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後藤 忠治

ALS患者の雑記帳
http://www.isn.ne.jp/~tm-gt



・宮城県
・1949年(昭和24年)5月生
・1995年春発病
・1997年在宅開始
・1999年10月呼吸器装着
・オペレートナビをワンスイッチで操作(左手親指→足親指)
・ALS患者の雑記帳 2000/12/31〜

◆自己紹介
 http://www.isn.ne.jp/~tm-gt/profile.htm
◆闘病記
 http://www.isn.ne.jp/~tm-gt/toubyou.htm
 ・発病・・・・肩がおかしい! 1995年(平成7年)
 ・電気刺激治療・・・・1996年(平成8年)
 ・退職……胃ろう造設…車椅子 1997年(平成9年)
 ・気管切開・・・・1998年(平成10年)
  http://www.isn.ne.jp/~tm-gt/toubyou/kikansekkai.htm
 ・パソコンと呼吸器・・・・1999年(平成11年)
  http://www.isn.ne.jp/~tm-gt/toubyou/pasokon.htm
◆わたしの告知
 http://www.isn.ne.jp/~tm-gt/kokuchi.htm

◆2006/11/28 「退職後、息つく暇なく」,「生きる力」編集委員会編[2006:061-063]*
*「生きる力」編集委員会編 20061128 『生きる力――神経難病ALS患者たちからのメッセージ』,岩波書店,岩波ブックレットNo.689,144p. ASIN: 4000093894 840 [amazon][kinokuniya] ※,

 

立岩の文章における言及

 [56]後藤忠治(宮城県、ホームページとして後藤[1999-])の発症は一九九五年。
 [68]一九九五年・「病院通いが始まる。接骨院、整形外科(二ヶ所)、総合病院数カ所を回りある整形外科医で、「ひじの骨が神経を圧迫している」とのこと。この骨を削り取れば簡単に治ると言う。紹介状をもらい総合病院へ。ところがMRI、筋電図などの検査の結果東北大学付属病院・神経内科へ検査入院。」(後藤[1999-])
 [85]一九九五年に発症し入院した後藤忠治(宮城県)[56]は「医師からALSと告知された記憶は無い。検査入院の時、「運動ニューロン病」と告知されただけです。治療方法が無いと言うだけで具体的な説明はありません。ただこの病気が命にかかわる重大な病気だと感じました。妻は退院の日に告知されたそうで、ずっと後に成ってから話してくれました。どんな気持ちで何処まで説明受けたのか。今も聞いていません。今となっては聞いてもしょうがありません。/しかし、今思うと私はこれで良かったと思っている。」(後藤[2000?]、その後書類からALSと知る[96])
 [96]「平成七年春発病してはじめて、自分が筋萎縮性側索硬化症と知ったのは平成八年十二月に届いた特定疾患医療受給者証からでした。」(後藤[2000?]、[85]に続く文章)
 [148]後藤忠治[56]ははっきりと告知されたことがなく[85]、病名を知ったのは特定疾患医療受給者証の記載からだった[96]。「「進行が止まる事は無いですか?」・(ありません)/「薬はいつ頃できますか?」・(今のとこ特効薬はありません)/「このまま進行するとどうなりますか?」・(車椅子の生活になりますね)/「最後はどうなりますか?」・(人工呼吸器をつけるようになりますね。決めるのは本人です)/これは月一度の外来時の主治医との会話です。私にとってこれが告知と思っている。毎回少しずつ聞き、ALSと言う病名に関係無く、自分の病気を半ばあきらめがおで自然に受け入れられたと思っている。これらの事を一度に告知された場合、果たして平常心でいられたか自信が無い。」(後藤[2000?])
 [190]後藤忠治[148]、一九九八年。「この先どんな事が起こるか、家族の負担に不安を抱きながら在宅が始まる。いつ呼吸困難になるのか。その時呼吸器を付けるのか、付けないのか。呼吸器の管理が家族で出来るものなのか。/ALSは発病五年で半数の患者が亡くなると言う。それは病気が進行して亡くなるのか、それとも呼吸器を付けるのを拒んで亡くなるのだろうか。いずれにしてもその時が必ずやって来る。/その時自分はどうするのか。こんな自問自答の毎日です。」
 九九年四月に後藤は花見に行った。「患者仲間から花見の誘いを受ける。[…]小野寺さん、鈴木さん、和川さん。皆さんは呼吸器装着です。[…]皆さんに会えた事で生きる喜びを知り、そして呼吸器を付ける勇気をもらいました。/[…]/十月十三日。あんなに悩んでいたのに苦しさに耐えきれずあっさり呼吸器装着。」(後藤[1999])
 [199]後藤忠治は九九年に「苦しさに耐えきれずあっさり呼吸器装着」[190]。「ぐっすり熟睡できる。だるさが無い。体が軽い。今までのあの辛い数ヶ月はなんだったのだろう。もっと早く装着すればといまさらながら思う。」(後藤[1999])
 [203]九八年六月、宮城県の総合病院で。「気管切開しても話せる方法があると聞いていたがこれらの説明は一切無く医師は《明日手術します。しなければ帰ってください。どうせそのつもりで来たのでしょう。呼吸器をつけるわけで無いし考える事は無いでしょう》と言うのである。妻と二人で唖然とする。/なんと言う医者である。とんでもない医者が担当になったもんだ。たしかに切開のために入院したけれど今日の明日では急過ぎる。子供に話する時間も無い。よほど切開するのをやめて帰ろうかと思ったが思いなおす。二十四日手術。スピーキングバルブを付け声を出すがなかなか意思が伝わらなく、不安と恐ろしさが一日中頭から離れない。」(後藤[1999])この後九九年十月、後藤忠治は呼吸器をつける[199]。
後藤 忠治 2000? 「わたしの告知」、後藤[2000-]
――――― 2000- 『ALS患者の雑記帳』、http://www.isn.ne.jp/~tm-gt


※おことわり
・このページは、公開されている情報に基づいて作成された、人・組織「について」のページです。その人や組織「が」作成しているページではありません。
・このページは、文部科学省科学研究費補助金を受けている研究(基盤(C)・課題番号12610172)のための資料の一部でもあります。
・作成:立岩 真也
・更新:20020911,1002,15 20030106,0211 20061203

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