ひぐち 恵子・樋口 恵子
ひぐち・けいこ
1951〜
◆近藤 秀夫・樋口 恵子 i2016 インタビュー 2016/09/12 聞き手:白杉 眞
◆近藤 秀夫・樋口 恵子 i2018 インタビュー 2018/02/19 聞き手:田中 恵美子・奥平 真砂子
◆20010728 選挙戦最終日・演説(↓)
◆赤本 真理子 20010804・05 「障害者候補者を迎える無関心」「樋口恵子がついに「がんばる」を口にした」
『ヘラルドトリビューン・朝日新聞』2001年8月4/5日 訳:長瀬修
◆ケイ・シュライナー 200108 「障害者の権利活動家が落選」
Disability World 2001年7/8月号
◆2001 「人間である前に障害者だった私が、自分らしさを見つけるまで」
『ふらっと』(ニューメディア人権機構)
http://www.jinken.ne.jp/problem3/higuchi/index.html
ひぐち恵子を応援する「自立生活ピアネット」
・東京都町田市
・ヒューマンケア協会事務局員(〜19?)
・DPI日本会議常任副委員長 障害者の女性ネットワーク
・町田ヒューマンネットワーク
・全国自立生活センター協議会(JIL)
プロフィール(ILピアネットニュースによる)
1951 高知県安芸市生まれ。
1963 幼い時の脊椎カリエスが再発。中学時代は寝たきりで施設生活を経験。
1964 後にパートナーになる近藤秀夫さんに出会う。
1971 大阪の大学に入学直後、近藤さんと暮らすために埼玉に移る。
1972 高千穂商科大学で会計学を学ぶ。
1974 東京都町田市のケースワーカーになった近藤さんと町田へ。障害者運動に本格的に取り組む。
1981 国際障害者年を機にDPI(障害者インターナショナル)が設立され、障害者の国際交流が活発になる。障害者の海外旅行を数多くプロデュースする。
1984 広げよう愛の輪基金(ミスタードーナツ)の研修生としてアメリカ留学。
→ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業
1986 日本で最初の自立生活センター「ヒューマンケア協会」(東京都八王子市)設立に参加
1989 町田市で自立生活センター「町田ヒューマンネットワーク」創設。以来、1万人以上にサービスを提供。
1991 全国自立生活センター協議会(JIL)を発足させ、ピア・カウンセリングを全国に広める(95年に代表に就任)。
1994 町田市議会で初めての女性障害者議員に当選。
1995 北京女性会議で優生保護法改正を訴え、翌96年の母体保護法への改正をもたらす。
2000 介護保険の障害者への適用を検討する「障害者ケアマネジメント体制整備委員会」(厚生労働省)委員をつとめる。 cf.ケアマネジメント
■著書
◆19980205 『エンジョイ自立生活――障害を最高の恵みとして』,現代書館,198p. 4-88233-045-8 1575 [amazon]/[kinokuniya] ※
◆200404 『父83歳、ボケからの生還』,現代書館,210p. ISBN:4-7684-3439-8 1785 [amazon]/[kinokuniya] ※
□内容説明[bk1]
障害をもつ著者が、遠距離介護者として高知と東京を往復。ぼけかけた老父のメッセージを確実につかみ取った−。障害者と高齢者と家族、地域をつなぐ記録。
□著者紹介[bk1]
高知県生まれ。1歳半で脊椎カリエスを発病する。全国自立生活センター協議会代表、町田市市議会議員等を経て、現在、NPO法人スタジオIL文京代表。
■記事等
◆20010501 「日本の自立生活運動史」
全国自立生活センター協議会編[2001:012-032]*
*全国自立生活センター協議会 編 20010501 『自立生活運動と障害文化――当事者からの福祉論』
発行:全国自立生活センター協議会,:発売:現代書館,480p.
◆1985 「アメリカ,見て歩き」
『リハビリテーション』274−285(連載)
◆1988 「自立生活を実現させるために」
三ツ木編[1988:347-350]
◆19911201 「自立生活センターにおける有料介護サービスのゆくえ」
『リハビリテーション』 (1991-12):17-21
◆19921225 「障害をもつ当事者側からの文化の創造――の活動から」
『季刊福祉労働』57:060-064
◆19930101 「ケニアリハ会議雑感」
『障害者の福祉』13-01(138):18-19
◆19940625 「自立生活運動から議会へ」(インタビュー 聞き手:佐野 利男)
『季刊福祉労働』63:008-011
>TOP
◆20010728 選挙戦最終日・演説
新宿の皆さん、こんにちは。ひぐち恵子です。明日投票日になりました。私は北海道から南は沖縄までを選挙区として、告示日の12日以降、一生懸命東京八王子を出発点として点々と地方を回ってまいりました。そして、一昨日の夜、やっと地元・町田市の自宅に戻りました。そんな形で17日間の選挙戦、とてもとてもハードな日々を過ごしております。でも残すところあと少しになりました。何とか自分の身体がこの暑い夏の闘いに耐えられたことを、とっても自分で自分を誉めてあげたいと思っています。
