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舩後 靖彦

ふなご・やすひこ

『舩後流短歌』
http://funago.seesaa.net/
『舩後ファミリー・ライブ』
http://jamp-net.com/silk/index.html

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last update: 20200724


■目次

◇新着
プロフィール
著作・講演等
メディア
その他
言及
関連ファイル


新着

◆2020/07/23 京都府嘱託殺人事件の報道を受けての見解(舩後靖彦 Official Site:音声データ有り)
 https://yasuhiko-funago.jp/page-200723-2/

◆2020/07/23 れいわ舩後氏「死ぬ権利より生きる権利守る社会に」『日刊スポーツ』
 https://www.nikkansports.com/general/news/202007230001364.html


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■プロフィール

・舩後 靖彦(ふなご・やすひこ)
・千葉県
・1957年生。42歳のときALS発病。国立千葉東病院に入院
日本ALS協会千葉県支部

・『舩後流短歌』
 http://funago.seesaa.net/
・『舩後ファミリー・ライブ』
 http://www.ne.jp/asahi/jmp/vg/silk/index.html
・『ALS Silk Road Web』
 http://www1.odn.ne.jp/~aae03880/index.html


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■著作・講演等

著書

◆舩後 靖彦・寮 美千子 20080805 『しあわせの王様――全身麻痺のALSを生きる舩後靖彦の挑戦』,小学館,196p. ISBN-10: 4093877203 ISBN-13: 978-4093877206 1575 [amazon][kinokuniya] ※ als.n02.
◆2006/11/28 「”アロパジャ”――僕と同じ身体障害者への応援歌」,「生きる力」編集委員会編[2006:011-013]*
*「生きる力」編集委員会編 20061128 『生きる力――神経難病ALS患者たちからのメッセージ』,岩波書店,岩波ブックレットNo.689,144p. ASIN: 4000093894 840 [amazon][kinokuniya] ※

講演

◆2009/10/03 「生きる――出会いの場からのセイの創造」
 2009年度立正大学石橋湛山研究助成公開講演会「生きる――出会いの場からの生の創造」 於:立正大学
◆2009/08/22 「私は!悔いなく死にたい!!――“貴方も自身への問い掛けをなさいませんか?”」
 於:熊谷市八木橋デパート
◆2009/02/13 「東アジアALS会議様へ」

その他

◆2005/08 「命に役目役割を課す」


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■報道

ウェブ

◆2019/07/17 「れいわ新選組・難病ALS患者が当選確実で参議院が困惑 対応策を検討か」
 しらべぇ / 2019年7月17日 10時20分
 https://news.infoseek.co.jp/article/sirabee_20162119652/

◆2019/07/03 参議院議員選挙にれいわ新選組から立候補
 https://www.youtube.com/watch?v=Iu_7J-VPGIA
 →https://www.reiwa-shinsengumi.com/

◆2019/07/03 「れいわ、重度障害者2人を「特定枠」に 山本太郎氏は比例転出」
 https://mainichi.jp/senkyo/articles/20190703/k00/00m/010/347000c
 「政治団体「れいわ新選組」代表の山本太郎参院議員(44)=東京選挙区=は3日、東京都内で記者会見し、参院選(4日公示、21日投開票)比例代表で優先的に当選する「特定枠」に、介助が欠かせない重度身体障害者の舩後(ふなご)靖彦氏(61)と木村英子氏(54)を擁立する方針を明らかにした。両氏が当選した場合、国会内の幅広いバリアフリー化が求められることになるとみられる。
また、山本氏は、自身については、東京選挙区からではなく比例代表で立候補すると表明した。同区には新人で創価学会員の野原善正氏(59)を擁立する。山本氏は「山本が議員を続けるためには2人を当選させたうえで自分も票を獲得しなければいけない」と強調。自身の知名度を生かして票を掘り起こし、複数当選を目指す考えだ。
 舩後氏は全身の筋力が低下する難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」患者。商社マンだった41歳の時に発症し、現在は自力でほとんど体を動かせないという。特殊な意思伝達装置などを使いながら看護・介護サービス会社の副社長を務める。3日の記者会見で出馬の理由を問われると、介助者を通じて「私の信条は人に尽くすことだからだ」と述べた。
 また、木村氏は生後8カ月で脳性まひを患い、両足や左手がほとんど動かず、車椅子生活を送っている。ヘルパーなどの助けを借りながら行政に障害者支援の強化を求める活動に取り組んできた。
 舩後、木村両氏は、現状の国会では、議場での登壇や記名投票、議事堂内の移動は困難。さらに舩後氏は意思疎通に特殊な機器が必要であるなど、両氏が当選した場合は、移動手段や質疑方法など幅広い検討が求められそうだ。【宮原健太、田辺佑介】」

