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Dworkin, Ronald

ロナルド・ドゥオーキン/ドゥウォーキン*

last update: 20110804
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* 注意: 訳書によって表記が異なります。

■紹介

☆ New York University, Department of Philosophy での紹介
http://philosophy.fas.nyu.edu/object/ronalddworkin
[online paperもあり。本来の所属であるSchool of Lawでの紹介は以下]
http://its.law.nyu.edu/facultyprofiles/profile.cfm?personID=19891

■文献

[主要著作]
*◆1977 Taking Rights Seriously, Harvard University Press.
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 =1986 (木下 毅・小林 公・野坂 泰司 訳) 『権利論』 [原著ch.2-9の訳] 木鐸社,357p. ※
  2001 (小林 公 訳) 『権利論II』 [原著ch.10-13の訳] 木鐸社
  2003 (木下 毅・小林 公・野坂 泰司 訳) 『権利論』 増補版 木鐸社

◆1985 A Matter of Principle, Harvard University Press.

◆1986 Law's Empire, Harvard University Press.
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 =1995 (小林 公 訳)『法の帝国』 未来社

◆199406[初版は1993] Life's Dominion: An Argument About Abortion, Euthanasia, and Individual Freedom, Vintage Books.
 =19980620 水谷英夫・小島妙子訳,『ライフズ・ドミニオン――中絶と尊厳死そして個人の自由』 信山社,発売:大学図書,450+14p. 6400 ※ et a08 f03 a06 ds p03
 →◇安楽死

◆1996 Freedom's Law: The Moral Reading of the American Constitution, Harvard University Press.
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 =1999 (石山 文彦 訳)『自由の法: 米国憲法の道徳的解釈』 木鐸社

◆2000 Sovereign Virtue: The Theory and Practice of Equality, Cambridge:Harvard University Press
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 =20021010 小林 公・大江 洋・高橋 秀治・高橋 文彦 訳『平等とは何か』,木鐸社,634p. 6500 ※
 ・日本語訳の内容を見てみる http://www.bokutakusha.com/2002_books/2002_books.html#link3
◇日本語訳の部分紹介(作成:北村健太郎
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db2000/0000dr.htm

◆Dworkin, Ronald 2006 Justice in Robes, Harverd University Press.
 =200907 宇佐美 誠 訳 『裁判の正義』,木鐸社,378p. ISBN-10: 483322416X ISBN-13: 978-4833224161 JPY:4725 [amazon][kinokuniya] 
◆Dworkin, Ronald 2008 The Supreme Court Phalanx: The Court's New Right-Wing Bloc, New York Review Books.

[編著]
◆1977 The Philosophy of Law, Oxford University Press.
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◆2002 A Badly Flawed Election : Debating Bush v. Gore, the Supreme Court, and American Democracy, New Press.
・紹介を見てみる amazon


[論文]
ごく一部です。
◆1981 "What is Equality? Part 1: Equality of Welfare"
 Philosophy & Public Affairs 10:185-246
 reprinted in: R. Dworkin, Sovereign Virtue. The Theory and Practice of Equality, Cambridge: Harvard University Press 2000, pp.11-64.

◆1981 "What is Equality? Part 2: Equality of Resources"
 Philosophy & Public Affairs 10:283-385
 reprinted in: R. Dworkin, Sovereign Virtue. The Theory and Practice of Equality, Cambridge: Harvard University Press 2000, pp.65-119.

◆1990 "Foundations of Liberal Equality", Tanner Lectures on Human Values, volume XI, University of Utah Press.
 reprinted in Stephen Darwall, ed., 1995 Equal Freedom, (Selected Tanner Lectures on Human Values), University of Michigan Press, pp.190-306.
・Equal Freedom の内容を見てみる amazon
 [Sovereingn Virtue, ch.6 はこの論文の改訂・縮小版]

