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Friedman, Milton

[ミルトン・フリードマン]


last update:20100722
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*◆Friedman, Milton 1962 Capitalism and Freedom Univ. of Chicago Press ※
 =1975 熊谷尚夫・西山千明・白井孝昌訳,『資本主義と自由』,マグロウヒル好学社,234p. 1700
*◆Friedman, Milton ; Friedman, Rose 1980 Free to Choose : A Personal Statement Harcourt Brace Javanovich 
 =19800525 西山千明訳,『選択の自由』,日本経済新聞社,518p. 2300
*◆Friedman, Milton 1983 Bright Proises, Dismal Performance: An Economist's Protest Thomas Horton and Daughters=19842010 土屋政雄訳,『政府からの自由』,中央公論社,390p. 1800



■言及

◆立岩 真也 1996/02/29 「企業の社会貢献の条件」
 千葉大学文学部社会学研究室『NPOが変える!?──非営利組織の社会学(1994年度社会調査実習報告書)』第5章追記,pp.114-116

 企業の社会貢献に対するFriedman[1970]の反論があって、多くの文献でもこれ
が紹介され、さらにこれに反論が加えられる形になっている(笹川平和財団コーポ
レート・シチズンシップ研究会編[1990]、電通総研編[1991:171ff]、松岡
[1992:154-158]、田代[1994b:114-115]、等々)。Friedmanの批判は以下のよ
うなものである。
 1.企業は営利を目的として組織されたものであり、企業経営者は株主からの付託
に応え、利益を上げることに専念する義務がある。
 2.社会に対する貢献は企業が得意とする分野ではなく、不得意な分野に手をつけ
るのは社会的資源の無駄遣いである。
 3.いかなる資源を使ってどのような社会貢献活動を行うかを誰が決定するのか、
経営者に任せるのが果たして適切であるのか。
 以上のFriedmanの批判の2.・3.は以下のαに関わり、1.はβに関わる。
 α企業の社会貢献は社会に貢献するのか
 β企業の社会貢献は企業に貢献するのか

 (以下略)」

笹川平和財団、コーポレート・シチズンシップ研究会 編 1990
 『コーポレート・シチズンシップ──21世紀の企業哲学』、
 田淵節也監修、講談社、278p.、1400円
田代 正美 1994b 「企業の社会貢献」、
 『現代のエスプリ』321:113-123
電通総研 編 1991
 『企業の社会貢献(フィランソロピー)──個人・企業・社会の共生』、          日本経済新聞社、225p.、ISBN:4532140749、1400円
Friedman, Milton 1970
 "The Social Responsibilities of Buisiness Is to Increase Its Profits",
 The New York Times Sunday Magazine, September 13, 1970, 25-26
松岡 紀雄 1992 『企業市民の時代──社会の荒廃に立ち向かうアメリカ企業』、
 日本経済新聞社、352p.、2000円

◆立岩 真也 2004 『自由の平等』,岩波書店
 「☆21「道徳教育者の使命は[…]「どうして私は親戚でもない、不愉快な習慣を持つ、あかの他人のことを心配しなければならないのか」という、もっとしばしば発せられる問いに答えることだ、ということがわかるでしょう。[…]次のように始まる長い、悲しい、感情を揺さぶる種類の物語を語ることです。すなわち「家から遠く離れて、見知らぬ人のあいだにいる彼女の立場になってみると、現状はこのようなものなのだから」あるいは「彼女はあなたの義理の娘になる可能性もあるのだから」あるいは「彼女の母親が彼女のために嘆き悲しむだろうから。」」(Rorty[1993=1998:163-164]、略した部分にはまたしてもニーチェへの言及がある)このような論に似ているところもあることを本文で述べたのだが、そのローティはやがて「アメリカ」「国民の誇り」を持ち出すことになる(Rorty[1998=2000]等、このことについて北田[2001]、齊藤[2001:42])。」(立岩[2004:327])

 「ノージックに比べると、ハイエク、フリードマンといった人たち──ケインズ的福祉国家の誕生・成長の時代、本人たちの自己認識としては不遇だったが、政策の変更との絡みで前面に出ることになった人たち──は、やはり経済学者であって、こうした方が経済・社会がうまくいくという言い方をすることが多いのではあるが、その人たちであっても、国家による統制を批判し、個人の自由を賞揚する立場をとる。そして左翼は、彼らと対立しつつも、権力に抗し介入に反対する人たちでもあったから、[…]」(立岩[2004:296-297])
 「本書ではその[リバタリアンの]主張のおもしろいところに触れることはないが、その様々な「民営化」論は検討してみてよいと思うし、また比較的よく知られているアイデアとしてはフリードマンの「教育クーポン券」や「負の所得税」の提案などもなかなかおもしろいと思う。私は「分配を認めたノージック」[…]」(立岩[2004:297])
 「☆18彼は知られているとおりの人である。「わたしは自由主義者として、もっぱら所得を再分配するための累進課税については、いかなる正当化の理由をも認めることがむずかしいと考える。これは他の人びとにあたえるために強権を用いてある人びとから取り上げるという明瞭な事例であり、したがって個人の自由と真正面から衝突するように思われる。」(Friedman[1962=1975:196])
 この種の論について言うべきことは既に述べたのでここでは繰り返さない。その人が貧困への政治的対応を認める理由が次のようなものだ。「わたしは貧困を目にすることによって悩まされ、貧困の軽減によって利益を受ける。けれども、その軽減の費用を払うのがわたしであろうと他の人であろうと同じように私は利益を受ける。」(Friedman[1962=1975:214-215])
 フリードマンに限らず、第1章で検討したリバタリアンたちでも、どういうわけか、何もしなくてもよいという主張を貫く人はそう多くはない。分配をまったく否定する人たちもいるが、そうでもない人たちもいる。むしろ多くが、しぶしぶ、あるいははっきりと肯定する。なぜその人たちは「救貧」「扶助」を認めるのか、認めたがるのか。そしてそのことと権利についての主張とがどんな関係になっているか、そこに整合性を見出しうるのか、これらの検討はここでは略す。公正、公平についての心理学的研究で[…]」(立岩[2004:325-326])


UP:? REV:...20030506,1123,1201, 20110316
WHO  ◇経済(学) economics  ◇リバタリアニズム

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