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Cohen, G. A.

[コーエン]


last update:20100717
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☆ 簡単な経歴・連絡先
http://www.all-souls.ox.ac.uk/fellows/fellow.php?refid=1834

☆ 雑誌Imprints に掲載された、G. A. Cohen へのinterview.
http://info.bris.ac.uk/~plcdib/imprints/gacoheninterview.html
[雑誌Imprints は、analytical socialism に関する雑誌。以下で総目次を見ることができます。Van Parijs へのinterview も、最近web 上で読むことができるようになりました]
http://www.imprints.org.uk/


☆ 主著

◆Cohen, G. A. 1978 Karl Marx's Theory of History: A Defence, Oxford University Press.
  → 2000 Expanded edition, Princeton University Press.
・増補版(2000) の内容を見てみる amazon
[1978年版は11章まで。2000年版には12〜15章が増補]

◆Cohen, G. A. 1988 History, Labour, and Freedom: Themes from Marx, Oxford University Press.

「ブックコンテンツ・データベース」を参照

◆Cohen, Gerald Allan 1995 Self-Ownership, Freedom,and Equality, Cambridge University Press=200501 松井 暁・中村 宗之訳,『自己所有権・自由・平等』,青木書店,405p. ISBN-10:4250205010 ISBN-13: 978-4250205019 \3990 [amazon][kinokuniya] ※ p08
[ch.1, 3-7, 11は、既発表論文の再録]

・Brian Barry による辛辣な書評がTimes Literary Supplement, (Octorber 25 1996), p.28 にあり。
 Brian Barry については、さしあたりhttp://www.columbia.edu/cu/polisci/faculty/barry.htmを参照。

◆Cohen, Gerald Allan 2000 If you're an Egalitarian, How Come you're So Rich?, Harvard University Press, 233p. ※ amazon=20061031 渡辺 雅男・佐山 圭司 訳, 『あなたが平等主義者なら、どうしてそんなにお金持ちなのですか』 ,こぶし書房,409p. ISBN-10: 4875592116 ISBN-13: 978-4875592112 [amazon][kinokuniya] ※

☆ 論文の一部
[arsvi.com にあったものに、若干の論文を加えたものです。単行本に収録されていない論文を優先しました。これら以外にも興味深い論文がいろいろとあります。そのうち紹介できればとおもいます]

◆Cohen, G. A. 1986 "Self-Ownership, World-Ownership, and Equality : PartII", Social Philosophy and Policy, 3(2) (Spring 1986), pp.77-96.
 (雑誌Social Philosophy and Policy は、単行本としても出版されます。この号はE. F. Paul et al. eds. 1986 Marxism and Liberalism, Blackwell. としても刊行)
 →Cohen 1995 ch.4

◆Cohen, G. A. 1989 "On the Currency of Egalitarian Justice", Ethics 99, pp.906-944.

◆Cohen, G. A. 1992 "Incentives, Inequality, and Community".
 G. B. Peterson ed. The Tanner Lectures on Human Values. Vol.13, Salt Lake City: University of Utah Press.
reprinted in Stephen Darwell ed. 1995 Equal Freedom, (Selected Tanner Lectures on Human Values), University of Michigan Press, pp.331-398.
・Equal Freedom の内容を見てみる amazon

◆Cohen, G. A. 1993 "Equality of What? On Welfare, Goods, and Capabilities".
 Nussbaum and Sen eds.[1993]*
Nussbaum, Martha C. & Sen, Amartya eds. 1993 The Quality of Life, Clarendon Press. ※

◆Cohen, G. A. 1994a "Amartya Sen's Unequal World", New Left Review, 203, pp.117-129.
[Sen, Inequality Reexaminedの書評]

◆Cohen, G. A. 1994b "Back to Socialist Basics", New Left Review, 207, pp.3-16.