◆「ALS患者、魂の言葉学生に」  『朝日新聞』2009-9-29 http://mytown.asahi.com/tokyo/news.php?k_id=13000000909290001

◇額動かし紡ぐ/来月3日 立正大で 千葉の船後さん
 「全身がまひする原因不明の難病、筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)患者の舩後(ふなご)靖彦さん(51)=千葉市美浜区=が10月3日、品川区の立正大学で講演する。タイトルは「生きる――出会いの場からの生の創造」。手足は動かず会話もできないが、自身の体験を打ち込んだパソコンの文字を音声化。「多くの人に生の言葉を伝えたい」と語る。
(小石勝朗)
 舩後さんは商社員だった00年にALSの告知を受けた。延命措置を取らなければ発症後3、4年で多くの患者が亡くなるとされ、今は人工呼吸器を着けて療護施設で生活。額のしわの動きでパソコンを操って、講演のほか、短歌を詠んだり、同病の人に助言して支えたりしている。「時間がもったいない」と睡眠4時間で精力的に活動している。
 講演は45分間の予定。自身の生い立ちに始まり、ALSと知った時の様子や心境を告白。医師に「いつまでも過去にこだわっていると未来をつかめない」と言われて延命措置を選択した経緯に触れ、出会いの大切さを説く内容だ。2カ月前から準備し、7割方は書き下ろしだという。
 舩後さんは、友人の小館貴幸・立正大非常勤講師による文字盤を使った通訳を介し、講演で伝えたいことについて「出会いを大切にすれば生きがいをつかむことができ、ひいては生きる意欲がわいてくる。そのために『人生のフリカケ』とも言える、自分の表には出さない我流の何かを見つけてほしい」と話した。
 今回の講演会は、立正大の友永昌治教授が中心になり、「生の現場と大学での学びをつなぎたい」と企画した。ALS患者の自宅と教室を結ぶ遠隔教育システムに共同で取り組む立命館大の佐藤達哉教授も、患者との直接の交流から学んでいく手法「サービスラーニング」をテーマに話す。
 3日午後0時半からで、一般の聴講も可能(無料)。希望者は、はがきかEメールに「10月3日公開講演参加希望」と氏名、住所、電話番号を書いて、〒141・8602品川区大崎4の2の16、立正大学政策広報課(yokuikiru@ris.ac.jp)へ。定員100人。」(全文)
 写真:文字盤を使い、目で合図しながらコミュニケーションをとる舩後靖彦さん=千葉市美浜区

◆2009/02/03 「もう一度ギターが弾ける 湘南工科大 ALS患者の助手とともに開発へ」
 『産経新聞』2009-2-3
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090203-00000016-san-soci

 「障害者や高齢者が使いやすい福祉器具の開発を目指す湘南工科大(神奈川県藤沢市)が、全身の筋力が急速に衰える難病のALS(筋委縮性側索硬化症)でも演奏できるギターの開発に取り組んでいる。非常勤助手を務めるALS患者の舩後(ふなご)靖彦さん(51)も協力。作詞担当としてバンド活動をしている舩後さんが「もう一度ギターが弾けたら」と願う夢は、学生とともに歩き出した。(今泉有美子)

