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林 達雄

はやし・たつお
Hayashi, Tatsuo : English Page

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アフリカ日本協議会特別顧問(2014年〜、2002〜2013年 代表)
◆立命館大学特別招聘教授(2006年度)→「生存学」創成拠点

1954年 神奈川県生まれ
1981年 愛媛大学医学部卒業
1983−84年 JVC(当時、日本奉仕センター。後に、日本国際ボランティアセンターに名称変更)のタイ・カンボジア国境の難民への医療活動に参加)
1985年 エチオピアの緊急医療救援で活動
1986年 農村復興事業のコーディネーター(翌年から東京で事業担当)
2000年 南アフリカ・ダーバン国際エイズ会議に参加(7月)/沖縄感染症会議でNGO提言書を提出(12月)
2002年 アフリカ日本協議会(AJF)代表に就任
 カナダ・カナナスキG8サミットに対する行動、G6B「60億の人々のサミット」に参加(6月)/スペイン・バルセロナ国際エイズ会議に参加(7月)/南アフリカ・ヨハネスバーグ持続的開発会議(WSSD)日本政府代表団顧問(8月)
2003年 Fund the Fund 「世界エイズ・結核・マラリア対策基金に資金を」活動家会議(3月)/世界エイズ・結核・マラリア対策基金(GFATM)支援会議に参加(7月)
2004年 タイ・バンコク国際エイズ会議(7月)
2005年 英国・グレンイーグルスG8サミットに対する行動「ほっとけない 世界のまずしさ」代表委員として活動、NHKラジオ「今日の一言」に現地から出演(7月)/バンコクG-CAP世界会議に「ほっとけない 世界のまずしさ」代表委員として参加

・1993−1995年 日本国際ボランティアセンター(JVC)代表
 http://www.ngo-jvc.net
・(NPO)オックスファムジャパン副代表理事
 http://www.oxfam.jp/about/oxfam_org.htm
・(NPO)AIDS&Society研究会議理事
 http://www.asajp.net/staff2.html
・「ほっとけない世界のまずしさ」キャンペーン 代表理事
 http://hottokenai.jp/whoweare/index.html

・東京工業大学非常勤講師
 http://www.soc.titech.ac.jp/~sakano/lecture_u_l.html


『エイズとの闘い――世界を変えた人々の声』    『グローバル化と人間の安全保障』

■2010年

◆2010/02/01 ◇エチオピア・ケニア調査報告「25年目の検証『飢え』『援助』『エイズ』」

◆2010/01/30 <冬期セミナー>国際連帯税・トービン税そしてアフリカの現実を知る

◆2010/01/28 アフリカの今を伝える:エチオピアの現状から見える 日本と世界

◆2010/01/14 林達雄エチオピア・ケニア調査報告会:25年目の検証「飢え」「援助」「エイズ」 〜エチオピア・ケニアで考えたこと〜

◆2010/01/13 2009年度講演会“グローバルな目を研ぎ澄ませ”第2回:貧困と飢餓の現在を考える――アフリカの光と陰

■2009年

◆2009/11-12 エチオピア、ケニア調査――25年目の検証「飢え」「援助」「エイズ」 English

■著書

◆20050603 『エイズとの闘い――世界を変えた人々の声』,岩波ブックレットNo.654,ISBN: 4000093541 504 [boople][amazon] ※
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
1954年生まれ。愛媛大医学部卒。国立横浜病院外科・勤務を経て、1983年より、NGOの職員として、アフリカ、アジアで海外協力活動に従事。日本国際ボランティアセンター前代表。ジョハネスバーグ持続的開発会議・日本政府代表団顧問。現在、(特活)アフリカ日本協議会代表。2000年よりアフリカ・エイズ問題に取り組む

斉藤龍一郎さんによる紹介  http://www.asahi-net.or.jp/~ls9r-situ/books_africa.html
 「ケニアで出会ったエイズと共に生きる女性のネットワーク(KENWA)のアスンタさん、南アフリカ共和国からエイズ治療を求める声を世界に発信し続けてきた治療行動キャンペーン(TAC)ザキ・アハマットさん、途上国でのエイズ治療実現につながったHIV/AIDSと共に生きる人々たち自身の声・行動を伝える。
 林さんが、さまざまな場所・人・機関を訪ねた際に発したメッセージを、(特活)アフリカ日本協議会のホームページで読むことができます。http://www.ajf.gr.jpの「代表林達雄から」をご覧下さい。」

 cf.
◇立岩 真也 2005/10/25 「『エイズとの闘い――世界を変えた人々の声』」(医療と社会ブックガイド・53)
 『看護教育』46-09(2005-10):798-799(医学書院)
◇立岩 真也 2005/11/25 「エイズとアフリカの本・2」(医療と社会ブックガイド・54)
 『看護教育』46-10(2005-11):900-901(医学書院)
◇立岩 真也 2005/12/26 「限界まで楽しむ」
 『クォータリー あっと』02
◇立岩 真也 2006/01/25 「エイズとアフリカの本・3」(医療と社会ブックガイド・56)
 『看護教育』47-01(2006-01):-(医学書院)
http://ponpoconew.at.webry.info/200510/article_3.html
http://hokeoba.cocolog-nifty.com/dairy/2005/11/post_424e.html

○共著

◆JVC/SHARE記録編集委員会 編 19880320 『JVCアジバール病院――エチオピア緊急医療救援報告』,連合出版,252p.,1545 ※

■2008年

林 達雄 2008/02/12 「貧困・エイズとの闘いから明日のアフリカを見る」
 岡山県国際交流協会アフリカ講座
cf.http://www.opief.or.jp/cgi-bin/event/browse.cgi?&mode=brs&check=1
cf.http://www.sanyo.oni.co.jp/sanyonews/2008/01/21/2008012109204364007.html

◆200801 朝日小学生新聞・中学生ウイークリーにエッセイ掲載

◆200801 東京工業大 人間工学講座

◆20080212 岡山市市民講座「アフリカと日本の私たち」

◆20080406 アフリカエッセイ表彰式

◆20080423〜20080424 シビルG8(京都)

◆20080517 アフリカンフェスタ(横浜)

◆20080526 アフリカ・ベネフィット・コンサート(横浜)

◆20080527 アルマーニ・アフリカ・トークショウ(渋谷)

◆20080528〜20080530 第4回東京アフリカ開発会議

◆20080528 第一回野口英世賞晩餐会(天皇、皇后、首相列席)

◆20080610 関西大学講座 震災を語る「かけがえのない人々」

◆20080705〜20080709 G8洞爺湖サミット関係(マーチ、オルタナティヴ・サミット、メディア・センターでの行動など)

◆20080727 アグネスチャンとのトークショー(アフリカの子供)

■2007年

◆2月5日 ODAタウンミーティング
主催:外務省
会場:大阪国際交流センター
タイトル:パネラー
関連URL:http://www.apic.or.jp/plaza/oda/topic/20070220-01.html

◆2月10日 シンポジウム『市民と政府の対話がグローバル社会を変える』

◆2月13日 ワイズマンクラブ講演
主催:東京ワイズメンズクラブ
会場:東京ワイズメンズクラブ
タイトル:ゲスト・スピーカー

◆20070523 「世界に貢献する日本を創るシヴィル・ソサエティ」
 慶應義塾大学渋沢栄一記念財団寄付口座2007年度 シヴィル・ソサエティ論II

◆20070822 「アフリカへの想いを語る――インタビューに答えて」
 http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/message/20070822.html

◆津山 直子・平林 薫・林 達雄 2007/11/28 「南アフリカに生きる二人の女性が語る」(座談会)
 津山直子(在住13年・JVC南ア現地代表)×平林薫(在住10年・TAAA南ア現地代表×林達雄(アフリカに関わって25年・AJF代表)
http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/activities/zadankai20071128hokoku.html

■2006年

◆5月27日 シンポジウム「新しい開発資金メカニズムを考える」
主催:オルタモンド・世界の医療団・アフリカ日本協議会・日仏会館共催
会場:日仏会館ホール
タイトル:パネル参加
関連URL:http://altermonde.jp/oldinfo_html

◆6月22日 酪農学園大学地域国際関係論講義
主催:酪農学園大学地域国際関係論 森川純教授
会場:酪農学園大学

◆6月22日 林達雄さん講演会
主催:フェアトレード雑貨&レストラン「みんたる」
会場:みんたる
タイトル:ほっとけないアフリカのエイズの話し
関連URL:http://www.mintaru.com/frame/frameset.htm