◆Cohen, G. A. 1995 "The Pareto Argument for Inequality", Social Philosophy and Policy, 12(1), (Winter 1995)
[E. F. Paul et al. eds. 1995 Contemporary Political and Social Philosophy, Cambridge University Press, 1986. としても刊行]

◆Cohen, G. A. 1997 "Where the Action Is: On the Site of Distributive Justice", Philosophy & Public Affairs, 26(1), pp. 3-30.
 →Cohen 2000 Lectures 8.9 に、若干の改稿の上収録


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◆Cohen, G. A. 1993 "Equality of What? On Welfare, Goods, and Capabilities"
 Nussbaum and Sen eds.[1993]*
Nussbaum, Martha C. & Sen, Amartya eds. 1993 The Quality of Life Clarendon Press ※

 「有利さへのアクセスの平等は、以下のような考えに動機づけられている。すなわち、個々の行為者のうちに純粋な選択(あるいは多少の潜在能力というもの)が異なっている状態であることを除外するなら、有利さが異なるということは不正であるということなのだが、しかし〔だからといって〕そのような見方が平等にするのは純粋な選択そのもの(あるいは潜在能力)であると主張しているわけではない。有利さへのアクセスの平等を動機づける考えとは、実際に純粋な選択のようなものが存在していることすら含意しない。その代わりに、その考えは、もしも(例えば「厳格な決定論」が真理であるとして)そのようなもの〔純粋な選択〕が存在しないならば、そのときはすべての異なる有利さは不正義であるということを含意しているのである。純粋な選択は幻想であるという可能性に私の考えが寛容であることは、センとの違いを明らかにしている。私の考えでは、センは平等主義者的な規範の正しい連結において自由の不可避性を誇張している。例えすべての人がまったく何をする必要もなく、その人が必要なすべてのものをもっているときには、深刻な不平等は生じない。そのような状態はやり方によっては悲惨なものであるかもしれない。しかし、それは平等主義的正義の水準によって批判できることではないのである。88」」「88 Cohen (1993)p.28 この訳は田中によるもので、本文中の〔〕内の記述も田中が補ったものである。」(田中紗織「障害と道徳──身体環境への配慮」に引用)

●ローマーによる評価

 「コーエンが「機会」よりも「アクセス」を好む点に移ろう。私の見る限りでは、これは意味論上のもので、あまり本質的な違いではない。……アーヌソンの「機会」は実際にはコーエンの「アクセス」に等しく、この点では両者の不一致は存在しない。
 ……コーエンは厚生から優位へと対象を広げるべきだとする主張を証明ぬきで述べているだけであると結論づけたい。」(Roemer[1996=2001:316])
 「コーエンは……「遡ってその人の選択に帰することができず、かつその人が避けたいとする場合に限って不利益を補償する」というものである。残念ながら、この修正は行き過ぎている。というのは、これは飼い慣らされた主婦の状況を救済するなと社会に命じているから。」(Roemer[1996=2001:317])

◇立岩 真也 2001/11/05「自由の平等・4」,『思想』930(2001-11)に引用
 資料:http://www.arsvi.com/0w/ts02/2000009a.htm

●ドゥオーキンの「資源の平等」論に対する批判

 「第一に、自らが招いた運と如何ともしがたい運という切り口を、効用と資源という切り口に対応させる点である。この区分には、個人の選好形成は本人の制御内になるのだから、効用は本人の責任であるという前提がある。……コーエンは、高価な嗜好の問題を取り上げている。たしかに自発的な選好によって形成された高価な嗜好の場合は本人の責任であるから,この人の嗜好を充足させるために高価な補償を行なう必要はない。だが、高価な嗜好が循環的要因により非自発的に形成された場合は、むしろ如何ともしがたい運と考えるべきであろう。
 第二は、資源の平等が効用に対する一切の配慮を切り捨てていることによる難点である。コーエンは次のような例を挙げている。ある人にとって腕を動かすことは困難ではないが、その行為の後に大きな苦痛が生じ、それを抑制するためには多大の費用がかかるという場合を考える。このとき、平等主義としてはこの人にその苦痛を抑える補償をすべきだということになろう。(p.145)この場合、補償の根拠は明らかにこの人の資源の欠落にはなく、苦痛=不効用にある。苦痛を回避できるような資源が欠落しているとい弁解は、効用による説明を密輸入していることになる。」(松井[145-146])

