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平山 真喜男

ひらやま・まきお

http://www.h2.dion.ne.jp/~makibo/



日本ALS協会宮崎県支部・支部長

◆「私の自己紹介」より
 http://www.h2.dion.ne.jp/~makibo/privete.htm#自己紹介

1952年6月24日 宮崎県日南市生
1989年8月   駅の階段で足がもつれて?転倒。病気の症状が初めて現れる
1990年3月   早朝、両足が吊る。すぐに近くの内科に
        精密検査のため、総合病院に。
1990年6月   埼玉医科大学附属病院神経内科を受診。即、検査入院
        入院3日目に家族にALSの病名告知。入院3か月目に退院
1993年1月   宮崎県立宮崎病院神経内科を受診。
        その時に保健所に提出する診断書でALSと知る。
1994年7月   日本ALS協会の故:松岡幸雄氏が宮崎を訪れる。
 ……

◆「1992年9月
 社長から「これ以上、仕事を続けることは無理だろう。会社としても二次災害があったら困るので、申し訳ないが辞めてもらうことになった」と言われる。この時は病気のことよりも人間として、いや、一家の大黒柱として仕事を失う、これから仕事が出来なくなる?、不安と悔しさと惨めさで、このまま死にたいと本心に思ったものです。涙が怒涛のように溢れ止まらなかった。」(HP)

◆1994/07 「日本ALS協会の故:松岡幸雄氏が宮崎を訪れました。支部設立を是非に!と、強引にお願いし、同じクリスチャンでもあった松岡さんは、「是非ALS患者さんのために宮崎支部を作りましょう」と優しい理解をいただくことが出来ました。」

◆「支部結成の動きが始まったのが七月、それから実質わずか三か月足らずで発足となりましたが、それも患者さんの平山真喜男さんの熱意があったればこそです。
 平山さんは、同じ悩み、苦しみを持つ者同士がお互いに励ましあい、頑張ってゆきたいと、不自由な体で患者さん方を探し訪ね、支部づくりを訴えると共に、先生方や知人に協力をお願いして回られました。その熱意に共感して二十数名の患者さん、家族が集まり、先生方も惜しみない協力を申し出て下さり、支部結成の運びとなったのでした。」
 「宮崎県支部が発足」
 『JALSA』034号(1995/04/01):19

 
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■立岩『ALS――不動の身体と息する機械』における引用・言及

 [99]平山真喜男(宮崎県)も、一九九〇年六月に埼玉医科大学附属病院神経内科で家族がALSの病名告知を受けているが、本人は、その二年半後、一九九三年年一月宮崎県立宮崎病院神経内科を受診したとき、保健所に提出する診断書でALSと知った(平山[2002])。

※おことわり
・このページは、公開されている情報に基づいて作成された、人・組織「について」のページです。その人や組織「が」作成しているページではありません。
・このページは、文部科学省科学研究費補助金を受けている研究(基盤(C)・課題番号12610172)のための資料の一部でもあります(〜2004.03)。
*作成:立岩 真也
REV:20011211,20020803,0928
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