◆6月23日 藤女子大学食料栄養学科講演
主催:藤女子大学食料栄養学科 箱山富美子教授
会場:藤女子大学

◆6月23日 さっぽろ自由学校「遊」講座「アフリカと私たち」第一回
主催:さっぽろ自由学校「遊」
会場:さっぽろ自由学校「遊」
タイトル:ホワイトバンドとアフリカ、そしてエイズ
http://www.sapporoyu.org/modules/sy_course/index.php?id_course=55&PHPSESSID=c3dfa20fca3d737ab54eecaf6042d14d

◆8月5日 第24回開発教育全国研究集会シンポジウム
主催:(特活)開発教育協会
会場:早稲田大学西早稲田キャンパス22号館
タイトル:ほっとけない、ホワイトバンド〜キャンペーンと開発教育の可能性を考える
関連URL:http://www.dear.or.jp/zenken24/zenken24.html

◆10月1日 紛争後の社会に関する研究会講演
主催:文科省科研費「紛争後の社会に関する研究会」
会場:明治学院大学
タイトル:紛争後社会におけるNGO活動

◆10月5日 セミナー「日本の市民運動を知る〜開発NGOの現場からみた20年」
主催:POWER〜市民の力〜
会場:環境パートナーシップオフィス会議室
タイトル:日本の市民運動を知る〜開発NGOの現場からみた20年
関連URL:http://www.eic.or.jp/event/?act=view&serial=10308

◆10月10日 一橋大学講義

◆10月14日 「2005年グレンイーグルズサミットからなにが学べるか」ワークショップ
主催:シンポジウム実行委員会(英国大使館/英国海外開発省(DFID)、国際協力機構(JICA)、国際協力 NGO センター(JANIC)、ほっとけない世界のまずしさ、TICAD 市民社会フォーラム(TCSF))
会場:JICA地球ひろば
タイトル:日本の経験「ほっとけない 世界のまずしさ」
関連URL:http://www.uknow.or.jp/be/embassy_news/E000526.htm

◆10月14日 PARC自由学校 講座「徹底的に考える アフリカの現在(いま)」
主催:(特活)アジア太平洋資料センター(PARC)
会場:PARC
タイトル:「命」を取り戻す!エイズ問題と生きる権利

◆10月18日 川崎市平和館企画展「貧困と医療問題」講演
主催:川崎市平和館
会場:川崎市平和館
タイトル:貧困と医療問題
関連URL:http://www.city.kawasaki.jp/25/25koho/home/shisei/txt/shi061021.txt


■論文等

◆2001/08   「エイズと人間の安全保障――疫病と特許重視の時代の健康と医療」
 勝俣誠編『グローバル化と人間の安全保障』(日本経済評論社,401p.,2700)第3章
◆2003/07/00 「エイズとともに生きる時代」
 『婦人之友』2003-07

■講演

◆2000/06/23 「グローバル化と世界の保健問題――ダーバン・世界エイズ会議に向けて」
 明治学院大学国際平和研究所主催講演会
 http://www.meijigakuin.ac.jp/~prime/kiroku2000.htm
◆2001/06/23 「エイズの問題の現在」
 Debtネット講演会「最貧国の債務帳消しはアフリカのエイズ/HIV対策のために!」
 http://www.eco-link.org/jubilee/hiv9.htm
◆2002/10/31 「エイズ治療薬と「特許」:米国の国際戦略とWTO――私たちはなぜ今政治的にならざるをえないか」(講演)
 オックスファム・セミナー「HIV/エイズと貧困」
 http://www2.odn.ne.jp/oxfam/hivaids/1031seminar.html
◆2004/05/08 「イラクの医療と白血病」
 日時 2004年5月8日(土) 午後1時半〜3時半
 場所 松本中央公民館(Mウィング)4-1,4-2
 主催 日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)
 http://www.jca.apc.org/jcf/seminar/semi_19.html
◆2005/07/27 「グレンイーグルスからニューヨークへ」
 「ほっとけない 世界のまずしさ」報告と討論の夕べ
 ――G8サミットから9月国連「ミレニアム+5」サミットへ――
 2005年7月27日、文京シビックセンター スカイホール
 http://altermonde.jp/20050727_html
◆2005/11/11 「グローバリゼーションにおけるエイズ」
 於:立命館大学
◆2006/04/28 講義「アフリカの今と日本の私たちのかかわり」
 千葉大学・総合科目「世界の貧困問題をいかに解決できるか」
 http://www.students.chiba-u.ac.jp/syllabus/G/2006G4162001.htm
 http://www.hottokenai.jp/news/archives//000729.html
 http://www.hottokenai.jp/news/archives/001_campaign_news/000737.html
 林達雄(「ほっとけない 世界のまずしさ」キャンペーン代表)  「千葉大で、今回も350人が、「ほっとけない 世界のまずしさ」キャンペーンの林達雄代表の話を聞いてくださいました。
 千葉大での講義の様子「災害の被害はみな平等じゃない。貧しい人から命を落としていく。エイズは、新薬の登場で、死ぬ病気ではなくなってきたが、高い薬を買えない途上国の子どもたちは死んでいる。薬が高いのは特許、知的所有権によって発明者が特別な利益を得るしくみのため。命を尊重するのか、知的所有権という経済的な権利を尊重するのか。この問題が裁判になったとき、日本は知的所有権を重視した国のひとつだった。この裁判は、初めほとんどの関心を持たれなかったが、エイズ患者みずからが法廷に立ったことや、命の尊重を選ぶことを意志表示した人々がたくさん現れたことで国際的な関心が高まった。そして、裁判官は命の尊重を選ぶ判決をくだした。日本でも意思表示をする人々がではじめたことはうれしいこと。日本にいる私たちと、アフリカの子どもたちがいっしょに生きることの世界を私は生きていきたい。」(林達雄)



◆2006/07/03 田中真理(cafeglobe)「「私はこう思う!」という合図を出そう」
 http://www.cafeglobe.com/cafe/grp2006/gr060703.html
◆2006/11/07 「「ほっとけない」思い込め」(ニッポン人脈記)
 『朝日新聞』
 http://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY200611070323.html
◆斉藤 龍一郎 2005/10/29 「アフリカ諸国のHIV陽性者の当事者運動に触れて考えたこと」  障害学研究会関東部会
 http://www.asahi-net.or.jp/~LS9R-SITU/about_me20051029.html


 
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◆2003/01/17 「私たちは100万人の命を助けることができる」
◆2003/02/  "Japan urged to take lead in easing of patents"
 By KANAKO TAKAHARA Japan Times
◆2003/04/01 「FUND THE FUND エイズ・結核・マラリアと戦う世界基金キャンペーン」
◆2003/04/09 「ジュネーブ訪問」
◆2003/07/00 「エイズとともに生きる時代」
 『婦人之友』2003-07


◆2001/04/  「南アフリカ エイズ裁判」
 http://www.ajf.gr.jp/hiv_aids/hayashi/sa_court.htm
◆2001/08/31 「欧州、アフリカ訪問にあたって」
 http://www.ajf.gr.jp/hiv_aids/hayashi/010831.htm
◆2001/09/04 「林達雄さんからのメール 9月4日」
 http://www.ajf.gr.jp/hiv_aids/hayashi/010905.htm
◆2001/09/11 「KENWA 9月11日 HIVポジティブの女性による、HIVポジティブの女性のための運動」
 http://www.ajf.gr.jp/hiv_aids/hayashi/010911.htm
◆「Meeting with KENWA」(上記文章の英訳)
 http://www.ajf.gr.jp/hiv_aids/hayashi/kenwa.htm
◆2001/09/13 「ケニアからの一報 神戸俊平 9月13日」
 http://www.ajf.gr.jp/hiv_aids/hayashi/010913.htm
◆2001/08   「エイズと人間の安全保障――疫病と特許重視の時代の健康と医療」
 勝俣誠編『グローバル化と人間の安全保障』(日本経済評論社,401p.,2700)第3章
◆2001/08/  『グローバル化と人間の安全保障』の紹介
 http://www.ajf.gr.jp/hiv_aids/hayashi/hpaper.htm
◆2002/06/  「カナダサミットとNGOの声」
 http://www.ajf.gr.jp/hiv_aids/hayashi/canada.htm
◆2002/07/  「バルセロナから 2002年7月」
 http://www.ajf.gr.jp/hiv_aids/hayashi/barcelona.htm
◆2002/09/11 「ザキに会った」
◆2002/09/11 林達雄「忘れ去られた農村 東ケープ州、マウントフレーレ周辺 イシナンバ『最後に笑うのは私たちだ』」
◆2002/10/  「飢饉、食糧援助について」
 http://www.ajf.gr.jp/hiv_aids/hayashi/famine.htm
◆2002/10/31 「エイズ治療薬と「特許」:米国の国際戦略とWTO――私たちはなぜ今政治的にならざるをえないか」(講演)
 オックスファム・セミナー「HIV/エイズと貧困」
 http://www2.odn.ne.jp/oxfam/hivaids/1031seminar.html