◆199305 「生命は尊い──だまされやすい要素」
 New York Times Magazine

■関連文献

年代順、ごく一部です。
Sen, Amartya 1992 Inequality Reexamined, Oxford Univ. Press=1999 池本幸生・野上裕・佐藤仁訳、『不平等の再検討──潜在能力と自由』、岩波書店 ◆Wolfe, Christopher 1994 「ドォウォーキンの平等主義的自由主義」 Wolfe ; Hittinger eds.[1994=1999:46-74]*
*Wolfe, Christopher ; Hittinger, John 1994 Liberalism at the Crossroads Rowman & Littlefield=19990420 菊池理夫・石川晃司・有賀誠・向山恭一訳,『岐路に立つ自由主義──現代自由主義理論とその批判』,ナカニシヤ出版,297p. 3400 ※
Roemer, John E. 1996 Theories of Distributive Justice Harvard University Press=20010320 木谷 忍・川本 隆史 訳 1996 『分配的正義の理論──経済学と倫理学の対話』 木鐸社,388p. 4000 ※
◆吉原 直毅 19990630 「分配的正義の理論への数理経済学的アプローチ」
 高増・松井編[1999:152-175]*
*高増 明・松井 暁 編 19990630 『アナリティカル・マルキシズム』
 ナカニシヤ出版,244p. 2600 ※
◆小泉 良幸 2002 『リベラルな共同体――ドゥオーキンの政治・道徳理論』,勁草書房.
◆塩野谷 祐一・鈴村 興太郎・後藤 玲子 編 20040116 『福祉の公共哲学』,東京大学出版会,公共哲学叢書5,336p. ISBN 4-13-051119-X JPY:4410 [amazon]//[kinokuniya] ※
◆深田 三徳 200411 『現代法理論論争――R.ドゥオーキン対法実証主義』,ミネルヴァ書房.

 ※は生存学資料室にあり


■言及

 「ドゥオーキンが強調するのは、自由主義的平等は人格性と環境をはっきり区別するということである。人々はその資源(個人的な資源)において可能な限り平等であるべきだが、その福祉においては平等であるべきではない。彼らは、自分自身の人格からもたらされる趣味や企て、願望、その他の個別的な事柄に対しては自ら責任を負うのである。それらによって、ある人は自分の生活が、同じ資源を持つ他の人よりも善いとか悪いと考えるであろう。(例をあげれば、誰も、自分自身の趣味がより高くつくというだけの理由で、より多くの資源を要求する権利をもっているわけではない。)」(Wolfe[1994=1999:58],Dworkin[1990]を紹介)
 「(4)倫理的自由主義者は平等化されるべき個人的資源のなかに、人格に由来する様々な特質(たとえば、選好、趣味、確信、偏愛、願望、愛着)を含まない、ということに同意する。補償可能なものとそうでないものとの間に引かれる選択のラインは、人々の違いが意志的なものであるかどうかであろう。(心身障害は補償されるが、キャビアを好むという洗練された趣味はそうではない。)しかし、この区別は挫折する。というのも、趣味は、熟慮によって洗練されるわけではないような、より高次の願望に応じて洗練されるからである。……」(Wolfe[1994=1999:67-68])

 「無知のベールの下での保険市場に関するドゥオーキンの入り組んだ議論は、賢明ではあるが経済学の訓練を受けていない哲学者が苦しみながら巧妙な経済学的着想、つまり仮想的要求の市場をもつ経済での均衡点を再発見したことによる産物である。ドゥオーキンが「無知のベール」という用語を使わず、それに反論していることも付け加えておくべきだろう。しかし、私はこの用語は彼の提案を伝えるのに都合の良いものと考えている」(Roemer[1996=2001:300])

 「ドゥオーキンは、個人の選好は個人がそれを自覚しそれをもつことを喜んでいる限り、それに責任が課されるべきだとする」(Roemer[1996=2001:304])

●「資源の平等

 「手段は、究極的には何か他のものによって評価されるから、手段の評価をその目的から全く独立に行うことは容易ではない。ジョン・ローマー(Roemer 1996b)は、この関係を巧みに利用した数学的な帰結を導き、それを(彼の論文のタイトルのように)「資源の平等は厚生の平等を意味する」と解釈した。この結果は精巧な公理の集合に基づいているが、その背後にあるアイデアは、資源の価値をその資源が生み出すものから求めようとするところにある。資源は、それ自体で価値をつけられるものではないので、このような関係に目を付けるのはもっともなことである。最終的な目的が厚生だけであるようなモデルを作って、「資源の平等は厚生の平等を生み出さなければならない」というローマーの定理が導き出される。  資源の評価と厚生の評価との関係は、促進することが資源を評価する理由になる他の目的との関係と置き換えることができる。この興味ある結果の背景にある真の論点は、一般に手段の評価は目的の評価に依存しているということであって、特に資源と厚生が相互依存関係にあるということに限られるわけではない。」(Sen[1992=1999:124])。

 ローマーの「批判の主張なポイントは、第一に、ドゥウォーキンの仮想的保険市場はそもそも「資源の平等」基準を設定するのに不適切なメカニズムではないか、というものであり、第二に、そもそも「資源の平等」基準は、ドゥウォーキンの言うように、本当に「厚生の平等」基準と相容れないないものだろうか、というものである。」(吉原[1999:167])


