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Benjamin,Walter
ヴォルター・ベンヤミン/ウォルター・ベンヤミン


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◆『現代思想』 19810201 特集:ベンヤミン 『現代思想』09-02 780 
◆『現代思想』 19850301 特集:ベンヤミン 『現代思想』13- 880 

◆1925 Die Aufgabe des Ubersetzers=1975 円子修平訳,「翻訳者の使命」『ヴァルター・ベンヤミン著作集6』,晶文社

■引用(橋口昌治による)

◆「複製技術時代の芸術作品(第二稿)」

 「書籍に関しては数百年にわたり、書き手は少数であるのに対し、読み手はその何千倍もいるという具合になっていた。十九世紀の終わり頃、ある変化が生じた。新聞がますます普及し、たえず新しい政治的・宗教的・経済的・職業的・地域的機関が読者に提供されるにしたがい、しだいに多くの読者が――はじめは散発的に――書き手の側に加わっていった。それとともに、日刊紙が読者のために〈投書箱〉を設けることが始まった。そして今日の状況は、労働過程のなかにいるヨーロッパ人のほとんど誰でもが、その労働の経験、苦情、ルポルタージュなどを発表する機会を、原理的にはどこかしらに見つけることができる。このことによって、著者と公衆とのあいだの区別は、その原理的な性格を失いつつある。それは機能上の区別、ケースバイケースで違った風に行われる区別になる。読み手はいつでも書き手になることができる。極端に専門家された労働過程においては誰でも良かれ悪しかれ専門家に――たとえきわめてささいな業務の専門家にすぎないとしても――ならざるをえないので、そうした専門家として執筆者層の仲間入りをする道が開けるわけである。労働自体が発言する。そして労働を言葉で表現することは、労働を遂行するのに必要な能力の一部となる。ものを書く資格は、もはや特殊な教育に基づいてではなく、総合技術教育〔旧ソヴィエト連邦で、普通学校教育において必須とされていた総合的な自然科学・技術教育〕に基づいて得られるものとなり、したがって万人の共有財になる。」(浅井健次郎編訳、久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』p.612-613)

 「弁証法的に思考する者にとって、今日の戦争の美学は、次のような姿で現れてくる。生産力の自然な利用が、所有の秩序によって妨げられると、技術手段、テンポ、エネルギー源の増大は、生産力の不自然な利用を強く要求する。この不自然な利用の場は戦争に求められる。そして戦争がもろもろの破壊によって証明するのは、社会がいまだ技術を自分の機関として使いこなすまでに成熟していなかったこと、そして技術がいまだ社会の根元的な緒力を制御するまでに成長していなかったことである。帝国主義戦争のきわめてむごたらしい諸特徴を規定しているものは、巨大な生産手段と、生産過程におけるその不十分な利用とのあいだの齟齬(別の言葉で言えば、失業と販路不足)なのである。帝国主義戦争とは、技術の反乱にほかならない。技術の要求に対して、社会が自然の資源を与えなくなったので、技術はその要求をいまや〈人的資源〉に向けているのだ。」(p.628-629)


UP:20050523 REV:
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