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江熊 要一

えぐま・よういち
1924〜1974

last update: 20110212

http://kotobank.jp/word/%E6%B1%9F%E7%86%8A%E8%A6%81%E4%B8%80 1924−1974昭和時代後期の精神神経科学者。大正13年7月29日生まれ。佐久総合病院神経科初代医長をへて、昭和34年母校群馬大助教授。42年地域精神医学会の設立に尽力。統合失調症(精神分裂病)の治療の場を患者の生活にみいだす「生活臨床」をとなえた。昭和49年1月27日死去。49歳。東京出身。著作に「精神医療」(共著)。

■文献

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/bankyu/Reha.htm

◆江熊要一:精神分裂病寛解者の社会的適応の破綻をいかに防止するか.精神経誌.64;921.1962.
◆江熊要一:生活臨床より見た薬物療法一薬物と精神療法についての討論一.精神医学.8;472.1966.
◆江熊要一:「地域精神医学会」設立の意義.地域精神医学.1;2.1968.
◆江熊要一:分裂病に対する私の接し方一診察室場面を中心にして一.精神医学.11;235.1969.
◆江熊要一.岡田靖雄.加藤伸勝.河村高信.佐藤壼三.鈴木淳.竹村堅次:精神障害者の社会復帰促進のための施設について一日本精神神経学会「中間施設に関する小委員会」案一.病院精神医学.24;1.1969.
◆江熊要一.小坂英世.山本和郎.金松直也:第5回総会シンポジウム「私ならこうする、在宅分裂病者の生活指導」討論.地域精神医学.10;37.1972.
◆江熊要一:生活臨床概説一その理解のために一.精神医学.16;623.1974.

■言及

◆伊勢田 堯(東京都立精神保健福祉センター所長) 200305 「地域精神保健と生活臨床」,新宿区精神障害者家族会「新宿フレンズ」2003年5月勉強会→『新宿フレンズ会報』2003-6
 http://www15.big.or.jp/~frenz/iseda.html

 「江熊要一先生、私の恩師ですが、この先生が佐久病院で完全開放をやった実績を買われて群馬大学に戻されて、生活臨床を同僚と創り出された指導者です。すごく献身的で、アイディアも豊富で、ヒューマンな先生でしたが49歳で亡くなられました。この先生が病院では安定しているが、自宅に戻ると悪くなるという患者さんがいたのですが、患者さんと一緒に外泊してみたんですね。自宅近くの村に入ると患者さんはそれまでの笑顔が消えて、緊張してくる。近所の人の声が聞こえてくるんですね。「アイツまた帰ってきた」などという悪口が聞こえてくる。こういう話を病棟で聞けば、被害妄想とか幻聴とみなされます。先生はとっさの判断で、患者さんと一緒に近所を挨拶して回ったのです。「病気が良くなりましたので帰ってきました。よろしくお願いします」と。そうしたら患者さんの表情も穏やかになり、ずっと長い外泊ができたのです。
 このことから、患者さんの悪化にはそれなりの原因があり、それを解決すれば分裂病の再発も予防できると考えたのです。その次に、この患者さんが悪くなったのは、田植えができなくて困ったいうことがありました。そこで、医局員を動員して田植えを手伝う。当時のお医者さんはすごいですね。田植えができたのですから。そしたら、その患者さんは病状が良くなったそうです。しかし、毎年医局員が田植えをするわけにはいきませんから、そして考えたのが耕運機を買うという案です。当時、耕運機を入れたのはその村で2番目だったそうです。いままでは馬鹿にされる存在だったのが、近所の人から耕運機を貸してくれないかと頼まれる立場になってすごく安定してきた。その次は無免許で運転しているのがバレて(笑い)。と、ずっと続くのですが、このように悪くなるには原因がある。「原因を手当てする」これが生活臨床なのです。要するに、その当時は精神分析のように、密室で診察するというのが一般的でした。生活臨床は生活の場面で診断して、生活の場面で治療します。」

 「江熊先生が相談に乗っていた精神分裂病の患者さん同士が結婚することになったのですが、具合が悪くなってしまった。その原因を調べてみると、仲人が見つからないことがわかって、江熊先生は私の仲人をしてくれたばかりでしたが、「君やってくれ」と結婚したばかりの私がこの二人の仲人をすることになりました。並の精神科医なら、病状が悪くなれば、結婚を先延ばしにしたり、中止しようと勧めると思うのですが。二人には、子供さんも出来て、いろいろ問題もありますが、幸せな生活を送っているように見えます。」

◆長谷川 憲一(群馬県立精神医療センター) 200705 「家族と当事者の関係――生活臨床を学ぶ」,新宿区精神障害者家族会「新宿フレンズ」2007年5月勉強会→『新宿フレンズ会報』2007-6
 http://www15.big.or.jp/~frenz/hasegawa.html

 「生活臨床は、1958年に臺(うてな)弘先生が群馬大学精神科教授として赴任され、江熊要一助教授らとともに始めた統合失調症患者さんに対する治療実践です。生活臨床は、「生活をみなければ病気は治せない」と主張しました。しかし当時、「権力の手先になって患者さんの生活を管理するものだ」と激しく非難する人たちがいました。反精神医学を信奉する人たちでしたが、彼らは「精神病はそもそも社会のせいで起きたのだから、社会復帰は却って病気を悪化させる」と考えていました。反精神医学の嵐に見舞われた1970〜1990年は、精神医学・医療にとっては大きな停滞の時期になってしまいました。」

 「群大精神科を退院した患者さん140人について、社会適応に注目して経過が調査されました。社会適応度を自立から入院まで5段階に分けて1ヶ月単位で判別します。患者さん一人ずつ短冊をつくり、入院は黒く塗りつぶし、自立は白、その中間は灰色と、5段階の適応度を濃淡で示します。1ヶ月1センチメートルとすれば1年で約10センチ、10年で約1メートルになります。江熊助教授室にはいつもこのような短冊がひらひらしていたようです。」

◆立岩 真也 2011/04/01 「社会派の行き先・6――連載 65」,『現代思想』39-4(2011-4):- 資料

浜田 晋 20100410 「「生活臨床」(江熊要一一派)の功罪――日本社会精神医学外史・7/老いのたわごと・45」,『精神医療』第4次58:103-115

◆立岩 真也 2013 『造反有理――身体の現代・1:精神医療改革/批判』(仮),青土社 ※


UP:20110311 REV:031300817
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