 
 

◆KENWA 9月11日 HIVポジティブの女性による、HIVポジティブの女性のための運動

斉藤@足立区です。
林さんから9月24日付でメールが来ています。
メーリングリストへの投稿、およびbccで複数の方々へ送信しています。
このメールをナイロビから発した後、林さんはウガンダに移っています。

KENWA 9月11日 HIVポジティブの女性による、HIVポジティブの女性のための運動

 私のケニア訪問の意義は彼女たちとの出会いにあった。
 政府関係や国連機関が、わたしとのアポをなかなか取り付けてくれないのに対し、KENWAは即座に訪問を受け入れてくれた。そんな彼女たちによって私が試されたのは、事務所で話し合いを始めてからであった。自動車の修理工場の2階にある事務室でひととおりの説明を受けたあと、『一体なにをしにきたの?』彼女たちの疑わしげな視線と矢継ぎ早の質問の嵐に私はさらされた。日本に伝え、理解者を一人でも増やすために。・・それなら書いたものを是非送って。・・こんな調子である。無理もない。これまでの訪問者の多くは、見るだけみて、その後何の音沙汰もないそうだ。ここは動物公園ではないのだ。
 彼女たちの試験に一応合格したのか、メンバーの一人であるローズブコがスラムの家庭訪問に連れて行ってくれた。炎天下のコンゴシャスラムの奥深く、下水の匂う路地に連なるブリキ屋根長屋の一画にジャスティンの家があった。昨年エイズで夫を亡くした彼女はここで、3人の子供たちと暮らしている。2人は小学校に行っているが、一人は学費が払えぬため学校から拒否されたという。彼女は血痰が出るようになり、家で寝込んでいる。その彼女に、励ましの言葉とわずかばかりの食料を携えてKENWAの仲間たちが訪問する。
 もう少し栄養のある食べ物を持ってこれればよいのだけど。とローズブコはいう。ここでは病気になることは飢えることを意味している。病気で働けなくなった女性たちは病気自体ではなく、飢えで死んでゆく。98年に32人のHIVポジティブの女性が集まって始めたKENWAは現在2000人のメンバーを持つ。その75%は売春をして、子供を育てているシングルマザーである。感染した夫の多くはすでに死亡し、感染していない夫は家族を残して逃げてしまう。残された妻は一家の働き手にならざるを得ない。売春はそのための限られた手段である。ケニアでは女性は立場は極度に悪い。子供の学校での成績がよければ夫の手柄に、悪ければ妻の手柄にされてきた。HIVの運び手としても女性が槍玉に挙げられ、売春で検挙される際も、男性ブローカーたちは逮捕を免れ、彼女たちだけが警察に捕まる。ケニアではHIV陽性者たちは差別されてきた。陽性だとわかった途端、奨学金はもらえなくなるし、小規模融資も受けられなくなる。会社も首になる。病院もまた差別する。なんらかの症状がでて、公立病院を受診すると、なぜセックスしたと責められ、適切な治療が受けられない。(どうせ死ぬんだから)薬の無駄遣いだ。と言われ、アスピリンなど安価な薬を渡され、帰される。
 やるせない気持ちの中、ドロップインセンターに案内された。女性たちが入り口から外に溢れている。ここはスラムの女性たちが気軽に立ち寄れる憩いの場だ。HIVに関するグループ相談や学習の場でもある。今日は私の訪問を歓迎して集まってくれた。堅苦しいあいさつはない。歌って踊って楽しむ。それがケニア流の歓迎だ。お互いの手と手を叩き、子気味よい音をたてながら踊る人々の輪に私も入れてもらった。何があろうと、踊りが始まれば、すべてを忘れることができる。ここはアフリカなのである。
 KENWAの代表アスンタ・ワグラになぜ活動を始めたのかたずねてみた。彼女は私を自室の招き、一枚の新聞記事を見せてくれた。その見出しには『息子だけが生きる支えだった』と書かれていた。彼女は13年前にHIV陽性であることがわかり、7年前にカミングアウトした。自分が陽性であることを宣言した。その際、家族から猛烈な反対を受けたという。いまでもエイズを語ることが困難なケニアの社会風土のなかで、カミングアウトは勇気がいることだ。家族もまた、周囲からの嫌がらせを覚悟せざるをえない。しかし、同じ境遇にある者どうしが支えあうためには、自分を語るところから始めざるをえない。
 ローズブコもその一人である。7年前にルーティンの健康診断で陽性だとわかってすぐ会社を解雇された。そして、5年前にカミングアウトした。カミングアウトすることによって、良いこともある。学校に招かれ、生徒たちの前で話をすることによって、多少の収入が得られるようになった。KENWAの運営は、看護婦と会計士という2人の有給スタッフを除いてすべて無給のボランティアによって担われている。しかし、メンバーたちのすべてが売春に頼っているわけではない。エイズ予防教育に貢献することによって、新しい収入の道が開けたからである。予防教育を受ける側にとっても、現実の体験に基づいた生の話がもっとも説得力がある。
 ケニア政府は今後のエイズ対策費の6割を予防啓蒙活動に振り向けると宣言している。若者たちの行動変容を促すのだともいっている。しかし、これまでの性習慣を変えることは容易ではない。また、自主的に検査を受けることを奨励している。事前事後のカウンセリングつきのものである。しかし、陽性だとわかった後の、しっかりしたサポートが保証されていなければ、検査は期限付きの死刑宣告でしかない。予防の必要性だけを声高に訴えるのではなく、まずはすでに陽性を宣言された人を大切にし、彼らの力を借りて、予防に取り組む、この姿勢がもっとも建設的なエイズ対策である。『予防』と『ケア』や『治療』を切り離していけない。このことは、多くのエイズ関係者によって言われてきたことだが、私もようやくその意味を理解することができた。


 
 

◆2001/09 [info-jsds] ケニアからの一報「神戸俊平9月13日」

斉藤@足立区です。

林さんがケニアから送ってくれたメールを一つ、紹介しそびれていました。
神戸さんの動きに触れながら、ケニアでのエイズに対する取り組みを紹介す
る文章です。

神戸俊平9月13日

獣医であり、マサイ族の応援団であり、環境運動家でもある彼がエイズをに
関わりはじめたのは、旧友がコロンビア大学エイズ専門家であり、ケニアで
の活動の協力を神戸氏に求めたことがきっかけだそうだ。神戸氏は2年前、
米国でエイズ・カウンセリングの研修をうけた。その場所が先週崩壊したニ
ューヨークの貿易センタービルだったという。ビルへの通行証を自慢げに見
せてくれた。

ケニア政府は昨年の12月のエイズデーに際し、エイズが国家的災害である
ことを発表した。感染者を社会的に受け入れようという呼びかけた。観光立
国であるせいもあり、ケニアでのエイズの存在は、この時点まで政府によっ
て正式に認められてはいなかったのである。感染者は周囲からつばを吐きか
けられるので、昼間を歩けない。そんな偏見のなかに暮す時期が長く続いて
きた。ケニアのエイズ対策が本格的にスタートしたの今年になってから、ま
さに始まったばかりである。

一夫多妻、売春などの習慣がエイズを助長した。コンドームで防げるといっ
ても、男性に対して立場の弱い女性たちが、その装着を求めることは困難で
あった。かつては長距離トラックの運転手と売春に関係する病気だといわれ
ていたが、今は学校の先生、学生、看護婦など教育水準の高い人々の間にま
で広がっている。


キビラスラム アヤニ女性センター

ナイロビの人口の中で、スラム人口の占める割合は大きい。スラム人口こそ
がナイロビ住民の代表的存在である。そのスラムの中でも最も人口の多いキ
ビラを訪問した。スラム(不法占拠地)とは言え、家を貸す大家もいるし、
行政事務所もある。スラムで生まれ育った住民たちは部族の垣根を越えて共
存している。スラムを囲む道沿いには路上で野菜や炭を売る人々が並び、葬
式があったのか、ときおり棺おけを担ぐ男たちが出てくる。

アヤニ女性センターは、カトリック教会や社会福祉事務局の支援を受け、7
6人のメンバーで1986年に出発。女性の貧困対策、学校からドロップア
ウトした子供たちの教育などを目的にしている。失業したシングルマザーた
ちが毛糸を紡ぎ、機を織り、わずかな現金収入を得ようとしている。ここの
女性たちにとってもエイズは深刻な問題で、47名中5名がエイズで死亡し、
孤児となった子供は親戚や隣人に引き取られている。毛糸を紡ぐ女性たちの
中にも、やせ細り虚ろな目をした、いかにもという感じの婦人(カメラを向
けるにも気が引ける人)がいる。しかし、ここではまだ、病気を話題にでき
る雰囲気はない。神戸氏はここの女性たちと話し合い、HIVエイズのカウン
セリングを始めようとしている。