 
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■言及

◆『私的所有論』

 「マルクス自身の所有論についてはここでは取り上げない。第2節4で少し関連したことを述べるが、それはマルクスについての言及ではない。川本隆史が、ノージックの議論に刺激を受け「『カール・マルクスの歴史理論』(Cohen[1978])によって「分析派マルクス主義」運動の中心人物に踊り出たジェラルド・A・コーエン」を紹介している。コーエンは「各個人は、自分自身の身体とその諸力を道徳的に正当な仕方で所有する主体であり、したがって彼らが自らの力を他者に対する攻撃に振り向けない限り、各人は自分の望みどおりにその諸力を行使する自由を有する」という「自己所有権(self-ownership)テーゼ」(Cohen[1986:77])の「直観的説得力を認め、かつそれが標準的なマルクス主義の搾取理論や共産主義社会のヴィジョンにおいても暗に前提されている点を明るみに出した」(川本[1995a:52-53])。

◆「自由の平等・4」注08→『自由の平等』

 「…分析的マルクス主義派のR・アーヌソンが、資源の平等に対して、選好形成には本人の責任を越える社会的要因が関わっており、選好も保障の対象に含めねばならないと批判し、自らは「効用の機会の平等」を提唱している。効用の機会の平等とは、誰もが複数の選択肢からなる決定樹について、選択の期待値が等しいという意味での等価な決定樹に直面している事態である。コーエンは、アーヌソンによる選好形成の社会的要因の指摘を高く評価しつつも、自らは「利益(advantage)へのアクセスの平等」を唱えている。効用や資源ではなく利益とされるのは、それが効用と資源の対象領域を包括しているからである。また機会ではなくアクセスとされるのは、機会はもっているが能力が欠如している場合を、機会の平等では扱えないからである。現実的になにかをもっていることがアクセスである。」(松井[2000:113-114])
 「アーヌソンの「厚生に対する機会の平等」論を踏まえて明示化されたのが、以下のような責任的補償原理である。すなわち、平等主義的正義論の目標は、帰結に及ぼす要因を、個人の統制できる、したがってその帰結に対して個人が責任を負うべき要因と、個人の統制を超えた、したがってその帰結に対して個人が責任を負う必要のない要因に区別し、後者に起因する機会の「不足」のみを社会的に補償することである。」(吉原[1999:170])
 他にアーヌソン、コーエン等に言及している文献として松井[1999]、Roemer[1996=2001]等。
★16コーエンの議論はうまくいっていないとローマーは言う。「コーエンは…「遡ってその人の選択に帰することができず、かつその人が避けたいとする場合に限って不利益を補償する」というものである。残念ながら、この修正は行き過ぎている。というのは、これは飼い慣らされた主婦の状況を救済するなと社会に命じているから。」(Roemer[1996=2001:317]) ※「かつ」は太字(訳書で太字になっている)
 少なくとも引用され部分だけを見れば、この指摘そのものは当たっている。その上で問題は、注8、注6に引用したような発想でうまく事態を捉えられるか、示される方向が妥当かである。立岩[1997:271ff](第7章「代わりの道と行き止まり」1節「別の因果」)に関連した記述がある。

◆立岩 真也 2004 『自由の平等』,岩波書店
 *<>内は当該の文献が言及されている頁

◇1993 "Equality of What? On Welfare, Goods, and Capabilities", Nussbaum and Sen eds.[1993:9-29]
◇1995 Self-Ownership, Freedom, and Equality, Cambridge University Press <302>
◇2000 If You're an Egalitarian, How Come You're So Rich?, Harvard University Press


*作成:立岩 真也
UP:20030314 REV:20030401,1120, 20100704,20100717
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