生きる思い託した160首…舩後さん出版の短歌集が反響
 同大は昨年秋、寝たきりのまま人工呼吸器で生活している舩後さんを非常勤助手として採用。福祉器具を使う立場からアドバイスをもらったり、普段から障害者と接することで倫理観の高いエンジニアを育てる目的があった。
 ALSは難病に指定されており、国内に約7000人の患者がいるとされる。
 舩後さんは約10年前に発病し、3年後には自力で呼吸できなくなった。視力や聴力などは衰えないため、文字盤を介して会話ができる。顔のしわの微妙な動きを読み取る特殊なセンサーを額に装着すれば、パソコンでのメールも可能だ。
 舩後さんと器具の共同開発を行う授業は昨年12月から始まった。
 4年生の山田雅彦さん(23)が開発を担当。パソコンと同じように、しわを動かしてセンサーに反応させ、センサーが弦の上に取り付けた特殊な機械を操って奏でるギターを想定している。山田さんは「弾いている実感をもってもらうため、特にリズムを敏感に察知するギターにしたい」と意気込む。
 舩後さんは同じ病気に苦しむ人の相談にメールで答える「ピアサポート」の活動中、男性患者の自殺を思いとどまらせたこともあったという。その後、「病気に打ち勝つ姿を示せば、同じ病気に苦しむ人を励ませるかもしれない」と考え、積極的に各地で講演活動をし、自作の短歌や詩を披露している。
 非常勤助手の就任要請も舩後さんの活動を知った同大学が依頼。「学生さんが器具を使う患者の笑顔を見て、助け合う喜びを知ってもらえれば」と快諾した。
 学生時代はプロを目指すほどのギターの腕前だったといい、発病後に闘病生活を通じて親しくなった介護福祉士らとフォークバンド「あるけー」を結成し、舩後さんが作詞した曲が定期公演で演奏されている。
 今秋に公演の予定があり「その時までに完成したら、ぜひとも舞台で演奏したい。もう一度ギターの演奏ができるなんて、これ以上の喜びはありません」と舩後さん。ギターの完成を心待ちにしている。
 [写真]昨年11月の福祉イベントで文字盤を使って会話する舩後靖彦さん(右から2人目)と山田雅彦さん(左から2人目)=湘南工科大提供(写真:産経新聞)」(全文)

◆2009/01/13 「難病男性・舩後さん 非常勤助手に 湘南工科大(藤沢)」
 『東京新聞 TOKYO WEB』2009-1-13
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20090113/CK2009011302000095.html

 「学生たちが福祉器具づくりに励んでいる湘南工科大学(藤沢市)は、進行性難病の筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)を患う舩後(ふなご)靖彦さん(51)を非常勤助手に採用した、と発表した。ALS患者の情報伝達装置のモニターを舩後さんに依頼し、技術的な助言をもらう。インターネットを通じ、週1度程度の対面授業も行う。 (加藤木信夫)
 宝飾輸入商社に勤務していた舩後さんは一九九九年に発症。現在は千葉市の介護施設に入所している。ほぼ全身が麻痺(まひ)して人工呼吸器を装着。額に装着したセンサーをまゆで動かし、パソコンへ連動させることで、外部と「会話」している。
 同大ではこれまで、障害者のニーズを直接聞き取り、福祉器具づくりに反映させるボランティア活動を推進してきた。取り組みの数々が本年度、文部科学省の「質の高い大学教育推進プログラム(教育GP)」に選ばれ、初年度分として二千万円の補助金が認められた。
 補助金の一部を舩後さんの採用関連費に充てた。担当者は「より重い障害者のデータを積み上げ、快適な暮らしをサポートできるよう、器具の改良に努めたい」としている。  舩後さんは電子メールで「自分が持っているものをみんなに伝え、教育に活用していただければうれしい」と伝えてきた。バンド演奏を趣味にしていたことから、「自作の詩を曲にしたい。額のセンサーをギターの弦へつないで奏でることはできないか」と求めているという。

<筋萎縮性側索硬化症(ALS)> 感覚や知能ははっきりしたまま、筋肉の萎縮が全身に広がる原因不明の難病。症状が進行すると、呼吸筋が麻痺して自発呼吸ができなくなる。延命措置として人工呼吸器をつけても麻痺は進行し、末期には眼球運動も確認できなくなる。有効な治療法は確立されていない。日本には約7000人の患者がいるとされる。」(全文)

◆2009/01/10 「難病ALS男性を非常勤助手に/福祉器具開発へ藤沢の湘南工科大」
 『神奈川新聞』2009-1-10
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryivjan0901198/