神戸氏でだけなく、AMDAも同じスラムの中でカウンセリングの活動を準備中
だという。

最近ケニアに導入された簡易検査を使って、検査前と検査後のカウンセリン
グである。検査をしても治療につながるわけではないが、しっかりと自分の
体のことを自覚してもらうことは本人のためにも良いし、周囲への感染を防
ぐことができる。そのように信じていると、AMDAの担当者は語った。神戸氏
によれば、カウンセリングは死刑を宣告するようなつらい仕事だという。特
に、小さな子供を抱えた若い母親が泣き崩れる姿は見るにしのびない。

斉藤 龍一郎
mailto:ryosaito

 
 

◆2003/01/17 「私たちは100万人の命を助けることができる」

Date: Sat, 18 Jan 2003 08:39:33 +0900
Subject: [viva_hiv_aids] 2003年ザキたちの行動・私たちの希望

斉藤@足立区です。

ケープタウンに滞在中の林さんからメールが届きました。

『私たちは100万人の命を助けることができる』

 2月14日の行動に向けて、TACから市民グループに呼びかけるためのミーティングがケープタウンの労働組合連合(COSATU)の事務所で昨日、行われた。ピースボートでの講座を終え、ナミビアからケープタウンに戻った翌日、幸運なことに私はこの機会に遭遇することができたのだ。期せずしたザキたちとの再会である。南アではエイズに対する治療計画が政府、財界、労組、市民の4者の間で進んできた。4者が合意すれば、南アのエイズ対策は本当の意味で始めることになる。しかし、政府と財界が治療計画への調印を渋っている。そこで、ザキたちは2月の中旬までに調印がされなければ、本格的な抗議行動を開始することを決めた。そうした意味合いでの、デモ行進が2月14日に行われるのだ。それは、WTOのミニ会合が東京で行われる時期に重なる。私たちが日本政府とWTOに対して、命と健康を守るよう声をあげるであろう同じ日時に、南アでは新な行進がはじまるのだ。
ザキは語る。『私たちの行動は前進と後退を繰り返したきた。私たちの今後の成果は、労組、NGO,女性、若者と子供、メディア、学校などすべての連帯と協力なしにはありえない。』逆にいえば、多くの人々が結集さえすれば、未来をつかみとれる、そんな時点にたどり着いているのだ。私たちは百万人の命を救いうる。そんな希望が今日の参加者すべての表情に見られた。何の力みがあるわけではない。軽やかなのだ。
 1週間前、アフリカで最も感染率が高いと言われているカイリチャのタウンシップを訪ねたときも同様だった。一年前とは全く違う。以前は、エイズについて自ら語れる感染者はほとんど見られなかった。しかし、今回はピースボートの聴衆の前でも、若い女性たちがどうどうと自分の状態を語る。ここでは、TACの事務所があり、国境なき医師団がエイズ治療のパイロットプロジェクトを始めている。その影響もあって、重かった空気が軽くなった。TACの担当者マンドラ君の雰囲気も変わった。一年前は、せっぱ詰まった表情で、唱え文句のようなプロパガンダを繰り返していた彼が、余裕をもって皆に接している。自信を持つということは、きっとこういうことなんだろう。
 ザキたちの南ア治療計画は、まず強制特許を使って薬の値段を下げる。その上で南アの国家予算を使って、薬の無料化をはかってゆく。その際、足りない分の予算を国際社会と企業・財界にに求めてゆく。そのためには、エイズ・結核・マラリアと戦う世界基金にお金が入ることが重要である。そこで、『私たちは百万人の命を救いうる』という標語の横に『世界基金にもっとお金を』という言葉を付け加えことになった。世界のお金が、命を救う方向に向かうことも重要である。『イラクに無駄なお金を使うな』という掛け声で、2月14日の行進は米国大使館へも向かうことになる。
 私たちは日本からどのような応援や参加ができるのだろうか?私は3つの可能性をこのミーティングで提案してみた。ひとつめは、2月のWTOミニ東京会議に向けての行動である。南アの治療計画を実現するためには、薬に対する強制特許など、特許緩和措置が使いやすくなることが鍵となるからだ。二つめは、日本をはじめとする先進国が2国間援助ではなく、世界基金にお金をもっと入れることである。世界基金は、途上国への治療を促進するし、何より当事者・実践者たちにとって使いやすいものだからだ。そして、最近の日本の2国間援助は米国に負けず劣らず戦略性が高い。テロ防止などの交換条件を途上国に課し、エイズを含む社会開発を進める上での新たな足かせとなりうるからである。3つめ、お互いの政府に対して相互にプレッシャーを掛け合うことである。政府というものはときに、自国の市民団体からの圧力よりも外圧に弱いからである。
いかがだろうか?

 これまで世界の情報を追い求めてきたAJFとその仲間たちは2002年末に、この激動の時代に追いつくことができた。世界の仲間たちとネットワークを築くことができた。日本を変えることが、アフリカを幸せにすることも実感した。今度は私たちがこれまで知りえたことを出し惜しみせずに伝え、行動にでる番である。オックスファムや国境なき医師団などとはすでに行動をともにしてきた。分野を超えて、たとえば、アタック・ジャパンとも共通の行動をとろうとしている。ザキたちがいま、さらにその輪を広げようとしているように、私たちも輪を広げる時期である。日本に住む私たちもまた、百万人の命を救いうる位置にいるのだ。
 今日の新聞を見ていたら、2002年に比べ2003年に希望を感じている国別の人口比が紹介されていた。それによると最も希望を感じている国がケニアで、最も悲観的なのは日本であるらしい。どうも『希望』とは、その国の物質的な豊かさや、寿命や健康とは無関係で、未来へ託する気持ちの問題であるようだ。ケニアの選挙に立ち会った実感でいうと、静かで軽やかなやる気なのだ。未来に向けて、自分自身も一票を投じ、参加したんだという誇りと自信なのである。
 2003年は、1人でも多くの日本人に希望と誇りを持ってもらう年としたい。百万人の命を救うことへの参加。私たち日本人が自信を回復するまたとない機会である。ザキたちが南アで行動する丁度、同じ日に私たちも日本で静かに、軽やかに動き始める。・・・・
みんなで幸せになりたい。

1月17日 ケープタウンにて
林 達雄

なお、南アでのザキたちの行動については、牧野さんが参加し、報告してくれる。今回のミーティングに私が参加できたのも牧野さんのおかげである。

 
 

◆2002/07/

Date: Thu, 11 Jul 2002 14:46:06 +0900
Subject: [viva_hiv_aids] 転送:バルセロナ会議から(はやし)