■引用

◆Dworkin, Civil Virtue, 2000, 319

 「資源の平等にコミットする共同体は、個人が自己にとっての最善の人生を自分で決定することを可能とする点において、個人責任に関する適切な原理の遂行を尊重するものといえる。すべての個人に対して自己の生に責任をもてと要請することが公正であると言えるためには、それを支える環境的条件が不可欠である。資源の平等にコミットする共同体は、そのような環境を提供するために時に政府の介入が必要であることを認める。しかし、それはあくまで、責任を行使する際に、必要と価値をめぐって市民たちが実際に形成する判断、ならびに適切に制御された公正な諸条件のもとで彼らが形成するであろう判断を尊重するものである。そのような目標は、資源の平等と仮設的保険市場に込められた最も根源的な観念である。慎慮的な市民の決定を尊重するヘルス・ケア・システムは確かに平等尊重主義的である。だが、それはパターナリスティックの対極に位置するものである。」*


◆199305 「生命は尊い――だまされやすい要素」
 New York Times Magazine

 「妊娠中絶はときに尊重すべき価値を傷つける。また、それにもかか(p.307)わらず政府は女性が自分で決心することを認めねばならないと主張することに矛盾はない。」
 「この意見の相違はきわめて重要な宗教的、精神的なものであり、個人の保全と自由を委ねられた、公平であるべき政府には、ある決定を強いる権利はない。人が自分の生と死の意味をどのように考えるかを命令するのは、無能な、屈辱的な暴君の政治体制である。」 (p.309)


◆199406 Life's Dominion Vintage Books=19980620 水谷英夫・小島妙子訳,『ライフズ・ドミニオン――中絶と尊厳死そして個人の自由』信山社,発売:大学図書,450+14p. ASIN: 4797250674 6400 [amazon][kinokuniya] ※ b d01

 「「生命はいつ開始されるのか?」「胎児は人か否か?」という周知の問題は、単純なものではなく極めて多義的であいまいなものである。」(p.30)



●立岩真也「自由の平等・4」(→『自由の平等』)での引用・言及


□注

★02(3)(八月号)3「自分のために、が届くところ」。(1)(三月号)注11も関連する。なお、ロールズの立論を批判してドゥオーキンが示す「仮想的保険市場」も基本的な発想は似ており、ローマーはそこに想定される初期状態を「薄い無知のヴェール」と呼ぶ(Roemer[1996=2001:284ff]、また吉原[1999:165-166]がRoemer[1994b]をあげて紹介)。
★03Dworkin[1981a]。Roemer[1996=2001:273ff]でも紹介され検討されている。「厚生主義(welfarism)」の問題を松井は三つあげ、「安価な嗜好」と「高価な嗜好」とを第二・第三にあげて解説している(松井[1999:142-143])。また吉原も二つ以外に「攻撃的嗜好」を例示しており(吉原[1999:173・注8])、松井・吉原ともにセンの文献(Sen[1979]等)をあげている。他者を貶めることで満足を得るといった嗜好をどう考えるかについて、本稿では主題的に論じないが、それに対する基本的な方向は示したと考える。
★04「手段は、究極的には何か他のものによって評価されるから、手段の評価をその目的から全く独立に行うことは容易ではない。ジョン・ローマー…は、この関係を巧みに利用した数学的な帰結を導き、それを…「資源の平等は厚生の平等を意味する」と解釈した。この結果は精巧な公理の集合に基づいているが、その背後にあるアイデアは、資源の価値をその資源が生み出すものから求めようとするところにある。資源は、それ自体で価値をつけられるものではないので、このような関係に目を付けるのはもっともなことである。最終的な目的が厚生だけであるようなモデルを作って、「資源の平等は厚生の平等を生み出さなければならない」というローマーの定理が導き出される。」(Sen[1992=1999:124]、言及されている論文はRoemer[1986]。ドゥオーキンの主張とローマーの批判の紹介として吉原[1999:167])
★07「ドゥオーキンが強調するのは、自由主義的平等は人格性と環境をはっきり区別するということである。人々はその資源(個人的な資源)において可能な限り平等であるべきだが、その福祉においては平等であるべきではない。彼らは、自分自身の人格からもたらされる趣味や企て、願望、その他の個別的な事柄に対しては自ら責任を負うのである。それらによって、ある人は自分の生活が、同じ資源を持つ他の人よりも善いとか悪いと考えるであろう。(例をあげれば、誰も、自分自身の趣味がより高くつくというだけの理由で、より多くの資源を要求する権利をもっているわけではない。)」(Wolfe[1994=1999:58]、Dworkin[1990]を紹介)


UP:? REV:20030506, 20040229, 20100904(中倉 智徳),20110804(樋口 也寸志)
WHO  ◇哲学/政治哲学/倫理学  ◇自由/自由主義
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