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古込 和宏


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 ※匿名で書かれたものをこのサイトにいくつか収録しています。将来この頁に掲載することがあるかもしれません。

◆古込 和宏 2017/04/01 「伴走者とともに」
◇宮本 研太→金沢市長 2017/03/29 「介護支給量申請にあたって」 [PDF]
◆古込 和宏 2017/03/24 「皆様へ」
◆古込 和宏 2017/02 「「この問題」」
◆古込 和宏 2016/10 「地域移行に際し医王病院と新潟病院の副院長宛て挨拶としての紹介文」
◆古込 和宏 2016/09 「病院からの発信」

■2017/11/11 「金沢の筋ジス患者・古込さん、37年ぶり地域生活」
 『朝日新聞』田中ゑれ奈2017年11月11日03時00分 [PDF]
 http://www.asahi.com/articles/ASKC761JBKC7PJLB00W.html
 写真:口にくわえた棒でセンサーを押し、パソコンを操作する古込さん=金沢市内

 「全身の筋肉が少しずつ衰える難病「筋ジストロフィー」を患う金沢市の寝たきりの男性にこの秋、24時間の介護サービスが認められ、37年ぶりに病院の外で暮らし始めた。慣れない「地域生活」に奮闘しつつ、「退院がゴールではない」と前を見据える。
 5歳で発症し、人工呼吸器を使う古込和宏さん(45)は今年3月、長時間介護を必要とする人の支援制度「重度訪問介護サービス」を金沢市に申請した。交渉を経て、10月中旬に月937・5時間の支給が決定。常時1〜2人のヘルパーによる介護を受けながら、市内の支援者の家で生活をスタートした。
 8歳から病院で暮らし、院内学校で学んだ。そこで出合った囲碁が外の世界とつながるほぼ唯一の手段だった。学生時代は4年連続で全国大会に出場したという腕前。だが、病状の進行と介護の人手不足で徐々に病院からの外出は難しくなり、35歳で車椅子に寝たまま打って以来、大会に出ていない。晴れた空を病室の窓から眺める日々。「何でずっと病院の中にいなきゃいけないんだ」。その思いが募った。
 退院の方法を模索していた時、…」

■2017/11/04 「<筋ジス男性>「見る景色変わった」37年ぶりに自立生活」
 『毎日新聞』2017-11-4(土) 11:31配信
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171104-00000029-mai-soci
 [写真:24時間介護が実現し退院した古込和宏さん。全身の筋肉が動かず、口にくわえた細い棒でパソコンのマウスを繰る=金沢市で2017年10月2日午後0時5分、桜井由紀治撮影」

 ◇8歳から入院、自発呼吸できず人工呼吸器が欠かせない
 全身の筋力が低下する難病「筋ジストロフィー」を患う金沢市の古込(ふるこみ)和宏さん(45)が10月、37年間暮らした病院を退院し、地域住民や弁護士の支援を受け市内の民家で自立生活を始めた。長時間介護が必要な人にヘルパーを派遣する国の自立支援制度「重度訪問介護」で、市が1日24時間介護を決定し、実現した。古込さんは「見る景色が変わり、社会に出て来た実感がする」と喜びをかみしめる。
 重度訪問介護による介護時間は市町村の裁量で決定する。財政的な観点から上限を厳しく運用する自治体が多く、古込さんを支援する「介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネット」(東京都)によると、24時間介護が認められたのは石川県内で初めて。これで全ての都道府県で24時間介護を受ける人が存在することになったという。
 古込さんは5歳で発症、8歳から金沢市の病院に入院した。自発呼吸ができず人工呼吸器が欠かせない。日常生活は可能で、口にくわえた細い棒でパソコンのマウスを動かし、文章を書く。2012年4月の40歳誕生日に虫垂炎で容体が急変、一時心停止状態となった。
 一命は取り留めたが「あのまま死ねばよかった」と思った。生きる気力を失いかけた頃、富山県で自立生活を送る難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の新聞記事を読み「自分もできるはず。外の世界を知らないまま、人生を終わりたくない」と自らを奮い立たせた。15年末、同ネットを知り、相談した。
 同ネットが地元弁護士を中心に支援グループを結成。医師を交え月1回、自立生活に必要なケアについて話し合った。古込さんは病院内の施設で宿泊訓練を重ね、ヘルパーに1日の詳細な介護記録を作成してもらった。「24時間見守りも含めた介護がなければ生活できない」との担当医師の意見書も添えて今年3月、市に申請。その後も市担当者と交渉を続けた結果、10月12日、月937・5時間の支給決定が出た。入浴や移動時には2人での介助を受ける時間数も含め、24時間介護が可能になった。
 古込さんは支援者から提供された市内の民家でヘルパーに深夜も見守られ、日々を送る。8歳から病院のベッドで天井を眺めてきた。今、毎朝窓を開けてもらい、新鮮な空気と共に聞こえてくる小鳥のさえずりや子どもたちの笑い声に、地域で生きる喜びを感じる。「これからが自立生活への本当の闘い。重度障害の仲間が助け合える団体を作り、経験を伝えたい」
 同ネットの宮本研太弁護士(金沢弁護士会)は「重度障害者の介護は家族に背負い込ませるケースが大半で、家族は身も心も擦り減らしている。公的制度を最大限に活用した古込さんは、地域移行の良い先行事例になる」と指摘する。【桜井由紀治】