斉藤@足立区です。

林さんからメッセージが届いています。
重複、勘弁

皆さんお元気でしょうか

 カナダのG8サミットから今、バルセロナに来ています。。
 エイズ会議は、1万5千人の参加者にとって、まるで同窓会のようだ。私個人に限ってみても、この2年間アフリカで知り合ったある女性はグローバル基金の理事になっているし、ある男性はこの会議のNGOの総責任者として、共に開会式の巨大なスクリーンに顔が映し出される。コミュニティ部門の世話役、ブラジルからの報告者など・・・さらには、18年前、タイの大学や難民キャンプで知り合った人間までも、今ではエイズワクチンの研究者となって参加している。
 バルセロナ会議の特徴は『政治』問題をその主催者たちが明確に受け入れたことにある。2年前、ダーバン会議を外側から取り囲み、『薬をよこせ』とデモ行進を組織していた運動家たちが今回は会場の内側にいる。主催者、国連の代表、緑の党の党首、パルセロナ市長など開会の挨拶を行った人間たちが口々に、ジェネリック薬を使った治療の重要性を説き、エイズへの挑戦は人権への挑戦であることを訴えた。この2年間、エイズの治療薬と、その普及を阻んできた国際特許をめぐる国際世論は大きく変わった。予防と治療の両立はもはや常識となり、誰もが治療を受けられる権利を有する時代(少なくとも、そんな言葉が公式の場で宣言される時代)となった。2年前にブラジルだけが訴えていた、薬の製法の『技術移転』、法律を駆使した対抗手段の普及が語られるようになり、WHOのドーハ宣言を政治的カードとして活用しようという声が公然となった。かつては、米国の一人舞台の感のあったエイズ会議のイニシアティブも変化した。かつて野党勢力でしかなかったブラジルを中心とするラテンアメリカ、タイ、南アフリカが目立つようになった。
 一方、世界のエイズの現実は、一部の例外を除けば、悪化の道をたどっている。UNAIDSの代表はエイズは今なおその流行の初期段階にあると述べた。南アの感染率は40%を超えても沈静化の兆しが見られないし、西アフリカは大丈夫という幻想は破られた。そして、次の20年は人口の最も多い、アジアでの流行が本格化するだろう。コミュニティの会議の司会者は、感染者たちに楽しんでもらう企画を用意しながらも、思わず涙した。先人たちの経験は必ずしも受け継がれるものではなく、2年前よりもさらに多くの人々が日々、死んで行く。20年たってなお、エイズを取り巻く現実は好転していないのである。
世論は一時的に盛り上っても、すぐに忘れ去る。運動は具体的目標に向けて、多くの団体が力を合わせるが、一定の成果をあげると停滞し、分裂する。バルセロナでのデモ行進は2年前のダーバン会議の10分の1にも満たないささやかなものであった。国境なき医師団、ヘルスギャップ、OXFAMなどの主要NGOは独自の会議は持っても、デモには参加しない。
その一方でこれまで、なりを潜めていたWHOは、300万人を対象にした総括的な治療計画案を提示した。その会場では、アクト・アップや国境なき医師団のような運動家も壇上に並んだ。政治運動が一定の成果を収めると、今度は国際官僚、実務家たちの台頭である。
『治療』へのプラン(少なくともたたき台)は提示された。それは歴史的な出来事である。同時にそれは、限界の確認でもある。資金とインフラという限界がはっきりした。グローバル基金は設置され、期待が集中している。これは、従来のものより、現場の声の届きやすい枠組みではある。しかし、集まったお金は必要とされる額の10分の1に満たない。始めから破産状態という声すらある。先進国は自国の意向のとおりやすい2国間援助に傾斜したままである。会議の主催者たちは、世界中の政府と市民による全面的な政治コミットメントを求めた。
 しかし、G8に象徴される国際政治の主要議題は2年周期で変化する。2000年に重要議題となった『感染症・エイズ』は9.11以降、テロ対策と安全保障に押されがちである。カナダサミットではアフリカの首脳たちが押しかけ、彼らのイニシアチブによるアフリカ再建プラン(NEPAD)が売り込まれた。そして、この案には、エイズは十分に盛り込まれていない。少なくとも治療は視野にはいっていない、あるいは草の根の声を反映していないと批判を受けている。
 今回の会議のテーマは、知識から行動へ。知識や情報はすでに出そろった。後はいかに行動するかである。それも、少ない資金をめぐって、競争するのではなく、協力することである。予防・ケア・治療、ワクチンの開発と治療へのアクセス、結核対策とエイズ対策など縦割りを廃して統合することである。協力・統合への提案が随所で見られた。
また、感染者を対象とするのではなく、対策全般のリソース(担い手)として活用することが、UNAIDSの事務局長から提案された。考えてみれば、関係者の誰もが感じていたことが、再確認された訳である。
 次の20年に向けてのイメージが、おぼろげながら見えてきた。幻想と現実の区別がつきつつある。現実を直視し、限界を知る中で、世界の関係者の間での協力と、少ない資源の活用を知った。多くの人が声を合わされは、政治の壁はのりこえることができることも知った。個人の行動を変えることから、生活全般・社会の行動を変えること、そして政治・世界の行動を変えるところまでイメージは広がりつつある。
 アフリカからの参加者は、圧倒的な現実の厳しさとともに、生きることの楽しさ、逞しさを教えてくれた。問題は感染者にとどまらず、その周囲に圧倒的な数の被害者が生ずることも学ばせてくれた。。彼らのおかげで次世代・子供を強く意識するようになった。ラテンアメリカからの参加者は『政治』を活用することを教えてくれた。関係者、賛同者の数の結集が歴史と制度を塗り替えてゆくこと。エイズ先にありきではなく、広範な社会運動の中にエイズを組み込んで行くことの大切さも知ることができた。
 おそらく次の課題は『次世代』と向き合うことだろう。バルセロナの中でも、『次世代』を表題にしたセッションに人が集まった。UNAIDSも若者が成功の鍵だと述べた。エイズは同時代の世界の問題なだけではなく、世代を超えた問題、次世代に感染と広範な被害(孤児→ストリートチルドレン→感染)をもたらす稀にみる感染症だからである。
私たち日本の関係者にとっても、行動と協力が今、問われている。
 エイズをなんとかしたいと思う者にとって、来年の神戸会議、再来年のバンコク会議がチャンスであるし、アフリカを愛する者にとって、今年のジョハネスブルグ(リオ10)から来年の秋、東京で行われるアフリカ開発会議が機会である。
 それは、これまでエイズやアフリカに触れたことのない人間にとっても、そのやりがいと喜びを知る絶好の機会だ。
 少なくとも、この時代の現実と、自分自身を再確認するきっかけになる。

 それではまた。

林 達雄

 
 

Date: Thu, 12 Sep 2002 15:06:11 +0900
Subject: ザキに会った

斉藤@足立区です。

林さんからTACのザキさんに会った、とメールが届いています。

ザキ TAC

9月11日朝9:30

 ケープタウンの中心部から車で25分、ムーゼンバーグにあるザキの自宅を訪ねた。家の1階には、彼の妹さんを始めとするスタッフが仕事をしており、2階が彼の部屋である。
不精ひげのザキは、2年前ダーバン2000年でエイズ会議を取り囲む運動を展開していたときと比べると少しやつれて見えた。健康状態は、よくなったり、悪くなったりの繰り返しだという。
 貧乏ゆすりをしながら、日本の特に政府について質問してくる。南ア大統領のエイズへの対応にいよいよ業を煮やした彼らは、12月初旬から本格的な抵抗運動を開始しようとしている。南ア政府に対する国際的なプレッシャーが欲しい彼は、『日本』の可能性を知りたいのだ。日本政府はムベキ・NEPADの路線でアフリカに対応するつもりなので難しいと応えると、左翼はどうか?と聞いてくる。・…それも困難だとわかると今度は、治療のパイロットプロジェクトの可能性を打診してくる。それは多少可能性があると応える。・…
 11月の中旬に彼を日本に呼ぼうと以前手紙を書いた。しかし、今日の面談の際、もし彼がOKしてもこちらから辞退するつもりでいた。彼はいま、南アで最も必要とされる人物だからである。彼の代わりにTACの他のメンバー、先週ジョハネスで会って好感の持てたポドコロ君を招くことを彼に頼むと、快くOKしてくれた。そして、その来日の際、日本でキャンペーンを展開してくれと頼まれた。南ア大統領への抗議とグローバルファンドについてである。韓国の運動とも連帯することを勧められた。
 ジョハネスサミットについての意見を聞いてみた。彼はアフリカ大陸を覆う環境問題を心から憂いていた。彼がまず指摘したのはエネルギーの問題だった。サミットの中で最後の最後までもめた議題である。南アの半官半民の電力会社ESKOMはいまやアフリカ大陸全体を支配しつつあるという。主に石炭そして原子力(10%)からなる彼らのやり方は、自然に優しくない。一見、空気が澄みきっているように見えるケープタウンでも、いったん風がやむと空が茶色に染まる。ESKOMと車の排気ガスのせいで、喘息が増えていることを指摘した。12歳のときから、反アパルトヘイトを始めとする社会運動に取り組んできた彼はたんなるエイズ活動家ではない。
 次に指摘したのは『なぜ今回のサミットでエイズがほとんど議題に上らなかったか?』である。過去2年間に開かれたあらゆる国際会議で、エイズは常に重要議題としてあつかわれてきた。しかし、アフリカの地で開かれた今回のサミットで無視されたことは奇妙なことである。ザキは3つの理由をあげた。第一に議長国南アのムベキ大統領がエイズ問題を故意に避けたこと。第二に議長国南アと口裏を合わせた各国が、敢えて口を閉ざした。第三に、他の運動に忙殺されるあまり、TACがのりだせなかったと。自分が怠慢だったからだとザキはもらした。
 ムベキは不正直な男だとザキは語る。ついにマンデラとも仲たがいし、マンデラの忠告を全く聞き入れなくなったという。マンデラは最近、近親者がエイズであることを告白した。マンデラはザキの事務所を訪問し、マンデラ基金をとおしてTACを応援しはじめた。昨日ジョハネスに住む友人から電話があり、保険会社の了解が得られなかったために友人は家を買うことができなくなったとザキは言う。南アでは生命保険に加入することが家をローンで購入するための条件なのである。サミットの開催中、感染者グループNAPWAが、保険会社をめざしてデモを行った理由がよくわかる。しかし、NAPWAは南ア政府から資金をもっているとザキは語る。だから保険会社に対してはデモを打てても、南ア政府に対してはデモが打てないのである。・・・・・
 ザキは飾り気のない、気持ちの良い男である。治療薬を飲むことを拒否しつつ、アフリカの感染者すべてのために運動を続けてきた。もっともHIV陽性率の高いカイリチャ居留区では4万人が感染しているが、3000人しか病院にかかれない。そしてそのほとんどが、検査を受けるだけで治療を受けることができない。
 ザキは12月からさらなる運動を展開しようとしている。そして『日本』に対しても応援を求めている。TACの友人が来日する11月が、日本に住む私たちにとっても勝負のときだ。せめて1万を超える署名を集めたい。

 cf.◇Achmat, Zackie[ザッキー・アハマット]

