かって――セガレンにならって、沖縄へ」,『ユリイカ』29(10):140-147
◇199709 「全身ポストコロニアル音楽家」,『ユリイカ』29(12):50-52
◇199710 ペルドモ,W./東琢磨訳「ニガー−リ−カン・ブルーズ」,『現代思想』25(11):88-99
◇199803 「砂漠のうえで――ペルーの自治都市のたたかいから」,『現代思想』26(3):198-205
◇199806 伊達政保・東琢磨「(インタヴュー)ボサノヴァがぼくらの町にやってきた頃」,『ユリイカ』30(7):210-221
◇199806 「そして沈黙をも凌駕するのはジョアンだけだ」,『ユリイカ』30(7):110-122
◇199806 「黒いペルー」,『ユリイカ』30(7):248-259
◇199808 「闘走的音楽案内(11) 「ヒット曲」をめぐる言説:2冊の本を読む――非凡な印象と斬新な作業仮説」,『インパクション』109:144-146
◇199808 「きっかけとしての「ヤポネシア」」,『ユリイカ』30(10):195-205
◇199810 「闘走的音楽案内(12) マイアミMIDEM報告」,『インパクション』110:156-158
◇199811 「あらゆる空の下で」,『ユリイカ』30(14):170-180
◇199903 「不幸という名の武器を共有せよ――美空ひばりをめぐって」,『ユリイカ』31(4):172-183
◇199903 「音(3) 音の仕上がりの外側で」,『Ten plus one』16:36-38
◇199903 「メジャーとは何か――音楽産業論序章」,『アンボス・ムンドス』1:4-7
◇199903 高橋政資・山本幸洋・東琢磨「(座談会)ルンバからボーダーランド・ジャズへ」,『アンボス・ムンドス』1:12-16
◇199903 「オマール・ソーサ、インタビュー――複数のブラック・ピープル/ワールド その存在の関係性の方へ」,『アンボス・ムンドス』1:26-29
◇199906 「Culture and Politics なぜ、ブラジルなのか」,『情況』第二期10(6):193-195
◇199906 「闘走的音楽案内(16) イタリアで起きていること」,『インパクション』114:157-159
◇199906 「世界のインディペンデント・レーベル(2) ルサフリカ(フランス/カーボ・ヴェルデ)」,『アンボス・ムンドス』2:12-15
◇199911 「マイアミ――アメリカ合衆国のある地方都市に関する覚書」,『国文学 解釈と教材の研究』44(13):90-95
◇200001 川村健一郎・斉藤綾子・東琢磨「大島渚を観るキーワード」,『ユリイカ』32(1):227-239
◇200005 「資本のスペクタクル――スペクタクル社会の経験測定」,『現代思想』28(6):208-216
◇200006 東琢磨・工藤多香子・江口信清「21世紀に向かうカリブ、ラテン・アメリカ音楽〔含 コメント〕」,『立命館言語文化研究』12(1):77-94
◇200009 「「メキンコ/大衆」というパトロン」,『ユリイカ』32(12):198-206
◇200010 関口義人・東琢磨「バルカンの現在――クストリッツァ、ブレゴヴィッチの新作からセヴダ、音頭ディスクへ:関口義人」,『アンボス・ムンドス』6:53-59
◇200010 「ファンファーレ・チョカーリア、イオン・イヴァンチャに聞く:「誇りを持ってロマだというね」」,『アンボス・ムンドス』6:60-61,4
◇200012 「共同体を渇望する身体――『夜の河を渡れ』試論」,『ユリイカ』32(15):106-114
◇200012 Sanjines,Jorge・東琢磨「映像の地政学 ウカマウ集団の軌跡と現在――ホルヘ・サンヒネス」,『ユリイカ』32(15):240-247
◇200012 「「おれ自身の音楽がおれを酔わせる」」,『ユリイカ』32(16):73-79
◇200102 「ドン・チェリー『コンプリート・コムニオン』のための覚書」,『アンボス・ムンドス』7:9-11
◇200104 「さまざまな「私(たち)」の音楽」,『月刊百科』462:12-15
◇200105 東琢磨・高嶋正晴・尾場瀬一郎「沖縄:うたの偏在する〈場〉〔含 コメント〕」,『立命館言語文化研究』13(1):63-75
◇200108 「「なる」ためのルートとプラクティス――声とカラダの記憶をめぐって」,『ユリイカ』33(9):212-222
◇200109 「Re-membering Reinaldo Arenas」,『ユリイカ』33(11):227-235
◇200109 キップ・ハンラハン、杉浦勉、東琢磨「特別掲載 アメリカン・クラーベの〈詩学〉キップ・ハンラハン」,『ユリイカ』33(11):236-241
◇200201 「〈異教徒の詩(ペイガンズ・ポエトリー)〉は聴こえるか」,『ユリイカ』34(1):172-178
◇200202 「音楽とパフォーミング・アーツ」,『国文学 解釈と教材の研究』47(2):102-106
