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ジョゼフ・フレッチャー ◆1954 Moral and Medicine Beacon Press, Boston <59> ◆1971 "Ethical Aspects of Genetic Controls", New England Journal of Medicine 285 <37,59,101> ◆197211 "Indicators of Humanhood: A Tentative Profile of Man", The Hastings Center Report 2-5(1972.11), :1-4 →Beauchamp ; Walters eds.[1982] <59> ◆1973 "Ethics and Euthanasia" R. H. Willams ed. To Live and To Die =1988 菊池恵善訳,「倫理学と安楽死」,加藤・飯田編『バイオエシックスの基礎』:135-148 <59> ◆1974 The Ethics of Genetic Control : Ending Reproductive Roulette 1st ed. Garden City, N.Y. : Anchor Press, xxi+218p ISBN:0385082576 <59> ◆197412 "Four Indicators of Humanhood: The Enquiry Matures", Hastings Center Report 4-6[1974.12]:4-7 <210> ◆1988 The ethics of genetic control : ending reproductive roulette ; with a new introduction Buffalo, N.Y. : Prometheus Books, xxi+218p. ISBN:0879754435 pbk. <59> ◆1989 "GENETIC CONTROL" NAT FORUM, 69,43-45, FALL 89, ■ ◆1971 "Ethical Aspects of Genetic Controls", New England Journal of Medicine 285 <37,59,101> 「人間たるということは、我々がすべてのことをコントロールの手中に置かなければならないということを意味する。このことが、倫理用語のアルファでありオメガである。選択のないところには、倫理的行為の可能性は存在しない。我々が強いられて余儀なく行為することは、すべて非倫理的で道徳とは無関係(amoral)なことである。…実験室受精は、通常の異性間性交に較べれば、はるかに際立って人間的(human)である。それは、意図されたものであり、選び抜かれたものであり、目的をもってコントロールされたものである。そしてこの方法は、他の動物や霊長類のどんな種族にもないホモ・サピエンス固有の特色あるものなのである。性交による生殖は、したがって、実験室受精に較べてより人間的でないことになる。興味深いのは、子供の作成と性交を分離することによって、この両者が偶然の領域から選択の問題に化するため、子供を作ることと性交がどちらもより人間的な営為になることは確かである。これが、まさに計画意図された親子関係(planned parenthood)であって、私は、遺伝という運命のいたずらやルーレットによって人間性(humanity)や道徳性(morality)が償われ保障されているとは思わない。」(Fletcher[1971:781]、訳は保木元一郎[1994:260-261]) ◆1973 "Ethics and Euthanasia" R. H. Willams ed. To Live and To Die =1988 菊池恵善訳,「倫理学と安楽死」,加藤・飯田編『バイオエシックスの基礎』:135-148 <59>* *加藤 尚武・飯田 亘之 編 19880531 『バイオエシックスの基礎――欧米の「生命倫理」論』,東海大学出版会,x+355p. 3200 [amazon] ※ be. 「明らかに消極的な安楽死が現代医学では既成事実となっている。毎日国内各地の多数の病院で、真に人間的な生命を延長している状態から、人間以下のものが死んでいくのを延長しているにすぎない状態にまで立ち至ったという判定が臨床的に下されており、そのような判定が下された時には、人口呼吸器をはずし、生命を永続させるための点滴を中止し、予定されていた手術を取り消し、薬の注文も取り消すということになる。」(Fletcher[1973=1988:135]) 1 倫理的なことと前倫理的なこと 「重要なのは人格的な機能であって、生物学的な機能ではない。人間性は第一次的には理性的なものとして理解されるのであって、生物学的なものとして理解されるのではない。この「人間についての教義」は、人間homoや理性ratioを生命vitaに優先させる。この教義は、人間であることを生きていることよりも、もっと「価値がある」と考えるのである。」(Fletcher[1973=1988:138]) 2 選択による死 3 手段と目的 「人間であることの限界を越えて生かされ続けることは望まない、したがって、適切と思われる安楽死の方法のどれかを使って、生物学的な過程を終わらせることを認める、こうしたことを説明したカードを、公正証書にして、法的に有効なものに作成して、人々が持ち歩けるような日がやってくるだろう。」(Fletcher[1973=1988:148] 下線は訳書では傍点) ■言及 「◆10 1)ジョセフ・フレッチャーは「もし望むなら他の検査で詳しく調べてもよいが、ホモ・サピエンスの成員で、標準的なスタンフォード・ビネー検査でIQが四〇以下の者は人格(person)かどうか疑わしい。IQが20以下なら、人格ではない」(Fletcher[1972:1]、訳は土屋貴志[1995b:172])、等、20項目からなる「人間の基準」をあげる。(曽野綾子[1980:下31-33]で言及されており、Lygre[1979=1981:110]で肯定的に、古川清治[1988:189-190]、加藤尚武[1989a:79]、土屋[1995b:171-172]等で批判的に紹介されている。)さらに1974年の論文では、20項目を、@新皮質の機能、A自己意識、B関係をもつ能力、C幸福、の4つに絞りこみ、中でも@を最も重要視している(Fletcher[1974b]、土屋[1995b:173]に紹介)。 ……」 (立岩『私的所有論』第5章注10の一部) UP:? REV:20080624 ◇WHO ◇生命倫理(学) (bioethics) |