Date: Wed, 11 Sep 2002 08:44:46 +0900
Subject: [viva_hiv_aids] 東ケープ訪問記

斉藤@足立区です。

林さんは、現在、ケープタウンに滞在して、しばしの休息中です。
標記のメールが送られてきました。

皆さんこんにちは
ひどい下痢にまいりながらも、南ア東ケープ州を訪問しました。
いま、ケープタウンの海岸で新月を眺めています。
明日は、エイズ感染者運動の英雄、ザキさんと会います。
それではまた。おやすみなさい。

忘れ去られた農村 東ケープ州、マウントフレーレ周辺
イシナンバ『最後に笑うのは私たちだ』

                      林 達雄

会議終了から2日目、10年ぶりにイシナンバ(最後に笑う人々という名なのローカルNGO)を訪問した。アパルトヘイト政策の時代にもっとも差別されていたホームランドの女性たちを力づけてきたグループである。一年に一度、鉱山や工場労働から帰ってくる男たちは、その抑圧による鬱憤を女性たちに向けていた。ホームランドとして与えられた土地は狭く、やせており、農村にいながら、農業のできない状態であった。教育の機会も与えられなかった女性たちが、イシナンバの努力により、自分たちが本来もっていいる力に目覚め、元気になっていく。そんな活動をJVCを通して応援してきた。
10年前、女性たちは歌と踊りで歓迎してくれた。ひとりが歌いだすと、次の人がハモる。次々に歌い手が加わり、瞬く間に絶妙のハーモニーが編み出される。歌とともに笑顔がともり、踊りがはじまる。音楽というものはこんなにも楽しいものだったのか。こんなにも人と人を結びつけるものだったのか。はじめて知った。ともに踊った。
しかし、10年後の今回は歌も踊りもあまり見られなかった。教会音楽で村に迎え入れてくれたものの、笑顔は見られなかった。東ケープ州、旧トランスカイ一帯は『忘れ去られた地』と呼ばれている。国道沿いの町、マウントフレーレにはスコッターキャンプができている。さらに奥地の農村に暮らしてきた人々が生活に窮して移り住んできたためである。
N2という高速道路沿いにあるため、中高生による売春が行われている。付近で良質のマリワナが採れるため密輸業者のため溜まり場となっている。こんな田舎町にもスラムが形成され、暴力の横行する危険地帯となっている。
 みぞれ混じりの雨の中、イシナンバの保健担当者とともに村を訪ねてみた。かつて女性と子供たちだけが残されていた村に男性たちが戻ってきている。しかし、鉱山は閉鎖され、仕事がないのでぶらぶらしている。長い出稼ぎ、強制労働のために農業のやり方も忘れてしまった。農村にいながら農業のやり方を忘れた人々である。80歳になる女性ルイ―スさんは流暢な英語で、東ケープ州の田舎がいかに忘れ去られてきたかを語ってくれた。もともとの貧困に失業が加わり、そこにエイズ・結核が追い討ちをかけている。もともとあった家庭内暴力に、エイズへの迷信と恐怖が加わり、暴力は子供にまでおよんでいる。教育は改善されたが、仕事に結びつかない。女の子は売春に走り、男の子は暴力に走る。村の暴力対策のためにコミュニティポリスが形成されたが、よぼよぼの中年団では役にたたない。飲料水にはいまだに川の水が使われ、衛生状態は改善されていないので、コレラが発生する。高速道路は都会からエイズを運んでくるが、水や電気や医療はやってこない。
 翌土曜日、高速道路沿いをはなれ、オースボーン村に向かう村道で埋葬のための行列を追い越した。クリニックの看護婦さんによると、350戸の集落で毎週、2組から3組の葬式がおこなれている。60歳になる男性キナセさんの家に入ると、娘のテンビシーレさん→立岩 真也+定藤 邦子 編 2005.09 『闘争と遡行・1――於:関西+』,<分配と支援の未来>刊行委員会
(24歳)がベットに横たわっている。キナセさんはアパルトヘイトの時代、鉱山で働いてきたが、肺を痛め送り返された。妻のノーマカラディさんは、薪を集めて売り、子供たちを学校に通わせてきた。キセナ夫妻には10人の子供と5人の孫がいる。現在、一家の収入は結核と診断されたキセナさんへの600ランドの年金だけである。娘のテンビシーレさんは家計を少しでも支えるためにダーバンに働きにでたが、そこで結核とエイズに感染してしまった。現在4歳になる娘をみごもった際、妊婦検診でHIV陽性であることを宣告された。母親のノーマカラディさんは病気になった娘や夫の世話をしながら、村の保健ボランティアとしての活動を続けている。アフリカのお母さんたちの強さと優しさには、いつも驚かされる。
 家の外では村人たちが集まり、エイズ対策やレンガ造りについてイシナンバの代表が話しをしている。南アでは、HIV陽性がわかるとその子供には養育年金がでるので、その証明書を必ず入手することなどなど。しかし、ほとんどの人々は検査を受けたがらない。村にも、エイズ啓蒙NGO・ラブライフの若者たちがいるが、彼らは他人には検査をすすめながら、自らが検査を受けることを恐れていた。イシナンバに最近加わった男性スタッフは帰りの車の中で、キセナさんの家に恐くて入れなっかたことを告白した。彼は、陽性者と接するのは始めての体験だという。そばにいるだけでは決して感染することがないことをわかってはいても、恐怖で体が動かなかった。しかし、彼自身の妻も妊娠しており、いずれは検査を受けなければならない。その機会に自分の検査を受けようか。そんな迷いを私に打ち明けた。アフリカではある年齢以上の母親たちは頭が下がるほど強く優しいが、男性は若者は、実に弱く、情けない。そして、情けない男が、女や子供に暴力をふるう。
農村部のエイズに対する偏見と恐怖は根深く、感染がわかっただけで、家族にさえ見捨てられてしまうのが、現実だ。現実を改善しようとイシナンバの女性スタッフ、彼らの育てた村のボランティアが辛抱強く説得を続ける。そして、そのイシナンバの事務所の前に陽性者が捨てらる。
夜、イシナンバの創設者ノクゾラ・マギダさんに話を聞く。この地域の過去10年の変化について、そして、イシナンバの今後の活動についてである。
アパルトヘイト解放後、水、電気、教育など基本的に必要なものはすべての人に行きわたるよう公共重視政策をとってきた政府は、2年後、債務返済を迫られる中、経済優先政策(ギヤ政策)に転換した。その結果、すべてのものを買わなくてならない時代が到来し、今に続いている。いわゆるプライベータリゼーションである。
地域一体にほとんど木が生えていないため、村人は薪を燃料にすることができず、石油を煮炊きに使わざるをえない。ところが、石油の価格が高騰した。輸送用の車両燃料も高騰し、結果的に主食のメイズを始めとする食料の価格も高くなった。アパルトヘイトの傷を癒すはずの時代に、総じて状況は以前と比べても悪化の方向にある。

過去10年の比較
仕事;鉱山の閉鎖により、失業者が村に溢れるようになった。
食料;価格の高騰
農業;ほんの一部しか復興していない。土地利用、土地所有の問題が改善されない。
水・衛生;多少は改善されたが、皆にゆきわたる方向にはない。
健康・医療;病気は蔓延。基本医療にもお金がかかるようになった。
教育;改善され、男女差も減ったが、学校を出ても仕事に結びつかない。
貧富の格差;拡大した。労働条件は改善されたが、就労者の割合は減少。
都市と農村の格差;ものすごく広がった。
暴力;特に子供への暴力が増加。
スラム;さらに奥地から人が流入し、高速道路沿いにスラムが形成された。
NGO;都市に集中し、もともと少なかったが、さらに閉鎖に追い込まれつつある。
歌と踊り・笑顔と希望;素朴で伝統的なものが減り、コマーシャライズた。