 ◇重度訪問介護
 重度の障害を抱える人たちが、自宅などで入浴や排せつ、食事の介助、見守りなど生活全般にわたって受ける公的介護サービス。6段階の障害支援区分で4以上(6が最も重い)の重度障害者が対象。介護時間は市町村が決定するが、障害者が希望する時間数を下回るケースも多い。」



◆立岩 真也 2017/03/24 「障害ある人に/と地域社会に/と大学は何ができるか」
 金沢大学地域創造学類講演会 於:近江町交流プラザ研修室2

◆立岩 真也 2017/05/01 「高野岳志/以前――生の現代のために・21 連載・133」,『現代思想』45-8(2017-5):8-21

 「□八〇年代を先にすること
 書きかけの何回か分を飛ばして、一九八〇年代の初め、国立療養所から出た筋ジストロフィー者について記す。その一つのわかりやすい理由は、昨年頃から、金沢市にある旧国立療養所医王病院に長く暮らしてきた古込和宏の退院のための種々に少しだけ関わっていることにある。古込(ふるごみ)は一九七二年四月二六日生だから、この号が出るときには四五歳。五歳頃に筋ジストロフィーの診断を受け、八歳の時に国立療養所、今は国立病院機構医王病院に入院。県立医王養護学校(当時)に転校し高等部卒。入院生活は現在まで三七年ほど。当方のサイトに掲載させてもらっている文章として古込[2016][2017]他。相模原での事件の後、幾度か述べることになったが、皆が本当に施設・病院を出られるのかといった逡巡にさほどの意味はない。残りたい人は残ってよいだろう。だが出たくて出られる人は出たらよい。そしてそれはとても多くの場合に可能だ。
 この連載のここしばらく、二〇回ほどのなかで、結核療養者の収容施設としてあった国立療養所が筋ジストロフィー児や重症心身障害児を収容するようになった経緯について記してきた。(旧)国立療養所から出たいという人がいたからこの連載の一部分が始められたのではないが、結果として、関係はある。その場所は、ここもう五〇年余り、大きくは変わらなかった。かつては筋ジストロフィーの人たちの多くは二〇歳前後でその施設の中で亡くなっていったが、その後寿命は伸びた。すると、例えば古込のように四〇代で、四〇年程を病室で過ごす人が出てくる。その変化と、変化にもかかわらず変わらないその事情に、これまで書いてきたこと、あと数回書くつもりであったことは関わっている。」