 「湘南工科大学(藤沢市辻堂西海岸)が、難病の筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)と闘う男性を非常勤助手として採用している。同大は障害者向けの福祉器具の開発に取り組んでおり、実際に使う側からアドバイスを受けるのが狙いだ。難題克服へ学生らと日々研さん。ものづくりの可能性が広がっている。
 助手を務めているのは、千葉市に住むALS患者の舩後靖彦さん(51)。商社マンだった一九九九年、四十一歳のときに発病した。筋肉が萎縮し、運動機能が急速に衰える難病。治療法はなく、国内には約七千人の患者がいる。
 病が進行して人工呼吸器を使いながらも、舩後さんは額に着けた二本のセンサーを動かすことで、五十音表の中から文字を選び、パソコンを通じて意思を伝える。これまでに短歌や詩の創作、講演などを行って病気と闘い、同じ病気の人も励まし続けている。
 採用のきっかけは、同大が進める「福祉ものづくり」。横浜市栄区の障害者施設と協力し、重度の障害者でも使える製品を開発している。ALS患者とも交流を深める機会があり、舩後さんと知り合った。
 授業は、週一回程度。インターネットや千葉市内の施設で指導にあたる。今、舩後さんが求めているのは病気になる前のように「ギターを弾くこと」。額の微細な動きを、二本のセンサーを通じて実際に弦を弾く行為にどう結びつけるか―。電気電子工学科四年の山田雅彦さん(23)が難題に挑んでいる。
 「提案に応えることができれば、ほかの障害や難病がある人にもきっと応用できるはず」と目を輝かす山田さん。舩後さんは「自分が持っているものを伝え、教育に携われることはうれしい」と寄せている。」(全文)

◆2005/02/01 「人工呼吸器 患者の決断1:告知で絶望 支えで勇気」(医療ルネサンス)
 『読売新聞』2005/02/01
 http://www.yomiuri.co.jp/iryou/renai/20050201sr11.htm

テレビ

◆2004/07/26 NHK総合テレビ18時〜「首都圏ネットワーク」に舩後靖彦氏登場

 *舩後さんより

Yasuhiko Funago さんのコメントを転送します:
お知らせ致します。
舩後と『美浜カーニバルボーイズwithレモン』&舩後の就労先『(名古屋)虹の橋』がテレビに登場です!
放送日時)7月26日(月)の
NHK総合テレビ18時〜「首都圏ネットワーク」内で6から7分程度の枠です。
※突発の事件、事案などで変更の可能性もありますが、現状はこの予定だそうです。
よろしくお願い致します。

◆2005/02/01 「人工呼吸器 患者の決断1:告知で絶望 支えで勇気」(医療ルネサンス)
 『読売新聞』2005/02/01
 http://www.yomiuri.co.jp/iryou/renai/20050201sr11.htm

 *以下は舩後さんのホームページからの引用です。是非、直接上掲ホームページをご覧ください。

◇ご挨拶
「ページにお越しの皆さん、ご訪問頂きまして、大変ありがとうございます。
私は発病して3年になる、ALS患者の舩後(ふなご)と申します。
当ページでは患者の視点でALSを捉え、社会にどう関わるかを大きなテーマとして、運営して行きたく思います。
まずはじめに、ALS(筋萎縮性側索硬化症)について、極極極極極々簡単にご説明します。
ALSは発病後、徐々に筋肉が萎え、全身が麻痺して、平均3年ぐらい後に呼吸が出来なくなる病気です。
この時点で患者は、
@呼吸器を装着する。
A人生をまっとうする。
のどちらかを選択しています。これがALSの超ミニ概略です。
さて皆さん@とAどちらの選択数が多いと思われますか? 実はAです。
理由は様々ですが、一つ挙げるとするならば、諸多の事情により在宅にての介護を受けられない場合、呼吸器を着けた患者の長期受け入れ施設の絶対数が不足している為、呼吸器を装着して力強く生きてゆく事を選択しにくい為です。
これは一例ですが、この問題をもクリアして、逞しく人生を謳歌なさってるかたもいらっしゃるでしょう。
でも、事は此れに限らず、私として皆さんに知って頂ければと思う事を、ささやかな内容かもしれませんが、当ページでお伝えして行きたく思います。
宜しくお願いします」

◇ページ著者略歴
 http://www1.odn.ne.jp/~aae03880/history.html

◇ALSとは??
 http://www1.odn.ne.jp/~aae03880/What_is_ALS.html
 *舩後さんの文章ではありません。

「***考えてみてください****
たとえば、 
(1) 蚊が飛んできて
(2) 手に止まる
(3) 針を刺す
(4) 血を吸う
(5) 赤く腫れる 
(6) ものすごく痒い!!