イシナンバの今後
アウェアネス・目覚めのための教育活動;アフリカの伝統的価値をとりいれ、一人一人が、自分の潜在的な力に気がつき、自信を回復できるよう、さらに力をいれる。
農村復興;都会での仕事に期待せず、村での生活を取り戻すことだ。農業を忘れた農村が、農業を取り戻す。そこにしか生きる道はない。

この地域のエイズの流行爆発も、エイズに対する対策も、エイズもたらされる死者の数もいまだ初期の段階にある。南アフリカの政府が、いますぐ方針を転換して、全力をあげて対策をはじめたとしても、その成果はすぐに地方には届かない。次の10年、これまでにも増して多くの人が死に続けることだろう。
しかし、イシナンバの女性たちを見ていると、たとえエイズがどんなに過酷でも、その現実を受け入れることができる。現実を受け入れながら、立ち向かう力をとりもどし、笑顔をとりもどすことができるような気がしてくる。自分自身の持つ力に気がつくことが、すべての出発点である。最後に笑うのは私たちだ。

 
 

Japan urged to take lead in easing of patents

By KANAKO TAKAHARA
staff writer
As host of an informal ministerial meeting of the World Trade Organization, Japan should take the initiative in easing rules on pharmaceutical patents so developing countries can have better access to desperately needed drugs, according to Dr. Tatsuo Hayashi, president of Africa-Japan Forum.
"Japan's position is similar to that of the United States and Switzerland, putting more importance on protecting patent rights of pharmaceutical makers," said Hayashi, who has worked as a volunteer doctor in the Third World. "I urge Japan to take a more humanitarian standpoint."
Because negotiations at the WTO General Council failed to produce results earlier this week, the drug patent dispute is expected to be among the major issues discussed during the three-day 'meeting starting Friday in Tokyo.
"There may be a time when the opinion of Japan as a chair of the meeting will be decisive," Hayashi said.
At issue is whether countries that cannot afford to buy patented drugs, or don't have the ability to produce them on their own, should be allowed to import cheaper generic versions that are produced in developing nations. The diseases targeted include HIV, malaria and tuberculosis.
The U.S. is calling for strict restrictions on the trade in these copy drugs, charging that the proposal, if adopted, would remove incentives for drug makers to research and develop new cures.
According to the Foreign Ministry, more than 90 percent of the roughly 42 million
Tatsuo Hayashi HIV-positive people throughout the world are in developing countries, including 28 million in southern Africa.
The lack of necessary medicine has led to shortened life spans of people in the developing world compared with those of industrialized nations, said Hayashi, who worked in Ethiopia for three years in the 1980s.
Hayashi said he was shocked to see dozens of children being treated at a hospice for the terminally ill when he visited South Africa in the late 1990s as a member of Africa-Japan Forum, a nongovernmental organization founded in 1994 to support development of African countries and help them build ties with Japan.
"Children lived there with death in sight," he said, suggesting many may have had a brighter future had proper medicines been available.
In a ministerial conference in Doha, Qatar, in November 2001, WTO members agreed to allow poor countries plagued by AIDS, malaria and other epidemics - but not able to afford patented drugs produced in industrialized nations - to produce cheaper versions of the drugs for domestic consumption.
But an agreement has been elusive on whether poorer nations that have no domestic pharmaceutical industry should be allowed to import such generic drugs.
Children would be able to live longer if poorer countries were allowed to import the generic drugs, Hayashi said.
Generic drugs for HIV produced in developing countries, for example, cost just 5 percent to 10 percent that of patented drugs made in industrialized nations, he said.
Last week, Japan proposed that rules on the export of generic drugs for 22 infectious diseases, including HIV, be eased first and those on drugs for other maladies be further discussed by the WTO council.
Mexican Ambassador to the WTO Eduardo Perez Motta, who chairs the drugs negotiating council, proposed allowing exports of generic drugs only in times of "national emergencies or other circumstances of extreme urgency."
But Hayashi opposes both compromises, as neither would enable developing countries to import preventative drugs or store medicines for emergencies. "(Developing states) shouldn't compromise," he said.
Hayashi pointed out that industrialized nations began pushing for the protection of pharmaceutical patents again after the Doha agreement.
"We're not saying patents should be ignored," Hayashi said. "We're asking for a better balance between protecting patents and public health."

 
 

◆Date: Tue, 1 Apr 2003 23:11:59 +0900

斉藤@足立区です。

先週28日・29日とパリでのFund the Fund 会議に参加した林さんからメッセージが届いています。

パリにて 林 達雄

FUND THE FUND
エイズ・結核・マラリアと戦う世界基金キャンペーン

 欧州と米国のエイズ関係団体の会合に出席するため、パリに来ております。6月にフランスで開かれるエビアンG8サミットに向けて、『世界基金にもっとお金を』と呼びかけるための会合でした。
 エイズ対策20年の試行錯誤の末、ようやく未来への方向が見えてきました。世界が個々バラバラにではなく、力を合わせるための仕組みがこの基金であると感じております。しかし、アフリカやアジアの感染者たちに希望を与えた基金も、そこにお金が入らなければ立ち枯れしてしまいます。私たち関係者から見ればとても大きな問題であるエイズ(感染症)も、世界の関心がイラクを中心とする戦争と平和の問題に集中する中、影が薄くなっていることも確かです。最大の資金拠出国である米国・日本は、援助を外交の切り札として使いたいため、世界基金のような世界協調路線の仕組みにお金を出し渋る傾向にあります。
 今回パリで開かれた会合の呼びかけ人は、フランスのAIDSという団体、米国のHEALTH GAP、ACT UP、そこに世界エイズ会議、ICASOのリチャードが加わり、欧州各地、カナダ、日本から40名ほどの関係者が集まりました。ホストであるフランス、AIDSの代表・ヘレンは世界基金の理事でもあります。今回の会合で新鮮さを感じたことが幾つかあります。まずは、欧米・国内のエイズ団体が世界のエイズ問題の解決に向けて動き始めている点です。2番目として、ACT UPのような運動家がとても辛抱強く、参加者の合意を図ろう、多くの人々と協調して前に進もうと姿勢を見せた点です。3番目として、これは特に欧州とカナダで見られた点ですが、エイズ関係者が単独で行動するのではなく、平和や環境など他の分野と歩調を合わせて行動を始めている点です。(昨年カナダのG8サミットの際、カナダのエイズ団体は、14の分野の関係者と協力し、社会フォーラムを形成し、G8に訴えました。そのことをリチャードたちカナダの友人たちは誇りにしています。イタリアの関係者は、平和運動の行進のエイズの旗を持って合流しています。 
K
 これら先進諸国のエイズ関係者は、世界のエイズ問題に本気で取り組もうとしています。情報を集めるだけではなく、はっきりとした結果を得るために行動を始めました。だからこそ、これまでのやり方の限界を知り、エイズ社会の狭さを知り、限界を乗りこえるために力を合わせようとしています。日本もこの輪に加わりたいと考えます。
 海外に出てくるとあらためて感じます。日本は今なお米国に次ぐ国際的影響力を持つ大国なのです。この国の動向によって、次の20年の世界のエイズ感染者の生死と生活は著しく変わります。一緒に考え、一緒に始めたいと思います。無力感を感ずる必要はありません。アフリカやアジア、欧米の友人たちが、力を貸してくれるからです。
 今回の会合で決まったキャンペーンは6月初旬のフランス・エビアンサミットを中心とした3ヶ月程度のものです。しかし、さらに長期的な取り組みも視野に入れることになりました。日本では9月のアフリカ開発会議(東京)、11月のアジア太平洋エイズ会議(神戸)、来年のバンコク会議と、一連の行動を行いたいと考えています。リチャードやHEALTH GAPのシャロナンは基金を強調するために神戸に来ます。
 4月5日に帰国します。直接、ご報告する機会を持ちたいと考えます。
 
報告会を4月9日に行います。
詳しくは別便をご覧下さい。

斉藤 龍一郎

 
 

◆「ジュネーブ訪問」

斉藤さんより
Date: Wed, 9 Apr 2003 17:54:54 +0900

斉藤@足立区です。

林さんがGFATM(世界エイズ・結核・マラリア対策基金)事務局を訪問しました。
昨年11月、神戸であったリチャード・フィーチャム事務局長らと再会し、討議したことを踏まえてメッセージを寄せています。

ジュネーブ発(はやし)

皆さん今日は
パリからジュネーブを訪問してきました。
世界基金の意味と現実をを確認するためです。
ICAPに向けて、生かし、盛り上げて行きたいと考えます。

今後ともよろしくお願いします。

林 達雄

ジュネーブ訪問

エイズ・結核・マラリアと戦う世界基金は、2国間援助など他の感染症対策と比べてどこが優れているのだろうか?
そこにお金が入らないとなぜ問題なのだろうか?