◆立岩 真也 2017/06/01 「高野岳志――生の現代のために・22 連載・134」,『現代思想』45-12(2017-6):16-28

 「□止められても出られるはず、か
 まったく感動してよいことだと思う。それは変わらないのだが、Sさんはなぜさっさと施設を出てこれなかったのだろう。高野の時に「退院の書類に押す保護者の判が必要だった」というのはどういうことだろう。高野は既に成人になっている。退院について家族その他の許諾が要るということになるだろうか。
 施設、ここでは国立療養所との関係を保つことが必要だという事情はある。国立療養所の筋ジストロフィー病棟の部分は児童福祉法の施設であり、一八歳を越えた場合にそこで入所を続けることは例外的な措置ということになるので、対処した後に再入所となるとそれが難しいということもあったという(小林[1981:40])。こうした事情は、当事の児童福祉法下の成人についてはより大きいとは言えようが、これまでも現在もある。つまり、いったん施設を出てしまうと、再度その施設に入院・入所せねばらならない事情が出てきたときに順番待ちの列の最後にされてしまうために、再入所の可能性がある人はそこから出にくいということだ。また、施設に戻ることはないとしても、医療が必要であり、それを供給できる機関としては自分が今いる施設ぐらいしかないということもありうる。医療を(あまり)必要としない脳性まひの人たちのように「蹴っ飛ばして」出てくるということにはなかなかならない。高野の場合、同意がなくても退院できる(させられる)方途としては、月に二週間以上外泊すると措置制度との関係で「強制退院」になるという仕組みがあったのだが、これを高野が避けようとしたのも医療・病院との関係を保とうという事情があったという。
 それはわかる。しかしこのことと、家族、「保護者」の許諾がいるというのはまた別のことだ。高野は成人であり、家族の同意など不要なのではないか。「残る障碍は父親だけだった。もっと正確に言えば、退院の書類に押す保護者の判だけが、問題だった。」(小林[1981:40])という箇所を引いて、MLやツィッターで聞いてみた。他からはまだ応答がないが、古込和宏からは彼の退院支援のMLに返信があった。許可を得たから。引用する。病院名は無事に彼――も病院との良好な関係を維持しようとしている――の退院が、もうすぐだが、実現するまでひとまず伏しておく。

 「あくまでもそれは医療側の言い分に過ぎず、ご指摘にあるように成人であること。そこに尽きると思う。/ただ当時は今よりも社会の認識として障害者は保護されるしかない存在でしかないので、判というものは患者本人からすると強烈なものだったのではと想像する。
 **病院はどうか。高野の生きた時代の社会認識のままだと私は感じる。/これは医療側だけでなく患者と家族も。時代錯誤は医療側より患者とその家族の方に罪が重いと私は思う。/患者とその家族の方に罪が重い…/病棟という現場を普段よく見ておきながら、そこを安住できる終焉の地と長年思い込み、思考停止し「他に行き場所がないから」と受け入れ続けてきた結果で、患者は自らの首を絞め続けた。/ただ家族の首は締まらないので「そこに居続けることが子も親も少しでも長く互いに幸せにいられる」と信じ込もうとしてるのかもしれない。/「家族介護」を発想の大前提の果てが宇多野病院の件のようにも思える★02。
 親の同意…/実体験として二〇一二年、冬、ソーシャルワーカーに地域移行を相談した際、「地域の受け皿がない」や「親の同意がない」の言葉を真に受け、同意に関しては強烈に感じた。/東京の支援と繋がってから、親の同意が得られてない不安を述べたとき「成人してること、それに入院契約の名義は古込さんなので同意は関係ない」と言われ、私ははじめて「同意」の嘘に気付き、同意の件を再度ワーカーに言われたとき「契約名義人は私ですよね?」と指摘すると明らかに顔色が変わったのを覚えている。それ以降「同意」の言葉は出なくなった。
 ここまで指摘されると医療側が欲しいのは、最低限、責任回避の担保は欲しいのだと感じた。/地域移行の過程で、私を支援する看護師に介助方法を教えてほしいとお願いする段になったとき「もし何か起きたときは、こっちは他の親御さんの対応も考えなければいけない…」という発言を聞いたときは途方に暮れた。
 時間が経過して思うのは制度の裏付けで医療側が守られなければ、地域移行の是非になり医療の地域連携はあり得ないのだと思う。
これも医療側の姿勢を問うばかりでなく、デュシェンヌ型筋ジストロフィーは全身管理が生命予後を大きく左右するという事実も無視できないところがその下地にあって医療側の反応だと思う。当事者は、しっかり問題の背景に目を向け、行動しなければこのようなことは永遠に続く。
 これは私自身に強く反省を求めるものであり、人生の長く過ぎ去った時間は取り戻せない。/「親の同意」という問いについて、かなり回り道したが「親の同意」判についての結論を述べると、「成人」と「入院契約」の二点に尽きるので、本来はシンプルなはず。」(古込[20170430])

