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Callahan, Daniel

ダニエル・キャラハン/カラハン


■著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
カラハン,ダニエル
1930年生まれ、1957年ハーバード大学で博士号取得。医療倫理について、アメリカで最も著名で著書・論文が引用されることの多い研究者である。1969年から1996年まで、ニューヨークにあるヘイスティングスセンターの共同設立者であり、代表者であった(同センターは、医学、生物学及び環境における倫理的な課題の研究と教育のために設立された機関である)。1996年には、アメリカ科学振興協会から「科学の自由と責任」賞を贈られた。その他受賞多数(本データはこの書籍(=『自分らしく死ぬ』)が刊行された当時に掲載されていたものです)



◆1987 Setting Limits:Medical Goals in an Aging Society, Simon & Schuster=1990 山崎淳訳,『老いの医療――延命主義医療に代わるもの』早川書房.ISBN:9784152034564(4152034564) 1835 [amazon][kinokuniya] ※
◆2000 The Troubled Dream of Life: In Searh of a Peaceful Death, Gerogetown University Press=20061001 岡村 二郎 訳, 『自分らしく死ぬ――延命治療がゆがめるもの』 ,ぎょうせい,282p. ASIN: 4324080410 3000 [amazon][kinokuniya] ※ d01 ts2007a
 *初版1993?

◆1972 "Ethics and Population Limitation", Science 175(Feburauary 4):487-494→1991Schrader-Frechette ed.[1991]=1993 平石隆敏訳,「倫理と人口制限」,Schrader-Frechette ed.[1991=1993:471-502] <64,436>
◆1973 "The Meaning and Significance of Genetic Disease : Philosophical Perspectives", Hilton et al. eds.[1973] <433>
◆1974 "Doing Well by Doing Good : Garrett Hardin's 'Lifeboat Ethics'", The Hastings Center Report 4(December):1-4 <64>

 ※<>は当該文献に言及している『私的所有論』の頁



◆土井 健司 20080201 「神学の世俗化とバイオエシックスの誕生――ダニエル・キャラハンの軌跡を通して」
 『現代思想』36-2(2008-2):220-230(特集:医療崩壊――生命をめぐるエコノミー)

■引用・言及

◆Hendin, Herbert 1997 Seduced by Death: Doctors, Patients, and Assisted Suicide,Georges Borchardt, Inc.=20000330 大沼 安史・小笠原 信之 訳,『操られる死――<安楽死>がもたらすもの』,時事通信社,323p. ISBN:4-7887-9936-7 2940 [amazon][kinokuniya][bk1] ※ b d01 ** ts2007a
 「…肝心な点は、ほとんどの人が「殺人」と「死を許すこと」の違いを理解し、受け容れていることである。」(p.196)

◆立岩『私的所有論』第2章注20より

 「Hardin[1968=1993]はLloyd[1833]を引いて共有(牧)地を各自が自分の利益を最大化しようとして使う結果、過度の放牧が起こり、破滅的な結果が起こるという筋の「共有地の悲劇」を自然環境を巡る問題の所在を言う論として用いた。これを回避する方法として私有化そして/あるいは規制があり、人口問題の後者の解決策として「出産の自由」の制限が主張される(批判としてCallahan[1972=1993])。また、人間を自然の支配者とする「フロンティア(カウボーイ)倫理」に環境の福利のために尽くす「救命ボート倫理」が対置される。豊かな国からの低開発国への援助(猛烈に込んでいる救命ボートから落ちて泳いできた人の別の豊かな救命ボートへの乗り移りを認めること)が否定される。その理由として「共有知の悲劇」の論理が用いられる。国境を閉鎖すること(これは国家を単位とした私有化の選択である)によって資源の使用が制限され、人口増加が抑制されるというのである。(Hardin[1972=1975][1974][1977=1983])紹介と批判としてCallahan[1974]、Schrader-Frechette[1991a=1993][1991b=1993]――後者ではこれに対置されるものとしての「宇宙船倫理」が検討されている。Hardin[1977=1983]の訳者でもある竹内靖雄[1989]等では肯定的に言及されている。
 また、「共有地の悲劇」は社会学等では「社会的ジレンマ」(「囚人のジレンマ」と呼ばれる二人間ゲームの一般化として定式化される)の一つとして考察の対象になる(長谷川計三[1991a][1991b:30-33]、小林久高[1995:261-271]、「社会的ジレンマ」について山岸俊男[1990]、海野道郎[1991]等を含む盛山・海野編[1991])。
 所有論との関わりでは次のような指摘。「勤労の果実を勤労者に確保する制度の経済的必要性は、やはり認められなければならない。そのような制度がまったくない時には、土地の耕作のように長期的な労働などの「投資」の結果はじめてひとつの財が生み出されるような場合には、個人にとって自分で耕作の労をとるより他人の労働の成果が実る頃にそれを奪うという戦略の方が合理的になるし、それがわかっているのに耕作する者もいなくなるからである。もちろん皆がこの戦略をとる場合には、土地は耕作されないから、略奪の対象もなくなるが、だからといって自分だけが耕作することも無意味となるから、囚人のジレンマが発生する。これを解決するために前もって「各人の」土地を決めておくことで、その土地上での労働の成果の享受をあらかじめその者に保障することに皆が同意するのだと論じるなら、これは所有権の中に含まれる排他性(およびその系としての果実取得権)の要素に着目して、それを効率または経済的機能の観点から正当化する議論となる。」(嶋津格[1992:61-62])。
 環境問題の解決策としての私有化の限界については山田高敏[1996]。環境的公平については戸田清[1994]で本格的に論じられている。cf.高橋久一郎[1995:288ff]。」
 cf.所有〜共有地の悲劇


UP:20070321 REV:0322 20080127
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