一部始終ず〜っと見てるだけ、叩けない! 叫べない! 掻けない!
こりゃ あなた ゴーモンですよ!!」

◇患者としての生き方
 http://www1.odn.ne.jp/~aae03880/Life_as_patients_Funago.html
 1.はじめに/2.具体的には?/2-1 始めに/2-2 .../2-3 .../2-4 役割を担う


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■その他

◆2005/07/30

*川口さんより

川上純子様からお知らせいただきました。

 舩後靖彦さんから以下の宣伝です。
いつも、お世話になります。舩後です。実は来たる7/30土曜日、六本木に御座いますバー&ライブハウスの『スリーパーズ』に、私の活動テーマ『生き甲斐見せて、生き様示せ』に共感してくれているフォークユニット『あるけー(介護福祉士とALSパソコンボランティアのデュオ)』が、同店奇数月定期イベント『オヤジ・バンド・ナイト(チャージ3000円)』に前座として19時より20分間、私と共に出演させて頂きます。全曲私の歌詞に『あるけー』が曲をつけた、オリジナル作品を演奏致します。もしお時間御座いますれば、お運び下さいませ。心よりお待ちしてます。【舩後】
◇◆Cool age bar SLEEPERS'
Tel 03-5775-4350
http://www.sleepers-cafe.com
〒106-0032 東京都港区六本木7-14-10誠志堂ビル6F


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■言及

◆立岩『ALS 不動の身体と息する機械』における言及

 「【239】《ALSは発病後、徐々に筋肉が萎え、全身が麻痺して、平均三年ぐらい後に呼吸が出来なくなる病気です。/この時点で患者は、/@呼吸器を装着する。/A人生をまっとうする。/のどちらかを選択しています。これがALSの超ミニ概略です。/さて皆さん@とAどちらの選択数が多いと思われますか? 実はAです。/▽理由は様々ですが、一つ挙げるとするならば、諸多の事情により在宅にての介護を受けられない場合、呼吸器を着けた患者の長期受け入れ施設の絶対数が不足している為、呼吸器を装着して力強く生きてゆく事を選択しにくい為です。/これは一例ですが、この問題をもクリアして、逞しく人生を謳歌なさってるかたもいらっしゃるでしょう。△》(舩後[2002a])」
 *▽△で囲ってある部分は、本では省略してあります。

 「二〇〇二年のメルボルンでの会議には呼吸器を付けた人が四人参加。ただ医療関係者の会議という性格が強いこの会議で、発表は事務局会議、ポスターセッションの場に限られた(金沢[2003])。二〇〇三年はミラノで開催。橋本みさお[492]と舩後靖彦[239]が参加。舩後は二年続けての参加だった。
【497】 《二度目の参加をさせて頂きました。/その中で思いましたのは「なかなか患者自身がその活動を、発言するのは難しいという」と言う事です。実は、昨年の参加以来、会議の主体が介護者側にあると気がついた私は[…]テーマを「ピアサポート」とした発表意志を示しました。ところが、頂いた返事は残念ながら「却下」だったのです。[…]「過去三年間、日本に優先発表をさせたから」との事由を知りました。諦めきれなかった私は[…]再度のお願いを国際会議本部に致しました。結果[…]ショートスピーチの時間を頂ける約束を得ました。》(舩後[2004b:12-13])
 二分間のショートスピーチ、発表できなかった一〇分の発表の原稿を含むより詳しい報告は彼のホームページにある(舩後[2003])。専門職フォーラムに出席したら、(トータリィ・)ロックトインの状態(↓第12章)になったら呼吸器を外してくれと言われていた場合に外すべきかが論じられていた。《結局「私は日本の患者です。/私の呼吸器は体の一部です。/それを止めるのは自殺を意味します。/日本では考えられない事です」/とだけ発言致しました。これで精一杯でした。/結論!「文化の違い」で片付けられました。/お粗末様です。》(舩後[2003]。それ以前の国内での講演に舩後[2002b])」


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■関連ファイル

障害者である議員(であろうとする人たち)
佐々木 公一 『週刊/ALS患者のひとりごと』





※おことわり
・このページは、公開されている情報に基づいて作成された、人・組織「について」のページです。その人や組織「が」作成しているページではありません。
・このページは、文部科学省科学研究費補助金を受けている研究(基盤(C)・課題番号12610172 〜2004.3/基盤(B)・課題番号16330111 2004.4〜2008.3)のための資料の一部でもあります。

*作成:長谷川 唯山本 晋助
UP: 20021004 http://www.arsvi.com/0w1/fngyshk.htm REV:1015 20040623 20050202,0730,0813 20061203, 20090211, 14, 1027, 1105, 20191122, 20200724
ALS(筋萎縮性側索硬化症)  ◇障害者である議員(であろうとする人たち)  ◇日本ALS協会千葉県支部  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究  ◇WHO
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