 3月28日、29日の2日間、欧州各地、米国、カナダのNGOとともに会合を持った。特に6月初旬にフランス・エビアンで開かれるG8サミットを目標に、各国政府からこの世界基金に資金をしっかりと出してもらうための国際キャンペーンを行うためである。パリでの会合には、2年前だったら決して顔をそろえることがなかったであろう顔ぶれが集まった。感染症の地球規模の流行に対応したいという共通の目標に向けて、違いをのり越えて、力を合わせたいという機運を感じた。日本からも参戦しようと私自身も駆けつけたのだ。
 しかし、このご時世である。平和、水、アフリカなどは注目されても、エイズ・感染症が再びG8サミットの議題にのる可能性は低い。日本は不況下にあり、援助を減らそうとしている。少ない予算を日本の国益のためにいかに有効に使うか、外務省も必死である。世論がよほど盛り上がらない限り、世界基金への増額は難しい・・・・
 世界基金の意味をどう日本に伝えたらその可能性が広がるのか?日本社会への伝え手である私たちが納得していなければ、日本人の理解は得られない。そこで世界基金の本部のあるジュネーブを訪ねることにした。
 パリからフランスの新幹線TGVで3時間半、レマン湖のほとりにジュネーブはある。ジュネーブにいたる手前の駅で乗り換えると、ミネラルウオーターで有名なエビアン、6月にサミットが開かれる保養地が同じレマン湖のほとりに存在する。ジュネーブへは3回目である。一回目は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、二回目は世界保健機構(WHO)を訪ねたことがある。10年以上前にUNHCRを訪問した際、その敷地面積の小ささにびっくりしたものだ。国連機関なのに米国や英国のNGOと比べてもずっと小さい。今回、世界基金を訪ねてさらにびっくりした。日本の大手NGOと大差ない規模なのだ。ここで、事務局長のリチャード・フィーチャム氏、東アジア・東南アジア担当課長の斉藤滋子(よしこ)さんと再会した。広報・資金担当のヨン・リデン氏、市民社会担当で自らも感染者であるケイト・トムソンさんを紹介してもらう。愛すべき人々である。はじめて訪問したのに昔からずっとここで働いてきたような錯覚に陥る場所である。自から望んでここで働いているという意味ではNGO的な事務所である。しかし、その
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 ヨンと話すうちに、基金の意味が明らかになってきた。基金は感染症問題の一部分に対応するのではなく、その全体に対応しようとしているのだ。供給サイドの都合で対策を決めるのではなく、需要に応じて資金を配分する機関なのだ。これまではどちらかというと、政府機関やNGOなど、対策を講ずる側、援助を施す側の都合を優先して、対策の規模や方法を決めてきた。自分たちのできる範囲で、得意の分野で、あるいは外交上優先する地域でやりましょうというわけである。少なくともそんな傾向にあった。しかし、この感染症という問題は、こうしたこれまでの方法で対応するにはスケールが大きすぎた。国境を超え、世界中に例外なく広がってしまう。地球を覆いつくすような大火事を止めるには、各人各様が手持ちの消火器でバラバラに対応するのは困難である。そこで世界基金が設立されたのだ。感染症問題全体にはっきりした結果を出すために設立されたのだ。
 基金の目的はとてもシンプルである。Getting people to stay alive. (感染症から)人々を生かすこと、生かし続けることである。治療やケアは、感染した人々を生かす行為だ。予防は、感染させないで生かすための行動である。
 基金は自ら行動にでようとする者を尊重し、力づける(エンパワーする)。供給サイドではなく、需要サイドを優先する。その方が現実的で効果的だからである。村や地域レベルの小さな活動にも、国レベルの大規模な活動にもお金を出す。感染者自身が担う行動にも、政府機関が担う行動にも、お金をだす。しかし、具体的な数字に示されるような成果がなければ、打ち切られる。Money for concrete result. 具体的な結果のために資金なのだ。資金の97%は直接、具体的な活動に回される。いわゆる事務管理費に使われる費用はとても少ない。だから、事務所もとてもシンプルなのだ。
 これまで述べてきたように基金はとてもシンプルだ。これまでの感染症対策の蓄積を踏まえているからこそシンプルなのだ。そして、シンプルだからこそ、巨大な現実に結果を出しうる。地球規模の感染症問題を人類がりこえることができるしたら、唯一の可能性かもしれない。しかしその一方で、多くの人々、多くの国々の決断と意志を必要とする。一度始めたら、結果がでるまでやめないという決意である。
 日本政府は2000年の沖縄サミットの際、基金創設のアイディアを示した。2001年のジェノバサミットで設立が決定した。少なくとも2002年の6月の理事会では各国が合意した。感染症問題全体に結果を出すこと。資金供出者の都合ではなく、必要とする者の計画に基づく点においてである。合意を前提に、半年ごとに計画案が募集され、厳選され、入金が待たれる状態にある。しかし、第一回目の入金もまだ終わっていない。2003年度の予算計画に対しては、いまだ八分の一の額が約束されたにすぎない。
 少ない額ならば、少ない額なりに対応したらよいではないか?と思われるかもしれない。一見もっともそうな意見ではある。しかし、対策の一部だけに着手しても、地球全体に燃え広がろうとする感染症の火の手は防げない。基金への入金は、人類の未来に対する投資である。頭金だけを入金して、途中でおりてしまえば、結果はでない。無駄金となる。

 エイズ・感染症の中で見出した希望は、感染者自らが自分を助けようとするだけではなく、他の感染者を助け、子供たちを守ろうと立ち上がったことだ。この基金に現実味を与えているのは、こうした感染者が理事やスタッフになり、感染者を対策の担い手として生かそうとしている点だ。そして、感染者を生かそうということこそが、マラリア・結核・エイズ、どれをとってみても、対策の決め手である。感染症問題の暗黒の面を見ればきりがない。若者の死、子供の死、差別と隔離、恐怖と相互不信、地球と未来の死につながる連鎖である。私たちはいま分岐路に立っている。人を生かす方の未来を選びたい。
 人を生かすために私たちの税金、私たちの資金を活用したい。
 日本の政府を生かすも、殺すかも私たち次第である。
 世界基金は私たち自身が育てる希望である。

 世界基金の事務所を出ると、雲の合間から白銀の山々が顔を覗かせた。春先のレマン湖を吹きぬける風がまだ冷たい。雪解け水で川に流れは速く、水鳥が見る見るうちに流されてゆく。世界の潮流もまた、驚くほど速い。感染症、戦争と水はまだ冷たい。基金を進めるフィーチャム氏の表情にも疲れが見えた。
希望の芽を凍えさせてはならない。と心から思った・・・・・・・


 
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2005.11.11 Fri. 林達雄 Live in 京都

グローバリゼーションにおけるエイズ(仮)
16:30〜(予定) 於:立命館大学(京都) 創思館 3階 P303・304(予定)

       *無料(カンパ歓迎)
       *参加しようかなという人は立岩TAE01303@nifty.ne.jpまで。
        (だいたいの人数がわかりたいので。当日連絡なしのキャンセル可です。)
       *林達雄・2005年秋のテーマ(MS Word 194k)
       *立命館衣笠キャンパス・アクセスガイド
        http://www.ritsumei.ac.jp/mng/gl/koho/access-map/kic-access.htm
       *キャンパスマップ
        http://www.ritsumei.ac.jp/mng/gl/koho/access-map/k-map.jpg

        まず、林さんに話していただきます。それから質疑・応答など。
        終わったら、近所に呑み食いに出かけると思います。
        どうぞいらしてください。


 cf.
◇立岩 真也 2005/10/25 「『エイズとの闘い――世界を変えた人々の声』」(医療と社会ブックガイド・53)
 『看護教育』46-09(2005-10):798-799(医学書院)
◇立岩 真也 2005/11/25 「エイズとアフリカの本・2」(医療と社会ブックガイド・54)
 『看護教育』46-10(2005-11):900-901(医学書院)
◇立岩 真也 2005/12/** 「限界まで楽しむ」
 『クォータリー あっと』02
◇立岩 真也 2006/01/25 「エイズとアフリカの本・3」(医療と社会ブックガイド・56)
 『看護教育』47-01(2006-01):-(医学書院)


UP:20030217 REV:0218,19,0305,0408,10,0614 20050601 0829 1001 1201 20061226 20070426 20080220 20091030
Hayashi, Tatsuo (English)  ◇アフリカ日本協議会(AJF)  ◇アフリカ  ◇世界  ◇WHO 

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