◇200202 「ポストコロシアム(?)なプロレス空間へ」,『現代思想』30(3):156-161
◇200205 「剥奪と過剰のなかの無言の公共圏――Vシネマ序論」,『現代思想』30(6):173-181
◇200208 「「小さな」ものたちの世界」,『ユリイカ』34(10):109-119
◇200212 「天使の歌を聴くために」,『ユリイカ』34(15):234-239
◇2003 「移民の文化は対抗文化になりえるだろうか?」,『インパクション』136:106-109
◇2003 「闘走的音楽案内(38) 闘走的音楽(書)案内」,『インパクション』136:180-182
◇200302 Lindsay,Arto・東琢磨「ニューヨークで呼び起こされるブラジル体験」,『ユリイカ』35(2):105-112
◇200302 「ファヴェーラのテレビモニター――トロピカリズモの具体/コンセプト」,『ユリイカ』35(2):170-179
◇200308 「ヒロシマから ひろしまの子」,『現代思想』31(10):44-58
◇200310 「文化工作 労働の文化?」,『現代思想』31(12):200-209
◇2004 「闘走的音楽案内(41) 沖縄 revisited――「その後の『音の力沖縄篇』」改メ「沖縄の映像の力」,『インパクション』139:224-226
◇2004 「息を吹き込むこと――「特別な<二>」の音楽などをめぐって」,『インパクション』140:72-82
◇2004 「(書評)「たったひとりの身体的な嫌悪感」から――『文化=政治』毛利嘉孝著」,『インパクション』140:157-159
◇2004/Spr. 「持たざるものたちの〈歓待〉」,『iichiko』82:20-29
◇2004/Spr. 小浜司・東琢磨・新垣幸一郎「(インタビュー)沖縄の音楽と関わりながら――小浜司さんに聞く」,『iichiko』82:30-39
◇200401 「耳を澄ます映像――「琉球電影烈伝・境界のワンダーランド」」,『未来』448:32-35
◇200402 「経験 あらゆる批判は控えてください」,『現代思想』32(2):152-157
◇200403 「日常の再構想としての〈反戦〉」,『情況』第三期5(2)60-63
◇200409 「国家と家族 生者と死者のはざまに浮かぶ〈家族〉」,『現代思想』32(10):177-189
◇200410 「ベトナム帰りのゲバラ」,『現代思想』32(13):160-165
◇200505 「狂ったデジャ・ヴュに抗いながら――広島市「旧市街」の詩学のために」,『現代思想』33(5):216-225
◇200506 「東アジアの水彩画?」,『現代思想』33(6):90-93
◇200508 「靖国に抗する〈うた〉――アジア臨界音楽論序説」,『現代思想』33(9):240-245
◇2006 「闘走的音楽案内(55) 「下流芸術」を考える」,『インパクション』153:184-186
◇200602 「沖縄への声 平和をシュリンクさせないために――復古主義の軍都広島からオキナワへ」,『世界』749:155-159
◇200602 「軍都の時空のなかで――広島矢野を歩きながら」,『現代思想』34(3):170-175
◇200603 「懺悔の値打ち――戦場からダンスフロアへ」,『ユリイカ』38(3):141-147
◇2006 「釜ヶ崎夏祭り いくつものストリートカルチャーが肩を寄せあえば」,『インパクション』154
◇20070804 「(映画評)メロドラマが壊れるということ――佐々部清監督『夕凪の街 桜の国』」,『図書新聞』2832(2007-08-04):8
◇20090330 「「スリーパー」のように」,米谷・酒井ほか[2009:163-166]*
*米谷匡史・酒井隆史ほか 20090330 『KAWADE道の手帖 谷川雁――詩人思想家、復活』,河出書房新社
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309740263
◇20100630 「変なおじさんになること――あるいは「遊民が生存を確保するための戦略的仮装」」(pp.127-131)
 『文藝別冊 小沢昭一――芸能者的こころ』,河出書房新社,KAWADE夢ムック [amazon]

■Webで読めるもの
◇「(書評)アルフォンソ・リンギス『汝の敵を愛せ』――「情動の次元に向き合う」ために」
http://www.rakuhoku-pub.jp/books001/shohyou1.html


*作成:村上 潔
UP: 20061116 REV: 20070806, 20080206, 0225, 20090529, 20100630, 0701
WHO  ◇民族・エスニシティ・人種(race)…  ◇外国人労働者/移民  ◇歌謡曲
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