 三六年前の下志津において、そして各所でどうだったのか。国の側になにかきまりがあったのか。調べを続けようと思う。ただ感じるのは、この時期にはまだ、そして多くの場合には今も、家族がどうであろうと施設の側が止めることは本来はできないはずだという認識が自明なのものとして存在してはいなかった(いない)ようだということだ。そして、この認識があったときに「にもかかわらずなぜ」を調べようとされることになる★03。だが「その時」にどうだったのか、人々はどういう認識でいたのか、高野のように例外的に複数の文章が残っている場合であっても、わからないところが残る。そしてその「穴」があること自体が、当然に同意はいらないという前提が不在であった可能性があることを示しているのでもある。」

 「★02 宇多野病院は京都の(旧)国立療養所で、下志津病院と同様筋ジストロフィー者を受け入れ、隣接する養護学校も作られた。連載でその著書等を紹介した西谷裕が院長をしていた病院でもあり、私の勤め先の大学院の大学院生が関わったALSの人がいっとき入院したこともある。古込が言及しているのは、その「療養介護事業所で、看護師三人が入所者の男女三人に暴言を浴びせるなど虐待行為が計四件あったとして、市は二八日、同事業所に対し、障害者総合支援法に基づく改善勧告を出し、新たな入所者の受け入れを同日から三カ月間停止する行政処分を行った」(『京都新聞』二〇一七年三月二八日)という事件。
★03 高野もSさんのことでもないが、一つありうるのは成年後見人が付いているといった場合だ。昨年、この制度を推進しようという法律を作る動きに(多くはない)人々が反対した。法律は通ってしまったが、問題の所在はいくらか知らせるようになった。私もいくらか関わり、関連する企画を行なったりした。このことも別途書くことがあるかもしれない。  この制度にしても、後見人はそこまでの権限は有していない。基本的には経済行為に限られる――昨年の推進法案提出の際には、医療同意等にも後見を拡大しようという方向が示され、それは反対もあって実現はしなかった。ただ経済行為について後見が入っているとなると、退院・退所後の生活は難しくはなるだろうし、実際そのような事例があることを昨年の反対運動の関係でも聞いた。他方で、退院には誰かの同意がいるといったのと同様の、後見人が認めないと退院できないといった誤解があるのかもしれない。実際、入所者の書いた文章の公開を後見人を認めないので見せられない、といったことがあった――もちろん後見人はそんな権限をもってはいない。実際にどんな具合になっているのか。調べるとよいと思う。」

古込和宏 20170430 「Re: 素朴な疑問」、[inclusive society:0865] ※

◆立岩 真也 2017/11/01 「不如意なのに/だから語ること――連載・139」,『現代思想』45-(2017-10):-

 「前者について、本連載中「身体の現代へ」という(副)題で書いてきたものが八月号の回まで二四回分ある。この国の敗戦後から六〇年代、とくに国立療養所といったごく限られた場に起こったことについて書いた後、いくらかを飛ばして八〇年代になって起こったそこからの脱出について書いた★03。あと三回分ほど七〇年代の「難病」政策の始まり等を記しその間を埋めてそこで打ち切り、ごく限られた地の歴史を記した本として一冊にする。
 それを終わらせてからでよかったのに、あと三回分ほど足すと、以前本連載で何回か書いた「社会モデル」等と合わせ一冊になると思って、その初回を九月号に書いた。だが、初めてみて、無理だとわかった。あと半年ほどはかかる。」

 「★03 それからまた三十年以上経って、この十月十一日、以前紹介した四〇歳第中盤の筋ジストロフィーの人が日本海側にある旧国立病院から退院して金沢の街に暮らし始めた。その施設で死亡退院でない退院者はその人が初めてだと言う。またお知らせする。」


UP:20160223 REV:20170324, 0403, 1104, 14
病者障害者運動史研究  ◇筋ジストロフィー  ◇障害者(の運動)史のための資料・人  ◇WHO
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