私は障害を持って生きてきました。そして、障害はダメなもの、直さなければならないもの、そんなメッセージを受けながら、でも一度しかない人生、誰でも同じ、だから堂々と、生き生きと生きていいんじゃないか、そんな思いの中で、障害を持った仲間たちとともに、地域で暮らしを作る、親許とか家族という保護された場所から出て、また施設という管理された場所から出て、自分たちが住みたい地域を選び、そして一人の人間として、当たり前に生きる社会環境をつくる、働く、そして働いて税金を納める。これまで障害者は保護や哀れみの対象として、扱われてきました。でも、その意識をやっと抜け出そうとしている私たちです。だからこそ、今、21世紀の始めの年に、この政策決定の場に、何としても障害を持っている当事者が参加したい、そんな思いで立候補いたしました。
そして、あと数時間になったここまで、私の身体がちゃんともってくれたこと、本当に全国の皆さんがいろんなところで、声を聞かせてくれて、励ましてくれて、そして各地に行ったときに、障害を持った仲間たちが集まってくれて、その地域をともに、バリアチェックをしながら、どうすれば心のバリアと環境のバリアのない、100%バリアフリーの社会をつくっていけるか、そんな思いで仲間とともに、歩きながら、17日間を終えようとしています。
障害を持ったものだからこそわかる立場から、これからの21世紀の福祉、誰もが安心して生き生きと堂々と暮らせる、そして自分を好きって言える社会を造っていきたい。そんな思いで、弱い者の立場からの声を出す人間として、私ひぐち恵子は立候補して、そして暑い選挙戦を頑張ってまいりました。
私は15年前に頑張るという言葉は捨てました。どうしてか。障害者はいつも頑張って偉いわね、頑張っているわねといわれて、がんばりつづけなければいけない。いつもそう思い続けていたから、もうがんばらなくっていい。私たち、十分に、生きているだけで頑張っているんだから、頑張っているなんて言う言葉なんていらない。そう思ってその言葉を捨てました。でも、この17日間、この短い間に全国を回るというのは、短い言葉で端的に表現しなければならない。だから、「頑張る」という言葉、頑張ってねという言葉を励ましとしてやってきました。そして、ここにたどり着きました。
でも、明日の投票日。選挙方法がわかっていることをちゃんとわかってくれているんでしょうか。個人名、ひぐち恵子という個人名を書いていただかないかぎり、私は国政の場に行くことができません。白い投票用紙にひぐち恵子と書いてくれる人を、一人でも多く集めないことには、そんな声を大きくしていかないかぎりは、当事者の声は消されてしまいます。
強い人たちばかりの政治でいいんでしょうか。親が政治家だったから、国会議員だったから、そして国会議員になった、そう言う人たちが本当の福祉をつくってくれるでしょうか。痛みをもって、共に生きていた当事者としての視点を持っている人が、国政の場に必要だと思います。私は、障害を持っている立場、女性という立場から、この選挙に何としても入りたい。そして当事者の声をきちんと政策決定の場に出しながら、それぞれがいろんな当事者性をぶつけ合いながら、政策をつくっていく。それが本当の政治ではないでしょうか。そう思って、私は障害者として、女性としての声を、政策決定の中に活かしていきたい、仲間が抱えている様々な問題を、政策決定の場で、きちんと仕組みの中に盛り込んで、誰もがいきいき生きられる、100%バリアフリーの社会をつくっていきたいと思って立候補しました。
私は、「障害を持っている子どもたちは養護学校に行った方がいい」というふうにより分けられる分離教育には反対します。どうしてか。小さいときから別々に育っていては、障害を持っている子は特別な存在にしかなりません。お世話をしてあげなければいけない特別な存在でしかありません。ともに遊び、けんかし、学びあうことで、お互いの違い、違いを持っている人たちが生きていくという他文化共生の基本が、小さいときに鍛えられる。そのためには統合教育が絶対に必要だと思っています。もちろん、そのために必要な支援はあります。それは充実していかなければなりません。でも、ともに育つ、この関係をつくっていきたいとおもいます。
その次に、やはり地域が重視される、そんな地方分権をきちんとつくっていきたい。もちろん基本的な人権にかかわる部分は全国どこに行っても同じでなければなりません。その地域地域でちがっているニーズはあります。だから、その地域で自分たちの住民として、市民として、必要だと思ったことを組み立てて、活動していける、そんなNPOの活動を育てながら、地方分権を進めていくことが大事だと思っています。
その先にあるのが、やはり誰もが一人の人間として、障害や高齢や、女性や子ども、身体的特徴が違う人、被差別部落出身の人、在日の外国籍の方々、そんなそれぞれのバックグラウンドの違いで差別されることのない、基本的人権を確立していかなければならないと考えます。
私はその大きな一つとして、障害を理由に、公共交通機関や公共建築物、また教育の世界、すべての分野から疎外されることのない、障害者権利法をつくっていきたい。そして、誰もが障害を理由にあきらめたりしない、堂々と生きられる社会をつくっていきたい。そのように思っています。
それと、私は、この日本はまだまだタバコの煙が充満している社会だと思います。私は普通の人の5分の1しか肺活量がありません。タバコの煙がとても自分の肺の中に入ってくることをとても恐怖に思っています。だから、分煙社会のルールをしっかりと作っていきたい。吸う人の権利、吸いたくない人の権利、それが守られる社会をつくっていきたい。
こういうことをするために、国政の場に、障害者の声、女性の声を送っていただきたいと思います。どうか皆さん、ひぐち恵子という名前を心に留めていただいて、白い投票用紙にひぐち恵子と書いて、障害者の声、女性の声、そして私が参議院議員になれたら、日本で初めての女性障害者の国会議員になります。どうか皆さん、ひぐち恵子を応援してください。どうもありがとうございました。